第十一章 マラカンドの戦い -10-
「そなたの能力は高く評価している。聖王国に服すると申すのであれば、ハライヴァとその周辺の牧地を与えよう。どうだ?」
ハライヴァと来たか、とカドフィセスは意外に思った。予想よりも都市は巨大である。牧地としての魅力はないが、交易の収入はカーブルを上回るであろう。何より、メルヴのヴィマタクトと連携して叛旗を翻したら、首都のサナーバードは即危機なのだ。
いや、これはナーヒードは自分を試しているのだろう。東を平定したナーヒードにとって、その程度は歯牙にもかけないと言う自信だ。それよりも、自分と近いところでその能力を使ってやると言われている気がした。
「有り難き幸せ。カーブルに関してはご存分に」
にこりとカドフィセスが笑うと、ナーヒードの表情も綻んだ。ナーヒードの意図を見抜いたことをさりげなく知らせたカドフィセスの才覚を認めたのであろう。
「税と軍役に関しては聖王国の規定に従ってもらう。そのあたりは徴税長官と軍事長官に聞いてほしい」
降将に対しての扱いとは思えぬ厚遇なので、カドフィセスには不満は全くなかった。広範な領土に対する人材の不足に悩まされているとは聞いていたが、それにしても待遇はいい。西進を睨んでのことであろう。
月の民の太守たちには、降伏してきた兵から元々指揮下にいた者を再編させていた。キシュとマイムルグを取り戻すために、明日進発するはずだ。すでにアフシュワルはバクトラに向けて逃走しているので、戦闘になる気遣いはないだろう。
トゥルヤ人を背景にしたシャグータとホージェントに対する処置も難しい問題であるが、諸王の王の武威を示した今回の一件で、向こうから詫びを入れてくるのは間違いないと思われた。
サカ人の騎兵の多くと太守を失ったブハラをどうするかは難題の一つである。ナーヒードはミーラーンと協議した結果、イルヤースの孫のアズィリセスを太守とした。だが、幼少で政務を見る年齢ではないので、成人まではミルザを後見とし、実際の業務を見させることにする。ミルザは聖王国への出向で手柄も挙げているし、その報奨の意味もあるだろう。
今回の遠征で、半ば独立していたスグディアナをもう一度アーラーンに組み込む形をナーヒードは整えた。ミーラーンとスグド人商人からの資金援助だけではなく、スグディアナ各都市からの徴税と軍役の復活を約したのである。名称だけ存在していた総督と太守にも実効を与えたのだ。シャグータとホージェントからも同様の処置を取る予定である。
同時にパルタヴァのアルシャクとバクトラのアフシュワルにも使者を派遣し、聖王国に帰順するよう交渉しているが、これはまだすぐにどうなるかは不明である。
それらの外交を進める間、ナーヒードはマラカンドに駐留していたが、諸将は一足早く帰国させ始めていた。
トミュリスとマサゲトゥ騎兵は真っ先にハーラズムに引き揚げ、パルタヴァ州境の警戒に当たる。
カドフィセスとヴィマタクトもカーブルとベグラムに戻り、移封の準備にかかった。ティルミドやバダフシャンには軍事的な空白が生じており、アフシュワルはその掌握に腐心しているようであったが、ペシャワール侯を筆頭とする旧クザン王国からの介入も激しく、混沌としていた。
いまのところ、アフシュワルはカーブルとベグラムと引き換えにした停戦には合意しているが、聖王国への編入は拒んでいる。東方拝火教団の圧力も強いのだろう。
ハラフワティーの大祭司は、先の戦いでファルザームと空中戦で互角の戦闘を繰り返し、拘束に成功していた。途中で姿を消したシャクラの神官の声望は落ち、東方拝火教団におけるハラフワティー一派の力は強まっている。バクトラ内部に教団を抱えている以上、アフシュワルは聖王国の圧力に唯々諾々と従うわけにもいかなかった。
一方、影の王により重傷を負っていたヒシャームの部下たちが、一命をとりとめたものの、軍務に戻れる状態ではなくなり、退役を余儀なくされていた。
副官のマーリー、大隊長のファリードとシアヴァシュを同時に失ったのは、ヒシャームには手痛いダメージである。
当面、ハシュヤールをヒシャームの部隊に転属させ、シーフテハをシャタハートの副官から大隊長に回す。空いた副官にはバルタザールをヒシャームの部隊から回した。
ヒシャームのもう一人の大隊長には、次席のアシュカールを昇格させた。まだ若く未熟なので、ハシュヤールとの連携に疑問が残りそうだ。
そして、ヒシャームの副官に回されたのは、アルナワーズである。この人事には、ヒシャームも面食らった。ただでさえ老練の指揮官クラスを軒並みやられ、これからの騎兵運用に不安が残るときに子守りなどしている余裕はない。親衛隊で女王の側に置いておけば済む話ではないか。
だが、女王と軍事長官の話し合いで決められたことだと繰り返されるだけである。曰く、女王の命を救った働きで、才幹を認められたらしい。アナスを鍛えたヒシャームに付けておけば、成長を見込めると期待しているようであった。
そんな事情もあり、ヒシャームは部下を連れて先にサナーバードに帰国していった。地獄のような調練を課すことは疑い無く、転属するハシュヤールにオルドヴァイが慰めの言葉を贈ったほどだ。実際、この二人は息の合ったコンビであり、異動は二人にしても残念な話ではあった。だが、さすがに事態が事態であり、我が儘は言っていられない。
退役した三人のうち、マーリーとシアヴァシュは、副官の経験を生かして軍務官になるようである。軍事長官に招聘されたのだ。ファリードは今度サナーバードに新設される軍学校の校長に呼ばれているらしい。
ナーヒードは、三ヶ月ほどマラカンドに滞在し、スグディアナの安定を図った。
ヘテルの服属は出来なかったが、旧クザン王国勢力と外交の手を回したし、息子を押さえているので逆らう可能性は低いだろう。
トゥルヤ人の二都市にも税と軍役を認めさせたので、スグディアナにおける聖王国の王権はしっかりと確立されたと言える。
パルタヴァのアルシャクからも、パルタヴァ王として認めるならばナーヒードを諸王の王として認めるとの言葉を引き出しており、外交で決着をつけられそうであった。
一通りの処置をしたナーヒードは、ミーラーンから感謝をされつつもサナーバードへの帰国の途につく。帰りは親衛隊とシャタハートの部隊だけである。シャタハートはスグディアナで積極的に遊牧民の傭兵を指揮下に組み込んでいたので、軍団は二千七百騎ほどに増えていた。副官から大隊長に回されたシーフテハは大分文句を言っていたが、さすがにシャタハートの隣で連携を学んでいただけあって、オルドヴァイとの息もきっちり合わせてくる。問題は新任の副官バルタザールであり、まだ若い上にヒシャーム部隊での動きが頭にあるので、シャタハートの代わりに指揮をとるレベルにはまだ到ってなかった。
結局、シャタハートも一から副官を鍛え直す作業に逐われることになり、忙しさではヒシャームにひけをとらなかったのであった。