表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅星伝  作者: 島津恭介
177/199

第十七章 ヒステールの波濤 -1-

 サヴァリアは、パンノニアで最も古い都市である。パンノニアはイリュリア人が主に生息している地域であったが、フルム帝国がこの地を属州(プロヴィンキア)としたときに、植民都市を建設した。


 西にはアルポカヤ山脈を臨み、東にはパンノニア平原が広がる。街の側にはシバリス川が流れ、スエビ海(マーレ・スエビクム)で取れた琥珀を運ぶ街道が近くを通っていた。


 パンノニアが獣の民(ノヨンオール)に割譲されると、サヴァリアは獣の民(ノヨンオール)の首都に準じる扱いになった。準じると言うのは、獣の民(ノヨンオール)は遊牧民であり、パンノニア平原に天幕を建てて生活をしているため、特に都市を首都とすることはなかったためである。


 エツェルと獣の民(ノヨンオール)の主部族はこのサヴァリア近辺の平原を王庭としている。そして、弟王のブレーデリンは、平原の南にあるシルミウム近辺を縄張りとした。

シルミウムから西に位置するシスキアにはロクソラニの民が遊牧し、平原の北にあるアクィンクムではアラニのルモ・ジナフュルが駐屯した。


 グルドゥンギ族を筆頭にゲピド族、ヘルール族が一軍となり、エツェルからウィンドボナ攻略を命じられていた、攻略軍はブラチスラヴァに集結し、西に向けて大河ヒステールを遡っていく。ブラチスラヴァからウィンドボナまでは約四十ミーレ・パッスーム(約六十キロメートル)。馬ならば一日、歩兵でも三、四日で踏破できる距離である。


 ウィンドボナには、かつてパンノニア守備を受け持っていたフルムの第九軍団(ヒスパナ)が駐屯していた。


 パンノニアには、かつて帝国の首都になったこともあるシルミウムなどの重要な都市があり、四個軍団が駐屯しているはずであった。だが、幾度かの戦いで獣の民(ノヨンオール)に敗れ、いまはもうウィンドボナに一個軍団が残るのみとなっている。


 ブラチスラヴァからウィンドボナへの進軍は、予定通り三日掛かった。途上にあるカルヌントゥムの砦には、かつては第十四軍団(ゲミナ)が常駐していた。だが、第十四軍団(ゲミナ)が壊滅して久しく、再建の目処は立っていない。


 グルドゥンギの女王アマラスンタは、ウィンドボナの城外に到着すると、早速ゲピドのアルダリックとへルールのファルスを招集する。第九軍団(ヒスパナ)はウィンドボナに籠城するつもりらしく、城門は固く閉ざされている。


 だが、勇敢なゴート人の戦士たちは、それくらいで怯んだりはしない。正直、エツェル率いる獣の民(ノヨンオール)の軍と戦う方が余程怖い。


 巨漢揃いのヘルール族の戦士たちが、二頭の馬の間に丸太をぶら下げて突っ込んでいく。一撃で門が壊れることはないが、丸太は波状攻撃で後から後から突っ込んでくる。さしも頑丈な城門も、瞬く間に襤褸襤褸になった。


 最後に一際大柄な馬に乗ったファルスが、弟とともに巨大な丸太を吊り下げて突っ込んでくる。丸太は半壊した城門に衝突し、そして易々とぶち抜いた。


 ゲピド族のアルダリックが手勢を率いて市街に突入していく。第九軍団(ヒスパナ)が各地で防衛線を構築するが、力尽くで食い破られる。ゴート人たちは、兵も民衆も関係なく手当たり次第に殺し、降伏した者を捕らえていった。ウィンドボナの属州総督レクトル・プロヴィンキアも、第九軍団(ヒスパナ)軍団長レガトゥス・レギオニスもとうに逃げ出していた。


 虐殺と掠奪が由緒あるウィンドボナの街を襲った。


 フルム人の支配者層は真っ先に逃げ出したが、ケルト人の住民は多数残っており、逃げ遅れた者は奴隷となる運命が待っていた。


 自身の家族を獣の民(ノヨンオール)による虐殺で喪ったアマラスンタは複雑な気分であったが、殺さなければ殺される、奪わなければ奪われるのが節理と言うものだ。自分の心には目を瞑り、部下の好きにさせるしかなかった。


 大量の掠奪品と奴隷を抱え込んだゴート人たちは、一度拠点のブラチスラヴァに向けて帰還した。さして離れているわけでもないし、掠奪品を売り捌かねぱ身動きが取れなかったのである。


 そこで軍資金と士気を上げたゴート人たちは、パンノニアの西に位置するノリクム属州のユヴァウムを目指した。ウィンドボナからユヴァウムまては約二百ミーレ・パッスーム(約三百キロメートル)。森林と山脈の広がるノリクム属州で、随一の岩塩採取地域である。


 東西に流れる大河ヒステール。


 その南側が帝国の領域であり、北が蛮族の住まう土地である。ゴート人たちは、ヒステールの南を業火とともに荒らして回った。ケルト人の領域に苦労してフルム人が築き上げた防衛線が、ゴート人の劫掠の前では、まるで意味をなさなかった。


 ノリクム防衛の任に当たっているのは第七軍団(パテルナ)である。カストロ・レギーナを出発した第七軍団(バテルナ)は、南下し、ユヴァウムに向かっていた。


 無論、ウィンドボナの第九軍団(ヒスパナ)が壊滅した報を聞いて動き出したのである。カストロ・レギーナに駐屯していた第七軍団(パテルナ)は帝国屈指の強兵であり、軍団長レガトゥス・レギオニスのアウルス・コルネリウス・バシアヌスはコルプロに並ぶ指揮官として名高かった。


 東の鷹コルプロ、北の狼バシアヌスの名前は、帝国の民なら子供でも聞いたことがある。


 琥珀街道に近いウィンドボナが落とされたのは痛かったが、岩塩の一大集積地帯であるユヴァウムは更に重要度が高い。バシアヌスが急いで南下したのも当然である。


 ユヴァウムには第八軍団(アウグスタ)が駐屯しており、第九軍団(ヒスパナ)の残兵も少数逃げ延びていた。


 バシアヌスは三軍団の指揮を預かった。


 第七軍団(パテルナ)六千、第八軍団(アウグスタ)六千、第九軍団(ヒスパナ)五百の計一万二千五百人が、ユヴァウム防衛に集結している。


 対するゴート人たちはアマラスンタを筆頭にグルドゥンギ族の八千、アルダリック麾下のゲピド族が三千、ファルス麾下のヘルール族が二千で、総勢一万三千。


 数の上では互角である。


 だが、帝国の兵士はウィンドボナの虐殺を耳にしており、戦意は軒並み下がっていた。英雄バシアヌスが指揮官であるからもっているが、そうでなければ、みな逃げ出していたかもしれない。


 士気を回復するのは簡単だとバシアヌスは思っていた。勝利が必要なのだ。どんなにささやかでも、勝つことができれば兵士の気力は回復する。


 そのために必要なのは、森林の地形を利用した少数による奇襲である。バシアヌスは、ウィンドボナからユヴァウムに至る約二百ミーレ・パッスーム(約三百キロメートル)の地形は全て頭に入っている。


 バシアヌスは第七軍団(パテルナ)から五百人と、第九軍団(ヒスパナ)の生き残りの五百人を選び、策を授けた。彼らは軽装に身を包むと、行軍中の蛮族を求めて森の中を進む街道へと踏み込んでいった。


 乾燥し、植生があまりない聖アーラーン王国やミーディール王国と異なり、このあたりは本当に森が深い。フルム帝国の文明の手が入った地域ならある程度開発も進んでいるが、ゴート人などのゲルム民族が多い地域はほぼ未開の土地である。大河ヒステール流域は、未開の地との境界であり、自然辺境の土地であると思って間違いない。


 その広大な原生林には、太古東から移動してきたケルト人が各地に集落を作って暮らしている。そのケルト人の集落をフルム人の帝国兵が侵略し、その版図を増やしてきていた。


 だが、いまそこに、更に新しい波が来ようとしていた。大陸の西の覇権を賭けた戦いが、いままさに始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ