2月:ビタースイートバレンタイン
遅くなってすみません。
覚醒したユウキさんをお楽しみください。
お正月を昨日のことのように感じながら、気づけば暦はもう二月になっていました。
節分に恵方巻を頬張っていたかと思えば、二月ももう中旬。みんなの関心の的はやっぱりバレンタインデーです。私の所属する卓球部でもその話題で持ちきりです。私も友チョコを渡し合う約束をしていますが、部のみんなが特に口を揃えて言うのが、
「ユキ先輩には特に気合を入れたものを渡さないとね」
という内容です。
ユキ先輩は元々人気のある方でしたが、最近はさらにその人望が増したように思えます。
何と言えば良いのでしょう、雰囲気がどこか柔らかくなったように感じられて、みんなに親しみやすい存在になったのでしょうね。わかる人ーー例えば私やリン先輩ーーにはわかる、ユキ先輩の纏っていた静かな迫力がすっかり解けたように見えます。
これは大きな心境の変化によるものでしょう。リン先輩から受けた照れながらのご報告を思い出しつつ、私はそう確信するのです。
さて、バレンタインデー当日の放課後なのですが(今日の練習はお休みです)、私は体育館裏に来ていました。勿論、お呼び出しを受けてのことです。
「ごめん、待たせたね」
長い黒髪を悠々と靡かせて、ユキ先輩が現れました。去年までは常にポニーテールで括られた髪が、今では部活中以外は解かれていて、颯爽と歩く姿と揺れる後れ髪が、とてもカッコいいのです。しかし、“本当のユキ先輩”を知る私には、残念ながらユキ先輩のお姿に見惚れる余裕はないのでした。
「あの、ユキ先輩。どうして体育館裏に呼び出したのでしょうか?」
「決まってるだろう。ここは人が来ない。……誰にも邪魔をされたくなくってね」
女神のように優しく微笑む笑顔に、私はガクブルです。そんな私を他所に、ユキ先輩は楽しげにお話を続けます。
「体育館裏というと何だか物騒なイメージがあるけれど、実際のところ、この学校の体育館裏はそれほど遮蔽された場所ではないんだ。プールがすぐ隣にあるし、連絡通路からそのまま繋がっているから、人通りも少なくない」
「その割には人気があまりにないのですけれど」
「今日の放課後は運動部が体育館を使うことはない。水泳部の練習も休みだからプールも使われない。それに、今日という日にコソコソしたい人間は中庭を使いがちだ。普段人気がないのはそちらの方だからね。今日は偶然、この体育館裏は私たち以外に誰も居ないんだ」
「ここまで各所の事情をご存知なのに、この状況は果たして偶然と言えるのでしょうか?」
「偶然だよ。観測し得ない必然のことを人は偶然と呼ぶ。私は何も知らない。早矢も何も聞いていない。……そうだね?」
尊敬する大好きな先輩から脅しを受けました。
ユキ先輩はありのままの真っ黒な性格を、私には隠そうとしなくなりました。喜ぶべきなのか、私が思っていた以上に怖い方だったユキ先輩に怯えるべきなのか、判断に迷うところです。
「ところで、ユキ先輩。肝心の御用の方は何でしょうか?」
「ああ、そうだった。可愛い後輩で遊んでばかりもいられないんだった」
ユキ先輩はそう言って、バッグの中からラッピングされた小さな袋を取り出しました。それはまさか。
「うん。チョコだよ。手作りの義理チョコだ」
「て、手作りなのですか⁉︎」
「美味しそうな売り物を見繕って買うのも良かったんだけど、調べてみたら自分でも美味しく作れそうだったからね。作ってみた」
「あわわわわ」
「ん、もしかして手作りはお気に召さなかったかい? 気持ちはわからないでもない、人の握ったおにぎりを食べられないという意見もわからないでもないんだ、私は」
「いえいえいえいえ! 違います! あのユキ先輩から手作りのチョコをいただけることに、喜びよりも先に驚きが勝ってしまいまして。嬉しいです。とても嬉しいです」
そうかい? とでも言うように、ユキ先輩はシニカルに笑います。
「未だに私は言葉をあまり信じられなくてね。代わりに、親愛と感謝の情をチョコに込めたんだ。……色々と世話をかけたようだから。よく味わってくれると嬉しい」
「ありがとうございます! あ、私も先輩にチョコを持ってきたんです」
私もバッグから包みに入ったチョコレートをユキ先輩に渡します。
「ありがとう。まさか早矢も私にくれるとはね。てっきり怖がられているかと思っていたから」
「そんなことはないです。ユキ先輩はいつだって私の憧れですから」
「……怖がってくれた方が私としては唆るんだけどね」
「私は優しい先輩が大好きですよ!」
遮るように叫ぶ私。
ユキ先輩は最初に出会った頃とはすっかり変わり果ててしまいましたが、やっぱりユキ先輩は私の憧れの人です。
その後、先輩と別れて帰った後で、家でユキ先輩のチョコをいただきました。その丸いトリュフチョコは、ビターな風味の奥底に仄かな甘味を感じられて、まるでユキ先輩の人となりが表れているようでした。
✳︎
「お邪魔しまーす」
間の抜けたユウキの声を聞いて、わたしの方は逆に緊張が走る。ユウキはちょっと用事があるからということで、わたしが先に帰って、後からユウキに家に来てもらう手筈になっている。
関係がステップアップしてからのバレンタインデー。今までだって本気の本命のチョコだったけれど、今年からはさらに大きな意味を持つ。モノは昨夜既に作ってあって、冷蔵庫に冷やしてあるけれど、いざ渡そうとする今に至るまで緊張は続いている。
だって、チョコを渡すまでがバレンタインデーだもの。
「ごめん、待たせた。おじさんとおばさんは仕事?」
「うん。今日も遅くなるか、帰ってこられないんだって」
「そっか。…………ねえ、リン。今のやり取りをラブコメ風にやり直してみない?」
「ラブコメ風」
「そう。もっと恥じらいを持って、視線を少し逸らしつつ頬を赤らめながら、『今ウチ、誰も居ないんだ……』って」
「えー、なんでよー?」
「やってよ」
「でも、何だか恥ずかしいよ」
「やって」
「うぅ……」
ユウキが一歩も譲ってくれない。やるまで話が先に進まなそうだ。しょうがない、ユウキに言われた通りにやってみよう。
「今ウチ、誰も居ないんだ……」
「うん、良いね! 可愛い可愛い」
とても満足そうだ。よくわからないけれど、ユウキがすごく喜んでくれている。わたしも嬉しい。
「それじゃあ、早速チョコレート交換しようか?」
「うん」
わたしは冷蔵庫から、チョコレートケーキを取り出した。ちょっと重いけれど、お皿ごと慎重にテーブルの上に運ぶ。
「美味しそうだな〜……って、ホール⁉︎」
「うん。ホールケーキ」
デコレーションも素人なりに気合を入れて作ってみた。カットケーキだと物足りなく感じてしまって、気づけば立派なホールケーキに仕上がっていたのだ。
「重いな……」
「そ、そう……?」
「想う思いが重いね」
「それはまあ」
「だとすると、私のは随分軽かったかな?」
そう言って、ユウキが出してくれたのはハート型のトリュフチョコ。
「わあ、ユウキのチョコすごく可愛いよ。それに、ハート型だし」
「桃型かもしれないぜ?」
「桃なの? 逆?」
「あるいは鏃型かもしれない」
「ハートに刺さりそう」
「嘘だよ。見たまんまハート型」
そうだよね。うん。ハート、ハートかぁ……えへへ。
わたしたちはお互いのチョコを交換して、早速いただくことにした。
「いただきまーす」
ユウキのチョコを口に入れると、口の中で優しい甘味が広がった。ミルクチョコレートかな? とっても美味しい。一個だけじゃないので、また次のチョコに手が伸びる。うん、美味しい。
ユウキは黙々とわたしのチョコケーキを食べている。昔からユウキは、本当に美味しいものを食べる時は何も言わずに食べ続ける習慣があるから、これはわたし的に最高評価をもらえたということで良いのかな。
ホールの大きさにたじろいでいたようだけど、ユウキはナイフとフォークを使って綺麗に食べ切ってしまった。
「美味かった。明日ニキビができてたら、リンのせいだからね?」
わたし大勝利。
だめ、頬の緩みが抑えられない。我ながら人にあまりお見せできないような顔をしているだろうなと思っていると、ユウキの綺麗な瞳がこちらを注視していた。
「な、なに?」
「こな」
「え?」
「ココアパウダーがほっぺに付いてる。取ってあげるよ」
ユウキの指がわたしの顔に近づいてくるので、そのまま動かずに待機する。すると、ふふっと息を漏らすような音がしたと思ったら、ユウキの顔が急接近してきて。
「ぺろり」
わたしの頬を舐められた。
舐められた⁉︎
「ななななな!」
「ふぅん、こっちはそんなに甘くないね」
ユウキは悪びれもせずに、何事もなかったように舌を引っ込める。悪戯っぽいのに、不思議と色気のある仕草だ。
「ん? リンちゃんったら、ドキドキしちゃったの? ダメだよぅ、このくらいで動揺しちゃ……だって、」
ユウキは再びわたしの顔に自分の顔を近づけて、耳元で囁く。「夜はまだまだ長いんだから」
再びわたしの心臓が跳ね上がる。いつの間にお泊りが決まったのとか、長い夜に何をする気なのとか、色々と訊きたいことはあるけれど、とりあえず一つだけ確かなことがあるとすれば。
わたしの甘いバレンタインはまだまだこれからということ。
最終話は3月更新予定です。




