12月:……?
流れる月日を早いと受け取るか遅いと受け取るか。事実として時が加速したり減速したりする訳がないから、それは感じ方の問題だろうーーもっと言えば、時間の経過に意識を傾けているか否かの話だ。
何かに没頭していれば時間など意識の外に出てしまうし、退屈な時はこの時間早く終わらないかなとついつい時計の針を眺めてしまう。
私の場合は前者だろう。平日は授業を受けて部活に励んでいれば、いつの間にか夜になっている。そして、部活もない休日もまた寝ていたら勝手に夜になっている。
そうして、1週間、1ヶ月と過ぎて行くと、ここで初めて時間の経過に驚く訳だ。
もう12月か、とね。
学生生活という時間制限のかかった日々が、そして時間の経過が早いと、嫌でも焦燥感が湧く。もっとやれることはなかったのか、とか。もっと有意義に過ごす方法はなかったのか、とか。いずれも先に立たない後悔に過ぎないのだけれど。
私は私なりにベストを尽くしたつもりだ。白羽の矢が立った女子卓球部部長の役目もつつがなくやれていて、試験でも狙った通りのそれなりの点数を出せていて、交友関係にも問題がない。
忙しい日々だけれど、まさしく青春を謳歌できているといった感じだ。
私の日常はとても充実している。
なんて嘘だけどね。
本気にした? 人の言うことなんてアテにしちゃダメだよ。いわんや、私の言葉をや。呼吸をするように、もっと言えば皮膚呼吸をするように嘘をつく私の言うことを信じるのは推奨できない。
小学生の頃に読んだ江戸川乱歩の少年探偵シリーズに登場する、怪人二十面相という人物が居る。彼は変装の達人で、老若男女問わずあらゆる人物に化けられる。そんな彼は自ら、「あまりに顔を変えられるので、素顔を忘れてしまった」というようなことを言ったらしい。当時読者だった私はそんな大袈裟なと思ったけれど、今となっては彼の気持ちがよくわかる。
私も本当の自分を忘れてしまった。他人を騙す前にまず自らを騙しているくらい筋金入りの嘘つきだからね、自分に騙される前の自分を思い出せない。
世間様には真実を貴ばれる風潮があるが、そんなものは所詮綺麗事の絵空事。実情は結果さえ出せればそれで良い。勉学に励みながらも部活動に勤しみ、友好的な人間関係を周囲と築けている女子高生というラベリングさえできていれば、誰も過程など気にしない。
過程なんて結果を出した後でどうにでもでっち上げられる。そんなものに価値などあるものか。
というのが私の本音なのだけれど、その本音すらただ悪ぶっているだけかもしれない。うん、だから、私の言うことなんてアテにしちゃダメなんだって。
それよりも真実味に近いことを言わせてもらえれば、私は少々疲れていた。
私でない私を演じるのは慣れているとは言え、その疲労がゼロにはならない。故に、休日は部屋で一人で寝ていることが多い。
大晦日の今日もその例に漏れず部屋で一人でごろごろしている。一人は良い。誰にも気を遣わなくて良いから楽だ。
人が一人では生きていけないのは重々承知だが、私のような奴は一人の時間をある程度設けないと生きていけない。気づまりして破裂する。みんながみんな、みんなと一緒が良いとは限らないのだ。そんなもの、教室や部活動で間に合っている。
そんなこんなで、一人静かに年を越そうと思っていたのだけれど。
「…………」
年の瀬に私のスマホが着信を知らせた。しまった、電源を切るのを忘れていた。
バックれるか否か迷ったけれど、リンからの電話だったので、しょうがない、私は電話に出ることにした。
「はいはーい。どうしたの、こんな時間に」
いかにも今までのんびりしていた感を出して言った。これに関しては事実なんだけれど。
『ユウキ、あのさ、……今からお家に行っても良い?』
「へ? ウチに?」
『う、うん。ダメ、かな?』
『ダメも何も、え、何で? おじさんとおばさんはどうしたの?』
『……。お父さんとお母さん、今日も仕事で居なくて』
「……あぁ」
リンの両親は少々特殊な職種に就いていて、それもかなりの売れっ子のため家を空けていることが多く、大晦日の今日でさえも仕事があるということか。
あの人たちはリンのことを大切にしていて、一緒に居られる時間を精一杯使ってとても可愛がっているけれど、それでも、普通の家族が何でもない時間を共有することで埋めているものが、リンには圧倒的に欠けている。
だから、リンは可愛い嘘をつくーー私に較べたら本当に可愛らしい嘘を。
「わかった。ちょっとウチの親に訊いてみるー。急だから、良い返事ができるかわかんないけどね」
そう言って一旦電話を置きつつ、私の脳内は既に算段を立てていた。
冷蔵庫に入っていたお酒の種類と量からして、両親はほろ酔い程度には飲んでいる。また、リビングで毎年恒例のバラエティー番組を観ているだろうから、機嫌は良いはずだ。
その上で、二人はリンの家の事情を知っている。そこに付け込めば……。
「お父さん、お母さん、ちょっと良い?」
「リン、大丈夫だよ。近い距離だけど気をつけて来てね」
案の定、あっさりと許可が降りた。「リンちゃんも年末に家で一人は可哀想だろう」と。
却下される訳がないと思っていた。ウチの両親は善良なる一般市民だ。同情されるべき知己の少女を招き入れるくらいの優しさは持っているに違いないと、信じていた。まあ、これは信頼ではなく、経験から来る推測に過ぎないのだけれど。
既に支度を進めていたのか、リンはほんの1、2分後にやって来た。コートにスヌード、その下はセーターとスカートとタイツ。防寒バッチリながらも可愛らしい格好だった。
「こんばんは。ごめんね、急に来ちゃって」
「良いよ、そのくらい」
リンは私の両親にもペコペコしていたが、適度なところで私の部屋に連れ出した。
人を招いてみて改めて思うが、私の部屋はなかなか綺麗だ。掃除は毎週しているものの、散らかしていない、という言い方が正しい気がする。とにかく、アポありとはいえ、急にリンを部屋に入れても問題ない訳だ。
それにしても。
「…………」
「…………」
この緊張感は何だ。テーブルを挟んで座布団の上に座って向かい合う私たち。しかも正座で。マジで何だこれ。お見合いか?
「本日はお日柄も良く……」
「お日柄も何も、もうすぐ一日どころか一年が終わるんだけど」
「ご趣味は何でしょう?」
「部活で卓球をやっておりまして」
あとは虚言を嗜む程度には。
というか、マジで会話がお見合いじみているんだが。
「どうしたのさ、そんな改っちゃって」
「ユウキにね! 大事な話があるの……」
そう言う声もちょっとひっくり返り気味だ。
何だろうという表情を浮かべつつ、私は推理を始める。
このタイミングで切り出す意味……年末年始の挨拶くらいしか思いつかない。だが、それを“大事な話”とするのは不自然だ。
場所の意味は恐らくないだろう。ある程度、落ち着いた場所なら私の部屋でなくともどこでも良かったはずだ。
他の要因。ここ数日は部活もなくて直接会う機会が少なかったーーそれが関係しているならば、タイミングに意味を見出す必要も然程ない。
残ったものは『私に直接会うこと』か。直接会わなければできないこと、それは何か……?
物思いに耽っていたところで、ふと、目の前のリンが居なくなっていることに気づいた。
どこに行ったのかと立ち上がろうとしたところで、私はその行動が無意味であることに気づいた。気づかされた。
リンはどこにも居なくなっていない。
背後からの気配。私の首元にまわされた腕。背中に押しつけられた体温と柔らかい感触。嗅ぎ慣れた芳香。心臓の鼓動と深呼吸の音。
私はリンに抱き締められていた。
「ちょっと、リン、あんた……」「わたしね、」
特別大きな声量でもないのに、私の困惑は遮られた。
その声色にはこれまでに聞いたことのない決意の色に満ちていた。
「ユウキのことが大好きだよ。世界中の誰よりも」
日付は変わり、遠くからは除夜の鐘が鳴っていた。しかし、そんな客観的な視点は失われ、常に何かしらの思考が張り巡らされた、私の頭の中は真っ白になっていた。