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紅星伝  作者: 島津恭介
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第十二章 神の門 -5-

 アスパフバド伯爵の千騎がアガデ歩兵の一万の鼻先を掠めるように駆け抜けていく。二列に構えられたアガデの長槍歩兵は、微動だにすることなく陣形を維持している。


「陽動だ。動くな」


 アガデ歩兵の指揮官は、アガデ人の将軍ナラムである。前列に並べた長槍歩兵はアガデ歩兵の主戦力ではなく、本領は後段の軽装弓歩兵にある。


 機動力を重視した軽装弓歩兵は、射程と威力ではやや劣るが、小回りが効いて戦局を変えたいときに使いやすい。


 練度の高い弓兵に牽制の矢を放たせるだけで、ナラムは亀の子のように動かなかった。ヴァラーグも暫く駆け回ったが、諦めて後退する。


 それに比べると、後方のマート・ハルドゥ歩兵の二万はさほどの練度を感じなかった。マート・ハルドゥ人の貴族が率いているだけの徴用兵に見える。お仕着せの装備は輝いているが、鎧に着られている感は否めない。


 だが、マート・ハルドゥ人の貴族と言うことは、魔術師であると言うことだ。神々の王(ベル)の加護を受けし神官や貴族の魔術は、戦術や練度の稚拙さをひっくり返しかねない。


 カーレーン家とソーハ家の騎兵がマート・ハルドゥ人の歩兵の周囲を駆け回ってみる。予想通りこちらは釣られて陣形を崩す兵士が多い。と、後段右の一万の中心から、聞き慣れぬ言葉と魔力が溢れ出す。すると、足並みを乱していた兵士たちの動きがぴたりと止まり、整然とした動きに変わった。


「なんだ? 急に気味の悪い動きになったな!」


 アルシャクは兵を動かさずに観察していた。マート・ハルドゥの兵は何処か操られているかのように、みな一斉に動き出して不気味である。魔術の効果だとしたら、一万の兵を一度に操るとんでもなく高度な魔術になる。


「これはナーシリーヤの旗か。アパル将軍だな」


 マート・ハルドゥとは、バーブ・イラ南部の沼沢地を指して使われる。南部はかつてのシュメルであるが、シュメル人はすでにいないため、後から移住してきた者たちをマート・ハルドゥ人と呼ぶ。ナーシリーヤはマート・ハルドゥの代表的な都市であり、その軍勢を率いる将軍はアパルと言う高名な男であった。


 アルシャクには画一化された動きなど脅威には感じられないが、練度の低い兵には難敵であろう。


「後段左はバスラの旗、クドゥリ将軍か」


 クドゥリと言えば、海賊将軍として有名な男だ。バスラ近海の制海権はバーブ・イラ王国が握っているが、それはこの男の海軍の力に拠るものだ。一万の兵の中に、二千ほど軽装の剣装備の兵がいるが、それが海軍の兵であろう。その二千の動きだけはかなりいい。残りは徴用された兵で、素人同然だ。


 クドゥリの魔術の力は探れなかったが、アルシャクは満足して兵を退いた。緒戦の物見としては充分であろう。


 アルシャクが帰陣すると、早速ハルパゴスから呼び出しがあった。口調は丁寧であり、気を遣っているのはわかるので文句はないが、汗くらい拭かせてほしいところである。


 仕方なくザルミフルとイシュトメーグを連れてハルパゴスの天幕(オマル)を訪れる。部下を連れてきたのは、半分は道連れである。貴族たるもの、王とともに働かねばならぬ。


 ハルパゴスの天幕(オマル)には総督(フシャスラパーヴァ)たちの姿はなく、わざと遠ざけたことが推測される。


「ご足労をお掛けした、アルシャク殿」


 ハルパゴスは一応アルシャクの王位は認めているが、サナーバードの拝火教団が承認した王位など、ハグマターナの拝火教団は認めていない。


 だから、アルシャクに対しては陛下とは呼ばなかった。ザルミフルは憤りを見せるが、イシュトメーグは涼しい顔で反応を見せなかった。


 アルシャクは気にしなかった。ミーディール人、特にハグマターナの神官(マグ)連中は頭が固く自尊心が高い。時代遅れなかび臭い連中なのだ。本来なら、歴史の中に埋没してしかるべき奴らだ。だが、ハラフワティーによって、いま一度歴史の表舞台に戻ってしまった。


 アルダヴァーンの死後、アルシャクには太陽神(ミフル)の加護が宿っていた。太陽神(ミフル)が封じられている現状も正しく理解している。封じられた太陽神(ミフル)であるが、選ばれた一人の使徒の虚空の記録(アーカーシャ)の改竄を解くことくらいはできるようだ。


 ハラフワティーがマルドゥクを倒して、ミフルを解放してくれると言うなら喜んで協力しよう。そのためなら、王と認めるか否かは当面目を瞑ってもいい。ミフルさえ復活すれば、パルタヴァの時代になるのだ。


「アムル人の騎兵はよく訓練されているが、旧い。あれを抑えるのは難しくない」

「アムル騎兵は精強だと聞いていたが、巧く包囲射撃に持っていったものだ。死傷者は二百は下らないはずだ」

「貴公らの総督軍相手なら精強だろうな」


 アルシャクの嫌味にハルパゴスは苦虫を噛み潰した。ミーディール王国軍の徴用で編成された歩兵が脆弱なのはよくわかっている。だが、それでも戦うからには勝利を得なければならないのだ。


「歩兵はバーブ・イラの三将軍が全て出てきている。アガデの歩兵は寄せ集めではないし、ナラム将軍の指揮も油断できぬ。マート・ハルドゥの歩兵は自由民を徴兵したものだが、アパル将軍の魔術は兵の行動を揃える気味が悪いものだった。歴戦の部隊には通用しないが、素人相手なら有効かもしれん。クドゥリ将軍の部隊には、二千ほど練度の高い兵がいるから気を付けるようにな」

「ミーディールの兵と比べてどうだろうか」

「アガデの兵にはまるで通用しないだろう。マート・ハルドゥの兵なら互角だが、魔術が厄介だ」


 結論から言えば、カラト・シャルカトから王が南下して来るのを待て、と言うことである。ティクリート、サーマッラーを制圧して南下してくるジャハンギールの西部軍団が合流すれば、バグダドゥは陥ちる。何も東部軍だけで無理をする必要はない。


 だが、ハルパゴスはそれに納得しなかった。


「バーブ・イラ王の抱える余剰戦力が、どれくらいあるかを明らかにせねばならない」


 確かに、西部軍団が南下すれば、いま此処にいる敵の数は上回る。だが、敵が隠している戦力が更に多かった場合はどうなるか。危地に王を呼び込むことにもなりかねない。


 臣下としては立派だと思うが、ではどうするかが問題であった。アルダヴァーンが生きていて、スーレーン家が健在ならこの程度の兵はパルタヴァ騎兵だけで蹴散らしただろう。だが、さすがに戦力の半減したいまのパルタヴァ騎兵だけでは勝ち目はない。


「なに、戦える算段はある。わたしが何故一介の騎士(アスワール)から軍団司令官(グンドサラール)に任じられたのか、それを御覧に入れよう」


 ハルパゴスは従者に命じて、水を張った巨大な長方形の容器を運ばせてきた。何を始めるつもりなのかと、ザルミフルが興味津々で覗き込む。アルシャクも、思わず興味を惹かれてザルミフルの後ろから水面を見下ろした。


「普通の水だな」


 特に何の変哲もない水であった。アルシャクの口調に残念そうな響きが混ざっていたのも仕方のないことであろう。


 だが、まだこれからだとハルパゴスは首を振った。


「御覧あれ」


 ハルパゴスが水面に掌を翳し、さっとなぞるように滑らせた。すると水面が光を発し、次第に何か映像を映し始める。


 それは、バーブ・イラ軍を上空から俯瞰した映像であった。ハルパゴスが手を滑らせると位置や角度が変わり、色々な状況を映し出している。敵の動きが手に取るようにわかり、アルシャクはまさに驚嘆した。


「これは凄い魔術だ。水と豊穣の女神ハラフワティー・アルドウィー・スーラーの加護だな」

「む……かように敵の動静がつぶさに見てとれるなら、誰でも名将になり得るな!」


 ザルミフルのやや失礼な感嘆もあったが、アルシャクたちの反応は概ねハルパゴスの満足いくものであった。


「相手の動きを見て攻撃の指示を出せる。多少の戦力差なら、ひっくり返せる。わたしはこれまでもそうやって戦ってきたのだ」

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