第九章 パルタヴァの英雄 -5-
ダイラム人は峡谷の多いアルボルズ山脈の山間部に半農耕半遊牧の生活を送る人々である。農耕は女に任せ、男は山羊や羊の遊牧や、傭兵などを生業とする。峡谷に分断された地形では大きな勢力は作りにくく、家父長による家族単位のまとまりが主である。氏族長もいるが、その支配力は弱く、普段は内部でのいさかいが絶えない。
現在は氏族長の一人であるワシュムギールがダイラム人を纏めているが、別の氏族長が主張するとそれを抑えることは難しい。ただでさえダイラム人は激しやすく、我の強い者たちである。
聖王国は、ファリドゥーンとザールの兄弟が主に折衝に当たったが、その頑固さとプライドの高さには辟易としていた。
なまじ、敵が攻めて来ないのが内紛の原因になるのだろうか。ダイラム人は些細なことでワシュムギールに食ってかかり、またファリドゥーンやザールを白眼視した。聖王国の援軍よりも相手の増援の方が多く、ワシュムギールの決断を失敗だとする者もいたのである。
だが、その日、ついにパルタヴァ王国軍は進軍してきた。サーリーから、シャープールのヒュルカニア総督軍一万が到着したのである。これにより、ダイラム侵攻の兵力は二万二千に膨れ上がり、戦力差は決定的となった。
山麓からギーラーン総督軍の歩兵が登ってくる。崖の上からダイラム人の幾つかの小集団が火槍を投げる。火槍が命中した兵は油が体にかかり、火だるまになった。だが、圧倒的な兵力は散発的な火槍をものともせず、崖の上に登ってダイラム兵を鏖殺した。
山麓の警戒ラインは呆気なく突破された。初めの峡谷に敵兵が迫り、畑を耕していた女たちは慌てて逃げ出した。この峡谷の氏族長が、女たちを逃がすため男たちを集めて防衛線を敷く。緑に染めた長盾が並べられ、突進してくるギーラーン歩兵を受け止めた。
二百人ほどのダイラム兵は、十五分ほどは耐えた。だが、長盾を構えた一人が倒されると、もう戦線は維持できなかった。空いた穴から怒濤のようにギーラーン歩兵が雪崩れ込み、あっと言う間にダイラム兵は薙ぎ倒された。
逃げ延びた女たちによって、ギーラーン歩兵の進軍が伝えられた。次の峡谷の氏族長は、峡谷の入り口に黄色の長盾を並べ、近寄るギーラーン歩兵に後方からひたすら火槍を投げ込んだ。此処の氏族は五百を数える大族で、狭い戦場に兵力を生かせないギーラーン兵は苦戦を余儀なくされた。
黄盾の氏族が粘っている間に、紫と白の盾の氏族が増援にやって来た。火力の増えたダイラム兵は、雨のように火槍を投げ込んだ。黄色の壁を突破できないギーラーン兵の被害は甚大なものに上ったが、戦いが二時間を超えるとダイラムの火槍の在庫が尽きた。
「槍! 槍をくれ!」
炭化した屍を乗り越えて、ギーラーン兵が進んでくる。黄盾のダイラム兵は剣を抜いて戦ったが、次々と現れるギーラーン兵にやがて飲み込まれた。紫と白盾の氏族は撤退し、次の峡谷に逃れた。
ワシュムギールからは、アールフ・アームートに撤退するように指示が出た。だが、おのれの領土を捨てることができず、峡谷を防衛線にして留まる氏族も多かった。
この日、ギーラーン兵は四つの峡谷を攻略し、およそ千二百のダイラム兵を討ち取った。ギーラーン兵の損害も二千を超え、スーレーン侯爵は翌日の先陣をヒュルカニア兵に替えることにする。
翌日、峡谷を抜けたヒュルカニア兵は、尾根の上に並ぶ異民族の騎馬隊を見た。スグド人、サカ人、トハラ人などで構成されるマラカンド最強の千騎の登場に、ヒュルカニア兵の背筋が冷たくなる。ハーラズムに近く、常に遊牧民の騎兵の脅威に曝されてきたヒュルカニアの兵士たちは、サカ人の騎兵を見るとそれだけで浮き足立ってしまうのだ。
マラカンドの騎兵は整然と尾根を駆け下りてくる。彼らは弓を構えると、矢を射掛けながらヒュルカニア兵の先頭を掠めるように進んだ。
ヒュルカニア軍団の先頭が崩れるところに、更にロスタムを先頭にしたマーリーの千騎が突っ込んでくる。小山のような黒馬ラクシュの突進を受けた者は、その馬蹄に踏み潰されて命を落とす。辛うじて馬蹄を避けても、獅子断ちの神剣の一閃が、ヒュルカニア兵の胴を両断していく。
二千騎の突撃を受け、戦列を崩壊させたヒュルカニア歩兵は、一時後退を余儀なくされた。替わって前線に出てきたのは、ミフラーン伯爵とソーハ伯爵の騎兵三千騎である。逃げるロスタムを追ってバフラムとイシュトメーグが尾根を駆け上がっていく。すると、逆の尾根からファリドゥーンを先頭にしたファリードの千騎が出現した。
雄牛の三叉戟が一度振るわれると、周囲の兵の首が無造作に刈り取られた。後退したヒュルカニア兵は更に押し込まれ、ファリドゥーンは無人の野を進むが如く突き進んだ。
だが、ヒュルカニア兵が二つに割れ、シャープールが現れると、ファリドゥーンの表情が曇った。稀代の剣士であることは勿論厄介だが、彼を討つとナーヒードが哀しむのがまた問題だった。
王家の名剣マルグレがファリドゥーンに襲いかかる。鋭い斬り込みに、ファリドゥーンも受けるのに手一杯になる。シャープールの剣は洗練されており、隙と言うものは見当たらない。それだけに、やりにくい相手だ。
そこに、エルギーザの援護の矢が十数本殺到した。シャープールがマルグレで捌いている間に、ファリドゥーンは退却する。此処は、歩兵を蹴散らしたくらいでよしとするべきであろう。
一方、ロスタムを追ったミフラーン伯爵は、山あいから現れたヒシャームの騎馬隊に横撃を食らっていた。ど真ん中を食い破られたバフラムは、そのまま騎射を放ちながら左後方に回り込み、ヒシャームを包囲しようとする。だが、ヒシャームは予想を超えた速度で急追し、バフラムを黒槍の範囲内に捉える。電光のような突きが繰り出されるが、そこに必死にバフラムの部下が割って入ってくる。十騎ばかりの騎兵を突き落としたときには、バフラムは槍の圏外に逃れていた。
小競り合いを繰り返した。バフラムもイシュトメーグも騎兵の運用はさすがに手練れである。なかなか隙は見せない。
そのとき、バフラムの後方に退却してきたファリドゥーンが現れた。マーリーが部下を展開させ、ファリドゥーンを先頭に後方からバフラムの部隊に突っ込む。ヒシャームとロスタムも同時に動いていた。この機を逃す手はない。
だが、バフラムとイシュトメーグは、それぞれ左右に分散し、呆気なく戦場を離脱していった。後を追撃しようとすると、逃走しながら騎射を放ってくる。このあたりの動きは、アルシャクにそっくりであった。不利と見ると戦わない。退却しながらでも撃ってくる高い騎射の技術がそれを可能にしている。
損害を顧みずに追撃すれば、どちらかの首は取れなくはない。だが、それではスーレーン侯爵と戦えなくなる。あくまで、あの二人は前哨戦であった。しかし、その二人ですらあれだけ手強いのだ。パルタヴァの英雄と対峙したときは、本気を出さざるを得ないだろう。それだけの怖さを、ヒシャームは認めていた。