第九章 パルタヴァの英雄 -9-
街道を封鎖するように、パルタヴァ総督軍が陣取っている。中央に四千、左右両翼に二千ずつ。更にその外側に騎兵が千騎ずつ控えている。
対するナーヒードは、前段にサルヴェナーズの四千、後段にミナーの五千を構え、両翼にはオルドヴァイとハシュヤールの千騎ずつを配置した。本陣には、シャタハートとフーリの騎馬隊が控える。
ナーヒードは、無造作にサルヴェナーズに前進を命じた。サルヴェナーズは女王の命を受けると、双剣を抜き怒号した。
「進め!」
サルヴェナーズの命令とともに、一斉に歩兵が前進を始めた。パルタヴァ総督軍の中央の歩兵四千も前進を始め、両者は程なく接敵する。
パルタヴァ歩兵の前衛は、サルヴェナーズ軍の歩兵と突き合った瞬間に崩壊した。槍を構えたサルヴェナーズの部下たちは、目に狂気を宿らせながら、パルタヴァ歩兵の第一段を突き崩し、第二段を薙ぎ払った。恐慌にかられたパルタヴァ歩兵の第三段と第四段は、接敵する前から及び腰になり、怒濤の如く進撃してくるサルヴェナーズ軍に蹴散らされる。
「殺せ!」
サルヴェナーズ軍の兵士は口々に叫ぶと、パルタヴァ歩兵の中軍を蹂躙した。半ばまで食い破られた中軍を救おうと両翼の歩兵が横槍を入れてくるが、サルヴェナーズの部下たちは左右両端の兵が対応して容易に崩されない。
八千の歩兵が半分のサルヴェナーズ軍に押されるのは、さすがにアルシャクも計算違いであった。彼は両翼の歩兵を前進させながら、騎兵でサルヴェナーズ軍を叩こうと動き出す。だが、そうはさせじとオルドヴァイとハシュヤールの騎馬隊が突っ込んできた。
アルシャクは、サルヴェナーズ軍の左右に回り込みながら騎射を仕掛けようとしていた。だが、その外側にオルドヴァイとハシュヤールが回り込んでくると、騎射を諦めて離脱せざるを得なかった。
アルシャクが距離を取って態勢を立て直している間に、ミナーが前進してパルタヴァ総督軍の歩兵を突き崩した。聖王国の歩兵は常備軍で鍛えられており、パルタヴァの州兵は徴用されてきただけの素人である。それを知る者には当然の結果であるが、アルシャクは聖王国の歩兵を甘く見すぎていた。自軍の歩兵と似たようなものだと思っていたのだ。
今や、パルタヴァ総督軍の歩兵は総崩れになっていた。アルシャクは、暫くオルドヴァイとハシュヤールの騎馬隊を引き摺り回していたが、シャタハートが動き始めるのを見て退却していった。
シャタハートの星の閃光だけは警戒しているようだ。
ナーヒードのこの勝利で、レイ、ヒュルカニア、ギーラーンは聖王国の支配下に落ちるのが確定し、パルタヴァ王国の勢力範囲はアスタラーバード以北まで後退した。しかし、彼らは未だ九千騎に及ぶ騎馬兵団を温存しており、いつでも反攻に出られるのは間違いない。逆に、版図の広がった聖王国の方が、守備に不安が残る。聖王国の主力は歩兵であり、騎馬隊の戦力が不足していた。
ナーヒードは、歩兵をサナーバードに帰還させると、騎兵を連れてシャフレ・レイに入城した。久しぶりの親族との再会とあり、女王の機嫌はよかった。
ナーヒードは、ファリドゥーンから謁見すると、彼をレイ王に任じた。シャフレ・レイは街道を押さえる最重要の拠点であり、パルタヴァの反攻も予想される地だ。兵も将も揃っておらず、官僚もいない。ファリドゥーンは、流石に苦笑いをした。
「アールヤーンの諸王の王、翡翠の女王よ、暫くは兵を貸してもらわねば、この地の防衛すら難しいぞ」
「ヒシャームと騎兵二千を駐留させよう。名目は、レイ、ヒュルカニア、ギーラーンの三州都護だ」
「ヒュルカニアとギーラーンにも王を置くつもりか?」
「ヒュルカニアはシャープールに総督を続けてもらう。ギーラーン王には、ザールを置く」
シャープールには持っている兵力があるし、ザールもダイラム人を雇うことができる。それなりに三州の防備は整うかもしれない。
「アルシャクもアルダヴァーンも、このまま黙ってはいまい」
「しかし、パルタヴァ騎兵相手に決定打を与えるのは難しい。ミフラーム伯爵の騎馬隊は、罠に嵌めて全滅させたようだが」
「和を講じることも考えておけよ。彼らは負ける戦はしない。例えば、ハーラズムから敵が侵攻してくれば、こちらと停戦も考えるはずだ」
ハーラズムは、かつてパルタヴァ騎兵の母体であるダーハ人が遊牧していた地域である。彼らが南下して空き地になった後は、マサゲトゥ人が東から流れてきて勢力を伸長している。マサゲトゥ人も強力な騎兵を有する遊牧民であり、女王トミュリスは一度アルダヴァーンと戦ったこともある。結果はパルタヴァ騎兵が勝ち、マサゲトゥ人は北に追い返された。復讐を狙っているなら、乗ってくる可能性はある。
「ハーラズムとの国境付近で掠奪をさせよう。物資を渡せば、彼らも話を聞くはずだ。ブハラのサカ人にも動員を頼もう。北が不安定なら、アルシャクも迂闊には動けまい」
ファリドゥーンは、頼りになる叔父であった。知的で高潔な騎士であり、戟を振るえば無双の腕を持つ。シャフレ・レイでパルタヴァとミーディールに睨みを効かせることができるのは、彼しかいないであろう。ザールでは、やや軽い感じがある。
「シャフリヤールはどうするのだ?」
「サナーバードに連れて帰る。サナーバードは芸術の都。あの子にも悪い環境ではないはずだ」
ナーヒードは、サナーバードから都を動かす気はないようであった。スグディアナからギーラーンまで東西を睨んだときに、シャフレ・レイやアスパダナでは西に片寄りすぎる。だが、シャフレ・レイが重要な拠点であることには違いない。だから、ファリドゥーンに任せるのだ。残念ながら、今のナーヒードの官僚の人数では、これ以上の直轄地に対応できない。
「姉さま、まだお話しは終わらないのですか!」
ファリドゥーンとの話が長くなったのに痺れを切らせたか、アルナワーズが謁見の間に乱入してきた。諸王の王に取るべき態度ではなく、過去の王ならば即座に首を刎ねたかもしれない。だが、ナーヒードは妹には甘かった。彼女は叔父に話が終わりであると合図をすると、妹に向き直った。
「いや、もう終わりだ、アルナワーズ。よく無事だったな。心配していたぞ」
「真紅の星がいたのです。無事に決まってますわ! それより、姉さま、わたくしも軍に入れて下さいまし。父さまも戦死されて、姉さま一人で戦って来られたのでしょう? これからは、わたくしも姉さまの力になりたいのです!」
素直なアルナワーズの言葉に、思わずナーヒードはほろりとした。だが、遊び程度に騎士の真似事しかしたことのないアルナワーズが、軍で通用するはずがなかった。
「王女の身で無理はするな。騎士になりたいのなら、アナスとフーリに親衛隊で鍛えてもらってもいいが」
「真紅の星に鍛えてもらえるなら、是非それでお願いします!」
ナーヒードは、面倒を押し付けられたアナスの怒りの視線を感じたが、妹のために黙殺した。お転婆王女の喜ぶ姿を眺めながら、アナスはこの先の労苦を思って肩を落とした。