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紅星伝  作者: 島津恭介
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第十五章 破壊神の息子 -7-

 ペシャワール騎兵の新しい指揮官であるシャンカラは、腰の低い青年であった。


 年の頃はキアナと同じくらいであろうか。由緒あるクザン王家の血を引くペシャワール侯爵の一族でありながら、家柄を鼻に掛けることがない。アシンドラから指揮官に任命されたときも、キアナにまず挨拶に来るくらい先輩を立てるところがある。


 マトゥラー騎兵の指揮官であるチャルカは、二人より更に年下だが、粗暴で傲慢であった。勇猛ではあるようだが、キアナは気に入らない。アシンドラも危ないところを感じたのか、前線には出さずにマータラに預けて鍛え直すことに決めたようだ。


 シャンカラに付いてペシャワールに来たキアナは、そこでようやく久しぶりの休息を取ることができた。この遠征で、キアナのパータリプトラ騎兵は美しい刃のように研ぎ澄まされている。休息を取ることでそれが鈍るのは怖かったが、戦いの前に一度は体力を回復させないと武器を振るうこともできない。


「キアナ将軍の兵は、傍らに寄るだけで鳥肌が立ちますな」


 キアナの兵は頬が痩け、目だけが強烈な光を放っている。後から来たチャルカの兵は、粗暴そうではあるが、膚がひりつくような緊張感はなかった。シャンカラは敏感にその差を感じている。ミタン王国軍でアスパヴァルマに次ぐ将軍は、やはりこのキアナなのだ。


「ペシャワールの兵はよく鍛えられている。だが、怖くはないな」


 キアナはシャンカラの兵を一瞥した。


月の民(マーハ)の兵はみな同じだ。技術は巧みかもしれないが、限界を超えていない。あれでは土壇場で力を発揮するのは難しいな」

「恐縮です。我らのやり方はまだまだ甘かったようですな」


 アシンドラがバクトリアに兵を出すのは既定路線であった。その場合、初めに戦いになるのはペシャワールの西にある要衝ハイバル峠、次にペシャワールとカーブルの中間に位置する都市ジャララバード、そしてカーブルである。


 アシンドラはまだベグラムから到着していなかったが、優秀な指揮官であるキアナとシャンカラは、すでに先遣隊を派遣し、偵察を試みていた。


 その結果、ハイバル峠からジャララバードまで敵影がないことはすでに確認されており、二人は拍子抜けしたものである。カドフィセスがいた頃ならば、ハイバル峠を無人にするなどあり得なかったであろう。


「カーブルにはもうカーブル侯はいないのか?」


 キアナはこの辺りの情勢にはさほど詳しくない。無人の報告を聞き、疑問に思ったのか、シャンカラに尋ねてくる。


「カーブル侯爵は先のマラカンドの戦いでアーラーンに降伏していました。その軍団はハライヴァに移ったと聞きます」

「すると、カーブルも無人なのか?」

「いえ、アフシュワルが一族の将を派遣したと聞きますが……」


 アシュヴァーシャなら把握していたであろうが、部隊長であったシャンカラはそこまで掴んでいなかった。流石に先遣隊をカーブルまで進ませるのは無謀なので、通常の斥候に切り換える。


 命令は出ていなかったが、キアナは先にハイバル峠まで進出することにした。カーブルに兵がいて、此処まで出て来られると厄介なことになる。先に押さえておけば後々楽ができるのだ。


 ペシャワールとカーブルの周辺は、一万ハスタ(約四千五百メートル)を超える山も珍しくないほどの山岳地帯である。その中にあって、ハイバル峠は唯一二千三百ハスタ(約千メートル)ほどの標高である。ペシャワールからカーブルに抜けるにはこの峠道を通る他はなく、此処を押さえられていたら屍山血河を築く他はない。


 その意味でカドフィセスの不在はミタン王国軍にとっては好機であり、ヘテルにとっては不運であった。


 キアナがハイバル峠に駐屯して五日後にアシンドラがペシャワールに到着した。シャンカラからキアナの行動を聞いたアシンドラは、微かに眉をひそめた。アシンドラがキアナをペシャワールに派遣したのは、当然シャンカラの監視のためである。最前線に不穏な動きが起きないように手を打ったのだ。それを放棄してのハイバル峠布陣に不快感を感じたのである。


 だが、キアナはそれほど判断の甘い男ではない。彼がペシャワールを空けたのならば、空けても問題はないと判断したはずである。それだけシャンカラは信用してもいいと言うことか。


 アシンドラはそう思い直し、機嫌を直した。


 この日、アシンドラはペシャワールで一泊し、翌日シャンカラを連れて出立した。パクトラを発ったアフシュワルが、ちょうどベグラムに到着した日である。アシンドラのタキシラ逗留が長引いた分、ヘテル王国軍の行軍が間に合っていた。


 ハイバル峠を無傷で通過したミタン王国軍は、そこでキアナの部隊と合流し、ジャララバードまで進撃する。ジャララバードは交通の要衝であり、カーブル侯爵が支配していた。だが、カドフィセスが消えてからは月の民(マーハ)の支配が解け、アフマドザイ家のシュジャーがジャララバードの統治を行っていた。


 アフマドザイ家はミズラヒ人の血を引く一族である。カナンの地を追われたミズラヒ人の一部はこの周辺に土着し、根を張っていた。


 アフマドザイ家も遊牧民であり、五十騎ほどの私兵を持っていた。だが、当然ながら七千騎を数えるアシンドラの軍に反抗する術はない。通常ならばジャララバードを放棄して逃走するのが遊牧民の正しい選択であるが、シュジャーはアシンドラに降伏する道を選んだ。


 アシンドラは、降伏してきた者を虐殺するような王ではない。それは、今までの戦いですでに明らかになっていた。シュジャーは許され、そのままジャララバードの統治も継続するように言われる。どさくさに紛れてジャララバードを占領した男が、王国の保障を得たのである。


 この間にシャンカラが派遣していた斥候が帰還し、カーブルにヘテル王国軍三千が入ったことがわかった。アフシュワル率いるバクトラの精鋭であるが、三千騎ではミタン王国軍の半分以下の兵力である。キアナとシャンカラは、警戒するほどの話ではないと判断した。


 とは言え、アシンドラに報告はしなければならぬ。二人は揃って王の許に向かった。


「三千でカーブルに出てきただと?」


 アシンドラは意外そうに首を傾げた。ヘテル王国軍はバダフシャンやティルミドの兵の集結を待ち、バクトラ近郊でミタン王国軍を迎撃に出てくると予測していたのである。


「カーブルに籠城するつもりでもなかろうが……。三千で余に勝つ自信があるのか?」

「しかし陛下。カーブルとジャララバードの間はカーブル川沿いの険しい山道ばかりで、騎兵が展開するような平地はありませぬ。アフシュワルもそれは承知しておるでしょう。恐らく、カーブルで我らを迎撃する心算かと」


 地理に詳しいシャンカラが進言する。確かに、シャンカラの言う通りではあった。だが、山間の細い道では騎馬は一列にならざるを得なく、隊列は長く伸びることになる。アフシュワルが乾坤一擲の勝利を狙っているとしたら、そこを突いてくるのではないか。


 大軍を擁しながら、奇襲によって敗れた例は多い。斥候を十分出し、警戒を強める必要がある。カーブルまでに必要なのは、速度より慎重さだとアシンドラは判断した。

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