第十一章 マラカンドの戦い -6-
聖王国軍がマラカンドに着陣した。
一万二千の騎兵を率い、堂々とナーヒードが青の都に入城する。馬を替えながら駆け通したお陰で、予定よりかなり早く到着できた。兵も馬も疲労が貯まっていたので、ヘテルが退いてくれたのは僥倖であった。
「翡翠の女王自らの救援、感謝致します」
さすがのミーラーンも疲労の色が濃かった。東門は南門ほどではないが、激戦であったことに変わりはない。
「間に合ってよかった。イルヤースは残念であったな」
「は、まことに。不甲斐ない戦いをして申し訳ありませぬ」
ヘテルに敗北したことで、スグディアナにおけるミーラーンの求心力は急激に落ちている。ナーヒードの助けを借りてヘテルを撃破せねば、このままスグディアナはヘテルに飲み込まれるだろう。
「パルタヴァとメルヴの連合軍は撃ち破ってきたので、ホラーサーンからの通行は自由にできるようになった。あとはアフシュワルを叩き潰すだけだ」
「あのアルダヴァーンをよく」
かのアルダヴァーンとは、ミーラーンでも正面から戦いたくはない相手であった。ヘテルの王アフシュワル以上の難敵であろう。カドフィセス、ヴィマタクト、トミュリスも良将であるし、カマールは将帥としての資質はともかく麾下の部隊は優秀であったはずだ。
それを一日の会戦で撃ち破り、首級まで上げたというのだ。ナーヒードの聖王国軍の精強さは驚嘆すべきものがある。
「遣わした二人は役に立ってくれたようだな」
「お二方がいなければ、マラカンドは落ちておりました」
ファルザームはミーラーンとともに女王を迎えたが、アナスは昏々と眠り続けているという。かなり無理をして南門を守っていたようだ。最後にはミヒラクラの重装槍騎兵部隊に一人で立ち向かったという。よく無事でいたものだ。
「トミュリスとヴィマタクトを麾下にお加えになったようですな」
ナーヒードの前には諸将が並んでいるが、その中には新参の二人もいた。マサゲトゥにはハーラズムの主権を今まで通り認め、聖王国に税と軍役の義務だけ負ってもらうことにした。ベグラム侯爵には、メルヴを与える約束をしている。ベグラムがヘテルに奪われた場合の代替地だ。こちらにも、税と軍役の義務だけは果たしてもらう。どちらも曲者であるが、力量はあるので殺すには惜しい。
「ハーラズムとマルギアナを任せる人材も必要なのでな。これでアフシュワルを片付ければ、当面東方に脅威はなくなる」
バクトリアやガンダーラが欲しいわけではないので、取りあえずは侵攻を打ち払い、キシュとマイムルグを取り戻すだけでいい。
「そのことじゃが、わしとアナスが暴れたことで、アフシュワルは東方拝火教団に援助を求めると思う。油断はせぬようにな」
ファルザームの言葉にヴィマタクトが顔をしかめる。バクトリアの月の民は、東方拝火教団に帰依していたのだ。内情にも詳しいはずだ。
東方拝火教団は、原拝火教と言ってもいいだろう。ズィーダを光明神とせず月神と置き、七柱の大神を信仰の対象としている。すなわち、月神ズィーダ、太陽神ミフル、水神ハラフワティー、天空神ディヤウシュ・ピトリ、暴風神シャルヴァ、雷の神シャクラ、双子神ノーンハスヤである。ファルザームの拝火教では悪魔とされるディヤウシュ・ピトリ、シャクラ、シャルヴァ、ノーンハスヤなどが神とされているのは、パールサ人とミタン人が宗教が分かれる前の段階だからだ。
天空神ディヤウシュ・ピトリはすなわちシュメルのアン、アガデのアヌである。神々の王を指名する最高神だ。雷神シャクラはエンキの息子アマルトゥ、すなわち神々の王マルドゥク。風神シャルヴァはかつての神々の王エンリル、すなわちアッシュールである。
月神シンを信仰する月の民には受け入れやすい宗教であり、バクトリアとガンダーラの月の民が東方拝火教団に改宗した所以でもあった。
「東方拝火教団には、ミーディール人や月の民やヘレーン人だけでなく、神の門のマート・ハルドゥ人も入り込んでいてのう。ハラフワティーやマルドゥクの息が掛かっておるのは間違いない。何れにせよ、魔術に関してはこちらで対応はするが、くれぐれも気を付けてくれ。特にマート・ハルドゥの魔術師は曲者が多い」
東方拝火教団の大祭司はミーディール人のマゴイ部族の者だ。祭祀に関してはミーディール人はパールサ人より造詣が深く、かつては神官職をマゴイ部族に独占されていたほどだ。今ではマゴイ部族以外の神官も多いが、依然としてその影響力は強い。そして、ミーディール人が主神とするのは、当然ハラフワティー・アルドウィー・スーラーである。バクトラには七神全ての神官がいるが、最も力が強いのはハラフワティーであった。
「明日の先陣は、右にトミュリス、左にヴィマタクトを配する。ヒシャームはトミュリスの右後方、シャタハートはヴィマタクトの左後方、ミーラーンとスグディアナ騎兵は中央後方に、その後ろにわたしの親衛隊が入る」
ナーヒードが盤上で明日の布陣を説明に入った。
「敵の先陣は恐らくカドフィセス、両翼に二人の王子が来るであろう。トミュリスとヴィマタクトは両軍でカドフィセスを抑え、両翼はヒシャームとシャタハートに任せよ」
「つまり、両翼を主攻とした包囲殲滅戦ですか?」
ミーラーンが尋ねると、ナーヒードは首を振った。
「包囲殲滅はしなくとも、本陣のアフシュワルを両翼に攻め立てられれば退くであろう。暫くスグディアナに侵攻できなくさせればよい」
ヘテルは旧クザン王国の旧臣をまだ纏めきれていない。東方のペシャワール、タキシラ、マトゥラーの諸都市はヘテルの敵だ。スグディアナ遠征に失敗して帰国すれば、そのあたりの圧力を受け止めるので精一杯になるであろう。
「スグディアナ騎兵は、重装槍騎兵が動き出したら抑えてくれればよい。後はヒシャームとシャタハートが何とかするであろう。押しきれぬときは、ロスタムとシャガードを解き放つ」
正面に来る敵を受け止めるのは、外様の部隊がメインとなる。ヴィマタクトは、ナーヒードのカドフィセスに対する評価の高さを感じ取った。それは、ヴィマタクトにとっては些か悔しいことではある。トミュリスの手を借りなくても、カドフィセスに負ける気はなかった。
「翡翠の女王よ、先陣の栄誉、このヴィマタクト見事に果たしてみせましょうぞ」
時勢を見る目は、自分もカドフィセスも持っているつもりだ。クザン王国を見切ってヘテルについたときは、カドフィセスと意見は一致していた。だが、今度は意見が分かれた。
聖王国に敗北したとき、カドフィセスは逃亡し、自分は降伏を選んだ。カドフィセスは地盤のカーブルが惜しかったのであろう。だが、自分は地盤のベグラムとて見切ることができる。しかも、ナーヒードはメルヴを代替に与える約束までしてくれたのだ。実利を重んじるヴィマタクトには、不満は全くなかった。
「頼むぞ、ヴィマタクト」
色香はあるが武骨なトミュリスと違い、ヴィマタクトはこのような場面で如才がない。商業都市メルヴを支配するに相応しい人物であった。