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紅星伝  作者: 島津恭介
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第十四章 エラムの内訌 ―7―

 クルシュはベバハンで太守(ナワーブ)から十騎の騎兵を借り受け、シラージシュへと向かった。ベバハンの太守(ナワーブ)イラジは人のいい男であるが、戦闘には向かない。シューシュ軍がタリアナを落としたことを知ると、次はベバハンだと慌てて逃げ出そうとしたくらいだ。


 クルシュは旧知のイラジを宥め、シラージシュから援軍を連れてくることを約束した。その代わり、随伴として騎兵を十騎要求したのである。ベバハンは大きな都市ではなく、三十の騎兵と三百の警備隊しかいないため、イラジは当初かなり渋った。だが、随伴を貸さないなら防衛線をシラージシュ郊外に敷くように進言すると脅すと、簡単に折れてきた。荒事には弱いのである。


 クルシュが随伴を増やしたのは、シラージシュでバームダードに嘗められないためである。二騎の騎士を従えているだけでは、とても交渉などできるものではない。


 アナスはまた鳥に変化して上空から付いてきている。代わりに、ベバハンではエルギーザがクルシュに合流していた。


 エルギーザは傭兵隊長に扮し、五十騎ほどの雑多な集団を引き連れていた。サカ人やイシュクザーヤ人を含んだ柄の悪そうな遊牧民の傭兵部隊であるが、大金をはたいて集めただけあって腕だけは確かな連中が集まっていた。


 エルギーザをクルシュに引き合わせたのはアナスであったので、クルシュは文句を言わなかった。ダーヴードとチャリパーは不満を言いたかったが、主君が認めたものにとやかくは言いにくい。


 六十数騎の人数ともなれば、かなりの戦力であった。クルシュは堂々とシラージシュに入り、バームダードに面会を要求したのである。


 クルシュがバームダードの謁見に伴ったのは、ダーヴード、チャリパー、エルギーザの三人だけである。家格の高いダーヴードとチャリパーは、ただの騎士ではなく大貴族の末裔である。シラージシュでも顔が知られており、随行を咎めるような無礼な兵はいない。だが、胡散臭いエルギーザをクルシュが連れていても何も言われないのは不自然であった。


「バームダード陛下とも顔見知りだったんですよ」


 王宮に入る前に、しれっとした顔でエルギーザは語っていた。


「連れていって戴ければ、損はさせませんよ」


 かつてシラージシュに住んでいて、バームダードとも顔見知りだと言うなら、クルシュがこの男のことを知っていてもおかしくはなかった。だが、何故か認識を阻害されているかのように思い出せない。それでも、この男を知っていると言う感覚だけはある。恐らく、衛兵たちもそう思っているのだ。


 玉座にいたバームダードは、いつものように格好だけは洒落た衣裳を纏っていた。堂々としていれば人心も集まるのだろうが、蒼ざめて落ち着きがない挙動を繰り返していては余裕があるようには見えない。


 クルシュは簡単にシューシュ軍の侵攻とタリアナの陥落、そしてその背景にあるインシュシナクに煽動されたエラム人の蜂起を説明した。


 バームダードの表情は、初めは青かったが、タリアナの陥落を聞いて白くなり、インシュシナクの話を聞いて真紅に染まった。クルシュが自分を騙そうとしていると思ったのであろう。


「それでは、貴様はタリアナの陥落はエラムの神が復活したせいだと言いたいのか!」


 そう簡単に神など出現してたまるかと言いたげである。だが、事実つい最近ケルマーンやヤズドに蛇人とその神エジュダハーが復活していたばかりである。エラムの神が現れても頭から否定はできない。


 クルシュに論理立てて説明されると、バームダードは反論できずに黙ってしまう。更に、シューシュ軍が次に東に向かってくる可能性が高いことを指摘されると、再び血の気を失った。


「シラージシュには常備軍三千と、カシュガイ部族の騎兵三千がおりますゆえ、正面から戦えば負けるはずはありませんが、何しろ常軌を逸した巨人が二人もいます。あれを討てるもののふがシラージシュにいるとも思えませんな」


 クルシュはバームダードを脅し、シラージシュ軍の指揮権を自分に委ねるように主張を移した。さすがにバームダードもそれには難色を示し、指揮官には息子のカムラーンを指名すると譲らなかった。クルシュの見立てでは、カムラーンは部隊の指揮くらいはできても、軍団の采配を取れる器ではない。もっとも、バームダード自身が軍の指揮など任せられない男である。その息子にしてはましな方だろうが、付き合わされる兵はたまったものではない。


 状況が膠着し、バームダードはクルシュに退出を命じようかと考え始めていた。と、そのときクルシュの傍らから男が一人進み出てきた。クルシュは一瞬誰だろうと思ったが、それが自分が雇った傭兵隊長であることに気付いた。


「いいよ、アナス。もう解除しても」


 不意に男の存在がくっきりと鮮明になった気がした。その人懐こい笑顔を見たとき、その男がかつてイルシュ随一の射手と畏れられた人物であることに気付く。


「エ、エルギーザ……!」


 バームダードの表情が恐怖に歪んだ。かつてシラージシュに住んでいたこの悪魔のような男を、バームダードは覚えていた。虫も殺さないような笑顔の裏に、恐ろしいまでの冷酷さを秘めている。一度イルシュの族長に頼まれ、シラージシュに住むアナスの誘拐を目論んだバームダードは、その恐怖を骨身に沁みて理解していた。


「久しぶりだね、バームダード。ぼくからの要求は一つだけだよ。わかるよね?」

「ばか……め、此処はわしの王宮だぞ、すぐに貴様なぞ捕らえて……」


 言い掛けたところで、バームダードはいつの間にか謁見の間の衛兵が見知らぬ黒衣の男たちに制圧されていることに気付いた。それは、無論エルギーザの闇の書記官(ディビーレ・タール)たちである。


「やれやれ、結局力尽くの手を用意しているんじゃないか」


 クルシュの指摘に、エルギーザは心外そうに笑った。


「クルシュも久しぶりだね。アナスにぼくに関することだけ虚空の記録(アーカーシャ)の復元を待ってもらっていたんだ。きみがきちんとバームダードを説得できていれば、ぼくの出番はなかったんだけれどね。まずは自分の失敗を恥じるべきじゃないかな」

「悪かったよ。バームダードが自分の息子の力量も把握できない愚者だと思わなかったんだ。それより、どうするつもりなんだ? バームダードを殺すのか?」

「いや、バームダードも悪事を行ったわけではない。このまま大人しく王位を放棄すれば、命だけは助けるよ。カシュガイ部族は息子に継がせて、クルシュの支配下に入れればいいだろう」


 後はシューシュ軍を撃退すれば、クルシュが新しい王になるのに文句を言う者もいるまい。エルギーザは部下にバームダードを拘束させると、一室に監禁した。クルシュは王の佩剣を示し、バームダードから指揮権を委譲されたことを内外に発表し、カシュガイ騎兵と常備軍に出陣を命令する。


 かなり強引な手段を採ることになったが、特に不満が出ることはなかった。誰もが、バームダードでは有事を乗り切れないと思っていたのである。力量のない王には退場して戴く。それは、動乱の時代では当たり前のことであった。

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