第十一章 マラカンドの戦い -2-
ヘテルの軍勢が姿を現したのは、翌日の昼頃である。
南の街道から現れると思っていたが、南東から姿を見せたところを見ると、マラカンドの南東にあるウルグトの街を制圧、拠点化して北上してきたようだ。ウルグトはウルグチ人の商人の街であり、マラカンドよりも物価が安いこともあって交易は盛んであった。だが、いまはそこをヘテル王アフシュワルの本軍五千が占領し、物資の徴発を行っているところであった。
マラカンドの南門には第一王子シェンギラ、第三王子ミヒラクラ、バダフシャン侯フヴィシカの三千騎が陣取り、東門には第二王子トラマーナ、ティルミド侯クジュラ、カーブル侯カドフィセスの四千騎が着陣する。
すでに城門は閉じられ、城外に駐屯していた兵士たちも全て城内に撤収していた。マラカンドのスグド兵が千二百騎、月の民はクシャニアの太守の兵は六百騎ほど残っていたが、キシュとマイムルグの兵はほぼ逃亡し、それぞれ百騎ほどしか残っていなかった。これは、両都市がヘテルの支配領域に入り、風になびくようにアフシュワルの傘下に入る遊牧民が続出したためである。アフシュワルの本隊の兵はそういう降兵を編入して大分膨らんでいた。
南門にはアナスとクシャニア太守ブラト率いる六百の兵が守備に就いた。東門はファルザームとミーラーン率いる千二百。北門にはキシュ太守クドラト率いる百。西門にはマイムルグ太守バティル率いる百である。
「有翼の聖霊の旗が前線に出てきている。まずはバダフシャン侯が押してくるぞ」
クシャニアの太守ブラトは、静かで落ち着いた男であった。黒い髯をたくわえ、恰幅のいい体を揺らして兵に迎撃の指示を出している。激しい性格のキシュの太守と一緒ではなくてよかったと、内心アナスは思っていた。
アナスはブラトに頼んで、四人の射手を部下に借り受けていた。ブラトはさして戦力にならない少年や老人、負傷者などを四人選び出して寄越してくる。失礼な態度であるが、矢さえ飛べばいいので、アナスはそれほど気にしなかった。
「いいか」
アナスは整列した部下を前に静かな声で言った。
「諸君の働きで戦局は決まる。諸君の任務はこの矢を指示通りに射ることだ。この矢には、祝福が与えられている。神の祝福が、必ずや敵を撃退する。それを信じて、胸を張って射るがいい」
アナスは歩きながら部下たちの目を一人一人覗き込んだ。まだ年若い少年の頬は紅潮し、老人の目は落ち着いていた。足を負傷し歩けない男は自信を失っており、五体無事の壮年の男は虚勢を張っているように見えた。
「さあ、敵が接近してくるわよ。構え!」
フヴィシカの軍が動き出している。千騎の騎馬のうち、百騎ばかりの一隊が、荷車に丸太をくくりつけた衝車を持ち出し、前進してくる。
城壁からも六百の射手が雨のように矢を降らした。だが、衝車を牽く騎兵は盾を掲げ、馬甲も装備し少々の矢では倒れない。
「狙いは二台目の衝車よ。引き付けなさい」
部下たちはアナスの指示通りに弓を構えて待機する。先頭の衝車を牽く騎兵は、針鼠のように矢を浴びせられ全員射倒された。だが、その後ろから二台目の衝車が現れる。かなり接近しており、今からでは全部射倒すのは難しい。
「今よ、射て!」
アナスの号令で、四人の射手が一斉に矢を放った。少年と壮年の矢は少し逸れたが、老人と負傷した男の矢は衝車に吸い込まれる。
轟音と砂煙が生じ、戦場の喧騒が一瞬治まった。
衝車は車輪や丸太が吹き飛び、横転して止まっていた。逸れた矢に巻き込まれた騎兵も数人吹き飛んでいる。付近の馬は怯えて立ち止まり、前足を上げて騎手を振り落とした。
射った四人も唖然としていた。少年は震えてきょろきょろしているし、虚勢を張っていた壮年の男は腰を抜かしている。
「次弾、構え」
アナスの冷静な指示が飛んだ。爆炎が付与された矢は、すでに彼らの後ろに用意されている。老人と負傷兵はすぐに矢をつがえ、射撃準備に入った。
「目標、いまの十ザル後方、放て!」
二本の矢が放たれた。
再び轟音が響き渡り、大地が僅かに揺れる。足を止めていた騎兵が吹き飛ばされ、血と肉片が飛び散った。
状況が飲み込めていなかったクシャニアの射手たちが、それがアナスと四人の部下たちの行為だと知ってざわめき始める。
バダフシャンの騎兵も恐慌状態から立ち直り、何とか馬を鎮める。だが、そこに更に矢が飛来し、激しい爆音を轟かせる。慌てて無事な騎兵は逃げ出した。
第一陣が退却するのを見て、クシャニアの射手たちが歓呼の声を上げる。アナスや四人の部下たちが讃えられ、部下たちは上気して舞い上がっていた。
アナスの目から見ると、負傷した男の弓の腕が一番確かで、老人は弓勢は弱いが狙いはいい。空威張りの男は大した腕ではなく、少年は全てに未熟である。
「サ、将軍閣下、今のは何だったのでしょうか」
足を負傷している男が吃りながら尋ねてきた。
「光明神の祝福よ」
アナスは再び矢に触れて爆炎をセットしながら言った。
「次からは、二班に分けるわよ。射手は貴方と貴方」
アナスは負傷者と老人を指差す。
「貴方はご老人の補助、坊やは彼の補助よ。ご老人の班は鷺、彼の班を鷲と呼ぶわ」
合間にアナスも射てば、三台までは対応できる。てきぱきと指示を出していると、クシャニアの太守が半分怖がりなからやって来た。
「ア、真紅の星、いまのは何が起きたのだ?」
「あら、ブラト殿、お借りした兵はよく働いてくれていますわ」
にこやかにアナスは応対した。使えない兵を選んだブラトに対するささやかな報復である。
「光明神の力の一端ですわ。翡翠の女王が何故親衛隊長のわたしを先行してマラカンドに遣わしたか、お分かりになりましたか?」
「いや、わかった、よくわかりましたぞ、真紅の星」
アナスの真紅の双眸に射すくめられ、ブラトは身を震わせて戻っていく。クシャニアの兵たちからは、歓呼の声と真紅の星の名が繰り返し叫ばれていた。
「ありゃ、何だよ兄貴」
同じ頃、ミヒラクラが血相を変えてシェンギラに詰め寄っていた。
「わたしに聞かれても知るか! 爆発する矢とか聞いたこともないわ」
第一王子も弟の問い掛けに答えを持たない。そこに、前線に出ていたフヴィシカが戻ってくる。僅かな時間に三十騎ばかりと衝車を三台失い、その顔色は冴えない。
「何かわかったか、バダフシャン侯」
「カドフィセスに伝令を出しましてな」
フヴィシカは、聖王国軍から逃走してきたカーブル侯爵に問い合わせたらしい。意外とよく気がつく男だとシェンギラは感心した。
「あれはアーラーンの親衛隊長のようですな。カドフィセスは火の悪魔と呼んでいましたが、アーラーンでは真紅の星と呼ばれているようです。ナーヒードを討つためにアルダヴァーンが放った精鋭を撃ち破り、勝利の決め手になった女だとか」
「アルダヴァーンを破った女だと」
ミヒラクラが唸り声を上げるが、確かにあの出鱈目な力を見せ付けられれば、アルダヴァーンに勝ってもおかしくはない。
「魔術の類いでしょう。東門でも炎の巨鳥が暴れまわり、かなりの損害を出して後退したようです」
シェンギラとミヒラクラは顔を見合わせる。戦いには自信がある両者であるが、魔術には詳しくない。簡単に落とせると思っていたマラカンドが、いきなり難攻不落の要塞と化したかのような錯覚にとらわれ、シェンギラは身震いした。