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紅星伝  作者: 島津恭介
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第十三章 神々の王 -9-

 神々の王(ベル)マルドゥク敗れる。


 それは、ウラルトゥを蹂躙する獣の民(ノヨンオール)の王エツェルの耳にも、すぐに届いた。残虐で無慈悲な殺戮の化身と呼ばれるこの男は、戦争の神ニルガルの顕現である。冥府の女王イルカルラの夫であるこの荒々しい神は、かつてはイルカルラとともにムグール高原を支配していた。


 大陸を席巻する遊牧民たちの源流は、ハザール海の北に広がるクマニア平原にある。アールヤーン民族も此処から生まれ、南や東に移動した。アールヤーンの民は当初太陽神(フワル・クシャエータ)月神(マーフ)を信仰していたが、南下したときにシンやイシュタル、シャマシュなどの神に敗れ、虚空の記録(アーカーシャ)の改変を受けた。以来、アールヤーンの神々はこの三神を至高として扱っており、フワル・クシャエータやマーフは亜神(ヤザタ)として下に置かれることとなった。


 イシュタルが古ミーディール王国で大陸中央を支配していた頃、シンは月神(マーフ)を通じてムグール高原の民を支配していた。それが、月の民(マーハ)である。だが、デイオスがヘレーン帝国を東進させ、古ミーディール王国を滅ぼしてアールヤーンの民を蹂躙すると、シンも大陸中央に目を向けざるを得なくなった。


 パールサ人の神となり、シンがシャマシュと協調してヘレーン帝国に掛かりきりになると、ムグール高原はイルカルラとニルガルの支配するところとなった。


 月の民(マーハ)はムグール高原を追放され、獣の民(ノヨンオール)が台頭する。


 ムグール高原を手中に収めたイルカルラとニルガルは、草原地帯全ての覇権を求め、ニルガルに率いさせた獣の民(ノヨンオール)を西進させる。


 イルカルラは空白地となったムグール高原をアヴァルガ人に治めさせ、ニルガルはクマニア平原の遊牧民を次々と吸収しながら波濤の如く西に進んだ。


 今ではサルマート人、イシュクザーヤ人、ゴート人を従え、フルム帝国を圧迫するほどの勢威をふるっている。


 その結果、イルカルラとニルガルの神としての格も上がり、円卓会議に加わる大神として認められることとなったのである。


天空神(デイオス)暴風神(アッシュール)雷霆神(マルドゥク)と三柱の神々の王(ベル)が地上から去った。旧き権威が失墜し、実力がものを言う時代になったと言うわけだ」


 それ自体はニルガルには歓迎すべきことであった。力こそ正義。それがニルガルの信条である。敵対する勢力は徹底的に破壊し、強力な遊牧民たちをも屈伏させてきた。


「エルはかび臭い旧き権威の生き残りだ。奴を新たな神々の王(ベル)にしたのでは、何も変わらない。だが、シンにはムグール高原を譲ってもらった借りがある。次の神々の王(ベル)に投票するなら、シンで構わないのではないか?」

(わたしも同意見ですが、マルドゥクを討ったイシュタルとネボの動きが気になりますね)


 ニルガルに答えたのは、右手に持った剣である。冥府の女王(イルカルラ)の剣には、イルカルラの魂が宿っている。ゆえに、離れた場所にいてもイルカルラとニルガルは話し合うことが出来た。


(シャマシュも解放され、下の世代の大神が多くなりました。新しい波が来ているのは間違いないと思います。その新しい流れについて来られない神は淘汰される。それだけのことかと)

「まずは、エルが淘汰されるはずだ」


 姑息に立ち回るだけの旧き神には、新時代の席はない。ミズラヒ人と言う部の民を持ちながら、半ば見捨てるように放置し、デイオスが築いたフルム帝国と言う基盤を乗っ取ったやり方は、決して褒められたものではなかった。神に見離されたミズラヒ人は、奴隷となった者を除くと、世界を放浪するさまよえる民となっている。


(ニヌルタがエルを支持しているわ)


 アッシュールの息子ニヌルタは、ミタン王国を支配する大神だ。元々ミタン王国は天空神(ディヤウス・ピトリ)暴風神(シャルヴァ)雷霆神(シャクラ)などの過去の神々の王(ベル)が支配していた地域である。暴風神(シャルヴァ)神々の王(ベル)から降りたときに、ニヌルタが新たに神々の王(ベル)になった雷霆神(シャクラ)からミタン王国の支配権を譲り受けた。それは、雷霆神(シャクラ)神々の王(ベル)就任を認める交換条件である。そのときにニヌルタを後押しし、マルドゥクこと雷霆神(シャクラ)からミタン王国割譲を勝ち取ってくれたのがエルであり、ニヌルタはそれを恩義に思っていた。


「マルドゥクが亡きいま、エルの血族は息子のおれと、孫のネボだけだ。だが、どちらもエルを支持しないとなれば、ニヌルタが動いたとてどうすることもできん」


 ニルガルはマルドゥクの弟であり、イルカルラはイシュタルの妹だ。だが、この夫婦はどちらもあまり兄弟の仲はよくない。


 今回ニルガルはエルとマルドゥクの敵に回ったが、それは自分の父と兄を敵にしたことと同義である。イルカルラにとっては、姉の味方をしたことになるが、それはそれであまりいい気分ではないらしい。


(姉と兄が父の支持に回れば、次の神々の王(ベル)は父で決まるはずですが)


 だが、野心家の姉と理想主義の兄が、易々と父の支配を受け入れるとは思えなかった。そんな二人なら、父とて封印したりはしないだろう。


「そんな殊勝な玉ではあるまい」


 ニルガルも、イルカルラと同意見である。わざわざマルドゥクを倒してシャマシュを復活させた以上、イシュタルが何かをやって来るのは確実であった。そして、それがイルカルラの気にいらない内容であることは、火を見るより明らかである。奔放で淫蕩な姉と違い、イルカルラは貞淑である。愛する者には優しく、そうでない者には酷薄な姉であるが、イルカルラは等しく平等に接する。熱情的で剣と舞踊に長けた姉であるが、イルカルラは冷静で政治と人の管理に長けていた。


「偵察に出ていたアラニの兵が戻ってきました、陛下」


 そこにエツェルの長子エラクが報告に入室してきた。恐怖によって全軍を統治するエツェルの前では息子とて例外ではなく、エラクは緊張とともに口を開く。


「シャームの軍団(レギオン)が南に現れたとの報告です」


 イェレヴァン要塞に立て籠るウラルトゥの軍団(レギオン)を救出に、フルム帝国最強のシャームの軍団(レギオン)が向かって来ている。ニルガルはイルカルラとの対話をやめ、エツェルから意識を離した。地上の戦いは、地上の王に任せる。それがニルガルの矜持である。


「シャームの軍団(レギオン)を率いるのは、かのコルプロであります」


 エラクの声に僅かに賛美の色が混じる。エツェルの後継者としては物足りないが、これはエラクの実直で素直な一面を顕していた。


 グナエウス・コルプロは、確かにフルム帝国でも指折りの名将である。パルミラの女王ゼノビアが、自らの出身部族のベニサマヤド部族の騎兵の力を背景にシャームに圧力を加えていたのに対し、シャームの属州総督レクトル・プロヴィンキアのセプティミウス・ニゲルは弱腰で、いつもゼノビアとの交渉で譲歩を引き出されていた。コルプロはニゲルの後始末に奔走し、シャームがパルミラに呑み込まれるのを、水際で食い止めていたのである。


 表向きパルミラはフルム帝国に従属する姿勢を見せているので、討伐をするわけにもいかない。だが、パルミラがミーディール王国に通じていることは、ニゲルはともかくコルプロはとうに承知していた。


 そのゼノビアが、出兵した。それも、ミーディールのジャハンギールの要請に応える形である。フルム帝国にとっては明確な背信行為であるが、コルプロはそれに構っている暇がなかった。それは、ウラルトゥの属州総督レクトル・ピプロヴィンキアであるルシウス・キエトゥスから至急の救援依頼を受け取っていたからである。


 シャームにて第三軍団(ガリカ)第四軍団(スキュティカ)第六軍団(フェラタ)第十二軍団(フルミナタ)の四つの軍団(レギオン)の指揮権を持つコルプロは、第四軍団(スキュティカ)をシャーム防衛に残し、直ちに三つの軍団(レギオン)を率いてウラルトゥに赴いたのである。

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