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紅星伝  作者: 島津恭介
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第十四章 エラムの内訌 ―5―

 アケロンの率いる五十人ばかりの小隊が、後を追ってきていた。館にクルシュがいなかったので、すぐに追撃に掛かったのであろう。後方に点のように追ってくる姿が見える。


「わたくしが蹴散らして参りましょうか」


 お付きの騎士の一人、チャリパーが剣を抜いて勇んだ。クルシュは首を振って彼女を諌める。一騎で挑んでも、無駄に命を捨てるだけだ。


「敵も騎馬は二、三騎です。騎馬だけで逃げるべきではないでしょうか」


 もう一人の騎士、ダーヴードが進言した。彼の進言は一理あり、クルシュも考え込む。歩兵に合わせた速度では、いつまで経っても追っ手を振り切れない。


「いや、我らだけで逃げ切れるものではない」


 旅慣れぬ太守と騎士の三騎だけで、逃避行を続けられるとも思えない。彼らだけでは、食事一つ満足に作れないだろう。


 代わりにクルシュは速度を上げたが、後ろから追ってくるアケロンも追撃の速度を上げた。彼我の差は開かず、逆にじりじりと詰められる。


「クルシュさま、どうか、わたくしに足止めのご命令を」


 チャリパーが柳眉を逆立ててクルシュに迫った。誰かが犠牲にならねば、何れ追い付かれる。彼女にはそれがわかっていた。


「わたしはビジャンにおまえのことを頼まれているのだ」


 クルシュは頑なに首を振った。チャリパーは、ビジャンの娘であった。無茶な作戦のために戦死したビジャンを思えば、チャリパーを危険な任務に就かせるわけにはいかない。


 じりじりとアケロンの部隊が迫っていた。あの五十人は、素人の集団ではない。徴用兵なら、とっくに潰れている。あれは、傭兵だけを選抜した部隊と見るべきだ。クルシュの表情に焦燥の色が宿る。


「助けは必要かしら」


 唐突に頭上から声が降ってきた。ダーヴードとチャリパーが、剣を抜いて上空を見上げる。だが、上空を飛んでいたのは小さな赤い鳥が一羽だけであった。


「偉大なるハカーマニシュの末裔が、こんなところで朽ちていいのかしら。生き延びたいなら、助けが必要なのではなくて?」

「クルシュさま! 耳を傾けてはなりませぬ。此奴は恐らく悪魔(デーヴ)の類い。先を急ぎましょう」


 ダーヴードの警告がクルシュを打った。だが、クルシュはこの鳥に悪意は感じなかった。鳥には禍々しい気配はなかったし、その言葉には素直な響きがあった。


「いまは悪魔(デーヴ)の助けでも必要なときだ。紅き鳥よ、おまえはこの状況を何とかできると言うのか?」

「そうね。貴方があたしたちに協力してくれると言うなら何とかしてあげるわ」


 ダーヴードとチャリパーは明らかに反対していた。彼らは必死に主君を止めようとするが、クルシュはすでに心を決めていた。


「よかろう。あれを何とかできるなら、おまえに協力しよう」

「契約成立ね。じゃあ。少し待っていて貰えるかしら」


 赤い鳥が翼をはためかせると、後方から接近してくるアケロンの部隊に向かう。あんなに小さな鳥か何をするのかと見守っていると、いきなり鳥の全身から紅蓮の炎が噴き出すのが見えた。


「シ、火の鳥(シムルグ)……」


 赤い鳥は炎とともに巨大化し、燃え盛りながらアケロンの小隊に突っ込んでいく。傭兵たちは火の鳥(シムルグ)の炎に包まれ、絶叫を上げた。


 それは、戦闘と言うより虐殺であった。火の鳥(シムルグ)が飛び回ると、翼から放たれた炎が傭兵たちに燃え移る。アケロンの部下たちは転げ回りながら焼死した。


「クルシュさま……あれが戻ってくる前に逃げましょう。あんな化物が暴れ出したら、我らでは制止できませぬ」


 アケロンが火だるまになって悲鳴を上げている。ダーヴードは耳を塞ぎたい思いを隠しながら進言した。


「よせ。わたしには、あれが何者かわかった気がするのだ」


 警戒心を露にするダーヴードとチャリパーに対し、クルシュは何処か安堵したような表情をしていた。


「あれは、恐らくナーヒードの手の者だ。かの竜王(エジュダハー)を斃したと言う真紅の星(アル・アスタール)。あれがその当人に間違いあるまい」

「あの火の鳥(シムルグ)がですか?」


 主従が話している間に、火の鳥(シムルグ)はアケロンと傭兵たちを悉く焼き尽くしていた。業火の中に次第に火の鳥(シムルグ)の姿も埋没し、見えなくなる。一緒に焼け死んだかとダーヴードが喜びかけたとき、紅蓮の炎の中から、一人の少女が歩み出てきた。


 燃え盛るような緋色の髪と、紅玉色の瞳を持つ少女であった。背には双剣を負い、油断のない足取りで歩いてくる。


「おまえが真紅の星(アル・アスタール)か」


 驚愕するダーヴードとチャリパーを他所に、クルシュは落ち着いて問い質した。


「アナスよ」


 少女の瞳の輝きは強く、クルシュ主従を撃った。これだけの意志の強さを持つ瞳を、クルシュは知らない。苛烈な炎に灼かれるようだ。


「アーラーン聖王国の親衛隊長と言った方がわかるかしら」

「予想はしていた。あれほどの炎の魔術の使い手、二人はおるまい」


 すでに、真紅の星(アル・アスタール)の名前は大陸に響き渡っている。クルシュは流石に太守の職にある者として、ある程度各地の情勢には通じていた。ヤズドで竜王エジュダハーを討ち果たし、チャルジョウにて英雄アルダヴァーンを斬り伏せた話は、楽士がこぞって歌にして広めている。


「おまえは孔雀(マユラ)の王の使徒であるはずだ。それがタリアナに来た理由、あの巨人と無関係ではあるまい」

「その通りよ。でも、いまはまずこの場を離れましょう。傭兵程度は何とでもなるけれど、巨人たちは簡単にはいかない相手よ」


 二人の騎士はまだ警戒を解いていなかったが、クルシュが出発を命じると唇を噛み締めながら従った。アナスは大して気にした風もなく、再び赤い鳥に変化するとクルシュの頭上に舞い上がった。


 アナスの指示で、十人の警備兵とは別れることにした。とりあえず目指すベバハンまでも、三十五パラサング(約二百キロメートル)の道のりだ。徒歩では五日は掛かってしまう。


 騎馬なら三日、急げば二日で着く。ベバハンの太守(ナワーブ)はパールサ人で、クルシュの知人でもある。シラージシュへシューシュ軍侵攻の早馬は出しているが、タリアナ陥落の報も知らせねばならなかった。


 馬を潰さぬように調整しながら駆け続けるのは辛い労苦であった。クルシュに長駆の経験がないのは当然であるが、まだ若いダーヴードとチャリパーもそれほどの経験を積んでいない。仕方なく、空からアナスが長駆の助言を与え、人馬の体力を保たせた。聖王国の騎兵将軍アスワーラン・サラールでもあるアナスの方が、長駆の経験は積んでいたのである。


 陽が落ちるとアナスは進むのを止めた。途中で仕留めた鴨の羽根を手早くむしると、短剣で切り分け火で炙る。旨そうな匂いが周囲に漂い、クルシュは急速に空腹を感じた。


「クルシュさま、これを」


 チャリパーが平べったいパン(ナーン)と干し肉を差し出してくる。受け取ってかじりつくが、固いパン(ナーン)は味気なく、干し肉は固い上に塩辛い。


 一方、アナスは肉から垂れる肉汁に、血抜きでとっておいた鴨の血と乳脂を加え煮詰めると、最後に葡萄酒(バダフ)オレンジ(ナラング)を加えた。


「そんなもの食べてないで、これでも食べなよ」


 焼けた鴨の肉を薄くスライスすると、煮詰めたたれをつけて口に運ぶ。食べるのが好きなアナスにとっては、夕食は大切な時間だ。固いパン(ナーン)をかじるだけなど、とても耐えられるものではない。


 アナスに誘われて、クルシュも遠慮しがちに肉を切り取った。この肉の焼ける匂いに我慢できなくなっていたところであった。

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