第十章 ヘテルの覇王 -4-
ヒシャームとミルザの騎馬隊を西から召喚するのに、二日かかった。本来は往復の時間がかかるので倍以上の時間がかかるが、ヒルカの回廊で意志疎通を図る聖王国軍ならではの高速の召還である。
だが、それすら待てずに、ナーヒードの親衛隊千騎とシャタハートの騎馬隊二千五百騎は王都を出発していた。初動で遅れを取っている分、無茶な動きも必要であるとナーヒードは判断したのだ。二将は王都で物資の補充だけすると、ただちに女王の後を追うこととした。
「敵の目的はブハラではないようです」
妖精で偵察していたヒルカから報告が入る。
「敵の進軍は途中で止まりました。兵を伏せ、我が軍を待ち受ける構えです」
その報告を聞いて、初めてナーヒードは進軍を緩めた。テジェンでヒシャームとミルザの到着を待つ。
その間にも、アルダヴァーンの軍の展開の詳細が入ってきた。
カマール率いるメルヴ騎馬隊二千騎が、アム河岸にあるチャルジョウと言う村に駐留していた。スグド人による舟橋が撤去され、アム河は現在渡河ができなくなっている。カマールはチャルジョウの村人に交渉しようと思っていたようたが、村人は舟橋とともに対岸に撤退していた。
チャルジョウの郊外にアルダヴァーンが二千騎を率いて待機していた。それより南西に二パラサング(約十一キロメートル)ほどの地点にマサゲトゥの三千騎が駐留している。マサゲトゥの南東二パラサング(約十一キロメートル)ほどの地点にベグラム侯の二千騎が伏せられた。マサゲトゥの北西二パラサング(約十一キロメートル)の地点にはカーブル侯の二千騎が伏せられている。
マサゲトゥ騎兵に襲い掛かる間に、カーブル侯とべグラム侯の両翼の騎兵で聖王国軍を包囲し、殲滅する意図があるのは間違いない。
一つ気になるのが、アルダヴァーンのあと千騎の消息であった。これがヒルカの目を掻い潜って行方をくらませている。不気味な存在である。
「トミュリスの三千騎は、こちらの五百騎で引き受けよう。月の民の援軍は、オルドヴァイとハシュヤールに相手をさせる。だから、その間にヒシャーム、おまえがアルダヴァーンを討て」
パルタヴァ騎兵に翻弄された過去を払拭するためにも、ヒシャームの戦功は重要であった。だが、それ以前にシャタハートは、ヒシャームと言う男を信用していたのだ。
「わたしにも戦わせてほしいのですが」
シャタハートが全て汚れ役を引き受けると言うのを非難するようにミルザが言った。これはスグディアナの戦いでもある。見学などできるものではない。
「ミルザ殿は女王陛下の前で待機し、危ないところへの救援に出向いてほしい」
「いや、しかし予備戦力に二千騎を宛てるほど余裕はないのでは」
「冗談ではない。わたしは五百騎でトミュリス程度は撃ち破ってみせる」
シャタハートとミルザの言い争いになりそうだったので、仕方なくナーヒードが割って入った。
「よせ、二人とも。ミルザ卿には、予備部隊になってもらう。なに、どうせ出番はすぐに来る。慌てることはない」
「は…畏まりました、我が女王陛下」
ナーヒードに言われるとミルザも弱い。簡単に引き下がった。
今回の戦いに際して、ナーヒードは親衛隊の強化をしている。ザールの二人の息子、ロスタムとシャガードを親衛隊に貰い受け、それぞれ二百五十騎ずつを与えている。いざと言うときの手札を増やしたのだ。
それでも、切れるカードは多いほどいい。ナーヒードはミルザを温存し、前衛をシャタハートに委ねた。
軍議はシャタハートの意見で決着し、諸将は天幕を出ていった。残ったのは、親衛隊の四人だけである。身分的には王族であるロスタムとシャガードの方が上だが、真紅の星に心酔するこの二人は、特にアナスが隊長であることに文句は言わない。
「出番は早めにしてくれよ」
獅子侯が口を開くと、それだけで天幕に威圧感が漂う。みっしりと肉の詰まった体を持つ巨人だけに、本人が意図しなくても回りに与える影響力は凄まじい。フーリなどいつも畏まってしまっている。
「ファルザームさまとエルギーザもいるし、あたしらの出番はないかもよ」
アナスは口ではこう言ったが、自分で自分の発言を信じていなそうであった。
「わたしにも少しは名誉を挽回する機会が欲しいものてすが」
シャガードが、白銀の貴公子と呼ばれるに相応しい優美な口を開いた。シャープールへの使者の途中で敵に襲撃され、負傷して戦線離脱したことを気にしているらしい。
「シャガードは無理しなくていいのよ。怪我してたんだから」
「いやいや、もう問題ないですよ」
似合わない力こぶなどを見せ、完調をシャガードはアピールする。アナスは男ってしょうがないわね、と呟いた。
「アルダヴァーンの部下が千騎、何処かに潜んでいるかもしれないんだから、警戒しなさいよ」
親衛隊は女王を護るのが目的なのよ、と血気に逸りがちな二人の騎士をたしなめるのであった。
雪花石膏の美しい白き街並みを遠目に眺めながら、聖王国軍は進軍した。メルヴには兵かいないことはわかっているが、ナーヒードが無辜の民を虐殺することはないと思われているのだろう。カマールに読まれているのは腹立たしかったが、ナーヒードはメルヴを素通りした。アルダヴァーンと決着を付ければ、自然と手に入るものだ。
街道はカラクム砂漠を北東へと突っ切っていく。砂漠の行程は夜の移動だ。二晩でアム河まで着くことはできる。ならば、少し手前で仮眠を取り、払暁攻撃を仕掛けることとした。
薄暗い夜明けの砂漠を、シャタハートの五百騎が疾駆する。哨戒の兵より先にトミュリスの陣にたどり着くつもりである。しかし、哨戒の兵は駆け足の競争はせず、鏑矢を暁の空に放った。空を切り裂き、鏑矢の音が敵襲を知らせる。
トミュリスは今度は油断していなかった。三千の騎兵はすでに戦闘の準備を整えており、トミュリスの指揮で命を得たかのように動き出す。
「派手なのを一発行かせてもらうぞ、星墜!」
上空に突如現れた流星が、急速にマサゲトゥ軍に向かって落下していく。さほど巨大ではないが、赤熱化して墜落してくる星の欠片に、マサゲトゥ軍は混乱して逃げ惑った。
轟音が鳴り響き、激しい地震が起こった。流星が落下した地点は砂煙が巻き起こり、状況の把握もできない。トミュリスはかろうじて生き延びたようで、退避した兵を慌てて再編している。シャタハートは、その隙に急速に接近した。
シャタハートの周囲に、膨大な殞鉄の弾丸が出現する。爆音とともに星の閃光を射出すると、シャタハートに矢を射ようとしていた兵がまとめて柘榴のように頭を吹き飛ばされ絶命する。
トミュリスは慌てて馬群に隠れるが、シャタハートの前に立ちはだかる兵は次々と鮮血を吹き出して斃れた。
「な、なんだ、何者じゃ、あれは!」
剽悍をもって知られるマサゲトゥの戦士たちが、為す術なく薙ぎ倒された。戦場は虐殺の場と化したかのようであった。そして、シャタハートの瞳がトミュリスの姿を捉える。マサゲトゥの女王の命は風前の灯火であった。