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紅星伝  作者: 島津恭介
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第十一章 マラカンドの戦い -3-

 早馬が駆け込んでくる。


 マラカンドの陥落の報告かと思って立ち上がったアフシュワルは、血相を変えた伝令の表情を見て何かあったことを察した。


 伝令はアフシュワルを認めると、馬から下りて走ってくる。


「シェ、シェンギラさまから伝令……!」

「いいから申せ」


 悠長な話をしている場合ではないとアフシュワルは判断し、伝令を急かした。伝令の騎兵は唇を湿らせると、口上を述べ立てた。


「はっ、マラカンドの守備に火の悪魔(イブリース)なるアーラーンの魔術師が出現。爆発する矢を使い、南門の攻略は難航中、とのことです!」

火の悪魔(イブリース)だと」


 アフシュワルは首を傾げたが、すぐに手を叩いた。


「ヤズドで竜の王(エジュダハー)を斃したという真紅の星(アル・アスタール)だ。ナーヒードの親衛隊長だったか? それがマラカンドに先行して来ているというわけか」


 魔術に堪能なアルダヴァーンすら破ってきた相手である。非常に手ごわい相手であることも想定はつく。だが、所詮一人が加わっただけだ。そんなもの、物量で押せば耐えきれるものではない。


 アフシュワルはすぐに全軍に出立を命じた。南門を攻める三千騎に、アフシュワルが率いる五千騎を加えて攻めたてれば、いかに魔術の使い手とはいえ処理しきれるものではあるまい。


「それにしても、存外シェンギラも情けない。この程度のことで非情になり切れぬとは」


 アフシュワルには、後継者となる息子の甘さが問題であった。マラカンドに向けて馬を走らせながら、アフシュワルは息子にどう言うべきか頭を捻った。





 翌朝、アナスは八千に膨らんだ敵を見て小さくため息を吐いた。昨日の勝利で上がった士気も、敵の増援で再び低下しているようだ。


「こりゃまた……見たくない数が並んでますなあ」


 (オグサーブ)班の班長にした負傷兵が足を引き摺りながらアナスの隣に立った。


「一万近くいるんですかね、ありゃあ」

「そうね、七、八千はいるでしょうね」


 昨日の数ならまだ希望は持てた。だが、六百に対して八千では難しい。飽和攻撃はいつの時代も寡兵に対する最も有効な手段である。全ての兵士が爆炎(インフィガール)の矢を持てば勝てるだろうが、同時に多数の爆炎(インフィガール)を制御することはできなかった。そのあたりの精密な魔術操作はファルザームの方が数段巧い。


 ファルザームみたいに火の鳥(シムルグ)で暴れまわってもいいが、体を巨大化させると精密な動きができない。一撃当てたら術を解かないとろくに移動できないのだ。


「昨夜のうちに幾つか仕掛けはしておいたけれど、とても足りそうにないわね」


 ヘテルの軍団が動き始める。先頭に出されたのは、三日月(ヘラール)の旗を掲げる月の民(マーハ)の降兵だ。キシュやマイムルグの周辺を牧地にする遊牧民で、スグディアナ南部がヘテルの支配領域に入ったのでそちらに降っている。


 二千近い降兵の後ろからはバダフシャン侯爵の千騎、それにシェンギラとミヒラクラの部隊も動き始める。


「予想通りの飽和攻撃ね。数で圧倒しているなら正攻法の正面攻撃が一番正解だわ」


 衝車を牽いた部隊が駆けてくる。アナスは(ハヴァーシル)班に爆炎(インフィガール)の矢を撃たせる。老人の矢が命中し、車輪が吹き飛んだ。


(オグサーブ)、いまの右後方二十ザル(約二十メートル)の衝車、射て!」


 衝車は潰しているが、ヘテルは丸太を綱で結び、騎馬で運びながら突撃してくる者も現れた。クシャニアの射手もできるだけ射倒しているが、すり抜けて門に到達する者も出てくる。


 鈍い衝突音が響き渡り、城壁に振動が伝わる。一撃で崩れるものではないが、これを繰り返されると門は夜まで保たない。


 再びすり抜けてきた丸太部隊を、アナスは自ら射て吹き飛ばす。こんなときにエルギーザがいれぱ、どんなに助かったか。意力(マナス)は意志の力であり尽きることはないが、脳の疲労による限界はある。何処まで耐えることができるだろうか。


 降兵部隊が駆け去ると、バダフシャン侯と二人の王子の部隊が入れ替わるように攻勢を強めてくる。城壁の上への射撃も激しさを増し、クシャニアの射手にも死者や負傷者が出始める。


 押し込まれそうだと判断したアナスは、切り札のひとつを切った。


 バダフシャン侯爵が駆ける大地が、突然爆ぜた。


 今までの爆炎(インフィガール)とは比べ物にならない巨大な爆発が起こり、もうもうと砂が舞い上がった。


 フヴィシカを含む三十人ほどの騎兵が瞬時に吹き飛び、肉片へと変わる。


 アナスの仕掛けた罠の一つであった。昨夜のうちに、地面の何ヵ所かに爆炎(インフィガール)をセットしておいたのである。威力も手加減しておらず、さすがにヘテルの兵も唖然とするしかなかった。


「いまのうちに矢を取ってきて、少年。軽く食べられるものもね」


 フヴィシカの死でバダフシャンの兵が混乱し、潰走を始める。態勢を立て直すべくシェンギラとミヒラクラも退いたので、一時的にクシャニア兵たちにも休息が訪れた。


「まだあんなに陽が高い……」


 クシャニアの射手たちがへたり込んでいるのを、ブラトが懸命に鼓舞している。だが、すでに死者も十数人、負傷者は百人ほどとかなりの損害を受けており、ブラトの言葉も空回りしていた。


「やつら、もう引き上げたんでしょうか」


 (オグサーブ)の負傷兵が期待を込めて聞いてきた。だが、アナスは首を振ると、少年の持ってきたパン(ナーン)を受け取り、噛み千切った。


「すぐにまた来るわ。一時間後くらいかしらね」

「敵の指揮官の一人が吹き飛んだんでしょう? そんなにすぐ来るもんなんですか」

「ヘテルの王を討ったわけじゃないわよ。月の民(マーハ)諸侯の一人を殺しただけよ」


 パン(ナーン)は固く、味気なかった。ぼそぼそしたパン(ナーン)を水で流し込むと、アナスは立ち上がった。


「じゃあ、少し再攻撃の時間を遅くさせて来ようかな」

「どうするんですか」

「まあ、見てなさい」


 アナスは炎翼(パレ・アーテシュ)を広げると、ふわりと舞い上がった。クシャニアの兵士たちが口を開けてこちらを見ている。


 そのまま敵陣の上空に向かうと、敵も騒ぎ出し、矢を放ってくる。アナスは特大の火の鳥(シムルグ)に変化すると、騒いでいる兵士たちの真ん中に突っ込んだ。


 火だるまになって転がる兵士たちを見て、周囲の兵も恐怖にかられて後ずさる。アナスは元の姿に戻ると、炎翼(パレ・アーテシュ)を広げて城壁に戻った。パニックが収まると囲まれてしまう。


「とりあえず、あの火を消し止めるくらいの時間は稼げるでしょう」


 事も無げに言うアナスに、四人の部下たちは顔をひきつらせつつも、歓呼の声を上げた。クシャニアの射手たちは、いきなり叫び出したアナスの部下たちを呆気にとられて見ていたが、燃え盛る敵陣を見ているうちに次第に自分たちも声を発し始める。ブラトはその様子を見てほっとしたようであった。兵の士気が僅かでも回復したなら、アナスが無理をした甲斐もある。


「明日には味方の援軍が来るわ。だから、今日、何とかあと少し、陽が暮れるまで持ちこたえなさい!」


 アナスが弓を掲げて叫ぶと、兵は立ち上がって真紅の星(アル・アスタール)の名を叫んだ。ブラトは自分まで拳を握って突き上げていたことに気付くと、苦笑して言った。


「大した華だ。兵も将もみんな魅了してしまう。あんなのを親衛隊で常に側に置いておくなんて、翡翠の女王シャーザーデ・エ・ヤシュムも相当の器だな。並みの王では食われてしまうよ」

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