第十三章 神々の王 -10-
急を聞き付けた諸将が続々とエツェルの許に集結してくる。
サルマートからは輝かしきアラニの王ルモ・ジナフュルが現れる。サルマート人は多くの諸族を有するが、この時期フルム帝国に服属したイアジュゲス部族やシラケス部族を除くと、大抵の部族はアラニに服属していた。ヘテルの王となったアフシュワルとアス人も、このアラニの分派である。獣の民の西進に敗れた結果、ルモ・ジナフュルはエツェルに降伏し、アフシュワルは南へと逃れた。
一時期はマサゲトゥのトミュリスもアラニに服属していたほどの大勢力であったが、アフシュワルが南に逃れたのと同時期にトミュリスも独立し、アーラーン聖王国を後ろ盾にする道を選んだ。
サルマートからはもう一人、ロクソラニの王ラスファルグナスもやって来ていた。ロクソラニ部族は歴史ある大族であり、それだけに非常に誇りも高い。フルム帝国とは過去に何度もやり合った経験があり、手の内もよく知っていた。
ゴート人のグルトゥンギ族の女王アマラスンタは、父親と夫を獣の民との戦いで喪った。グルトゥンギ族はそのまま崩壊する寸前に陥ったが、アマラスンタはよく部族を纏めてエツェルの傘下に加わることを選んだ。いまも恨みはあるはずであるが、エツェルに対する恐怖がそれを全て上書きしている。
ゲピド族の王アルダリックは、諸将の中でも勇猛で謳われる男だ。ゲピド族はゴート人の一部族であるが、ゴート人の中で真っ先にエツェルに服属したように現実的な目も持つ。エツェルに対する忠誠は高いが、息子のエラクたちを評価はしていないようだ。
ヘルール族はグルトゥンギ族に従っていた部族であるが、グルトゥンギ族が獣の民に蹂躙されるとすぐに恭順を示した。ヘルール族の王ファルス自身は筋骨逞しい巨漢の戦士であるが、頭脳はさほど優れていない。有能な大国に従う傾向があった。
更に、エツェルの三人の息子のエラク、デンキジック、イルナークに弟のブレーデリンと、獣の民の指揮官たちも集結する。
「聞き及んだと思うが、シャームのグナエウス・コルプロが北上してきている。三つの軍団を率い、その兵力は三万ほどだそうだ」
エツェルがイェレヴァンに集結させた獣の民の総兵力は、五万を超える。無論、全ての兵を動員したわけではなく、精鋭の騎兵を選りすぐって連れてきたのだ。イェレヴァン要塞に立て籠るウラルトゥ軍団と、コルプロのシャーム軍団の挟撃に合っても十分に戦うことは可能である。
「イェレヴァンを放置して速やかに南下し、援軍を殲滅した後にゆっくりイェレヴァンを攻略するのがいいのではないか?」
弟のブレーデリンは、エツェルと並ぶ獣の民の王である。無論、ニルガルの顕現たるエツェルに権威で及ぶことはなく、常に兄を立てる姿勢を崩さないが、ブレーデリンの指揮下の諸族もあり、その影響力は侮れない。
「グナエウス・コルプロはフルムの剣と呼ばれる切れ者で、麾下の第三軍団はフルム帝国随一の精鋭だとか。これを叩いておけば、後々の戦いに有利になることは疑いない」
アラニのルモ・ジナフュルは粗野な男であるが、サルマートの大族を率いるに足る頭脳を有しており、各地の情勢に詳しい。今回南を索敵していたのもこの男であり、総合的な将器では図抜けている。
「フルムの軟弱な兵なぞ、ロクソラニの重装騎兵の敵ではない。わしを先陣にしてもらえれば、すぐに蹴散らしてくれようぞ」
ロクソラニのラスファルグナスは、それほど深く物事を考える性質ではない。猪突猛進型の勇将で、自らの武力に自信を持っているタイプである。
「しかし、イェレヴァンを放置しては、コルプロと戦うときに、後背を衝かれることにならないでしょうか」
慎重論を唱えるのは長男のエラクである。エツェルの果断な性格とは真逆なこの長男は、あまり諸将の受けはよくない。
「抑えの兵を残せば済む話であろう、兄上」
末息子のイルナークが最もエツェルに似ていると言われている。それだけに、その言葉にはやや不遜なところが見られた。
「攻城には飽き飽きしていたところじゃ。わしもコルプロとの戦いに連れていってくれ」
ヘルールのファルスには、細かいことはわからない。とりあえず、自分がやりたいことを言うだけである。
「勇敢なのはいいことだが、此処は陛下のご存念を伺うべきではないか」
ゲピドのアルダリックは、あくまでエツェルに従う姿勢を崩さない。戦争の神の権威に屈伏した後は、徹底してエツェルの意向を汲むことを一番に行動している。
アルダリックの発言に、諸将は一斉にエツェルの方を向いた。それぞれ部族を率いる王ではあるが、神の化身たる大王の前では塵のようなものだ。エツェルの機嫌ひとつで滅ぼされかねない。彼らは程度の差こそあれ一様にエツェルを恐れており、エツェルが眉ひとつ動かすだけで人を殺すことも厭わない連中であった。
「コルプロを叩き潰すのは簡単だが、喜ぶのはジャハンギールとアルシャクだろう」
エツェルは面白くなさそうに言った。
そもそも、シャームやウラルトゥの軍団は、対バーブ・イラやミーディールのために存在しているのである。これを叩くと、イシュタルやシャマシュを楽にするだけである。ニルガルはエルを倒すつもりでいるが、イシュタルを助けるつもりはない。
「撤退する。方針を変更し、フルム帝国は放置して大陸西方を押さえる。大河ヒステールを遡り、テルヴィンゲンやブルグントを叩こう」
諸将は思わず顔を見合わせた。エツェルが敵を前にして撤退するとは、夢にも思わなかったのである。
「もともと今回の出兵は牽制が目的だ。そして、ミーディール王国が目的を達成した以上、この場に留まるべき理由もない。コルプロを叩き潰せば、パルミラのゼノビアがシャームを支配する。我らに利はなく、ミーディールを利するだけだ。逆にコルプロを放置すれば、必ずゼノビアと対立する。フルム帝国とミーディール王国の争いになるだろう。我らはその間にヒステール河流域を支配下に治め、レナス川の東岸まで進出する」
レナス川の西はフルム帝国の属州であり、ガリア人が生息する土地である。東はスエービーやヴァンダル、ブルグントなどの諸部族が生息する土地だ。
テルヴィンゲンはグルトゥンギと並ぶゴート人の大族であるが、グルトゥンギ部族が獣の民に飲み込まれるのを見て西へと逃走し、ガリアのフルム帝国と連合しているようだ。最も、西方のフルム帝国はエルの支配が確立されておらず、未だにデイオス教団の教皇の支配下にあり、フルム帝国は西の教皇と東の皇帝に分裂していると言っていい状態にあった。
エツェルが目を付けていたのは、このデイオス教団の教皇が支配する西の帝国である。レナス川の東を制圧し、大軍団を率いて一気にガリアの地を征服する。しかる後に東へと帝国を圧迫していくのだ。
「コルプロの接近の前にパンノニアに帰投する。兵に行軍の準備をさせよ。準備の出来た軍から出立、殿軍はブレーデリンか勤めよ」
「はっ」
諸将に反対する者はいなかった。エツェルの決定に逆らえる者などいないのだ。兵に命令を下すべく急いで退出していく諸将を見送りながら、エツェルは大陸の暗黒地帯と言われる大森林生い茂る西方の地に思いを巡らせた。西方にはそれほど力のある神々はいないはずだ。獣の民の侵略を防げる者がいるとは思えなかった。