11月: ……わたしたちは知らない
長い期間、連載を止めてしまって申し訳ありませんでした。
今まで読んでくださっていた方々はもう離れてしまってるかもしれませんが、改めて完結に向けて歩みを薦めるつもりですので、少しでも多くの方の心にこの作品が届くことを願います。
ユキ先輩がみんなに見せる微笑みは変わりません。大会が終わってからも部のみんなのモチベーションが下がらないのは、ユキ先輩の熱心な指導のお陰です。
わたしに対してもそう。とても親切な先輩で、公園でお会いした際の一瞬の出来事がまるで嘘のように思えるくらい。
嘘……嘘というのなら、どちらが彼女の本当の姿なのでしょう。
わたしはあの日からユキ先輩を見る目が変わってしまったような気がします。もちろんユキ先輩が大好きで尊敬する先輩であることに変わりはありませんが、そう、これは感覚の話なのです。
みんなに優しいユキ先輩の外面には強い意志の力が張り詰めていて。迂闊に触れようものなら、青白い火花に弾かれてしまうような、そんな感覚。
わたしはそれを恐ろしいとは思いません。むしろ、もっと知りたいと思えてくるのです。好奇心とは違う、零れ落ちてしまいそうになるものを必死に掬おうとするようなものです。
公園でお会いした日以来、わたしは何度かアプローチをかけたのですが、隙のないユキ先輩に上手に躱されて成功せずに、もうひと月近く経ってしまいました。いけませんいけません。
改めて、考え直さなければなりません。そこで、わたしは重要な方のことを頭から抜け落ちてしまっていたことを思い出します。
リン先輩です。ユキ先輩の最も近くに居る彼女ならば、わたしよりもユキ先輩のことを詳しくご存知のはずです。
善は急げ。わたしはリン先輩に訊ねてみることにしたのでした。
「…………」
部活の休憩時間に、リン先輩にユキ先輩のことについて話を振ってみました。が、返ってきたのは重い沈黙のみ。わたしは何か不味いことを訊いてしまったのでしょうか。
「……最近ね、ユウキとあんまり話せてないんだ」
「! そうなのですか?」
言われてみて、わたしはお二人の様子を思い出してみます。しかし、わたしの記憶が確かなら、あくまで部活の時間限定ではありますけれど、先輩方の会話は以前と変わりなくあったように思うのですが……。
「全く会話がない訳じゃないよ。それに、喧嘩もしてないし。でも、最近、わたし他の人と居ることが多くなってきた気がするの」
「……ああ、確かにそうかもです」
わたしとダブルスを組んで以降からでしょうか。リン先輩は他の部員の方たちから話しかけられたり、帰りに寄り道に誘われることが増えたように思います。それに、わたしもその一員ですね。何せリン先輩のダブルスのパートナーですから、コミュニケーションの機会が増えるのは当然のことです。
「もしかして、わたしたち、リン先輩とユキ先輩のお邪魔だったのでしょうか……?」
「ううん、そんなことないの。これまでわたしはずっとユウキにべったりだったけど、最近になって早矢ちゃんたちとも距離が近づいたらね、世界が広がったような気がするんだ」
「世界が広がった、ですか……」
「うん。イメージの話なんだけどね。わたしはずっと広くて暗い部屋の中に居たけど、ユウキがずっと側に居てくれた。部屋に取り付けられた唯一の窓、かな」
暗い部屋の唯一の窓。そこからだけ光が差す、という意味で良いのでしょうか。リン先輩の言葉をゆっくりと呑み下します。
「今では明るくなって毎日がもっと楽しくなった。でも、ユウキがちょっと遠くなっちゃったのが寂しいの」
「リン先輩……」
これは、どちらの方が良いとか、簡単に天秤にかけられるようなことではないのでしょうね。
「わたし、羨ましいです。そんな風に長い時間側にいて想い合えるような相手が居て。リン先輩とユキ先輩は、保育園の頃から一緒だったのですよね?」
「うん、そうだよ。ユウキがこんなにちっちゃい頃から」
リン先輩はわたしのお腹の方を指しながら、そう言います。ユキ先輩は最初から立派な先輩というイメージがあって、子供の頃の姿が想像できません。
「ユキ先輩のそのくらいちっちゃい頃のお姿見てみたかったです」
「ウチにアルバムあるよ。もし良かったら見にくる?」
「本当ですか⁉︎ ぜひぜひっ!」
思わず前のめりにお返事してしまいました。しかし、そんなわたしをリン先輩は笑って受け入れてくれて、そのお姿を見ているとリン先輩は変わりつつあるのだな、と思いました。恐らくは良い方向へと。
後日、学校と部活の両方が休みの日曜日に、わたしはリン先輩のお宅を訪れました。
……すごく大きいです。普通の住宅街の中にも、高級住宅街の中に混じっていてもおかしくないほどの大きなお宅って、たまにありますよね? リン先輩の家はまさにそういう邸宅でした。
門からチャイムを押すとリン先輩が応対してくれて、自ら中から門のところまで来てくれました。
「いらっしゃい、早矢ちゃん」
「こんにちは、リン先輩。……お家とても広いですね」
「ありがと。でも、独りで過ごすには広過ぎるかな……」
「独り、ですか?」
「うん。お父さんもお母さんも仕事が忙しくて、普段あんまり家に居ないの。今日もわたし独りだけ。さ、入って入って」
「お邪魔します!」
家の中に入って、わたしはリン先輩の部屋まで通していただきました。
リン先輩のお部屋は、正確な説明をするための言葉が見つからないのですが、感覚的に女の子らしさを思わせるようなお部屋でした。薄桃色の壁紙にフローリング。クローゼットや棚や机があって、ラグの上には小さなテーブルとクッション、壁に沿う形でベッドが置かれています。
わたしはふと机の上の写真立てに目を奪われました。その写真に写っているのは高校の校門の前で、並んで写るユキ先輩とリン先輩でした。
「リン先輩、この写真は……」
「入学式の時に撮った写真だよ。ふふっ、懐かしいな」
微笑みながら写真を見るリン先輩。わたしも改めて眺めます。制服の着こなしにまだぎこちなさがありながらも、ニッコリ笑ってピースサインをしている二人に、わたしまで微笑ましく思えてきます。
「っと、これよりもアルバムの写真だね。ちょっと待ってて」
リン先輩はそう言って、棚からアルバムを取り出してくれました。……一緒に取り出したものは何でしょう?
「保育園の時と、小学校の時のそれぞれの文集だよ。アルバムを探してた時に一緒に見つかって」
「文集ですか」
わたしも書いたような記憶が薄っすらとありますが、どこにしまったか思い出せませんーー捨ててしまっていても不思議ではないです。それ以上に何を書いたかが思い出せないのですけれどね。
わたしのことはさて置き、ユキ先輩が何を書いたかは興味があります。早速開いてみましょう。
まずは、保育園の時のものを見てみます。
保育園の頃には流石に文集というほどの長い文章はなく、あるテーマについて園児たちがそれぞれ短く答える形を取っているようでした。
テーマは将来の夢。最初に目についたのはリン先輩の名前で、そこには『おひめさま』と書かれています。思わず、リン先輩を見ると、照れ臭そうに笑っていました。
まあ、そうですよね。夢見がちなところは子どもの特権です。
他の子たちも、“ケーキやさん”だったり“サッカーせんしゅ”だったり、高校生のわたしから見たら微笑ましく思えるものばかり。しかし。
「……えっ?」
……思わず、わたしは声を上げて驚いてしまいました。ユキ先輩の書いた文ーー将来の夢は。
“静かに暮らしたい”
とだけ、書かれています。内容も去ることながら、園児たちの中で唯一漢字で書かれているところに目を引かれましたーー小さい子ども特有のぎこちない筆致ではありますが、逆にそれが本人が書いていることを裏付けているのです。
「リン先輩、ユキ先輩ってとんでもなく賢い人だったんじゃないですか?」
「うーん、ユウキって確かに頭は良いと思うけど、そこまで並外れて賢かった印象はなかった……けど、そうか。改めて見ると、ユウキって……」
「そうですね」
リン先輩はユキ先輩と長く側に居るからか、ユキ先輩に対しての違和感がないのかもしれません。
「他の文集も見てみますか」
小学校の時の文集。ここまで来ると、作文と言えるほどの長さの文章になってきます。ユキ先輩はどんな作文を書いたのでしょう。
小学校三年の頃のものがありました。作文のテーマは“友だち”について。
『わたしには友だちがたくさんいます。だれが一ばんの友だちだとかんがえることはありません。金子みすゞさんが「みんなちがってみんないい」とかいているように、みんなにそれぞれいいところがあるからです。(中略)みんなのこせいを大せつにしながら、わたしはふつうでしあわせな生活をおくりたいです。』
「…………」
「早矢ちゃん?」
「ああ、すみません! ちょっと考え込んでしまいまして。リン先輩はこの作文を読んでどう思いましたか?」
「うーん、普通かなって。特に何かがおかしいとは思わなかったよ。早矢ちゃんは?」
「……この作文、普通過ぎるんです」
わたしが今考えていることのせいでそう思えているかもしれませんが、それでもやっぱり、この作文は普通過ぎます。
「作る文と書いて作文ですが、それ以上にこの作文は作り物めいているんです」
「そう、なの?」
「はい」
作文を読んだことで、わたしが考えていることが真実味を帯びているように感じられます。
「リン先輩、今日の最初の目的だったアルバムを見せていただけますか?」
「う、うん。良いよ。どうぞ」
リン先輩からアルバムを受け取って、中を見せてもらいます。
アルバムにはリン先輩の写真は勿論のこと、一緒に写っているユキ先輩のお姿が多くみられました。修学旅行、海、山、運動会、卒業式、入学式、どこかへ遊びに行った時のものなど、数多くの写真が収められています。
何かをしている最中のもの以外、カメラ目線のものは笑顔でピースサイン。勿論定番のポーズではあるのですが、見ていく内に気づいたことがありました。
ユキ先輩はどれも同じ笑顔で同じピースサイン。リン先輩は写真によってはクシャッと笑ったものもあれば、お澄まし顔のものもあったりするのですが、ユキ先輩は何ひとつ変わっていないのです。
「リン先輩……」
それは容易に言葉にできることではありません。
でも、ユキ先輩を尊敬し心から慕うわたしは、ユキ先輩のことが大好きで心から大切にしているリン先輩に、伝えない訳にはいきません。
だから、わたしは言いました。
「わたしたちは本当のユキ先輩を知りません。ユキ先輩は本当の自分を誰にも見せていないのです」