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紅星伝  作者: 島津恭介
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第十四章 エラムの内訌 ―1―

 シラージシュはエラム王国の都である。かつて古ミーディール王国の前に栄えた古エラム王国は、シラージシュの近くにあるアンシャンを都としていた。古エラム王国が滅んだ後この地方を拠点としたパールサ人は、パールサプラを本拠地としたが、すでにどちらも遺跡となり、人は住んでいない。


 やや北方に位置するアスパダナはかつてアーラーンの一大軍事拠点であった。それに対し、シラージシュは内陸アーラーンの交易の中心地であり、パールサ商人の本拠地である。


 アミルは取り立てて目立つ商人ではない。パールサ人はそれほど商才に長けてはおらず、シラージシュの商人も食糧や布帛、家畜など堅実な荷を扱っている者が多い。


 東のスグド人に西のアラム人が大陸の東西を行き来する交易商人の代表格であるが、彼らは利の薄いこのザグロス山中まではあまり荷を運んで来ない。だからこそ、パールサ人が北の街道から山中まで荷を運んで来なければならないのだ。


 パールサ商人は、ようやく息がつけたところであった。北からの主要な交易路は主に二つある。一つはアスパダナを経由するルートであり、もう一つはヤズドを経由するルートである。だが、ケルマーンから北上した蛇人がヤズドを制圧し、そのうちの一つを絶たれる。アスパダナ方面も、シャフレ・レイがパルタヴァ人に制圧されると取引の難易度が上がり、儲けがほとんどなくなった。


 このままではシラージシュのパールサ商人は壊滅するかと思われていたが、先日ヤズド、アスパダナ、シャフレ・レイが全てアーラーン聖王国の領土となり、状況は劇的に改善している。


 聖王国の商務長官(オスターンダール)のイーラジは、もともとヤズドの商人だった男だ。本来なら貴族や廷臣の大反対で実現しないであろう人事を、ナーヒードは国難に乗じて断行した。その元商人の政策で、ヤズドとアスパダナの二つのルートは復活し、こうしてアミルは首をくくらなくて済んでいる。


「シューシュの状況は如何でしたか」


 安い隊商宿(カールヴァーンサラー)で食事をしていると、不意に声を掛けられる。誰かと見上げれば、シューシュに運ぶ荷の依頼をしてきた依頼人の若い商人であった。屈託のない笑顔が人懐こい印象を与える。彼はすっと葡萄酒(バダフ)を差し出すと、アミルの前に置いた。


「荷を受け取った商人と翌日帰りの荷の商談をしたんですがね」


 アミルもにこやかに答える。今回の取引では、かなりの儲けが出た。ましてや、酒の一杯も奢ってもらえるとくれば口も軽くなろうものだ。


「運んだ荷はすぐに売れてしまったそうですよ。お陰であちらも機嫌がよくて、わたしも些か儲けさせてもらいましてね」

「それはよかった。アミルさんも生き返ったような顔をされてますよ」

「いやいや、実際生き返りましたよ。シャフレ・レイの連中なんて、パルタヴァ人の税が重いなどと言って、いきなり倍の金額を吹っ掛けてきやがりましたからね。パールサ人の支配に替わって本当によかった」

「シャフレ・レイではわたしも痛い目に合いましたよ」


 若い商人の話題は豊富で、シャフレ・レイでの取引の失敗談を笑いを交えて語ってくれる。アミルも思わず話に引き込まれ、楽しい時間を過ごした。


「すると、シューシュはきな臭いと言うのですか」

「そうなんだよ。あんたの小麦が即売れたと言っただろう。実際、シューシュでは食糧が高騰しているんだ。しかも、もう一つ高騰しているのが、武器だ。どちらも、軍の連中が買い漁っている」


 気が付けば、シューシュで入手した金儲けの情報まで喋ってしまっていた。アミルはちょっと後悔したが、若い商人かもう一杯葡萄酒(バダフ)を奢ってくれるとそんなことは頭から消え去った。


 ひとしきり話し込むと、若い商人はアミルに別れを告げて店から出ていった。商人は暫く路地を足早に歩いたが、不意に角を曲がると路地裏で立ち止まる。その表情からはすでに人のよさそうな笑顔は消え去っていた。


 物陰から気配もなく二人の男が現れる。若い商人……いや、すでに彼は商人の貌をしていなかった。厳しい表情は、闇の書記官(ディビーレ・タール)を束ねる宮廷書記長官アクバル・ハマール・ディビールエルギーザのものである。


(シューシュの太守(ナワーブ)が戦支度をしている。何処を攻めるつもりなのかを調べろ)


 唇を動かさず、二人だけに聞き取れる話し方でエルギーザが指示を下す。二人の闇の書記官(ディビーレ・タール)は僅かに頭を下げると、また無音のまま影の中に消えていく。


 しかし、ファルザームはエラム王国に異変が起きることを察知していたかのようだ。エルギーザがエラム王国の内偵に派遣されたのは、ファルザームがナーヒードに進言した結果である。パールサ人としては、故郷とも言えるこの地を取り戻したい願望はある。エルギーザ自身、かつてはシラージシュで生活していたくらいだ。だが、財務長官(アーマールガル)のバーバクが度重なる戦いによる出費についにぶち切れ、ナーヒードに辞表を叩き付けたのである。人材難の状況でバーバクに辞められるわけにはいかないナーヒードは、妥協して出兵を控えるようにしているのが現状である。いま、エラム王国と大規模な軍事的衝突を起こすわけにはいかない。


 エラム王国の現王は、カシュガイ部族のバームザードである。エルギーザも見知った仲ではあるが、虚空の記録(アーカーシャ)の改変前のことである。今では向こうにエルギーザに対する記憶はないかもしれない。


 裏通りを歩き回ると、エルギーザは傍らの寂れた酒場に入った。客は一人しかおらず、無愛想な店主はエルギーザを見向きもしない。


 客は顔を黒い布で隠した女である。拝火教団には女性はみだりに肌を露出させないと唱える者もいるので、それ自体はおかしなことではない。だが、物腰はこんな危ない裏の酒場にいるような女性には見えなかった。


「遅かったわね、エルギーザ」


 布を下ろすと、アナスの顔が現れた。此処はエルギーザの拠点の一つであり、店主は闇の書記官(ディビーレ・タール)である。


「シューシュの状況は思った以上に悪いよ」


 アナスの前にエルギーザが座ると、店主は黙って葡萄酒(バダフ)を出してきた。安酒場に似合わぬ高級酒である。銘柄はエルギーザの趣味だ。


「完全に戦争の準備に入っている。侵攻先はいま調べさせているが、まずはタリアナに向かう公算が高い」

最も力強き王(ルガルランナ)が活動を始めたようね」


 エルギーザは、アナスとファルザームが何をバグダドゥで見てきたかは知らない。ナーヒードは全てを聞いているだろうが、二人はエルギーザにもその全てを語らなかった。わかっているのは、ミーディール王国とパルタヴァ人が協力してバーブ・イラとケメトの連合軍と戦い、ミーディールが勝ったと言うことだ。パルタヴァ人はそのままバーブ・イラの南部に居座り、ラルサを都としてパルタヴァ王国を再建している。


「シューシュの太守(ナワーブ)はエラム人だったかしら」


 アナスの問いにエルギーザは頷いた。エラム人は、パールサ人がこの辺りに南下して来る前からいた土着の民族だ。当然アールヤーン民族ではなく、言語も文字も宗教も違う。だが、古エラム王国がアッシュール人に滅ぼされると、この地方はパールサ人の支配下に入った。アンシャンは廃棄されてパールサプラに三神の神殿が築かれ、シューシュもパールサ人の中心都市となる。


 パールサ人はエラム人を重用したので、軋轢は少なかったと言われる。パールサ人は野蛮な遊牧民であり、統治の組織はエラム人の協力なしには作れなかったのだ。


 その傾向はいまも継続しており、シューシュにもエラム人の太守(ナワーブ)が抜擢されているくらいである。いまでは彼らも言語はパールサ語を話し、水と豊穣の女神ハラフワティー・アルドウィー・スーラーを信仰しているが、根源はパールサ人とは違うのは変わらない。


「シューシュの太守(ナワーブ)はクティク・シク。有能な政治家として知られていたが、武略に長けていると言う話は聞いたことがないな」


 クティク・シク。それが今回の敵であり、最も力強き王(ルガルランナ)が宿った男であると、アナスは直感的に感じ取った。

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