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紅星伝  作者: 島津恭介
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第九章 パルタヴァの英雄 -10-

 アルシャクが引き上げてきて、パルタヴァ七貴族の騎馬隊がアスタラーバードに揃った。とは言ってもミフラーン家とダーハ家の二家の当主が討ち死にしているので、揃っているのは五家である。


 アルシャクは、早速当主を招集し、会議を開いた。シャフリヤールを失ったいま、パルタヴァの王位は空位である。だが、王権を保障する神官の協力が得られず、アルシャクが王位に着くことが出来ない。パルニ公爵として、パルタヴァを主導していくしかなかった。


 ナーヒードに負けたアルシャクも、命を助けられたバフラムも、アルダヴァーンを非難することかできず、軍事的な采配は変わらずアルダヴァーンの手に委ねられた。


 アルダヴァーンは、イシュトメーグとヴァラーグに命じてヒュルカニアとの州境を劫掠させる一方、アルシャクにメルヴと手を組むことを進言した。


 マルギアナの中核都市であるメルヴは、東西を結ぶ街道の要地であり、その財力は侮れないものかある。更にはバクトリアのヘテルと通じ、その騎兵を雇い入れていた。サナーバードからメルヴに繋がるラインを切れば、スグディアナと聖王国の経済的な利点は消える。


 アルシャクは、その意見に大層感銘し、バフラムをメルヴに派遣した。そうして態勢を整えていたパルタヴァ軍であったが、やがて北方のハーラズムとの州境が荒らされ始めると、雲行きが怪しくなってくる。


 ヒュルカニアとの州境には、ミルザのマラカンド騎馬隊が彷徨くので掠奪がしにくくなり、レイとの州境に出るとヒシャームが出張ってくる。


 北ではマサゲトゥ人やサカ人が侵入を繰り返し、アルシャクやアルダヴァーンも巡察に出向かなければならない状況になる。


 それを打開したのは、やはりメルヴとの同盟であった。


 メルヴの太守カマールが資金を出して、ヘテル王アフシュワルから騎馬兵団を借り受けてきたのである。ヘテルが出したのは、月の民(マーハ)の諸侯カドフィセスとヴィマタクトである。カーブル侯カドフィセスと、ベグラム侯ヴィマタクトは、バクトリアを支配していた月の民(マーハ)でも有力諸侯であったが、バクトラを奪ったアフシュワルの勢威に押され、その傘下に入った。


 カドフィセスとヴィマタクトは二千ずつの騎馬隊を率いてニサに入った。騎馬隊を構成すのは、主に月の民(マーハ)とトハラ人である。かつてバクトリアにて大夏(トハリスタン)という国を打ち立てたトハラ人も、月の民(マーハ)の侵入でその指揮下に組み入れられていた。若干サカ人がいるのは、トハラ人の前にサカ人がバクトリアに侵入していた過去があるからである。トハラ人に逐われたサカ人はスィースターンに移動したので、いまはバクトリアにはあまりいない。


 アルダヴァーンは、自身のスーレーン騎兵三千と、この援軍の四千、計七千の騎馬兵団を率いてハーラズム平定に出た。


 ニサから北は、果てしなく広がる砂漠地帯である。だが、駱駝に物資を積んだアルダヴァーンは、タルヴァザのオアシスまでの四日の行程を難なくこなした。タルヴァザで確認したところ、トミュリスはヒヴァの近くに野営地を作っているようだ。マサゲトゥの女王は、都市に住まわぬ遊牧民の誇りを未だ保持していると見える。


「トミュリスの兵力はおよそ三千です」


 シーリーンが報告に来る。マサゲトゥ人は、パールサ人の騎馬隊などよりよほど手強い馬術の持ち主であるが、戦士や狩人ではあっても軍人ではない。アルダヴァーンは、三千が一万でも勝つ自信はあった。


 カドフィセスとヴィマタクトも来たので、この先の進路の打ち合わせもしておく。一日半ほど北上し、砂漠から草原に変わったら東に向かう。一日半ほどでヒヴァに到着するので、そこでトミュリスとの戦いになる。


 カドフィセスは月の民(マーハ)の有力諸侯に相応しい軍事的才能を持った指揮官である。彼の指揮する二千のカーブル騎兵は、単純な遊牧民の集団ではなく、正規の軍人といった気配を漂わせている。


 一方、ヴィマタクトは服装も態度もとても貴族には見えなかったが、歴戦の傭兵と言った雰囲気を持っていた。指揮下のベグラム騎兵も、正規兵というよりごった煮の集団と言う風情である。月の民(マーハ)の割合が少なく、トハラ人を中心に、サカ人、ヘレーン人、ミタン人、ダーハ人までいた。ヘレーン人は、かつて大陸の西方の偉大なる王と共に侵攻してきた者たちである。サカ人やトハラ人の前にバクトリア王国を打ち立て、一時期はあの地方を支配していた。だが、今やその王国も過去のものとなり、すっかり異郷で同化しつつあった。ダーハ人は、驚いたことに、昔スーレーン家がスィースターンからガンダーラまで支配していた頃土着した者たちの末裔であった。どの男も一癖ありそうな雰囲気を持っており、下手に絡むと血飛沫が飛びかねなかった。


 月の民(マーハ)はテュルキュト系やムグール系の民族ではなく、アールヤーン系の民族である。かつては一時期神の門(バーブ・イル)を支配していたこともあるカッシュ人が、エラム人に王国を滅亡させられた後東に逃げ、ムグール高原で勢力を伸ばした過去を持つ。何故月の民(マーハ)と呼ばれるかと言えば、カッシュ人はベル・マルドゥクだけではなく、月神シンも信仰していたからである。


 月神シン、すなわち光明神(ズィーダ)のことであるが、月の民(マーハ)は拝火教団を月神の信仰と同一視はしていなかった。それゆえ、パールサ人と月の民(マーハ)とは、確執の方が強い。


 砂漠を越え、草原を駆け始めると、兵の士気が高揚し始める。アルダヴァーンは、今回ヒヴァの掠奪を許している。聖王国に敗れ、下落した士気とおのれの威信を向上させねばならないのだ。


 羊の群れを放牧していた子供が、草原を走り抜ける騎馬の軍団を見て悲鳴を上げて逃げていく。アルダヴァーンは、そんな小物には構わず、マサゲトゥの幕営を目指した。


 パルタヴァ軍の接近を知ったマサゲトゥの戦士たちが飛び出してきた。トミュリスも弓を携え騎乗したが、幕営にいた男たちは三百ほどに過ぎず、とてもパルタヴァ軍の相手にはならなかった。奇襲のため、各地で遊牧している戦士たちを呼集する暇がなかったのである。


 幕営は蹂躙され、トミュリスは捕らえられてアルダヴァーンの前に引きずり出された。シーリーン、カドフィセス、ヴィマタクトを従えたアルダヴァーンは、縄を打たれたトミュリスを見て哄笑した。


「いい様だね、トミュリス。ナーヒードの女狐に唆されて、我らの版図を荒らしてくれた借りは返させてもらうよ」

「奇襲とは男らしくないやつめ。正面から戦えば、マサゲトゥの戦士が負けるものか!」


 黄金の額環も埃にまみれていたが、トミュリスの美しさを損なうものではなかった。夫に死なれ、三十過ぎだと聞いていたが、未だその肌は瑞々しさを保っている。


「幕営にいたおまえの部の民は、ほぼ捕らえてある。おまえの態度次第で、女子供に至るまで屍を晒すことになると心得よ」


 アルダヴァーンは、トミュリスに降伏を命じた。マサゲトゥがパルタヴァに従属するなら、捕らえた者の命を保障する。トミュリスの柳眉は逆立ったが、この状況では飲まざるを得なかった。


「わかった。皆の命を助けてくれるなら、パルタヴァに従おう」


 不承不承トミュリスは頷いた。アルダヴァーンは、トミュリスの息子アガロスを人質として確保すると、彼女の拘束を解いた。そして、麾下の男たちの呼集を命じたのである。


 北の不安を退け、パルタヴァ、ハーラズム、マルギアナ、バクトリアに及ぶ大連合を構築したアルダヴァーンは、聖王国との再戦に向けて着々と準備を整えていったのである。

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