第十六章 ディーヴァの脅威 -7-
ヘテルの王アフシュワルは、麾下の精鋭とともに敵の本隊と交戦を続けていた。
奇襲で先手を取った分優位は保っていたが、カールティケーヤとクベーラの加護を得ている韋駄天の騎馬隊は恐ろしく精強であり、単騎では到底敵わない。
だが、指揮官たるべき二人が個人戦闘に注力しているお陰で、彼らの動きは精彩を欠いていた。アフシュワルは出来るだけ分断し、数の優位を奪って少数を殲滅することを繰り返す。
覇王として再起を目指す彼としては、此処で負けるわけにはいかなかった。例え相手が大神であるとしても。
彼が頼りにしているのは、太陽神の女祭司であった。太陽神の御使いにして勝利の化身であるスラオシャの顕現。大神に対抗できるとしたら、彼女しかいないと思っていた。
だから、彼女がカールティケーヤの前に破壊され、戦闘力を奪われたときは敗北を覚悟するしかなかった。しかし、それで終わりではなかった。
カールティケーヤの破壊の槍の前に、一人の少女が立ちはだかっていた。アフシュワルは、その小娘のことをよく知っていた。なにせ、先のマラカンドの戦いで、直接敗北する契機を作ってくれた仇敵である。その忌々しい力はいまも記憶に新しい。
「真紅の星か……。竜王を斃した貴様なら、大神にも届くのか?」
届いてほしい、とアフシュワルは思った。そうでなければ、ヘテルは今日で終わる。カールティケーヤが戦線に復帰すれば、敗北の道しか残されていないのだから。
「貴様を応援するのは腹立たしいが、何とかしてくれ、真紅の星!」
炎翼を広げ、蒼穹を疾駆するアナスを見つめると、アフシュワルはまた自らも馬を駆った。
破壊の槍は恐るべき神器てある。物質は愚か、概念や能力すら破壊する最強の武器だ。その力を全て使いこなせるのは、今は亡き暴風神アッシュール、すなわちエンリルだけである。
だが、アッシュールの息子たるニヌルタ、すなわちカールティケーヤには、父から受け継いだ神器を使いこなす資質があった。
通常の神器なら、破壊の槍の攻撃を受け止められない。受け止めた瞬間に、神器は破壊されてしまう。
だが、アナスの蒼き神焔を纏った双剣は、その最強の武器である破壊の槍の攻撃にも破壊されず、辛うじて弾き返していた。
「貴方の槍とあたしの炎、格としては同格みたいね」
破壊の槍が弾かれたことに驚きを浮かべるカールティケーヤに、アナスは言葉を叩き付ける。
正直、勝ち筋は全く見えない。
カールティケーヤの動きはアナスの神速を凌駕しており、その攻撃を凌ぐので精一杯である。正直、カールティケーヤは剣技はハラフワティーやクベーラに劣り、権能も速度に特化していて多様性はない。だが、その唯一の権能と破壊の槍と言う無敵の武器の組み合わせが厄介なのだ。技倆など、この圧倒的な速度があるなら無用である。
「裁定神の力をある程度引き出せるようだな」
カールティケーヤが値踏みをするようにアナスを凝視する。破壊の槍を受けきることができる武器は、決して多くはない。ハラフワティーの神剣シタなら、恐らくは可能であろう。ニルガルのイルカルラの剣も、格としては同格である。だが、アナスの双剣は人間の作ったものだ。本来なら一撃で砕けても不思議はない。
「だが、その程度では、余に刃を届かせるのは不可能であろう。今のうちに降ることを勧めるぞ」
「やってみないと、わからないわ!」
アナスは神焔の領域を展開しようと神気を解放する。だが、神気を膚から外に出そうとすると、すでに周囲に充満しているカールティケーヤの神気に圧倒され、場を広げることができない。大神の神気に押し潰され、アナスは苦しい汗を流した。
(これは、爆炎を設置しても、すぐに読みとられるわね)
剣でも圧倒され、焔を相手にぶつける手段も思い付かない。このまま推移すれば、いつかは破壊の槍が剣の防御を突破して、生身のアナスを貫くだろう。
(せめて、スラオシャの援護があれば)
スラオシャは武神ではあるが、自ら戦うよりも支援に向いた権能が多い。その力を十二分に使えれば、カールティケーヤを翻弄することも難しくはない、だが、いまは破壊の槍に体のあちこちを砕かれ、ほぼ戦闘不能状態に陥っている。
(仕方がない、賭けだけれど……)
アナスは剣から神焔を盛大に振り撒き、カールティケーヤを射程外に追い払った。その一息ついた隙に、離れた場所で戦っていたザリチュに向かって叫ぶ。
「ザリチュ! こっちに来て!」
ザリチュはヴァーユを分断し、足止めするために派遣していた。これはスラオシャの立てた計画であったが、すでにスラオシャがカールティケーヤに勝てなかった以上、破綻した作戦を続けていても仕方がない。ヴァーユをこちらに呼び込んでも、アナスはザリチュが必要であった。
ザリチュはヴァーユと対峙していたが、アナスの叫びを聞くと親指を立て、ふよふよとそちらに向かった。
ヴァーユは眼下の状況とカールティケーヤとを見比べ、主には援護に向かうか部隊の指揮に戻るか暫時迷う。正直、自分が先程使った暴風のせいで、眼下の状況は混沌としている。敵も味方も入り乱れ、戦うよりも暴風から逃げ惑うのを優先している状況だ。
此処は主を信頼し、自分は部隊の立て直しに向かうべきであろう。クベーラが敗れたことで、本隊も混沌としている。まずは自分の部隊を纏めることが、この戦いの勝敗を決めるのではないか。
そう判断したヴァーユは、ザリチュを追わなかった。
ザリチュはヴァーユに邪魔をされずにカールティケーヤの前に現れる。さすがに大神の神気に当てられ、ザリチュの顔色も悪い。
「あたしが来ても、あれはどうしようもないみたいな」
破壊の槍のエネルギーを吸収できるか、それはザリチュにもわからない。失敗してそのままやられる可能性の方が高い気はする。
「とりあえず、ザリチュはスラオシャの回復をお願い」
アナスが頼むと、ザリチュは親指を立てて返してきた。生命を司る双子神の権能を有するザリチュにとって、回復は最も得意とするところだ。ふよふよとスラオシャ近付くと、両の掌から生命エネルギーをスラオシャに向けて放射する。手足を破壊の槍に破壊され、身動きもできないスラオシャは、ザリチュに僅かに顔を向けた。
「無駄です……破壊の槍に砕かれた傷は回復できません」
既に何回も試したスラオシャは、諦めたような口調で言った。それに対し、ザリチュはむっとしたように口を尖らせる。
「あたしの回復の権能は、あんたと違って最上位だし!」
ザリチュの言葉の通り、スラオシャが何度やっても回復しなかった損傷が、体内の生命エネルギーの活性化とともにみるみる治っていく。スラオシャは驚き、再生した腕を振り回した。
「驚きました。亜神の力ではないですわ……。これなら、まだいけるかもしれませんわね」
ザリチュがこちらに加わったため、ヴァーユが自由になっている。時間を掛ければ、地上のヘテル軍が壊滅しかねない。その前に、カールティケーヤを何とかしなけれぱならなかった。
「行きましょう、ザリチュさん。此処でニヌルタを止めますわよ」
スラオシャの言葉に、ザリチュは頷いた。