第十三章 神々の王 -2-
再び角笛が鳴り響いた。
アルシャクの救援に急ぐイシュトメーグ、ヴァラーグ、ザルミフルのパルタヴァ騎兵の前に、ジュハイナ部族の駱駝騎兵が出現する。バーディヤ人の諸部族の中で最も剽悍な部族であり、セミラミスの切り札と言える部隊であった。それをパルタヴァ騎兵の前に切ったのは、それだけアルシャクを自由にさせるのを恐れてのことである。
シャマー騎兵五千の包囲を受けるアルシャクのパルニ騎兵は、じりじりと数を減らし身動きが取れない。
アステュアゲスの兵が中央軍の救援で進撃するケメトの銀盾隊の前に立ち塞がったが、疲労したアードゥルバード軍団ではケメトの密集隊列には立ち向かえなかった。岩礁に押し寄せては砕かれる波のように、アステュアゲスの兵は簡単に跳ね返された。
中央軍とアードゥルバード軍団がケメトの右翼に粉砕されると、ミーディール軍は窮地に陥った。アシャレドのジャズィーラ軍団が何とかナーシリーヤ軍を撃ち崩し、追撃をかける間もなくフィロパトルへの対応を余儀なくされる。
「他に余剰戦力がないのかよ!」
ケメトの右翼まではある程度戦場を移動もしなければならない。アシャレドはナーシリーヤ軍を潰走させたところで見切りを付けると、兵をまとめてケメトの右翼へと向かう。
セサリア騎兵の蹂躙を許していたゼノビアであるが、精鋭部隊に槍を敷かせて全軍の崩壊は防いでいた。そこに、フラヴァルテスのアディアバネ軍団が援軍に現れる。フラヴァルテスはプティアの千騎を横から崩そうとしたが、その瞬間セサリア騎兵は無数の小隊に分かれ、フラヴァルテスの包囲をするりと逃れる。
気付いたときには、メノンの千騎もゼノビアへの攻撃を中断し、アディアバネ軍団に襲い掛かってきていた。鋭い錐のような突撃を同時に二ヶ所から受け、アディアバネ軍団の前衛はあっさりと砕かれる。
だが、その隙にゼノビアは態勢を整えていた。崩れた前線を立て直し、六千の部隊を副将ヘロデスに預けてケメトの左翼に当たらせ、自らは近衛の千騎を率いてメノンのセサリア騎兵に横撃を加えた。
メノンは哄笑すると、アディアバネ軍団への突撃を中断し、外に抜けてゼノビアの近衛騎兵へと回り込んでくる。プティアがまだ突撃中のところを見ると、ゼノビアの相手は自分だけで十分だと判断したらしい。
「パルミラの女王が自ら陣頭で兵を率いるか! いい度胸だが、このメノンを舐めているのではないか?」
「フルム帝国も懼れるこのゼノビアの近衛の力を見誤られては困りますわ!」
セサリア騎兵は細かく陣形を変えながらゼノビア目掛けて突っ込んでくる。だが、ゼノビアは的確にその変幻に対応し、逆にメノンの攻めをいなして左右からセサリア騎兵を包み込んだ。指揮官としての力量はゼノビアの方が勝り、個々の武力では優れるはずのセサリア騎兵を追い詰める。
しかし、その間にプティアはフラヴァルテスまで達し、すれ違い様の一閃でその首を飛ばしていた。フラヴァルテスもアリザント家の教育を受けた武人である。だが、ミーディール貴族はどちらかと言うと武より文に重きを置く。柔弱と化したミーディールの軍人では、質実剛健を旨とするヘレーン人の騎士には到底敵わなかった。
プティアはそのままアディアバネ軍を突き抜け、反転してメノンの救援に向かった。
「ぶりっ子が! わたしの兄さまに指一本でも触れてみろ、そのときがおまえの最期だ!」
プティアが後ろから食い付いてくるのはわかったが、ゼノビアはメノンの始末を優先する。この双子は二人揃ったときが本当に恐ろしいが、片方だけなら何とかなる。絞り込むように兵を動かしメノンの周囲の兵を薙ぎ倒す。あちこちから血を流しながらも、メノンは一騎で暴れていた。
「このゼノビアよりフィロパトルの方が美しいと吹聴しているそうですわね、メノン!」
包囲の輪から、悠然とゼノビアは進み出た。
「それが偽りだと認めれば、命だけは助けてあげてもよろしくてよ」
「ふざけるな! ケメトの女王は世界で最も美しい御方。貴様のような小便臭い子供が張り合えるものか!」
メノンはプティアを探すが、まだ妹との距離は遠い。歯を噛み締めたメノンは、剣を握り締めると猛然とゼノビアに突っ込んだ。
その瞬間、全方向から矢が降りそそいだ。数十本もの矢を受け、さしものメノンも堪らず息絶える。
ゼノビアはすぐに兵をまとめると、プティアの猛攻から撤退した。怒りに震える双子の妹の鋭峰は、避けるに限る。兄の遺体を回収すれば、一度退くに違いない。
セサリア騎兵の後退に合わせて、ゼノビアは重装歩兵の左に回り込み、突撃を仕掛けた。
盾を掲げて突入を防ぐ重装歩兵を乗り崩しで吹き飛ばし、ゼノビアはそのまま左翼の密集隊列に斬り込む。押されていた副将ヘロデスの歩兵も息を吹き返し、態勢を崩した重装歩兵を蹂躙する。
「ひどい状況ね」
上空から俯瞰するアナスは、統率の取れぬ殺戮の応酬劇に顔をしかめた。
「仕方がないのだ。マルドゥクとハラフワティーが血を欲しておる。刈り取った魂を自分の力とし、互いにぶつけ合っておるのじゃ」
ファルザームは異界の戦いを感じとれるのか、恐ろしげに身を震わせた。
「だが、そろそろ均衡が崩れる。見よ、イルシュの騎馬隊の恐ろしさよ」
七倍にも及ぶバーディヤ人の完全な包囲を受けながら、ジャハンギールとイルシュの射手たちはその全てを薙ぎ倒した。流星矢と天の雷の連続攻撃は、それだけの凶悪さを秘めていた。
戦況を見てとったジャハンギールは、フィロパトルの密集隊列とアシャレドのジャズィーラ軍団がぶつかっているのを目に止める。開戦から戦っているジャズィーラ軍団の疲労が激しく、劣勢は否めない。
「いいだろう、フィロパトルを蹴散らし、ベルシャザルを引き摺りだしてみよう」
アニザ騎兵を掃討したルジューワも合流し、ジャハンギールはイルシュの死の馬蹄を響かせながら進撃する。
イルシュの天の雷騎馬隊の恐ろしさは、機動力を持った遠距離攻撃部隊であると言う点にある。打撃を与える地点を選べるのは大きな利点だ。
ジャハンギールは、ジャズィーラ歩兵を押しまくる銀盾隊の右側面に回り込む。お得意の銀盾を持つのは左手であり、右からの攻撃はがら空きであった。
「第一から第三大隊、撃て!」
天の雷の砲火が銀盾隊に叩き込まれる。本来銀盾隊の右手を守っていた重装騎兵はすでにない。金星の弾丸は易々と鎧を貫き、銀盾隊の右翼を二列ほど壊滅させる。続けて第四大隊から第六大隊、第七大隊から第十大隊と連続して砲火を叩き込まれ、銀盾隊右翼は致命的な損傷を被った。
「おのれ、面妖な!」
フィロパトルとセミラミスには、すでにジャハンギールのイルシュ騎馬隊に対抗する予備兵力がなかった。左翼の副将ラテュロスはゼノビアのパルミラ軍団に破れつつあり、セサリア騎兵もメノンを討たれて後退している。
奥の手の角笛も使ってしまい、それでもジャハンギールを討てなかったのだ。ジャハンギールとイルシュの騎馬隊がいなければ、間違いなくフィロパトルは勝っていたはずだ。
「フィロパトルもセミラミスもだらしのないことだね」
「陛下!」
フィロパトルの乗る輿の上に、いつの間にかベルシャザルが現れ、横になっていた。唐突に声を掛けられた二人は動揺と歓喜の声を上げる。
「イシュタルの用意した武器が少し強すぎるようだな。だが、その程度で神々の王を倒せると思われても困るぞ、イシュタル!」