第十二章 神の門 -4-
バグダドゥはディジュラ河畔にある商業都市である。
神の門より北に五百五十スタディオン(約百キロメートル)の距離にあり、周囲の食糧を集積する重要な拠点だ。
ハグマターナ、シーズ、タウリスから来るミーディール東方軍団の第一制圧目標が此処であった。
ミーディール東方軍団の軍団司令官ハルパゴスは、指揮下にミーディール総督軍一万、アディアバネ総督軍八千、アードゥルバード総督軍一万の計二万八千を抱えている。更には、友軍としてアルシャク率いるパルタヴァ王国軍五千が帯同していた。これはハルパゴスの指揮系統には属さないので、協力体制と言うことになる
対するバグダドゥの防衛には、アガデ歩兵一万、マート・ハルドゥ歩兵二万、アムル騎兵五千が参加している。総指揮官はホロフェルネス将軍であり、指揮する軍団はアガデとシュメルから集められた兵である。
ハルパゴスによって天幕に集められた各部隊の指揮官たちは、バグダドゥの郊外に陣取った大軍団を見て緊張した面持ちをしていた。国境を越え、ハーナキーンとバアクーバを占領するまでは抵抗らしい抵抗はなかった。此処が、最初の大規模な戦いになる。
「物見の報告では、向こうの指揮官はホロフェルネス、騎兵五千に歩兵が三万を数えるそうだ」
ハルパゴスは一介の騎士から軍団司令官に登り詰めた叩き上げの男である。実力で他を圧しているからこそだが、それだけにアリザント家出身の総督たちからは評判が悪い。成り上がりが嫌われるにしても、部下が全て名門と謂うのはやりにくい。
ミーディールの総督ディオケス、アディアバネの総督フラヴァルティス、アードゥルバードの総督アステュアゲスの三人は、何れもアリザント家の流れを組む者たちである。自尊心が高い連中であり、ハルパゴスにとっては扱いにくいことこの上ない。
「カラト・シャルカトを発した陛下の西部軍が到着するのは恐らく三日後。本格的な戦いはそれからでもよかろうが、無為に待っているわけにもいかん。小手調べくらいはしておくべきであろう」
ディオケスは自尊心の高い男だ。功名心も人一倍ある。西部軍が到着し、数で圧倒してから勝ったとしても、自分の手柄にならないと思っているのだろう。
「あれがバーブ・イラの本隊だと思うが、指揮官はホロフェルネスなのか?」
フラヴァルティスは少し思慮深いところを見せた。アリザント家はエリートであるがゆえに学識も豊かである。受けている教育が、他の者たちとは違うのだ。
「確認された旗ではそうだ。バーブ・イラの王旗はない」
「神の門にいるのか? しかし、本軍と切り離しているとも思えないが」
フラヴァルティスの示唆は、重要な問題を秘めている予感がした。危険を察知する本能のようなものが、この叩き上げの軍団司令官にはあった。
「すると、王が指揮する別の軍団があると?」
「そう考えるのが自然だ。しかし、アガデとシュメルの兵力から考えるとあれが全軍のはずなのだが。ミズラヒ人の奴隷を兵にしたわけでもあるまい」
奴隷は農奴が普通で、戦争に使った試しはない。そもそも奴隷を戦争に使ったら農業生産力が落ちる。ベルシャザルがそんなことをするとは思えなかった。
「とりあえず、騎馬でひとあてして出方を窺うのはとうたろうか」
アステュアゲスは慎重派である。迂闊な判断をしないと言う点では頼りになる男だ。だが、時に決定的な勝機を前に尻込みするので、頼りすぎてもいけない。
「構わん。相手の出方を探る程度でよいのだな」
パルタヴァの王アルシャクには、風格が出てきている。もともと英傑の資質は持っていたが、アルダヴァーンの光が強すぎて輝きが目に入りにくかったのであろう。
アルダヴァーンの死後、聖王国の拝火教団にパルタヴァ王位を認めさせ、停戦を結んでいる。そのくせ、ミーディール王国からの出兵要請には応えると言うしたたかな面を見せていた。
今回の援軍にも、自身のパルニ騎兵二千、ザルミフル、イシュトメーグ、ヴァラーグがそれぞれ千騎ずつの五千騎を動員している。最大戦力であったスーレーン家は当主を失い再建中であるが、パルニ騎兵は健在であり、アルシャクの自信は衰えを見せない。
ハルパゴスが承認し、アルシャクに出撃要請を出したので、パルタヴァの王はおのれの騎兵軍団に出撃の命令を下した。
パルタヴァ騎兵が動くと、敵陣からもアムル騎兵五千騎が飛び出てくる。アムル人はもともと西方シャームにいた遊牧民であるが、アガデ帝国時代に傭兵として東に流入し、帝国崩壊時にはバーブ・イラ王国建国の土台にもなった連中である。
だか、彼らの主武器は投槍と剣であり、アルシャクはその旧い戦法に嘲笑を禁じ得ない。
「引き回せ!」
パルタヴァの騎兵の本領は騎射である。騎射を得意とする遊牧民は多いが、パルタヴァはその中でも群を抜いて巧い。しかも、個々の騎兵の動きはばらばらではなく連携が取れており、並みの遊牧民では相手にならない。
アムル騎兵も遊牧民の集団ではなく、軍として機能はしていた。傭兵として長年バーブ・イラの一翼を担ってきただけの動きはしている。散開したカーレーン家、ソーハ家、アスパフバド家の三千騎には目を向けず、真っ直ぐアルシャクの二千騎に向かってくる。
アルシャクは転進しつつ、ヤフド・リムとアシリタを引きずり回した。パルタヴァ騎兵は後退しながらでも速度を緩めず騎射を撃てる。追撃しながらも意外な損害を受けたヤフド・リムが思わず足を緩めたところに、左右後方からカーレーン侯ザルミフルとアスパフバド伯ヴァラーグが巻き狩りのように矢を射込んでくる。
ヤフド・リムが包囲の危機にあることを悟ったアシリタが、ディドニム族を率いてアスパフバド伯爵の攻囲に僅かに隙を作った。ヤフド・リムは辛うじて騎射の集中砲火から脱出し、アシリタとともに退却する。
「ははは! 手応えのない連中だな!」
カーレーン侯爵ザルミフルが、陽気に笑いながら戻ってきた。
「アーラーンの連中の方が、百倍は面倒だった。忌々しいことだがな!」
「三人も七貴族家の当主を討たれましたからな。あれは惨敗と言うべきもので」
ソーハ伯爵イシュトメーグが他人事のように言う。ヴァラーグはかちんと来たが、王の前で口論することを憚り、反論はしなかった。
「緒戦としては充分だろうが、少し歩兵の動きも見ておくぞ」
アムル人の騎兵にさほど見るべきものはない。あの程度なら、何度やっても勝つことはできる。アルシャクはそう判断し、次に歩兵の情報収集をはかることにする。
バーブ・イラの歩兵は、前段にアガデの歩兵一万、後段にマート・ハルドゥの歩兵二万が三角形を作るように布陣している。槍に盾を装備しているが、金のかかったなかなかいい装備をしている。さすがは神の門、世界の経済の中心地と言われるだけのことはある。
アルシャクが近付くと、槍隊の後ろに位置した弓兵部隊から矢が飛んできた。飛距離と精度も一定の水準はあり、アルシャクは警戒を強めた。
「この歩兵、ミーディールの貴族連中の手に負えるものかな」
アルシャクは、自らのパルタヴァ総督府の歩兵八千が、アーラーン聖王国の歩兵部隊に正面から撃ち破られた光景を覚えている。総督府の歩兵部隊など、所詮大した調練も積んでいない烏合の衆だ。ミーディール王国だとて大差はないと思えた。




