9月:大会は……
休載が長引いてしまって、申し訳ありませんでした。これからも更新ペースにはバラツキが出てしまうかもしれませんが、必ず完結に向けて走り抜けます。
これからも『ユウキとリン』をよろしくお願いします。
広い県営の体育館の中では、多くのジャージ姿の女子高生たちの嬌声が反響している。夏の気温の名残か、あるいはこの場に居る人たちの体温のせいなのか、ここはとても暑い。
今日はわたしたち女子卓球部も出場する新人戦。主に二年生と一年生が出場する大会だ。一年生は今日がデビュー戦となる。
わたしたちの高校の女子卓球部も観客席の一区画にスペースが用意されているのだけれど、すぐ近くに他校の女子部員が大勢いて、ちょっと酔いそうになる。わたしは人ごみが得意じゃない。それに……。
とにかく、わたしはそこから離れた広い廊下にあるベンチに腰掛けていた。ここは人通りが少ないから、まだ気が楽になる。
…………この場所を最初に見つけたのはユウキだ。でも、今この場所にユウキの姿はない。
「リンせんぱーい!」
声の方を振り返ると、後輩の早矢ちゃんが駆け寄ってきた。……本当に近くまで寄ってきた。この娘、パーソナルスペースが狭過ぎる。
「早矢ちゃん、近いよ」
「はわっ、すみません! ……じゃないです! わたし、リン先輩のこと探してたんですよ!」
「探してた? なんで?」
「なんでもなにも、ダブルスの連携についてお話をしたかったんです。相手側の情報がわかりましたから」
「あ、そうだったんだ。ごめんなさい」
「良いんです、まだ時間はありますから! それでは、相手側の情報から。二人のうちのどっちがどっちなのかはゼッケンを見ればすぐにわかると思いますが、三年の鈴木さんは……」
早口で話し始める早矢ちゃん。この娘は生真面目で、アクティブさもある。それに、分析する力まであるなんて、意外だーーもっともわたしが他の人を細かく見極めることをあまりしないから気づかなかっただけかもしれないけれど。ユウキだったら、もっと色んな人を見て色んなことを考えたりするのかな?
「……という訳なんですけど。リン先輩? 聞いてましたか?」
「ごめんなさい、ちょっとぼーっとしちゃって」
申し訳ないことをした。早矢ちゃんはこんなにも一生懸命で集中しているのに、わたしと来たら注意力と集中が足りなかった。生真面目で先輩にも言うべきことをきちんと言えるこの子から、わたしは怒られてしまうかと思ったら、
「良いのです! リン先輩に完全に理解していただけるまで、私は説明を惜しみません」
「ごめんね」
「夢にまで出そうなほど、みっちりお教えします!」
「それはいや……」
早矢ちゃんは、私が考えていた以上の生真面目さんだった。一年生の中でも一番実力のあるこの子は、それ故にプレイ以上の能力が優れているのかもしれなかった。
早矢ちゃんと一緒に居ると、いかにわたしに欠けているものが多いのかがわかる。多くのことができるユウキと今まで一緒に居たのに、こんな気持ちになるのは生まれて初めてだ。劣等感じゃないけれど、それよりも遥か向こうにある薄ら寒さを感じる。気分的に。
とにかく、わたしは早矢ちゃんがまめまめしく教えてくれた相手の情報を頭に入れる。普段、相手の戦術よりも自分のパフォーマンスにしか頭が行かないわたしにとって新鮮なことだ。きっと、ユウキはわたしにそれを学んで欲しくて、わたしと早矢ちゃんにダブルスを組むように、顧問の先生に提言したのだろう。そうに決まってる。
確認が終わったところで、わたしが一人でうろついていたせいもあって、すぐに試合の時間になってしまった。試合の会場であるメインアリーナに行き、軽くストレッチをしてから、顧問の先生のところへ向かう。この先生は卓球経験のない先生なので、応援の檄を入れてもらうだけだ。
ユウキの姿を探す。何か声をかけてくれないかな、と期待していたのだけれど。すぐに見つけたユウキは、他の娘と何か真剣そうな話をしていた。わたしは今回の団体戦の部内の出場順をよく知らないのだけれど、わたしたちの試合が始まる時にまだ試合を始めていないため、わたしたちよりも順番は多分後だ。ユウキはその娘にアドバイスをしているようだ。邪魔をしちゃいけないーー何だか遠慮を強いられているような、そんな気分。最近、このようなことが多い。
心のモヤモヤは晴れないけれど、早矢ちゃんに迷惑はかけられない。頑張って、自分を奮い立たせよう。
試合が始まる。
相手の人と握手をしてから、位置に着く。サービスは相手から。早矢ちゃんと卓球台の下でハンドサインをする。「まずは、定石で」。相手のサービスを短い球でレシーブして、浮き上がって返ってきた球をスマッシュする。四球目攻撃だ。早矢ちゃんが言っていた通り、相手のフットワークはあまり軽くない。この作戦は功を制して、立ち上がりは上々。最初のゲームはわたしたちが取った。
続いて、わたしたちからのサービスだ。サーブはわたしが得意なので、甘いレシーブが返ってくる。そこを早矢ちゃんがスマッシュする。けれど、早矢ちゃんのサーブには相手が対応できており、相手の得点源になってしまう。ひょっとしたらと思って、早矢ちゃんの顔を見てみると、浮かんでいるのは曇った表情だった。どうして、自分のサービスが嵌まらないのかがわからないらしい。
わたしは相手の選手の傾向を考えてみることにした。わたしのサービスは主に短い球を出して、たまに伸びる球を織り交ぜる。相手はこれに上手く対応できていない。一方、早矢ちゃんは回転は変えているものの、全てロングサービスだ。ひょっとしたら、相手は短いサービスが苦手なのかもしれない。
わたしは、早矢ちゃんに伝えることにした。「短いサーブを多く出すようにして、長いサーブは抑えめに」。早矢ちゃんはそれを見て、ピクリと身じろぎしたが、大きく頷いた。
早矢ちゃんのサービスの番になった。今までのサーブとほとんどフォームを変えないままに、早矢ちゃんは短いサーブを出した。相手は虚を突かれたようで、レシーブが甘い。上手く、わたしが三球目攻撃を決めることができた。
試合の流れをもらったわたしたちは、そのままセットカウント3-0で快勝することができた。相手とまた握手をしてから、わたしたちは台から退いて行った。
何だろう、この充実感は。試合に勝てて嬉しいのは当たり前のことなのだけれど、わたしがいつもやっているシングルスの時以上に、わたしはこの勝利が嬉しかった。充実感と達成感と喜びがわたしの全身を駆け巡って、体温が上がっているような気分だ。
早矢ちゃんの方を見ると、彼女もとても嬉しいようで、大きな瞳がキラキラと輝いていた。目が合うと、一瞬にして早矢ちゃんが視界から消えた。あれ? あれ?
気づいたら、温かくて華奢だけど柔らかい感触がした。わたしは早矢ちゃんに抱きつかれていた。……え、ええ、えええ、ええええ??
「あわわわわわ」
「わーいわーい! やりましたね、リン先輩! 勝ちましたよ、勝ちました!」
「わ、わかったから、落ち着いて、ね?」
わたしに抱きつきながらぴょんぴょんと跳ねる早矢ちゃんにそう言うと、彼女はすぐにわたしから一歩下がって、真っ直ぐに気をつけの姿勢で立った。切り替えがとても早い。
「失礼しました。柄にもなく、浮かれてしまいました」
「らしいとは、思ってるよ」
「でもでも、嬉しかったのですよ、本当に。あのリン先輩にアドバイスをいただけたのですから」
「そんな大げさな……」
わたしの困惑など意に介さないように、早矢ちゃんはハキハキとした口調で続ける。
「ちょっと申し上げにくいのですが、リン先輩は一人で卓球をやっているような印象でした。相手を分析して対応するよりも、自分のプレイをいかに上手くやるかを大事にしているような」
「…………」
「ですが、それはわたしの勘違いでした。リン先輩は相手の分析も怠らない方だったのですね。相手やわたしのこともよく見ていて、その上でアドバイスしてくださったおかげで、今回の試合は勝つことができました。本当にありがとうございます!」
早矢ちゃんは四十五度以上の深い角度で、わたしにお辞儀した。「頭を上げて頭を上げて!」と、わたしは焦ってしまう。
早矢ちゃんが堂々とお礼を言ってくれるから後ろめたくて言い出しにくいのだけれど、わたしは元々早矢ちゃんの言う通り、自分のプレイしかしない選手だった。今回、他の人のことを見ようと思ったのは、本当は早矢ちゃんの懸命さのおかげ。
とてもエネルギッシュな娘だから、自分の器から溢れ出た何かが、わたしに降りかかったのんだろうと思う。
この喜びを伝えたくて、わたしはまたユウキの姿を探した。ユウキの試合はもう終わっているから、控え席だろうか。早矢ちゃんに先に控え席に戻ることを伝えて、駆け足でメインアリーナを飛び出した。他の学校の人や観戦に来た人とすれ違いながら、廊下を急ぎ足で行く。
唐突に。周囲から浮いたような雰囲気を、わたしは感じ取った。よく馴染んでいるけれども、たまに別人みたいに冷気を伴っているような、そんな雰囲気。ユウキだ。ユウキがわたしの前方からこちらに向かって歩いてくる。
「ユウキ、やったよ! わたしたち、勝ったよ!」
わたしは彼女に向かって、思いっきり手を振った。周りから子どもみたいに思われても、わたしは全然構わない。ユウキ以外のものの優先度は、彼女が居れば全てゼロに等しくなってしまうのだから。
ユウキも柔らかく微笑んで、右手を挙げる。そのまま近づいてくるから、ハイタッチをするのかと思った。わたしも右手を挙げて、ユウキの右手と触れそうになった手前で、ユウキの手が下がった。そのまま、わたしの頭の上に手が載せられる。
「やったね、リン。おめでとう」
ユウキはそのままわたしの頭に二回ポンポンと手を置いてから、真っ直ぐ歩いて行こうとする。
すれ違う瞬間に、わたしはユウキの横顔を見た。ユウキは歩調を緩めることなく、来た時の早さのままに去って行く。
わたしはユウキを引き止めることができなかった。
わたしはユウキが好き。ずっと傍に居たいくらいに。他の誰よりも何よりも、大好き。
だけど。
わたしとすれ違う時の、わたしを見ていない時のユウキの表情は、まるで伽藍堂のようだった。優しさも嬉しさも悲しさも怒りも、感情も何もない。全くの無表情。
ほんの一瞬、剥き出しのユウキの貌を見て、わたしは初めて彼女のことを怖いと思った。