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L-1

 俺は毎晩、仕事から帰ってから近所をランニングする。距離はおよそ五キロ。

 今は「健康ブーム」だが、ダイエットとかそういうのではない。

「ダイエット」は本来「食品」という意味だが、今は関係ない。

 体力づくり、というわけでもない。そんなもの仕事をやってれば嫌でもつく。

 俺がランニングする理由は――考え事をするためだ。

 考え事に集中するのは、人によったら、風呂に浸かっているときだったり、ベッドに入った寝る直前だったりするかもしれない。

 だが俺の場合は、ランニングしている今この時が、一番それに集中できる。

 適度に体を動かしているからとか、そんな理由だろう。

 考え事の内容は、今日の仕事のことだったり、明日のプレゼンのことだったり、今晩の夕飯のメニューのことだったり、これからの人生のことだったり、まあ、他愛のないことだ。

 時間が夜なのは、朝はばたばたして時間がないから。俺はどちらかといえば夜型だし。

 (なま)(ぬる)い夏の夜の風を浴びながら、俺はジャージ姿で汗だくだくで走る。

 ――満月の照らす、農道を。

 今日は雲一つないいい天気で、深い藍色の空に、ぽっかり穴の開いたように黄金色(こがねいろ)の満月が浮かぶ。

 ……俺は、満月が嫌いだ。

 満月が嫌いなら、別に満月の日の夜に走らなければいいのだが、満月を嫌う俺は当然ほぼ満月な月も嫌いなわけで――そうなると一月(ひとつき)の三分の一を俺はランニングできないわけで、だから俺は毎晩の習慣を優先しているのだ。

 満月が嫌いな理由は、満月が明るすぎて星が見えないから。

 そして。

 十年前の満月の夜に、俺の両親と双子の妹が、強盗に殺されたから。

 正しく言えば、妹は、十年前から失踪したまま。

 俺も妹も、まだ十四歳で。彼女はアパートの一階、寝室の窓から強盗に連れ去られた。

 彼女の最期の言葉は。

『たすけ――』

 警察も、恐らく今では探してなどいないだろう――犯人さえ、手掛かりも摑めていない。

 俺も、もう何年も前に諦めた。

 ランニングを始めたのも、その頃だ。

 それから俺は母方の祖父母の家に預けられ、大学まで行かせてもらって、二年前に二流の企業に就職して、今に至る。

 祖父母は二年前、俺が就職した途端に、「私たちの役目は終わった」とでも言わんばかりに、立て続けに亡くなった。葬式と墓の資金は彼らの遺産で(まかな)われ(付け加えると両親の墓は親族のカンパで建てられ、妹の名はまだ刻まれていない)、彼らの家は俺が受け継いだ。母は一人っ子で、家を受け継げたのはそういうわけだ。

(ああ、なんでこんなに満月は美しいのか)

 嫌いでも、綺麗だ。

 だから余計に、嫌いだ。

 俺はたぶん、一生満月を好きにはならないだろう。

 そう、たとえ――


「おにいちゃん」


 ――たとえ――


「おにいちゃん、ってば」


 俺はぴたりと立ち止まる。

 こんなことを考えてるから、幻聴がするんだ――今日で、あれから十年と十日。

 俺は、何もないと言い聞かせて、だが少し、ほんの少しだけ期待をして、振り向く。


「おにいちゃん、久しぶり」

 ――たとえ、妹が帰って来たとしても。


「……ただいま」

 そこには、妹が立っていた。

 俺は言葉を失う。

 その理由は。

 十年失踪していた妹がそこにいたから。

 それ以上に彼女が、

 ――十年前の姿のままだったから。





 そこにいた妹、エルは、服装こそ違うものの、十年前最後に見たときと同じ姿で。

 ゴキブリをも想起させかねないほど、茶黒く月光を反射する腰まで伸びた髪。

 それと正反対の、清楚さ溢るる真っ白なワンピーススカート、そして、紺色で半袖のパーカー。

 十年前に彼女の成長が止まっていたとしても、彼女はあまりにも幼く、まるで年月を経ていないかのようで。

「おにいちゃん」

 俺のことを、そう呼んだ。

「エル、お前……」

 俺は、目の前の光景が信じられずに。

「十年前も俺のこと『おにいちゃん』なんて呼んだことなかったよな!」

 信じられないことを口走っていた。

「ふふっ、変わらないね、リンは」

 そう言ってエルは、口元で右手を軽く握って、微笑む。

 その姿は、変わっていなさすぎて、変だ。

 ……変なこと口走ったせいで、エルと再会した衝撃もどこかへ吹き飛んでしまった。

 この現実を疑うことさえ放棄して――たとえ、いっときの夢であっても。

 今いるこの場所が現実かどうかなんて、形而下にいる俺たちには「そう」思い込むしかないのだが。

「っていうかお前、何で――」

「そんなことより、立ち話もなんだから、帰ろうよ」

 彼女はそう言って俺の隣に寄り添ってくる。

 俺の腕に、抱き着いてくる。

 身長は、俺の肩ほどもない。

 袖から覗く腕は白くて細いが、母を求める赤子のように、その握力は力強い。

 俺はその手を引いて、歩いて家へと向かう。

「なんだから、ってそれ俺の言うセリフだろうよ」

 そう言う俺からも、なぜだか笑みが零れる。

 祖父母がついに死に、天涯孤独となって二年。

 また俺に、家族ができた。

「……ありがとう、帰って来てくれて」

 俺は自然とそう呟いていた。

 彼女を見ると、彼女は俯いて、

「私こそ、ごめん。十年も家に帰れなくて」

 でも、と言葉を続ける。

「帰れなかった。いろんな理由で」

 最後の方は、ほとんど消え入っていた。

「その理由は、言ってはくれないのか?」

 俺が訊ねると、彼女は俺の顔を上目遣いで見て。

「家に着いたら、それも全部話すから」

「それなら――」

 俺がエルを肩車して家まで走ろう、と言おうと思ったのだけれど。

「だから、家までゆっくり、二人でお話しよう」

 そう言って彼女は、ぎゅっと俺の腕を抱き締めたのだった。



 そこから、家に着くまでの十分間にした話は、他愛もない話だ。

 モノローグのような、俺の十年間の話。

 そんななんでもない話に、エルは、俺の目を見て真剣に聴き入っていた。

「へえ」とか「そうなんだー」とか「なるほど」とか、彼女は適当に相槌を打ち、ふんふんと何度も頷いたり、少し考えたり、そんなことをしていた。

 考える素振(そぶ)りをしていても、それはまるで考え事をしているとは思えないようなしぐさで。

「そういえば、エルは俺とは正反対だったな」

そう言って俺は思い返す。

 俺の二十四年間の、その半分以上。

 俺は彼女といたのだから。

 それは、俺の人生の半分以上、という意味ももちろんあるし、俺にとって彼女は、当時俺の半身だった。

「そうだね」

 彼女はその言葉に頷いて、

「リンは、頭脳明晰で堅物眼鏡委員長、って感じで」

「エルは、明朗快活で体力馬鹿委員長、って感じで」

 俺も彼女に頷く。

 ちなみに言っておくと、双子は同じクラスにならないのが通例で、俺と彼女が二人ともクラス委員長であることは矛盾しない。

「って私ただのバカみたいじゃん」

 彼女が自分の胸の前で腕を組んで頬を膨らませて俺を睨む。

 俺はすかさずフォロー。

「いやいや、成績が悪いって意味で、頭が悪いって意味じゃないから」

 でないと、彼女を委員長にしようなどと誰も思わないだろう。

「ああ、そういうこと……って褒めてないじゃんっ」

 彼女は俺の腕をこれでもかと締め付ける。

「いたいいたいいたいいたい」

「あ、ごめんごめん」

 彼女はすぐ俺の腕を離し、今度は普通に手を繋ぐ。

 腕が折れるかと思った……関節を決められているわけでもないのに。

「……要するにお前には、『こいつについて行きたい』って思えるようなカリスマ性があったんだよ」

 頭脳明晰、頭が良くて生真面目(きまじめ)で眼鏡な俺が委員長になるのが当然の流れであるように。

 明朗快活、活発で誰とも仲良く話せる彼女が委員長になるのも必然の流れであった。

 俺は、頭はいいけど運動はからっきし。

 彼女は、運動神経は抜群だけど勉強はぼろぼろ。

 二人合わせて完璧超人、二つの四字熟語に共通の文字を取って付けられた渾名は。

Luna(ルナ) &Sun(サン) Twins(ツィンズ)

 ……うまいこと言おうとして、大失敗した感がある。ま、俺ら二人の名前には、「日」も「月」も入っていないもんな。そんなうまいこと名前付けられたら、コピーライターにでもなれるよ。

 十年前のあの日からは、「Sun(サン) Twin(ツィン)」=「男の(サン)双子の片割れ(ツィン)」なんて、陰で言われていたが。……俺が知ってる時点で、「陰で」はないことは言うまでもない。

 それはともかく。

「そういえば、そんな呼び方されてたよね、『Luna & Sun Twins』なんて」

 彼女はそう呟いて。

「でも、そのとき以上に、」

 その表情が突然に曇る、まるで、夏の夕暮れのように。

「今の方が、その渾名は、ぴったりだね」

 俯いた彼女に、その理由(わけ)を訊ねんとしたとき。

 ちょうど我が家に帰り着いた。立派な日本家屋、たったひとりで過ごすには――これから二人で過ごすには大きすぎる一軒家に。



「だからって、知らない人々が六人も居間にいていい理由にはならないだろう!」

 帰宅したら、広々として中心には庵の跡があるような居間に、電灯もエアコンもガンガンに点けて、見知らぬ男女たちが六人、その庵の跡を囲んで円になって正座していた。みな外見からして俺よりも年上で、スーツに身を包んでいる。しかもご丁寧に室内でサングラスまでかけている。この六人の姿だけ見るとマフィアみたいで威圧感たっぷりなのだけれど、冷房で涼みながら庵を囲んで畳に正座している彼らは、なんだかシュールだった。

「で、あなたがたはどなたがたなんだ?」

 正座してサングラス越しに俺の顔をまっすぐ見つめる彼ら彼女らに、俺は単刀直入に訊ねる。

 するとエルが代わって答える。

「あのね、おにいちゃん」

「苦しくなると俺のことを『おにいたん』て呼べばいいと思うなよ!」

「本性が出てる!」

 しまった!

「それは置いといておいおい追及するとして」

 エルは「小さく前習え」をしてそのまま上半身を横に捻る。「置いといて」のパントマイム。

「驚かないで、聞いてほしいんだけど」

「俺が実際に妹がいるのに妹萌えであることは驚かずスルーかよ」

 彼女は俺のその言葉さえスルーして。

「私、〝吸血鬼〟になったの」

 驚くべきことを告白した。



 この世界には〝吸血鬼〟がいる。遥か昔から。

 俺も聞いたことはある。ただ、もちろんフィクションとしてだ。

「私が〝吸血鬼〟になったのは、十年前の、あの日」

 あの日、俺の家を襲ったのは、その〝吸血鬼〟だったのだ。

 両親を殺し、エルをさらって〝吸血鬼〟にした。

 〝吸血鬼〟はエルをさらって〝吸血鬼〟にして、それで満足した。次の仲間増やしへと向かった。

 だから俺は生き延びた。

「それから十年間、私は、ここにいる六人に育てられた」

 そこまで言ってエルは、その六人を一人一人紹介した。が、そんなこと、記憶に残らなかった。

「そんなこと、なんて言わないでほしいな」

 その中の一人、最年長と思われる四十歳ぐらいの男が言う。もちろん「そんなこと」なんて口に出していないが、彼は読心術にでも長けているのかもしれない。

 彼は続ける。

「私たちは〝無血〟という」

 彼らは正座したまま。

「とりあえず、エルさんとリンさん、お二人様も座って頂けますか?」

 それは言うとするなら俺のセリフだろうが。

 が、俺も胡坐(あぐら)の形で座り、それに続いてエルも、俺の隣に正座する。……結構ぴったり俺にくっついてくる。

「で、〝無血〟ってなんだ? 〝吸血鬼〟って、俺が想像してるのと同じでいいのか?」

 俺が頬杖を突いて、不法侵入者たちに訊ねる。

「まず〝吸血鬼〟ですが、おおかたあなたの想像通りでいいです」

 不死身。

 不老不死。

 人間の血を食料とする。

 血を吸った人間を〝吸血鬼〟にする。

 鋭い犬歯。

 日光に弱い。

 大蒜(にんにく)に弱い。

 十字架に弱い。

 心臓に杭を打たれたら死ぬ。

 銀の弾丸を撃たれたら死ぬ。

 蝙蝠(こうもり)のような翼で空を飛ぶ。

 影がない。実体がない。

 ――以上、ウィキリークス参照。

「〝吸血鬼〟は機密情報じゃない!」

 意外とノリのいい四十歳だった。

 げふん、と一つ咳払いをする四十歳は、話を仕切り直す。

「まあ、だいたい合っているけれど、だいぶ違う」

 彼は姿勢を正し、続ける。

「知られている〝吸血鬼〟とはいろいろとルールが違う。

〝吸血鬼〟は人間の血を吸い、血を吸われた人間は〝吸血鬼〟になる。ただ、血を吸われて〝吸血鬼〟になっても、自分の血を吸った〝吸血鬼〟の眷属(けんぞく)になることはない。日光には弱いけれど、大蒜や十字架には弱くない。心臓に杭を打たれたり、銀の弾丸を撃たれたら死ぬ、ってのはその通り。ただ、影はないけれど、実体はある。そして、ここが大きな違いだろうけれど、」

そこで彼はまた一つ咳払いして、

「〝吸血鬼〟には、主に三つ能力がある」

 そこで彼は、俺の隣に寄り添うエルを見る。

 彼女は毅然(きぜん)として背筋をぴんと伸ばし、そして俺の顔に上目を遣う。

「私にも、三つ能力がある。

 一つ、夜目が効く。暗い中でも、結構な距離まで見える。

 二つ、空を飛べる。蝙蝠のような翼が背中から生えて、その翼で。

 ここまでは、どんな〝吸血鬼〟でももっている能力。いわばデフォルト」

 彼女はそこでこほんと一つ咳払いをして――十年も生活を共にすることで、癖がうつったのだろう。

「三つ目の能力は、人それぞれ、じゃなくて〝吸血鬼〟それぞれに違う、人智を超えた特殊な能力」

 そう言って彼女は、話は終わったとでも言わんばかりに溜息を一つ。

「〝無血〟の説明は、××さん、頼みます」

 エルは、四十歳の名前を呼んで、そう告げる。

「〝吸血鬼〟には、〝吸血鬼〟狩りがつきものです」

 彼は断定する。いや、俺は知らんけども。

「その〝吸血鬼〟狩りにあたるのが、私たち〝無血〟です」

 〝無血〟とは、〝吸血鬼〟に対抗できる唯一の〝人間〟。

 彼は、〝人間〟を強調して言う。

 〝吸血鬼〟に血を吸われても、〝吸血鬼〟にならない。

 〝吸血鬼〟の、三つ目の能力が効かない。

「それに、」

 〝無血〟には、自覚症状がない。

 その人間が〝無血〟かどうかは、〝吸血鬼〟にしかわからない。

「そうなのか、エル?」

「うん、そうだよ、リン。それも〝吸血鬼〟の能力っちゃあ能力かもね。〝無血〟の人が目の前に表れたら、直感的にその人が〝無血〟だってわかるの。それでね――」

「逆に、〝無血〟が〝吸血鬼〟に会うと、直感的にそいつが〝吸血鬼〟であるとわかる」

 そして。

 彼は話を締めるように。

「『〝吸血鬼〟になることは無い――たとえ血を吸われても』。略して〝無血〟です」

 四十歳は、エルの言葉を遮る。

 っていうか名前の由来、こじつけも甚だしいな。

 そんな俺の心中を知ってか知らずか、

 そして〝無血〟についての説明は終わったのか、

 彼は話の矛先を自分の過去へと向ける。

「私たち〝無血〟は、全員、かつて自分の最愛の人間を〝吸血鬼〟にされた」

 だから私たちは、〝吸血鬼〟を恨み、滅ぼさんと活動している。

 そういえば、エルがここにいる〝無血〟六人を紹介したときに、一人一人そんなことを言っていた気もするが、思い出そうとしても出てこない。

「なあ、〝吸血鬼〟と〝無血〟って、世界中にいるのか?」

 ほんのちょっとだけ気になったので訊いてみる。

「たぶん」

「たぶん、ってこういうときって世界中の〝無血〟と協力するもんなんじゃないのか?」

 と、フィクションを参考にした知識を言ってみる。

「まだ、自分たちの周りの〝吸血鬼〟で手一杯なんだよ」

 その言葉は、能力的限界とかそんなのではなく、なんだか言い訳じみていた。

「……で、一番訊きたいことを最後に取っておいたんだが」

 俺は、溜息交じりに、彼に訊ねる。

「なんで〝吸血鬼〟狩りのあなたがたが、〝吸血鬼〟になった俺の妹を十年も育てたんだ?」

 彼は、さすがに足が痺れたのかごそごそと崩して胡坐になり。

「私たちは話し合って、〝吸血鬼〟を狩るために〝吸血鬼〟を仲間とすることに決めた」

 ……また何とも、遅れているな。そこに至るまで、彼らは何年時間を過ごしたのか。

「そう決まってから、最初に我々の目の前で〝吸血鬼〟になった者を仲間にしようと。そしてある晩、〝吸血鬼〟にされたのが――」

「私」

 エルが彼の言葉を引き継いだ。

「ってことはお前ら、俺の妹を見捨てたのか!」

 俺は立ち上がり、激昂した。

「ああ、そうだよ。……いや、これも言い訳じみているが――その吸血鬼の能力が、〝高速移動〟で、止められなかった。彼女を、逃がしてしまった……。吸血鬼の能力が効かないのは、〝無血〟だけだから」

 私たち(〝無血〟)に能力のベクトルが向いていなければ、その能力は止められない。

「だが、リンさんが襲われる前には、間に合った」

 彼はだが、内容の割に全く胸を張っていなかった。

「だって、おにいたんが」

 おにいたんとか言うな、とツッコむ隙さえなく。

「〝無血〟だから、張れる胸なんて、ないんだよ」

 なぜなら〝無血〟は、本質的に〝吸血鬼〟と対抗できる存在だから。

 自覚なしでも、退けられる。

「一応、ありがとう、と、言っておこうかな、……〝無血〟のみなさん」

 エルが何も怒っていないのに彼女のために怒ることは、彼女を責めているような気がして、やめた。

 それに、俺はもう、彼女のことを諦めてしまっていたから。

 彼女のために怒る資格なんて、俺にはないから。

「……つまり、俺が〝無血〟で、俺の双子の妹が〝吸血鬼〟だから、〝無血〟のみなさんが、俺の家にやってきたんだな。〝無血〟日本支部のみなさんが」

「〝無血〟日本中部支部、いや、東海支部だな」

 せまっ。

 ってか〝無血〟ってそんなにいるの?

「いや、わからない。なぜなら〝無血〟は」

「……〝吸血鬼〟にしか判別できないんだろ?」

 うーむ。

「俺がさっきエルと再会して〝吸血鬼〟だと直感しなかったのは?」

「〝吸血鬼〟という存在そのものをこれまで認知していなかったから。彼女が『何者か』だとわかっても、あなたの中にはまだ〝吸血鬼〟という概念が事実・現実として存在しなかったから。彼女の存在を理性では現実だとは到底思えなかったのに、すんなりと腑に落ちていたでしょう?」

……たしかに。

ただあともう一つ、疑問があるのだが。

「なんで十年も、俺とエルを会わせなかったんだ?」

「それはね、リン」

 あ、おにいたんはやめたのね。

「〝吸血鬼〟の三つ目の能力は、〝吸血鬼〟になってから十年経たないと発現しないから」

 ってことは、

「今夜ーー満月の今夜、私の能力が発現する」

 だからさっきは、三つ目の能力が何なのか、言わなかったのか。

「いや、だからって、十年俺と会わない理由にはならないだろ?」

 そう言って隣に座るエルを見遣ると、彼女は顔を伏せる。

 〝無血〟を見遣ると、それぞれ目を逸らす。

「……だって」

 数分の沈黙の後、ようやく、エルは、口を開く。

「人間じゃなくなった私を、リンが、嫌いになるのが怖かったから」

 十年。

 気持ちの整理と、踏ん切りと、――諦めを。

 それらをするのに、十年、かかったのだ。

「嫌いになるわけ、ないじゃないか」

 エル。

 今では、俺の唯一の肉親。

 俺の半身。

 そして。

「俺の、可愛い妹なんだからさ」



 さすがに汗が冷えてきたので(冷房がガンガン部屋を冷やしていたし)、俺はシャワーを浴びることにした。〝無血〟のみなさんには、そのまま居間で待機していただいた。

 十分後、パジャマに着替えた俺は、再び彼らの待つ居間に戻ると。

 一人は、アイスをかじりながら寝そべり。

 二人は、ビールで乾杯し。

 三人は、テレビを見てゲラゲラ笑っていた。

「お前らくつろぎすぎだろ!」

 〝無血〟、どれだけ図太いんだ。

 ちなみにエルは、居間にはいなかった。

「ああ、エルは久々のおばあちゃんちを探検しに行ったよ」

 テレビを見ていた四十歳に訊ねると、こちらを見ずにそう答えた。

 若干迷惑そうに。

「迷惑なのはこっちだよ!」

 俺は天井に向かって叫び、

「お前ら用が済んだなら出てけよ!」

 人差し指を四十歳に突き付けて言うと、

「だって、待機させたのは、リンさん、君だろう?」

 四十歳は、今度はこちらを向いて、しかし呆れ顔でそう言った。

「呆れたいのはこっちだよ!」

 俺はキレながら呆れながら、彼らを再び庵を囲んで正座させる。

 が、ビールを飲んでいた二人は、俺が戻ってきてすぐに眠ってしまっていたので隣の部屋に寝かせた。あいつらビール一缶しか空けてないのに。

 しかも二人で一缶。

「で、俺とエルを〝無血〟の仲間に引き入れに来たんだな?」

 エルが探検から戻ってきたので、俺は仕切りなおして、彼らに訊ねる。

「ああ、そうだ」

 四十歳が率先して答える。

「それで俺とエルに、〝吸血鬼〟を滅ぼしてほしいと?」

「ああ、その通りだ」

 真っ直ぐな目をしてそう答える彼を見て。

「はあぁ……」

 俺は大きく一つ、溜息を()いた。

「お前ら、バカなのか」

 言ってしまった。しかも「?」さえなしで。

「これだけの情報で、俺はなんとなく推理できるんだが、それは俺が大学出てるからか?それとも俺がキリスト教徒だからか?」

 俺は、たぶん、呆れ顔をしているだろう。

「まあ、これも仮説だが」

 と、一応ミスったときの予防線を張る俺が憎い。

「〝吸血鬼〟を滅ぼすことはできないが、」

 俺は、たぶん、にやけ顔をしているだろう。

「〝吸血鬼〟を無害にすることは、できるだろうぜ」



 翌朝。

 俺は仕事を休み(有給はたっぷりあるし、職場の理解力はぱない。『十年前に失踪した妹が見つかった』と言ったら向こうから『……今日は休みなさい』と言われた。……あれ? 今気づいたけどこれ理解したんじゃなくて理解を放棄されてるよね?)、北側の、窓に真っ黒なカーテンを張った部屋で眠っているエルの寝顔を見ている。

 十年ぶりの、彼女の寝顔。

 無意識のうちに、にやにやしてしまう。

 〝吸血鬼〟は、夜明けとともに逃れられない眠気によって、死のような眠りに堕ちる。

 これを〝堕眠(だみん)〟という。

 ……いや、ごめん、うそです。

 ただ彼女は、日が暮れるまで、絶対に起きない。

 俺が、何をしても。

「フフフ、フハフハ、フハハハハハ!」

 妹が眠る部屋でまるで新世界の神のように天を見上げて哄笑する俺。

「フハフハ、ふあぁぁ……」

 とは言っても、俺も彼女に付き合って朝まで起きていたので、眠たくて、入院した主人公をかいがいしく看病する幼馴染よろしく、俺は彼女の布団の横で、彼女の手を握って、眠ってしまった。

 ちなみに昨晩は夜遅くまで〝無血〟の六人は居座り、結局この家に泊まっている。まあ、二人はすでに眠っていたしね。

そんなこんなで、日が暮れた、十九時過ぎ。

 ごそごそという音が目の前から聞こえて、俺は目を覚ます。いや、この場合、「耳の前」か。

 そんなどうでもいいことを考えながらぼんやりとする視界の中、眼鏡を探してその辺を手探りしていると。

 突然。

 目の前にエルの顔。

 大きく開かれた口。

 鋭く尖った犬歯――牙。

「え――」

 俺は、何もわからずに。

 がぶっ

 彼女に首筋を噛まれて。

 がぶがぶと血を吸われていた。

「ちょ、おい、エルッ!」

 俺は彼女の背中をばしばしと叩いて、しかし、

 やばい、なんだこれ、めっちゃきもちいい……!

「はっ、リン! ごめんっ!」

 彼女は驚いて――というかようやく目を覚まして、俺の首から牙を放す。

「……いや、いいよ、気にしなくて」

「……リン、顔、緩みすぎ」

「へっ?」

 顔を触ると、相当筋肉がゆるゆるであった。

 うわ、俺、なんかイケナイ世界にイキそうになっていた……。

「まあ、〝吸血鬼〟に吸血されると一種の快感があって、何度もされるとそれで(とりこ)になるんだよ。眷属、とまではいかないけれど、たいていの言うことは聞くようになってしまう」

 いつの間にか俺の背後に、〝無血〟の六人が集合していた。

「……どこから見ていた?」

「フハフハ、から」

「それ朝だよね?!」

 そんな談笑をしながら。

 ってか、いつの間に談笑できるほど親密になったのかといえば、昨晩。

『明日、〝吸血鬼〟の日本東海支部に連れて行くから、その〝吸血鬼〟無害化作戦を実行してくれないか』

『いいだろう』

 ……この回想の中には談笑できるようになる要素は全くないけれど。

 まあ、その後酒飲みながらいろいろ語り合ってるうちに、だ。

 そしてこれから、その〝吸血鬼〟日本東海支部に向かうのである――到着。

 八人乗りの〝無血〟の車で、俺とエルと〝無血〟全員を乗せて。

 そして、案内されたのは。

 何の変哲もない、住宅街。

 何の変哲もない、一軒家。

 日が暮れて、もう空は真っ暗で、満たす光は満月――から少し欠けた月だけ。

 なのに外から見るその家は。

「灯りが、点いていない」

 点いていなくても、〝吸血鬼〟だから、見えるのだろう。

 点いていたとしても、遮光カーテンが引かれているだろう。

「では、突入しようか」

 そう言ったのは、四十歳。

「そうだな。行くぞ、エル」

「うん、リン」

 エルを先頭に、俺と〝無血〟は、その家に向かう。

 インターフォンも押さず、玄関の扉を開ける。

 がっしゃん

 エルは、鍵など問答無用で、力ずくで扉を開く。

 〝吸血鬼〟は、問答無用で、力持ちになるらしい。

「誰だッ!」

 そう言って、その家に住んでいた〝吸血鬼〟六人が、同時に玄関に向けて、顔を出す。

 そのとき。

 その〝吸血鬼〟六人は、ぴたりと動きを止めた。

 それが、エルの能力らしい。

 ――〝時間停止〟。

 エル以外の、地球上全ての時間の流れを、止める能力。

 期間は、およそ五秒間。

 俺と〝無血〟に能力のベクトルは向いていないけれど、いやだからこそ、俺たちは動きを制限される。〝無血〟の俺たちに限っては、意識はあるのだけれど。

 ――動きを、止められる。

 〝吸血鬼〟どうしが戦うとき、その優劣がつくのは、「三つ目の能力」と「膂力(りょりょく)」による。

 まあ、膂力なんて、三つ目の能力が拮抗したときにしか、決め手にならないのだけれど。

 エルは、俺たちが動けない中、〝吸血鬼〟たちが動けない中、目にもとまらぬ速度で全員を俺たちのいる玄関まで連れてきて、そして、制圧した。

 一瞬、の、できごと。

「なっ――」

 彼ら六人は、それ以上何も言えずに、俺たちの前に、横たわる。

 そう、彼らは。

「……久しぶりだな」

 四十歳が、目の前の、〝吸血鬼〟の(ねえ)ちゃんに言う。

 彼ら〝吸血鬼〟六人は、全員。

 彼ら〝無血〟六人の、最愛の人間だった。





 作戦。

 というか、ネタ晴らし。

『〝無血〟は、〝吸血鬼〟にされた肉親か非常に近しい者がいる』

『〝無血〟は、〝吸血鬼〟に血を吸われても〝吸血鬼〟にならない』

『〝無血〟は、〝吸血鬼〟にしかそれとわからない』

 答えは、シンプルだ。

『〝無血〟は、〝吸血鬼〟が〝人間〟を襲わないために、血を与えるために存在する』

 〝吸血鬼〟は、もともと被害者で。

 その被害者救済制度が――〝無血〟であるのだ。

 だから、逆に言えば〝吸血鬼〟にされた人間の最愛の人間が、〝無血〟になる。

 或いは、〝無血〟として生まれた人間の最愛の人間が、〝吸血鬼〟に襲われる。

 ……後者の説は、……とても残酷な予定説だな。

 〝無血〟は、〝吸血鬼〟に血を吸われてもそれにならない。

 ――〝吸血鬼〟を救える、唯一の存在。

 もちろん、血を吸われすぎれば〝無血〟でも出血多量で死ぬだろうけれど、〝吸血鬼〟が吸いすぎに注意すれば、大丈夫だ。

 ……ってなんだか煙草みたいだな。

 ただ、この被害者救済制度は、その場しのぎでしかない。

 〝無血〟は、〝人間〟なのだ。

 〝無血〟が死んだとき、その最愛の〝吸血鬼〟はどうなるのか。

 ……「残酷な予定説」を取るなら、〝無血〟が死んだとき、その〝吸血鬼〟は、また新たな最愛の人間に――〝無血〟に出会うのだろう。

 それに、最初の吸血鬼が、どこかに必ず、いる。

悲しいほどに、この心に直感――直観が下りてくる。

 その吸血鬼は、被害者(なかま)を、それこそ永遠に増やし続ける。

 ――寂しがり屋の、吸血鬼が。

 〝無血〟が、被害者救済制度だというのなら。

 そんな俺の仮説が正しいというのなら。

 その最初の吸血鬼には――相方となる〝無血〟は、いない。

 その吸血鬼は、一番最初の加害者なのだから。

 ……〝無血〟の六人には、失った時間を、取り戻してもらおう。これからゆっくりと。

 俺とエルは、この十年間を、世界旅行で取り戻す。

 そしてその、寂しがり屋の吸血鬼に会いに行く。

 ――そんなことを考えながら、俺は、いつものようにランニングしている。

 月光の照らす、農道を。

 現在は、時系列的には、〝吸血鬼〟日本東海支部から帰ってきたその晩。

 習慣は、変えられない。

 俺はジャージ姿で、規則的なリズムで呼吸をして、規則的に足を進める。

「リン、お尻痛いっ、一回下ろして」

 俺に肩車されていたエルが、その振動でだいぶお尻をやられたらしい。

「……わかったよ、エル」

 俺は一旦立ち止まり、しゃがんで彼女を地面に下ろす。

 彼女の姿は、長い黒髪をポニーテイルに纏め、服装は、十年前に着ていたジャージ。足元は真っ白なスニーカー。

 めっちゃくちゃ似合っている!

 しかもポニーテイル!

「だからリンはそんなに髪結べって言ってたのか……」

 彼女は呆れ顔だけれど、そんなことはあまり関係がないのだ。

 逆に「いやいやする」というのもまた一興!

「……もういいよ、リンの変態性はわかったから」

「この程度で俺の全てを見たと思うなよ!」

「この程度、って更なる変態性が?!」

 そんな話をしながら、俺と彼女は再び走り始める。

 もちろんペースは、小さい彼女に合わせて。

「そういえば、その(ばん)(そう)(こう)

「ああ、これ? 首の傷を隠すためだよ」

 首筋に二つ、平行に貼られた絆創膏。

「吸いたくなったら剥がしてくれ」

 わかったよ、とエルは頷く。

 そして。

「月、綺麗だね」

 エルが言い、

「……ああ、綺麗だな」

 俺も頷く。

 今日の月は、満月より少し欠けた、ほぼ、満月。

 満月は、嫌いだ。

 嫌いでも、綺麗だ。

 だから余計に、嫌いだ。

 でも、隣に彼女がいるのなら。

 でも、(リン)彼女(エル)がいるのなら。

 嫌いでも、大丈夫だ。

 俺とエルは、手を繋いで夜道を走る。

 明日、明後日にでも、俺たちは世界旅行に出かける。

 俺とエルの、十年間を取り戻す旅。

 寂しがり屋の吸血鬼を、助けに行く旅を。

 ――幸い、有給はたっぷりあるのだ。

ご静「読」ありがとうございました.

隣くんをキリスト教徒にした理由は今となっては不明であります.

テーマはありますが,それはもしこの物語を最後まで投稿できたら,まあたぶんわかると思います.

……一応「連載」にしていますが,これはこの短編でひとまず一区切りです.

既に書いてある「続き」を改稿している時間がまっっっったくないのですorz


長くなりましたが,それではまた.

(2011年6月に書いたものを加筆・修正しました)

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