第十四章 エラムの内訌 ―4―
衝撃が来た。
空を鎧を着けた人間が舞っている。それだけでも信じがたいことであるが、一撃で三人が吹き飛ばされたのだ。
全身の骨がバラバラになる感覚の後から激しい痛みが襲ってくる。数瞬の滞空の後大地に叩き付けられたビジャンは、そのまま意識を失った。
一撃でタリアナ騎士たちの足が止められた。ビジャンに構わず駆け抜けていれば、まだ助かったかもしれない。ビジャンが生きていれば、そう指示を出したであろう。だが、騎士たちは敬愛する上官を見捨てて逃走は出来なかった。
タリアナの騎士たちの前に立ち塞がったのは、たった一騎のエラム人の騎士であった。異様に発達した筋肉を持つ巨漢であり、丸太のような棍棒を抱えていた。
「ルフラテル……ばかな、何だその姿は」
呻き声を上げた騎士の頭上に棍棒が降り下ろされた。受け止めようと掲げた槍ごと叩き潰され、一撃で騎士が絶命する。
棍棒を振り回す騎士は、紛れもなくルフラテルであった。だが、その姿はかつてのものとは一変している。筋量が増大し、まるで巨人のような姿になっている。それは間違いなくインシュシナク、最も力強き王の加護であった。
ルフラテルの激しい咆哮に、タリアナの騎士たちが身動きを止める。そこにシューシュの正規軍が槍を揃えて突き掛かった。
二百の騎士が全滅するのに、さして時間はかからなかった。城壁の上で戦況を見守っていたクルシュは唇が破れるほど噛み締めるが、どうすることもできなかった。
「ビジャン……くそ、あの巨人は何なんだ」
「信じがたいことですが、あれはルフラテルのようです」
警備隊長のバルディアーは、ビジャンと騎士たちのような名家の出身ではない。タリアナの地元出身で、コツコツと勤務を続けて隊長になった叩き上げの人物だ。あまり物事に動じる質ではないが、珍しく語尾に震えがあった。
「あんな化物がルフラテルだと? 一体どうなっているんだ」
「わかりません……が、あのビジャン卿と騎士団を壊滅させるほどの戦力であることは確かです」
数こそ二百であったが、ビジャンと騎士はタリアナ軍の中核であり、虎の子であった。バルディアーの警備隊とは練度も装備も違う精鋭である。敵の両翼は騎士たちに触れることも出来なかったのだ。だが、あの巨人が出てきただけで、戦況が逆転してしまった。足を止めた騎士たちは、包囲され数に押されて鏖殺された。
「ですが、ビジャン卿は自らの仕事は全うされました。投石機の破壊を成して頂けた以上、タリアナの城壁は必ず守ります」
気合いを入れたバルディアーの言葉に、クルシュは頷いた。確かにビジャンは己の仕事は遂行してのけたのだ。ならば、自分もそれに応えなければならない。
シューシュ軍は態勢を整えて直したようであった。両翼がやや前面に押し出され、中央の本体が下がりぎみになっている。だが、見たところ両翼に弓兵はいないし、破城槌などの兵器もなさそうだ。あれが前線なら持ちこたえられるのではないか、とクルシュが思ったとき、予想だにしない事態が起こった。
唸りを上げて投石機の大きな岩が飛来してきたのだ。岩は放物線を描いて城壁にぶつかると、城壁に大きな震動を与えた。衝突した箇所は一部城壁が崩れ、兵が騒いでいる。
「ばかな、まだ投石機が残っていたのか」
クルシュは視線を岩が飛んできた中央奥に向けた。だが、そこに彼は投石機を発見することはできなかった。
「信じがたいことですが」
バルディアーの言葉が畏怖を帯びていることに、クルシュは気付いた。
「あれはルフラテルが投げた岩です。投石機によるものではありません」
「あの大きさの岩を人が投げて此処まで届くだと?」
クルシュの軍事的常識では、あり得ない事象であった。それは、バルディアーも同じである。二人の指揮官が茫然としている間に、更に岩が飛来し、城壁を揺らした。
投げたのは、ルフラテルの後ろから現れたもう一人の巨人であった。背の高さや筋肉の付き具合はルフラテルと同等であったが、放つ威圧感と生物としての格が圧倒的に上に感じる。
「まさか、あれがクティク・シクなのか?」
クルシュの問いに、バルディアーすら答えられなかった。彼には、あれが人間に見えなかったのだ。悪魔と言われた方が信じられる。
二人の巨人は次々と岩を投げてきた。それに対し、タリアナの警備隊は為す術がなかった。城壁には大穴が開き、やがて瓦礫へと変わった。
ルフラテルの咆哮が響き渡った。
アケロンとエレクトラの兵が前進してくる。素人のような動きであるが、練度はタリアナの警備隊と大差ない。と、なれば、数が多い方が有利である。バルディアーはタリアナが落ちることを確信し、主に進言する決意を固めた。
「遺憾ながらタリアナは落ちます。クルシュさまは脱出の準備を」
「ばかな! 太守が街を見捨てて逃げられるか!」
クルシュは憤激したが、バルディアーはそれには取り合わず、周囲の兵にクルシュを連れていくように命じた。
「クルシュさまは生き延びねばならぬのです。それくらいの時間は稼ぎます。それでは、お達者で」
すでに敵が城壁まで迫っている。ゆっくりしている時間はなかった。バルディアーは兵に主君を託すと、兵の指揮を執りに城壁から下に降りる。
崩れた城壁を挟んで激しい戦闘が開始された。
城壁の穴から侵入しようとする敵兵をタリアナ兵は必死に防ぐが、前線に出てきたアケロンが突破口を切り開き、警備隊の防衛網が破られる。
そのまま進ませるかと、バルディアーは槍を構えてアケロンの前に立ち塞がった。訓練の不十分な兵では一流の傭兵は止められない。せめて、此処はバルディアーが止めねばなるまい。
アケロンの剣捌きは熟練の域に達しており、歴戦のバルディアーの槍でも受けきれぬほど多彩である。だが、それをバルディアーは槍の一撃の重さで跳ね返そうとした。十数合を互角に撃ち合ったが、そのとき別の穴から突入したエレクトラの部隊が後背に現れ、戦線が崩れた。
挟撃を受けたタリアナ警備隊の兵は、我先に逃げ出した。バルディアーが叱咤を掛けても、一度崩れた兵は戻らない。
小一時間ほどの戦闘で、城壁は完全にシューシュ軍に制圧された。バルディアーを含めた警備隊員は討ち取られるか逃走し、すでに動いている敵はいない。
「アケロンは太守の館の制圧に行け。こっちで市街を押さえる」
エレクトラが同僚に伝えると、アケロンは頷き、部下を連れて館の制圧に向かう。エレクトラはそれを見送ると、首を振って市街の制圧に取り掛かった。勝利も大切だが、掠奪の役得も必要である。エラム人たちがパールサ人の悲鳴に頓着するとも思えず、この機会を逃す手はなかった。
一方、クルシュはタリアナの裏手から脱出を図っていた。シューシュ軍は裏手まで包囲するほどの兵力はなく、脱出は容易かった。付き従うのは太守付きの騎士が二人と、十人の警備兵のみである。家族を連れ出す余裕すらなかった。
「クルシュさま、ルフラテルの本隊がこちらに向かっております」
騎士の一人が彼方を示す。確かに、砂煙が近付いてくるのがわかる。
「まだこちらに気付いてはいないと思うが、急ごう」
三騎と十人は、接近してくる軍とは逆側に立ち去った。南に向かうことになるが、差し当たり軍からの追撃を逃れるためにはどうしようもなかった。




