第十六章 ディーヴァの脅威 -8-
カールティケーヤは、復活したスラオシャを見て驚きを隠せないようであった。無理もない。破壊の槍の破壊の権能は最上位の格を持つ。並みの神では回復不可能な損傷だ。それを回復したと言うことは、ザリチュの回復の格もまた最上位の格があると言うことだ。大神に匹敵する力である。
「女悪魔上がりの亜神の力ではないぞ。どういうことだ」
警戒を強めたカールティケーヤは、破壊の槍を構えたまま攻撃してこない。その間に、スラオシャがアナスとザリチュに速度上昇の支援を与える。
「気休めだけれど、ないよりましかしら」
スラオシャは謙遜したが、アナスは神速を超える効果に喜色を示した。これなら、ハラフワティーに迫る速度は出せるだろう。それでもまだカールティケーヤの速度には及ばないが、目で追うことくらいはできそうだ。
「勘頼りの防御よりはいいわ。ありがとう」
その間に、ザリチュは周囲に充満するカールティケーヤの神気を吸収し始める。大神の圧迫するような空気が、次第に薄らぐのがわかった。アナスは額の汗を拭い、神焔を纏った双剣を構える。これなら、まだ戦いになるはずだ。第二ラウンド開始である。
カールティケーヤが前進してくる。今まで見えなかった動きが、何とか捉えられる。足を薙ぎに来る横撃を上昇してかわし、頭上から左右の連撃を放つがあっさりとかわされる。だが、その回避先にスラオシャが光弾を連続して撃ち込み、牽制を掛ける。
カールティケーヤは全ての光弾を破壊の槍で捌ききるが、その隙にアナスが攻勢に撃って出る。
手練の五連突きを繰り出すが、カールティケーヤは悉くを回避する。動きは剣の素人に見えるが、圧倒的な速度でアナスの剣をかすらせない。だが、先程より速度が上がったアナスに、カールティケーヤも余裕は見せられない。全力で回避したところにスラオシャの光弾が叩き込まれ、苛立ちを隠せなかった。
カールティケーヤが張り巡らせていた神気の領域も、ザリチュに吸われることで大分縮小してしまっている。攻撃の察知能力も落ちたカールティケーヤには、攻撃に撃って出る余力がない。スラオシャとアナスの連携に完全に守勢に回ってしまっている。
だが、カールティケーヤに焦りは見られなかった。大神はスラオシャの光弾をかわしながら距離を取ると、破壊の槍である方角を指し示した。
「余に集中していていいのか? 風天を放置していれば、下の人間どもは壊滅であろう」
カールティケーヤの指摘は正しかった。ザリチュをこちらに回したせいで、キアナは散逸した麾下の部隊を取り纏める時間を得ていた。
バダフシャン侯とティルミド侯の部隊は、まだあちこちに散らばったまま、集結し切れていない。蹴散らすには、絶好の機会であった。
キアナの指揮を取り戻した赤き神鳥たちは、一糸乱れぬ動きでヘテルの騎兵を蹂躙した。このまま進めば、先陣は確実にキアナが押し切るだろう。そうすれば、他の戦線のバランスが崩れ、ヘテル軍は撤退を余儀なくされることは必定だ。
「や、やばいみたいな?」
動揺し易いザリチュがあわあわと慌て始める。
「アナスさん、すぱっとやっちゃって下さい」
スラオシャが光弾を撃ち込みながら無責任なことを言う。そんな簡単にできたら苦労はしない。正面からぶつかる限り、力量は相手のが上だ。どうやって仕留めるのか、その道筋が全く見えない。
「できるか!」
叫んでも状況は好転してくれない。仕方なくアナスは、手持ちのカードでカールティケーヤに通用するものがあるかを考え始める。
正直、剣も神焔も、カールティケーヤの影を掠めることもできない。巨人の膂力も、当たらなければ生かしようがない。かと言って、油断をすればスラオシャの光弾を掻い潜って破壊の槍の一撃が飛んでくる。
遠距離から飛んでくる槍だから、アナスは何とか目で追えた。これが至近距離での短剣などであったら、スラオシャの支援があっても対処は難しかったであろう。それでも回避するほどの余裕はなく、槍の穂先を神焔を纏った刃で弾き返すので精一杯である。
(速い……確かに速い。でも……)
カールティケーヤの槍は、生きてはいない。
矢継ぎ早に繰り出される槍を捌きながら、アナスはヒシャームやシャタハートに鍛えられた日々を思い出す。彼女の武の師匠たるヒシャームの槍は、速さこそカールティケーヤに劣るものの、その動きは生きていた。カールティケーヤの槍は、速度こそ並外れているが、単純で読みやすい。それはそうだろう。カールティケーヤの速度と破壊の槍があれば、槍の技倆など必要なかったのだ。神々でさえも、破壊の力の前ではひれ伏さざるを得なかったのだから。
武術の技倆は、クベーラのが優れていた。あの洗練された攻撃を捌いた後なら、速いだけのカールティケーヤの槍に脅威を感じない。だが、攻撃を当てるとなると、また別問題だ。こと回避する能力に関しては、カールティケーヤは他の追随を許さない。まともにやっていれば、百年経っても命中しそうもなかった。
(仕方がないわね……ザリチュ、あんたの回復の力でごり押しするわよ)
アナスは覚悟を決めた。無傷でこの場を切り抜けるのは難しい。早期に決着をつけるなら、捨て身で行く他に手段はなかった。
(大抵の傷なら癒せるけれど……生身で破壊の槍の一撃を受けたら塵も残らないみたいな?)
ザリチュは不安そうに言った。だが、アナスは自信ありげに首を振った。
(そこは何とかするわ。とにかくザリチュは、あたしが攻撃を受けた後の回復をお願い)
(無茶苦茶だし! 丸投げみたいな!)
ザリチュがまだ文句を呟いていたが、アナスはもう聞いていなかった。破壊の槍の動きに神経を集中させる。槍の軌跡は単調で、テンボを掴みやすかった。アナスはカールティケーヤの攻撃の先読みをすることで、回避と受けを混ぜながら捌いていく。
「裁定神め、やりおる。余の攻撃をこれほど防いだ者はほとんどおらぬ」
「……そうかしら。あたしには、ハラフワティーの剣の方が余程怖く感じられるんだけれど」
小手先の攻撃ではなく、全力の一撃を誘うために挑発する。案の定、カールティケーヤはアナスの言葉に怒りを覚え、不愉快そうに唇を歪める。暴風神の息子として、正統な神々の王の継承者だと言う誇りがあるカールティケーヤにとって、光明神親子は目の上のたんこぶだ。自分よりもその三神が上だと言われることほど、彼の誇りを傷付けることはない。アナスは盛大に地雷を踏み、大神は怒り狂った。
「小娘、よく言った! 骨も残さず、消し去ってくれるわ!」
激昂するカールティケーヤが、破壊の槍を振りかぶる。大神の膨大な神力が込められた神器は、大気を揺るがしアナスを威圧した。槍には破壊の力が溢れ、不気味な震動が平原に鳴り響いたのである。