第十章 ヘテルの覇王 -7-
砂塵を巻き上げ疾駆してくる二千五百騎の騎馬隊を見て、アルダヴァーンは右手を下ろした。
パルタヴァ最強のスーレーン騎兵が駆け始める。アルダヴァーンは、二千の騎兵を五百騎ずつ四隊に分けていた。四隊がそれぞれ分散し、ばらぱらに距離を取ってヒシャームから逃げ始める。逃げながら、パルタヴァ騎兵特有の背後を向いての弓射を浴びせてきた。
この形は予測していた。アルシャクのパルニ騎兵に、散々やられた戦法である。ヒシャームは黒槍を構えると、その力を解放する。
「大いなる砂塵嵐!」
黒槍から発した強風が、みるみる暴風と化し、飛来する矢を蹴散らしながらスーレーン騎兵に吹き寄せて行く。
それを見たアルダヴァーンは、右手の黄金の柄の剣を掲げた。
「太陽の剣よ、秘められし力を解放せよ!」
アルダヴァーンの掲げた剣から黄金の輝きが生じると、荒れ狂う暴風が次第に弱まり、治まっていく。黒槍の砂塵嵐はただの暴風ではなく、神の力である。それを消し去ったことに、ヒシャームは驚愕とともに警戒を覚えた。
「気を付けよ、ヒシャーム! あれは太陽神の剣ぞ」
ファルザームの鷹が上空から叫ぶ。太陽神も水と豊穣の女神と同じく大神である。黒槍もかなり格の高い神器であるが、あの剣はそれより上位の神器だと言うのであろうか。
ファルザームはそのまま敵の上空に向かっていく。鷹の姿から燃え盛る火の鳥に変化すると、降下して馬群の中央に突っ込んだ。
騎士たちが何人か炎に焼き尽くされる。矢が何本も撃ちこまれるが、火の鳥の炎は矢をも焼き尽くす。アルダヴァーンが太陽の剣を火の鳥に向けると、剣先が黄金の輝きに包まれる。ファルザームはそれを見て取ると、高らかに叫んだ。
「選ぶべき主の、正義の裁きを」
光明神最強の真言。それは、ファルザームの切り札の一つでもある。
「聖なる真言!」
ファルザームから発したアフナ・ワルヤの聖呪の光と、アルダヴァーンの太陽の剣の黄金の光が衝突し、激しくぶつかり合う。一方は光明神の破魔の光明、一方は太陽神の灼熱の太陽光である。ともに大神の力の発露であり、衝突は拮抗し大地を衝撃で揺らした。
「さすがはあの忌々しき孔雀の王の使徒だね。人の身で太陽神の神器の力を抑えるなんて」
アルダヴァーンがさっと手を上げると、再びスーレーン騎兵が駆け始める。ファルザームは鷹に戻って上空に退避すると、甲高い声で叫び声を上げた。
その声に応えるように、ヒシャームの部隊の先頭に一騎の騎兵が進み出た。彼は禍々しい輝きを放つ黒き矢をつがえると、何気ない仕草でそれを放った
。
エルギーザからスーレーン騎兵まではまだ八百ザル(約八百メートル)ほどあった。通常ならば届かない距離であるが、風の力を借りた矢は爆発的な勢いで飛翔した。
スーレーン騎兵の上空に達した黒き矢は、そこで数十本に分裂すると、一気に降り注いだ。だが、一定の距離に接近したところで、黄金の輝きが黒き矢を包み、風の加速を奪われる。矢は敵兵に到達する前に墜落し、エルギーザは黒き矢を手もとに戻した。
「あの剣は、天空と風の王の力を封じているね」
「大祭司長の火の鳥やアフナ・ワルヤ真言は封じられないみたいだからな。天空と風の王の元になった神の力が、あの剣に通じないのだ」
「天空と風の王の元になっているのは天空の王と暴風の王の二つの神格だよ。そのうち、暴風の王の力が通じない」
暴風の王、すなわちシュメルのエンリル、アガデのアッシュールである。かつては神々の王と呼ばれ、最高神の地位にいた神の力を無効化するとは、いくら太陽神とは言え信じられない。
「暴風の王の力を無効化すると言うことは、あの剣は金剛の王の力も取り込んでいるのだ。金剛の王は、太陽神から暴風の王を討つ力を授けられている」
雨のように降り注ぐ矢を払い除けながら、ヒシャームは言った。それが本当なら、アルダヴァーンはヒシャームとエルギーザには、相性が最悪の敵である。天空の王の力を使うシャタハートの方が相性がいい。
「エルギーザは分かれた分隊に射掛けろ。あの力はそこまでは届かない。アルダヴァーンの本隊は、ファルザームさまとおれでなんとかする」
「わかったよ」
敵の射撃が止むと、三方から押し包むようにスーレーン騎兵が前進してくる。ヒシャームは二人の大隊長に両翼を任せると、直属の五百騎を率いて正面の敵に突入した。
剣を抜いて突入してくるスーレーン騎兵を、槍を振るって叩き落とす。黒槍の力を使わなくても、このあたりの兵に遅れをとるヒシャームではない。黒衣が翻り、血風を撒き散らしながらヒシャームは前進する。
「黒衣の騎士だな。スーレーン家の槍、アルシャカンか相手を致す」
スーレーン騎兵の前衛を率いる老将が、槍を構えてヒシャームの前に立ち塞がった。アルダヴァーンの先駆けとして、数多の敵将を討ち取ってきた猛将である。その膂力も老人とは思えぬ剛力であった。
「卿がアルシャカンか。首狩りの名前は聞いているぞ!」
スーレーンの合戦の度に敵将の首を取ってくる勇将に、敵が付けた異名が首狩りである。アルシャカンはにやりと笑うと、りゅうと槍を振った。
「久しく聞かぬ名だ。懐かしいものよね。だが、その名を出したら手加減はできぬぞ!」
アルシャカンの槍が稲妻のように繰り出されてくる。ヒシャームは身を捩ってかわし、その隙にアルシャカンの頭蓋を叩き割ろうとする。だが、アルシャカンの引き手は予想以上に速く、ヒシャームの撃ち込みを力強く弾き返した。
「大人しく、孔雀の悪魔のもとに還るがよい!」
「光明神の加護を!」
十数合撃ち合うが、アルシャカンの技倆は高く、ヒシャームもなかなか隙を見出だせない。さすがに首狩りと呼ばれるだけの実力を持っている。この敵を相手に短時間で決着をつけるのは難しそうであった。