4月:噓つきは……
新作です。よろしくお願いします。
冬の寒さが引いた実感はあまりないけれど、行く道の桜の咲き具合を見ていると、ああ、もう春なのだな、と感じられる。私たち人間は植物ほど季節の移り変わりに正直ではないのだから、しょうがない。
私のような凡庸な一女子高生なら、なおさらだ。
感受性、容姿、成績、体力、その他もろもろ平均値。そんな私だけれど、変わった友人も居るもので、
「おっはよー、ユウキーっ」
後ろから声高らかに私の名を呼ぶのは、友人のリンだ。大きな瞳に毛先が少し跳ねたショートヘアが印象的で、私と同じジャージに身を包んでいる。別にこのくらいは普通なんだけど、
「今朝のわたしの朝食は、フォアグラパテのバケットだった。美味かったなぁ♪」
「嘘つけ。口の端にイチゴジャムがついてるよ」
リンは呼吸するように嘘をつく。
「リン。あんた、そもそもフォアグラって何か分かってるの?」
「えーと、その、あれ、黒っぽいキノコみたいな?」
「それはトリュフのこと?」
フォアグラはアヒルとかガチョウの…………、いや、あまり考えたくないけれど、まあとにかく同じ高級食材でもフォアグラとトリュフは別物だ。個人的には、そんなやたら値段ばかり高いものよりも、昨晩の食卓に出た好物のオムライスの方が良い。
閑話休題。とにかく、いつもながら簡単に嘘のボロが出るリンである。内心ほくそ笑んでいると、
「ユウキ、なんか悪そうな顔になってるよ」
「まじ?」
内心に引っこめることができなかったらしい。
まったく、正直者には生き辛い世の中だぜ。
「さ、早く行こ。電車行っちゃうよ」
私は頷き、先行するリンを追った。その先には使い慣れた駅がある。最終目的地は私たちの通う高校。
これから、夕方まで部活動だ。
春休みでも運動部は忙しいのである。
重ねて言うけれど、リンは困った噓つきさんだ。
例えば、電車の中では。
「実は今日、わたしの誕生日なんだよねー。何か奢ってよ」
「嘘つけ。あんたの誕生日は三ヶ月後だろうが」
例えば、部活中では。
「どうよ、わたしの新作サーブ! たった今、閃いたんだよっ。スゴくない、この才能?」
「嘘つけ。私に隠れてやってた朝練の成果だろ? 頑張ったと思うよ、コツコツとね」
例えば、帰り道では。
「ユウキー、今日、お父さんとお母さんが居ないからさー。泊まってく?」
「嘘つけ。ほら、これ見ろ。私、LINEでリンのお母さんから今日の夕食に招待されてるから」
といった感じだ。明るい性格も去ることながら、この嘘つきぶりも並々ならぬものがある。
リンとは小学校からの付き合いで、それが今でも続いている。こうして、リンのお母さんにご飯に招かれるぐらいの馴染み具合だ。でも、だからこそ私は言わなければならない。
大切な親友のリンだからこそ、私は伝えなければならないことがある。
翌日。時が来れば自分から話題を切り出そうとしたけれど、ここでも私の思っていることが顔に出やすい特性が災いしたからか、
「ねえ、ユウキ。最近、悩んでることある?」
リンの方から声をかけられてしまった。
「ん? 何故だい?」
「だって、昨夜はお母さんがユウキの好物を作ってくれたのに、なんかあんまり喜んでなかったからさ」
「そんなつもりはなかったんだけどね。美味しかったよ、とても」
私は口角を持ち上げてそう言ったけれど、リンからは睨みつけられてしまった。
「教えてよ。……わたしに相談してよ、ユウキ。わたしたち、こ、……じゃなかった! 友だちでしょ!」
恥じらいながらそう言うリンが可愛い。「こ」の後に何を言いかけたのかが気になるけど。まさか、「子分」とかじゃなかろうな。
って、和んでる場合じゃなかった。
「ありがと。私もリンを大事な友達だと思ってる。だからこそ、言い辛かったんだけどさ」
私は頭をかきながら、リンに告げた。
「私ね、三日後に転校するんだ」
告げられたリンの血の気が引いて行く。目と口が大きく開いて、全身が小刻みに震えている。
「て、てんこうって……」
「うん、転校」
「空の?」
「それは、天候な」
「社会主義とか共産主義から……」
「それは、転向。今は大正か? 昭和か?」
「えと、えと、えと、…………」
「今の家から引っ越しして、学校も変わるの。隣の家に引っ越して、通う学校は変わりませんでしたーなんてこともなし」
「なんでよ⁉ お父さんの仕事の都合とか⁉」
「…………そういう事情じゃなくて、なんというか、私の学校での事情というか……」
「どういうことなの、それ⁉」
「ごめん。それはちょっと、…………言えない」
リンはすがるような目を向けてきて、おぼつかない足取りで私に近づいて来る。
「ねえ、ユウキ。それってさ……」
「………………」
「それって、わたしのせいなの?」
「………………」
私はリンからの視線から逃げるように、――いや、これはまさしく逃げなんだろうな――目を逸らした。とてもじゃないけど、今はリンと目を合わせることができない。
「ユウキ、わたしが悪いの?」
「………………」
「もしかして、わたしが嘘つきだから、ユウキのことを傷つけちゃったの?」
「あ、あのさ、リン、」
「そうなの、ユウキ! わたしが、わたしがユウキを…………」
リンの光彩の失われた瞳が、私に迫って来る。
「リン。リン?」
「ごめん。ごめんなさい。わたし、もう嘘つかないから!噓つきやめるから! 転校なんてしないでよ!」
リンの目から涙がこぼれてきた。私の肩を強い力で掴む。
「リン。痛いよ」
「お願い。お願いだから、わたしの前から居なくならないでよぅ」
「ごめん。でも、もう決まったことだからさ」
可哀そうな友人を、私は慰めることができない。私も辛いけれど、それ以上にかけるべき言葉がなかった。
「リン。私もあんたと離ればなれになって辛いんだ。でも、もう決まったことだから」
「そんな! ユウキ、ユウキ、ユウキ、ユウキ……!」
ついには、リンは私の胸にすがりついて泣き始めてしまった。私も目頭を押さえそうになったけれど、それはいけない。せめて、私だけでも毅然としていなければならないのだ。
「泣かないで、リン。私、あんたに渡したいものがあるんだ」
「え?」
目元を真っ赤に腫らしたリンを離れさせて、私はエナメルバッグからリンに封筒を渡した。
「これは、…………手紙?」
「うん、手紙。受け取って欲しいんだ。口だとリンに伝えたい言葉がまとまらなくてさ」
「今、読んでも良い?」
「もちろん。今読んで」
リンは封筒から便箋を取り出した。中には、こう書かれているはずだ。
『ドッキリ大成功!』
「ちゃっちゃら~♪」
陽気に笑みを浮かべる私に、リンは呆然とする。リンは私と便箋とを交互に見ながら、
「え? ええっ⁉ ど、どういうこと⁉」
「いや、どういうことも何も、それに書いてある通り」
「…………ドッキリ? ドッキリってことは、まさか……」
「そのまさかだ。転校も引っ越しも嘘。大嘘だよ」
私はそうはっきり宣言したけれど、リンはまだうろたえながら、
「じゃあ、本当なの? どこへも行かない?」
「うん。どこにも行かない」
「本当に、本当に、本当?」
「本当に、本当に、本当」
私がそう言った途端、リンは腰が抜けたのか、へたり込んでしまった。やっと、安心してくれたらしい。
が、安心の次は怒り。リンの目が楕円から逆三角形に変わっていく。
「ユウキ! なんでこんな嘘をつくの⁉ 本気で怖かったんだから‼」
「ごめんごめん。でも、たまには私も嘘ついたって良いじゃないか? あと、噓つきリンちゃんにちょっとお灸を据えてやろうと思ってね」
「うっ……。でもでも、だからってひどいよ」
「うん。我ながらやりすぎたと思ってる」
「あれ、でも、昨夜のオムライスの時から微妙な雰囲気だったのは?」
「今日のこの時のための仕込みだよ。名演技だったろう?」
「むーっ!」
本当は違う。一昨日の夕飯もオムライスだったから、せっかくリンのお母さんが作ってくれたけど、いくら好物とはいえ二日連続はちょっとね……。
「それに、あんた、今日って何月何日か分かってる?」
「えっと、…………昨日が三十一日だから……、四月一日。あっ⁉」
四月一日。すなわち、エイプリルフールである。
「正直者の私が嘘をつくには、うってつけの日だと思わない?」
「思わないよっ! 人のこと言えないけど、…………この噓つきっ‼」
「あっはっは」
もう帰ろう、とプリプリ怒ったリンが大股で歩き始めた。いつの間にか手がしっかりと繋がれていたので、私もよろけながらリンについて行くことになる。
嘘をついたり、嘘をつかれたり。
いや、もっと色んなことがこれからもあるだろう。
私がリンの前から居なくなることが嘘で良かったと思うのは、私もリンに負けずとも劣らない。
私とリンは明日からもずっと一緒だ。
こんな噓つきな私たちだけど、自分の気持ちに嘘はつかない正直者でいよう。
悪ふざけに満ちたこの日に、私は馬鹿正直にそう思うのだった。