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紅星伝  作者: 島津恭介
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第十五章 破壊神の息子 -2-

 アヨーディヤーに戻ったアシンドラは、一人の将軍を呼び寄せた。赤い甲冑を身に付けたその将軍の胸甲には、赤き神鳥(ラーガ・ガルダ)の紋章が刻み込まれている。面立ちは精悍で、かつてマハンの地で討ち死にしたかの六将アグハラーナによく似ていた。


 アグハラーナの弟、キアナである。パータリプトラをアシンドラが従えたときに、アシンドラは騎兵隊長の一人であった彼を将軍に抜擢していた。そして、ミタン人の騎馬隊を預けて徹底的に調練を施させたのである。翼ある者(スパルナ)の称号を継げるかは、この騎馬隊の仕上がり具合に掛かっていた。


「行けるのか?」


 アシンドラは、余計なことは言わなかった。キアナは拝礼し、いつでも、と返事をした。


「明日、マトゥラーに出立する。パータリプトラ騎兵三千を率いて余に続け」


 キアナは平伏し、微動だにしなかった。アシンドラはその肩を叩くと、部屋を出ていった。彼はこのアグハラーナの弟に、兄以上の才能を感じていた。サカ人の騎馬隊を指揮する将軍アスパヴァルマに匹敵するかもしれない。今回の遠征で、アシンドラは彼の才能を限界まで研ぎ澄まさせるつもりであった。アーラーン聖王国は強力な騎馬隊を抱えており、かの国と戦うにはこちらも騎馬隊の育成は不可欠であった。


 翌朝、アスパヴァルマのアヨーディヤー騎兵が先発し、キアナのパータリプトラ騎兵がその後を追う形で進軍が開始された。


 キアナが自信に満ちていたように、パータリプトラの騎馬隊は見違えるように鍛えられていた。翼ある者(スパルナ)の騎馬隊となるべく、速度に特化した鍛えられ方をしていたのだ。だが、キアナの自信も二刻と持たなかった。アスパヴァルマ率いるサカ人たちは、馬が潰れるのではないかと言う速度で平然と駆け通している。同じ速度で駆けているのに、キアナの騎馬隊の馬は先に限界を迎えていた。これ以上同じ速度で駆ければ、馬が潰れてしまう。


 結局、夜営地までにキアナは三刻も遅れることになった。馬の疲労は激しく、翌日駆けることは難しい。様子を見に現れたアスパヴァルマは、瞬時に馬の状況を看破した。


「貴様らはミタン人は、馬の扱いが雑なのだ。だから、必要以上に馬を疲労させてしまう」


 アスパヴァルマの後ろから現れたアシンドラは、短く付け加えた。


「付いてこれなければ置いていく。マトゥラーが落ちるまでには、追い付けよ」


 キアナの顔が、屈辱で歪んだ。優れた兄を持ったキアナは、常に劣等感と戦ってきた。兄は異名を持つミタンの六将の一人であったのに、キアナはただの部隊長に過ぎなかった。そんな平凡な弟を新しい王は将軍に取り立ててくれ、精鋭部隊との同行も許してくれたのである。この恩には応えねばならぬとキアナが張り切っていたのは、言うまでもない。


 だが、現実は厳しかった。


 アシンドラとアスパヴァルマは容赦なく駆け続け、先行していく。馬が保たないキアナは遅れるしかない。速度を上げれば、馬が潰れて進軍は止まる。それだけはやってはならないことだ。


 キアナが必死に駆け続けている間に、マトゥラーの近郊で、アシンドラはマトゥラー侯ヴァーシシカの騎兵二千と激突していた。マトゥラー侯は、旧クザン王国の有力諸侯であり、月の民(マーハ)である。麾下の兵は月の民(マーハ)やトハラ人による遊牧騎兵である。アスパヴァルマ以下サカ人たちにとっても、侮れる相手ではない。


 しかし、アシンドラは平然とアスパヴァルマに突撃を命じた。マトゥラー騎兵は、当然距離を取りながら騎射を行ってくる。アヨーディヤーの騎馬隊は、ヴァーシシカの予想を上回る速度で移動し、斉射した矢が綺麗にかわされる。


 急速に接近するサカ人たちに、再度の射撃の余裕はないと判断したヴァーシシカは、弓を剣に持ち換えさせた。


 だが、そのタイミングすら遅かった。飛ぶように駆けるサカ人たちはマトゥラー騎兵を完全に捕捉し、鋭くその陣列に斬り込んだ。すれ違いざまにマトゥラー軍の兵士たちが血飛沫を上げ、易々とアスパヴァルマの侵入を許す。ヴァーシシカが剣を抜いたときには、すでにアスパヴァルマは目の前に迫っていた。


 キアナがマトゥラーに辿り着いたときには、すでにマトゥラーは落ちていた。


 ヴァーシシカを討ち取られたマトゥラー軍はアシンドラに降伏し、マトゥラーを明け渡したのである。


 キアナは疲れ切った肉体に鞭打ち、アシンドラが宿舎としたマトゥラー侯の居館を訪れた。アシンドラは、アスパヴァルマとともに一人の青年を謁見していた。キアナは待とうとしたが、従者にそのまま通るように言われ、王の許に向かう。


「貴様にも引き合わせておこう。ヴァーシシカの息子チャルカだ。マトゥラー騎兵二千を預けることにした」


 アシンドラは、相変わらず端的に用件だけを言う。儀礼には全く拘らない男である。


「次の目的地はサガラだ。貴様は、チャルカとともにサガラを目指せ。今度は間に合うように来るのだな」


 危険なことを、とキアナは思った。殺した敵将の息子にそのまま兵を委ねるなど正気の沙汰とも思えない。サガラで裏切られ、挟撃されたらどうすると言うのか。


 アシンドラには、そんなことを歯牙にも掛けないのだろう。彼は生ける軍神だ。彼の行く先には勝利が付いてまわり、敗れることなど想像できない。


 小休止の後、キアナは夜半に出立した。目的地はわかっているのだ。アスパヴァルマの出立に合わせる必要はない。


 兵も馬も疲れ切っていた。いま戦闘が起きたら、間違いなくキアナの兵は全滅だ。とても戦える体力は残っていない。だが、不思議なことに、次第に兵は馬を疲れにくくさせる乗り方を掴んできているようであった。キアナは限界ぎりぎりを探りながら進んでいたが、その進軍は以前よりも速くなっているように思えた。


 それでも、アスパヴァルマには追い付かれた。歯を食い縛りながら駆けているキアナの兵の横を、悠然とサカ人たちが駆け抜けていく。王が手塩に掛けたアヨーディヤー軍団とは、此処まで違いが出るのか。韋駄天(スカンダ)とはよく言ったものである。


 当然のことであるが、チャルカのマトゥラー騎兵は付いてきていなかった。簡単に振り切られたのであろう。遊牧騎兵として自負のあったマトゥラーの月の民(マーハ)には、衝撃は大きかったかもしれない。キアナは密かに昏い悦びを覚えた。あの王の快足に、そう容易く付いてこれるはずがないのだ。


 サガラが近付いたとき、前方から轟音が聞こえてきた。アシンドラが、破壊の槍(トリシューラ)を振るったのだ。王の持つ三叉槍は、全ての物質を破壊する振動波を放つ。かの王は破壊神シャルヴァの息子であると称しているが、城門など一撃で吹き飛ばしてしまう力を見せられれば、みな信じざるを得ない。


 サガラに到着したときには、戦闘は終息に向かいつつあった。サガラの太守はミタン人で、アシンドラから見ればクザン諸侯に付いた裏切り者である。だが、アシンドラは降伏した太守を処断せず、アシンドラに対する忠誠だけを誓わせた。


「ぎりぎりまあ合格かな」


 キアナが出頭してきたことに気付いたアシンドラは、顔を綻ばせた。


「次はタキシラだ。戦いに参加できるようにしろよ」


 キアナは頭を下げ、身を震わせた。アシンドラは冷徹に見えるが、それは効率主義者なだけで情はきちんと持ち合わせている。使えないと見切れば切り捨てるだろうが、使えると見込んだ人材は我慢強く鍛えてくれる。


 そのアシンドラが、サガラの太守に付いて来いと言わないのは、彼の軍事的才能を見切っているのだろうか。見込みのない人間には投資をしないのが、アシンドラと言う男である。


 まだ辿り着かないチャルカのことを考えたキアナは、あの月の民(マーハ)の青年は果たしてどちら側の人間か、と想像するのであった。

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