8月:お祭りは……
遅くなってすみません。季節外れも良いところですが、夏の話です。
八月ももう半ば。わたしはユウキと一緒に、近くでやっているお祭りに来ていた。お祭りの会場である河川敷にはいろんな屋台が並んでいて、多くの人でにぎわっている。
スマホで今の時間を確かめると、一六時三〇分、夕方だ。日が長い夏とはいえ、そろそろ夕陽が差して、空がきれいなオレンジ色になっている。
わたしの隣を歩くユウキは、ふわぁ、と欠伸をしている。眠たいのかな?
ん、と、私の視線に気が付いたユウキはこちらに振り向いて、
「ああ、ちょっと寝不足……って訳でもないんだが、寝つきが良くなくてさ。暑いと寝苦しくて、いっつもちょっと眠たいんだよ、夏は」
確かに。わたしも似たようなものかもしれない。今は全然眠たくないけど。多分、ユウキよりも寝つきが良い方だろうし、いわんやユウキの前をや、だ。
「リンはそんなに眠そうでもないな。良いな良いな、オラに元気を分けてくれ~」
と言って、ユウキはわたしの肩に両手を乗せて揺らし始めた。元気を分けてくれと言われても、むしろ、わたしの方が元気になってしまうよ?
…………ところで、わたしの今の格好に対して、何か言ってくれることはないのかな。
わたし、今、浴衣である。
夏の中でも限られた期間にしか着られない、精一杯のオシャレ。着付けが結構大変で、手伝ってくれる人なんていないわたしだけれど、それでもユウキに見て欲しくて頑張って着て来たのだ。褒めてくれる、と良いな。似合ってないなんて言われたら枕を涙で濡らすことにはなるけれど、何かは思ってほしい。わたしを見て、何かを感じて欲しい。
わたしはユウキに依存してしまっているのだろうか。ユウキのこと以外は割とどうでも良いし、それ以上に大切なものなんてどれだけ考えても、わたしには、もう、ない。他の誰かから気持ち悪い、と思われてもそれすらどうでも良いと思えるぐらいに、わたしの中はユウキでいっぱいだった。
でも、ユウキには言えない。ユウキに伝わって、その上で引かれたら一巻の終わりだ。ユウキが離れてしまうくらいなら、わたしの中に押し込めておけば良い。
でもでも、それでも、時々伝えたくなる衝動に駆られてしまうことがある。想いを共有できないのはやっぱり寂しいから。
心は分かりやすくまとまってくれない。ユウキという一本筋はまっすぐに通っていても、その周りを巡るものはグニャグニャと曲がってばかりだ。複雑だから助かっていることも多いけれど、もうちょっと単純なくらいが楽なのに、と思ってしまうのは仕方のないことだ。うん、仕方のないことなのだ――ところで、この言い訳は誰に対して何を弁解しているのだろうね。
すると、わたしの目の前で手の平がゆらゆらと揺れた。何かと思ったら、ユウキがわたしを心配そうに見つめていた。
「大丈夫か? 歩いている脚は動いてたけど、目線が固定されて、わたしの話をオールスルーしてたぞ」
「マジでですか?」
動揺して、変な丁寧語が飛び出した。
「マジでですよ」
ユウキが悪ノリして、わたしに合わせる。これは別に嬉しくない。からかわれてる。ユウキのぱっちり開かれた瞳が目尻だけ細くなってるのは、その証拠。分かっていても怒り切れないのが、ちょっと悔しい。
「ああ、そうだ。言い忘れてた」
ユウキは、一歩二歩と大股で跳ねるようにわたしの前に来たかと思うと、まっすぐにわたしを見据えてくしゃっと笑った。
「あんたの浴衣姿、超かわいいよ♪」
う、うきゃぁああああああああああああああああ!
別に浮かれてませんよ。全然喜んでませんよ。
ユウキにわたしの浴衣姿を褒められて、しかもスマイルつきで褒められて、欣喜雀躍なんて全くしてませんよ。…………。
…………嘘。すっごく嬉しい。
あまりに大変で何度も「普段着で良いか」と妥協してしまいそうになったけれど、やっぱりユウキには見て欲しかったから。だから、ユウキに褒められて、一番見て欲しい人に見てもらえて、歓喜しないわけがない。泣きそう。
「おーい、どうしたんだよ、今日は? ボーッとしたり、泣いたり、忙しいな。何が悲しいか痛いか知らんが、泣くなよ。ほれ、ハンカチ」
これも嘘。もう泣いてた。ぶっきらぼうな言い方をしていても、わたしを心配してくれるユウキに余計泣いちゃいそうになる。でも、ここは我慢。我慢だ。
「ありがと、何も悲しくないし、痛くもないの」
嬉しくて、楽しくて、大好きなだけだから。
ユウキが言ったように、気持ちが色々と忙しいことになってしまったけれど、落ち着こう。余裕をもって、お祭りを楽しもう。
そんな訳で、この後の花火大会が始まる前に、わたしたちは屋台をまわって食べ物を調達することにした。ユウキはお腹が空いているようだけれど、わたしはそうでもないから、チュロスくらいで良いかな。
わたしが右側、ユウキが左側で手を繋いで歩いていると、焼きそばの屋台が右手にあった。ソースを焦がしたような匂いで充満した、その屋台では、ねじり鉢巻をつけたおじさんが鉄板で野菜、お肉と麺を焼いている。焼きそば一つ、三百円。「ちょっと待ってて」とユウキに告げて、わたしは屋台に近づき、
「焼きそばをひとつ、紅しょうがを多めでください」
そう言って、財布から百円玉三枚を取り出した。おじさんからプラスチックのパックに入った焼きそばと割り箸を受け取り、ユウキのもとに戻る。
「ユウキ、焼きそば買ってきたよ。ユウキの好きな紅しょうがを多めで」
「おっ、サンキュー。私も買ってきたよ」
ユウキが取り出したのは、紙の袋に入ったチュロスだった。しかも、
「ちゃんとリン好みのハチミツ多めだ」
手をグッドの形にして突き出すユウキ。
長い付き合いの賜物。お互いの好きなものの把握と以心伝心は完璧だった。ふふっ。
ちゃんと食べ物を買うことができた(飲み物は水筒に入れたお茶を持って来ている)わたしたちは、今度は場所取りをすることにした。たくさんの人が同じことを考えているから大変だろうけれど、良い場所を見つけられると良いな。
それにしても、
「…………」
たくさんの人がユウキに向ける邪な視線がちょっと嫌だ。ユウキはわたしのひいき目なしに見ても美人だから、その分人の目を良く引く。ユウキはそれから自分を守るためなのか、自分のそういった容姿や能力については全く考えない、または低く見ようとしているのだと思う。自虐的とも違うけれど、それはそれでヤキモキさせられる。直して欲しいところだけれど、しょうがないことなのかなあとも思う。
「ん、どした、腕なんて組んで?」
「いや、だった?」
「いんや。リンがしたいなら別に良いよ」
「やたっ」
まあ、とにかく、ユウキは他の誰にもあげない。
「おっ、リン、あそこなんか良いんじゃないか?」
ユウキがちょうど良い場所を見つけたみたい。早速、ユウキが持って来たレジャーシートで確保しよう。
もうすぐ、花火大会が始まる。
色んな光がいびつな円状に広がる。続いて、お腹の中にまで響くような音が耳に染みていく。
次の花火のぴゅーっと打ち上がる音が大きい。多分夜空に広がる花火も、その音もまた大きいだろう。
わたしは、不意に試したくなった。花火の音と同時に、ユウキにわたしの思いを告げよう。多分、大きな音に遮られて聞こえないかもしれないし、ひょっとしたら、伝わるかもしれない。伝わったら、きっと今のままではいられない、でも、やっぱり聞こえないだろう。
打算が大いにあり得る告白――わたしはずるい。
ずるくて、おくびょうだ。
聞こえないかもしれないと思えば、こんなにも簡単に愛を囁けるのだから。
音が消えた。ユウキの横顔を見る。重く、弾ける。
「すき」
パラパラと火の粉が散っていく音が聞こえる。ユウキは、ゆっくりとわたしの方に振り返り、眉を八の字にさせながら、
「ごめん、花火の音と被って聞こえなかった。もう一度い…………、いや、しばらく、花火に集中していよう。話は帰りながらでも良いか?」
と、言った。返事でない返事だ。
でも、わたしは頷く。
「うん、そうしよう」
わたしがそう言うのを聞いて、ユウキは派手に輝く夜空に視線を戻した。
わたしもユウキの顔を一瞥してから、空を見上げた。いろんな形の花火が輝き、響き、散っていく。綺麗だと思った――――けれど、でも……。
花火大会はどれが最期の花火なのかがわからないまま、いつの間にか終わってしまっていた。わたしたちは、ユウキが言ったように、いっぱいお話をして帰った。今日はお祭りに来れて本当によかった、心からそう思う。
屋台の並んだ河川敷、焼けたソースの香ばしさ、夜空を彩る花火の華やかさ…………でも、その光景よりも、何よりも目に焼きついたものがある。
わたしが夜空に向き直る前に一瞬だけ見えた、ユウキの横顔。
刹那に浮かべた、ユウキの寂しそうな笑みを、わたしは忘れられなかった。
今までもローペースな更新ではありましたが、他の作品に集中したいため、しばらく休載させてください。楽しみにしている方々には申し訳ありませんが、なるべく早く再開したいと思いますので、何卒よろしくお願いします。