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紅星伝  作者: 島津恭介
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第九章 パルタヴァの英雄 -8-

 ハラフワティーの聖火は、神の領域でもある。聖火を通じて女神はサーリーにもその力を行使してくる。シャフレ・レイで一度味わったことだが、その圧倒的な神力にまず打ちのめされる。


「アシュム・ウォフー真言で光明神(ズィーダ)の領域は確保しているが」


 苦しそうにファルザームは言った。


「長くは保たぬ。急ぐのじゃ」


 アナスは剣を抜き放った。神火で刃をコーティングすると、思い切って部屋の中に足を踏み入れる。不快感はあるが、体の周りにある膜のような光がアナスを護っている。ファルザームの言っていたアシュム・ウォフーの真言の力のようだ。


 聖火が次第に人の形を取り始める。美しい女性の姿をした炎。その姿は明らかに女神を象っている。女神が自らの分身を送り込んできたということだろうか。


 神速(ホダー・トンド)を全開にする。周囲の時間が遅くなり、止まっているかのような感覚になる。だが、ハラフワティーは予想通りその中に割り込んでくる。


 剣の形をした炎が振り下ろされる。疾い。全開のアナスと互角の速度を持っている。


 かろうじて剣で撃ち返す。二撃、三撃と連打が続く。ハラフワティーの剣は格別技倆に優れているわけではない。だが、圧倒的な速度と力がある。今まで技を必要としたことがないのだ。


「確かに疾いし、鋭いけれど…」


 ハラフワティーの怒涛の連撃を全て弾き返すと、アナスは剣を一閃して女神の右手を斬り飛ばした。


「それだけじゃない! 分身なんかには負けないわよ!」


 聖火が揺らめき、再び右手と剣が形作られる。特に大したダメージを受けている様子もない。枝葉を斬っても無駄なようだ。急所を断つしかない。


 ハラフワティーの右手の炎が揺らめくと、剣を象った炎が消え、新たに本物の剣が出現した。神々しいばかりの輝きを放つ白銀の剣。神剣シタを呼び出したのだ。


 次の瞬間、女神の踏み込みが目の前まで迫っていた。アナスは咄嗟に身を捻り、何とか致命傷だけは避ける。だが、左腕をざっくりと裂かれ、血が流れ出していた。今までとは比べ物にならないほど疾い。


 神剣シタから、ハラフワティーの神力が噴き上がっている。女神の神力を帯びた神剣に、斬れぬものはほとんどない。ケーシャヴァの物理無効の神具すら斬り裂いたのである。緊張から、アナスの額に汗が吹き出した。


 アシュム・ウォフー真言の防御がまるで紙のようだ。普通の攻撃なら、まず通さない防御結界が、全く役に立たない。体は分身体でも、神剣の力は本物である。下手に受けることも出来ない。


 上下からほぼ同時に斬撃が飛んでくる。獣の顎のような攻撃に、アナスは双剣で迎え撃つ。神火を纏った剣はシタの斬撃に耐えるが、不気味な軋みを立てて心臓に悪い。


(驚いたものよ。人の子が、こうまで妾の刃を受け止めるとは)


 ハラフワティーが驚嘆の声を上げた。


(神の顕現ですら、こうはいかぬ。意力(マナス)と剣の調和には目を見張るものがある)

「褒められても、嬉しくはないわよ!」


 アナスの連撃を、ハラフワティーは苦もなく剣の結界で弾いた。神速(ホダー・トンド)を使ってすら、女神の剣速に利かあるようであった。


「神力とは、結局意力(マナス)のことなのよ」


 舞踏のように斬り込んでくるハラフワティーから離れると、アナスは双剣を上下に構えた。


「ハラフワティーのが疾いのは、意志の力があたしより上だから…」


 竜巻のように回転しながらの六連撃が襲ってくる。二連撃はかわし、二連撃は弾いたアナスであったが、最後の二連撃に右肩と左の脇腹を斬り裂かれる。肌一枚斬られた程度であるが、じわりと血が滲んできた。


「斬撃は見るんじゃなく、意力(マナス)で捉えるのよ」


 アナスはハラフワティーの意力(マナス)の使い方を必死に盗んでいた。全身から意力(マナス)を放出し、その網に掛かった瞬間に反応する。ハラフワティーの剣の結界の極意を、アナスは短期間で身に付けようとしていた。


「なるほど。ようやく、あたしにも力の使い方ってのがわかってきたわ」


 再度の六連撃をかわしたアナスは、双剣で床に円を描く。双剣の軌跡からは、青白い炎が吹き上がり、アナスを取り囲んだ。


神焔の領域フシャスラ・エ・アーテシュ。この円の中はあたしの領域よ。女神だろうと神剣だろうと、あたしの領域の中では好きにはさせないわ」

(小娘が、面白い)


 ハラフワティーの分身体が、聖火を激しく燃え上がらせた。神力が急速に増大し、部屋の中を威圧感が濃密に支配する。息苦しい。が、アナスの真紅の双眸に、絶望の光はなかった。


 神剣(シタ)がいきなり大きくなる。いや、大きくなったのではない。ハラフワティーの踏み込みが瞬間的すぎて、目が追い付いていないのだ。


 だが、神剣(シタ)が円の内側に入った瞬間、アナスを球状に囲んだ炎の結界が、斬撃を弾き返した。


 女神の体勢が崩れたところに、アナスの一閃が綺麗に入る。胴を両断された分身体は、神力を維持することができず、霧散していった。


(くくく、真に面白き小娘よ。神剣(シタ)の斬撃を弾くか)


 聖火の向こう側から、女神の哄笑が響き渡る。それも次第に薄れていき、聖火が消えるとともに静寂が訪れた。


「ハラフワティーめ、かなり本気であったな」


 神速(ホダー・トンド)を解くと、止まっているように見えたファルザームが動き出す。アナスは大きく息を吐くと、老人の白い髭を引っ張った。


「な、何をするのじゃ」

「肉よ、肉。この貸しは、とびきりの串焼き(キャバーブ)を奢ってもらうわよ」


 アナスは新しい聖火を灯すと、全身の倦怠感を解そうと大きく伸びをする。さすがにあれだけ神速(ホダー・トンド)を常時展開し、なおかつ神焔の領域フシャスラ・エ・アーテシュまで張り巡らせるのには、かなりの神経を使う。脳の疲労も激しかった。


「とにかく、これでシャープールの洗脳は解ける。行くぞ、アナス。シャープールの陣に飛び込み、事情を説明できるのは、翼を持つわしらだけじゃ」

「まさか、これからアールフ・アームートまで飛んで戻るの!? あたし、かなり疲れているんだけど!」

「我慢せい、意力(マナス)は限界がないと言ったであろう」


 ファルザームは、無理やりアナスに炎翼(パレ・アーテシュ)を出させると、(シャヒーン)に変化し舞い上がった。


 敵陣のど真ん中に舞い降り、シャープールごと神焔の領域フシャスラ・エ・アーテシュに巻き込んで事情を説明する羽目になるとは、このときのアナスはまだ想像していなかったのである。


 結果的に、バナフシェフの北上と、シャープールの裏切りが、優位にことを進めていたアルダヴァーンの計画を狂わすことになった。


 だが、未だアルシャクとアルダヴァーンは健在であり、平原では無敵のパルタヴァ騎兵も揃っている。一時退いたとは言え、まだまだ予断は許さない状況であった。

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