ここは異世界
「とりあえず売り飛ばされるリスクはなくなったし、改めてこの世界の常識を確認しようかしら」
ケビン達を始末し、当座の資金も手に入れて一安心のエリスは、自身が飛ばされたこの世界に興味を移した。
朝食はオートミールを牛の乳で軽く煮たものが三皿並んでいる。
これはフラウが有り合わせの材料で用意してくれた。
どうやらフラウは料理が得意らしい。
ダイニングテーブルでは、三人掛けの中央に腰かけたエリスの正面にレーヴェが陣取る。
フラウはエリスの左隣を自身の席と決めたらしく、皿もその位置に置かれている。
レーヴェもフラウも無言のまま朝食を口に運んではいるが、二人からは昨日までのとげとげしさは感じられない。
なのでエリスは二人に提案することにした。
「レーヴェ、フラウ。朝食を摂り終ったら、家の周りを見て回らない?」
「そうだな。ここのところ慌ただしくて、市場とギルドにしか出向いていないからな」
「そうですね。お隣を始め、色々と整理しなければならないところもありそうですしね」
お隣というフラウの台詞にエリスは気づいた。
「あれ、ところでフラウ、冒険者ギルドのお仕事はどうしたの?」
「受付ですか?昨日から別の者が担当しておりますよ」
するとレーヴェが横から口を挟んでくる。
「では今はぷーさんということか?」
「失礼な、今の私は冒険者ギルド女子寮の管理人ですよ!」
などという、あまりにも勝手なフラウの職業自慢にレーヴェはつい噴き出してしまう。
さすがにその態度にむかついたのか、レーヴェに対してフラウは挑発するかのように言い放った。
「正真正銘のぷーさん、しかも家出少女の居候が誰の事を笑えるのですか?」
これはまさしくレーヴェの事である。
「私は冒険者だ!」
自身が挑発を仕掛けたことを棚に上げて激昂するレーヴェ。
そんな様子を鼻で笑いながらのフラウからの追撃。
「それなら、少しは稼いでいらしたらいかが?」
ぷつん。
「表に出ろ!」
「望むところよ!」
あーあ。
口喧嘩ではフラウの方が一枚上手ね。
「はい、やめやめ」
思わず立ち上がったレーヴェと、それを受けるかのように立ち上がったフラウを、エリスは面倒くさそうに止めに入った。
仕方がないなこの二人はと、ぶつぶつ文句を言いながら。
さて、なんだかんだで朝食は無事終了。
エリスーエージは二人を伴いながら、改めて家の造りを確認していく。
建物を構成している資材は主に石とレンガと漆喰である。
さらに窓枠などには木材が使われている。
窓にガラスはないが、食器や水瓶陶器が使われている。
レンガや陶器があるということは、焼物の文化はあるということなのだろう。
金属も銅細工と鉄細工があちこちに見られる。
これは鍛冶技術もそれなりに発達しているということを意味している。
火は種火を保存し、薪と木炭を燃料として使用する方式が主流らしい。
ということはつまり、炭焼文化もあるということだ。
一回り屋敷の周辺を見て回ったところでエリスーエージが気づいた点。
それは問題なのは上水道と下水道が未整備だということ。
水は裏の井戸から汲んでくる。
その井戸はこれまでケビン家とアンガス家で共用だったから、今はエリスたちの独占状態となっている。
最悪なのはトイレ。
というか、トイレないし。
トイレがないということは、まあそういうこと。
中世フランス方式というやつです。
「これは何とかしたいなあ」
エリスは二人に聞こえることなく、そうつぶやいた。
それにお風呂も何とかしたい。
周辺に生える木々の種類を見るに、多分この世界も四季がありそうだ。
「寒くなってからも水浴びというのは嫌だなあ」
なので何の気なしにエリスはフラウに尋ねてみた。
「ねえフラウ、お風呂って知ってる?」
すると、何をくだらないことを聞いてくるのかしらこのお人形さんは?という目でフラウはエリスを見つめた。
「エリスは公衆浴場に行きたいのですか?」
「あ、あるんだ」
「でも、あまり気分のいいものではありませんよ」
「なぜ?」
エリスの素直な問いにフラウは露骨に顔をしかめた。
「男どもの視線が鬱陶しいんですよ。それに湯衣が身体に張り付くのも、余り気分がいいものとは思えませんし」
フラウが言うには、この世界のお風呂は混浴だというらしい。
しかも着衣で入浴するということ。
エリスはチャンスとばかりに質問を続けていく。
「お風呂のお湯はどうやって沸かすの?」
「一般的には薪ですよ」
これは風呂についての基本的な仕組みはこの世界にもあるということ。
一旦エリスはここで話をやめ、一旦う屋敷に戻ってからフラウにも自身の能力を説明することにする。
「実はね……」
エリスの説明に信じられないような表情を見せるフラウ。
そこでエリスはフラウの前に自分のショルダーバッグを置いた。
「これは飽食のかばんよ」
「飽食ですって!」
エリスの説明にフラウは心底驚いたような顔をみせた。
その驚きっぷりにエリスとレーヴェも逆に驚いてしまう。
「これ、レア中のレアアイテムですよ!」
「いくらくらいなの?」
「値段なんてつきませんわ!」
フラウの興奮は止まらない。
「このかばん1つで何でも運べるようになってしまうのですよ!」
あまりの剣幕に呆然とするエリスとレーヴェに向かって、フラウは興奮を加速させながら一気に言葉を続けていく。
「飽食のかばんは別名『商人殺し』という異名を持つ魔道具なんです!それはそうです。なぜなら街と街の相場をも容易に狂わせてしまうのですから!ある意味『呪いの道具』でもあるのです!」
フラウの説明にエリスとレーヴェも事の深刻さがようやく飲み込めてくる。
興奮してまくし立てているフラウにエリスがそっと尋ねた。
「それなら、これが2つあるとしたら?」
「ありえません!」
何を馬鹿げたこと言うのかしらと露骨に顔をしかめるフラウの前で、今度はレーヴェが自身のポーチにコマンドワードを唱えた。
小さなポーチからやすやすと彼女の武装を取り出すレーヴェの様子に、今度は真っ青になるフラウ。
「信じられません……。信じられません……」
するとエリスがフラウに畳みかけていく。
「ねえフラウ、お気に入りのかばんがあったら持ってらっしゃい。『飽食』になってもいいかばんをね」
そうエリスに促されたフラウは、信じられない、信じられないととうわ言のように呟きながら自室に一旦戻り、指図されるがままに黒の革製トートバッグをエリスたちの元に抱えてきた。
「これは私のお気に入りのかばんです……」
「それじゃ、見ててね」
エリスは一旦自分のショルダーバッグからしまっていたアイテムをすべて取り出して空にする。
続けて自身のショルダーバッグを右手、フラウのトートバッグを左手に持ち、『魔道具複写』を唱えた。
するとエリスのショルダーバッグから飽食の能力が消え、フラウのトートバッグに能力が移る。
次にエリスは両手のかばんを持ちかえ、もう一度魔道具複写を唱えた。
これでエリスのショルダーバッグはファーストコピー、フラウのトートバッグはセカンドコピーとなる。
「はい完成。コマンドワードは、しまうときには【食事の時間】取り出すときには【出番の時間】よ」
そう教えながらエリスから差し出されたトートバッグをフラウは恐る恐る受け取る。
そして普段ならトートバッグに絶対に入らないもので試してみる。
それは自分が腰かけていた椅子。
それを手に持ち、エリスから教えられたコマンドワードを唱える。
「食事の時間」
すると、椅子はフラウの手からかき消えるようにトートバッグの中へと吸い込まれていった。
信じられない手ごたえに目を見開くフラウ。
そんなフラウの表情をエリスとレーヴェは楽しみながら、彼女に声をかけてあげる。
「バッグの中身を確認してみたら?」
言われるがままにフラウはトートバッグを覗き込んでみる。
と、そこには不思議な世界が広がっている。
バッグの中はいつもと同じ様子。
なのになぜか、その奥に椅子が見える。
手を差し込んでみると、確かに椅子の手触りが伝わってくる。
「次は取り出してみたら?」
エリスに促されるままに、フラウは次のコマンドワードを唱えてみる。
「出番の時間」
すると手に伝わる椅子の感触がみるみるとこちらに迫ってくるのがわかる。
こうして椅子はきれいに取り出せた。
「内緒よ」
ウインクしながら続いたエリスの言葉にフラウは無言で首を縦に何度も振るった。
余りにもあり得ない能力を目の当たりにしたためか、フラウはその後に続くエリスの能力や他の魔道具についての説明は冷静に聞くことができた。
「それじゃ、もう一度散歩に出かけましょうか」
今日のエリスは薄紅色のひざ丈ワンピースに小さな白い帽子。
そこにお気に入りのショルダーバッグを肩から斜めに掛けている。
レーヴェは生成りのチュニックワンピに黒のレギンス。
腰にはシャムシールを茶のベルトアーマーで結わえ、ポーチもベルトアーマーに通されている。
フラウはふわっとした白のブラウスに山吹色のフレアロングスカート。
それに先程『飽食』となった黒のトートバッグを併せた。
まずは屋敷の周りを三人で歩いてみる。
フラウによると、エリスの屋敷は街の東側郊外にあたるとのこと。
エリス-エージにとっては、この風景は閑静な住宅地という印象を感じさせる。
アンガスの家とケビンの家は2棟並んで立っているが、それらの反対側には100メテルくらいの距離まで、別の建物はみられない。
二棟の屋敷を囲む柵は左右50メテルほどの場所に設置されている。
多分そこまでがエリス達の所有敷地なのであろう。
土地は南から北になだらかな上り坂になっている。
街道は屋敷の側から数歩のところに通り、屋敷の北側は丘のようになっている。
北側にある共有の井戸は、勾配となっているために家の敷地よりもやや高いところに作られている。
「ふーん」
そんな風景にエリス-エージは何かを思いついた。
さらに北に向かって歩いてみると、屋敷から100メテルくらいの場所で小川が西から東に向かってに流れている。
小川の幅は10メテルほどで、流れは結構速い。
「ねえフラウ、このあたりは誰かの土地なのかしら」
「この様子ですと所有者はいなさそうですね」
「じゃあ、ここに建物を建てても大丈夫かな」
「この環境なら問題はないと思いますよ」
どうやらこの世界では土地の所有という概念が希薄らしい。
多分それは人口密度がそれほど高くないせいなのだろう。
次に方向転換をし、屋敷から南側の街道を横断してさらに南に歩いて行くと、眼前に湿地帯が広がっている。
なお、当然と言うべきか、湿地帯には建物は見られず自然のままである。
「湿地は土地の利用方法が限られていますからね」
フラウがそう解説してくれる。
「こうしてみると、ワーランの街も狭いものだな」
ナイスレーヴェ。
レーヴェの一言により、エリスは街の名前を知ることができた。
「ワーランは貿易と迷宮探索の中継点というだけの街ですからね。王城都市や魔導都市には敵いませんよ」
フラウが続ける言葉にエリスはさらに学んだ。
考えてみれば、二人は田舎貴族の家出娘と街の顔役の娘である。
なのでエリスが素朴な疑問を口にしなくても、勝手にいろいろとおしゃべりしてくれるのだ。
「それじゃ、探検は一旦終わりにしてワーランの街でランチにしましょう。午後は夜のためにフラウの部屋も片付けなきゃね」
エリスから当然のように放たれた『夜』という表現に、思わずフラウは顔を真っ赤にしてしまう。
アラサーヒキニートは恥ずかしげに頬を染めていくフラウの様子を見つめながら心に決めた。
下ネタは昼間はなるべく封印し、こうしてたまに唐突に使ってやろうと。
街の中心に向かってしばらく歩いていく、街道沿いの家も徐々に増え、人通りも多くなってくる。
街道を進んでいくと、間もなくワーランの中心街に達する。
貿易都市であるワーランは、中心街を大きな商店が占めている。
中心街に向かう四方からの放射状の道には露店が並び、商人たちが仕入れや販売、商品の交換などを威勢よく行っている。
さらにその周りには住宅街は東西南北に広がっている。
なお、街を取り囲む城壁のようなものワーランの街には存在しない。
これはつまりワーランとその周辺の治安はそれほど悪くないということである。
エリス-エージはそう納得した。
「この店はいかがかしら」
三人はフラウの案内で手ごろな食堂にてランチを摂ることに決めた。
給仕に案内されて四人がけの席に三人で腰かけると、すぐさま他の給仕が分厚いメニューを携えてくる。
「この店は豊富なメニューが売りですから、好みの料理が見つかると思いますよ」
フラウの説明を聞きながら、エリスはメニューをざっと眺めてみる。
「へえ、米料理もあるんだ」
エリスーエージは少し驚きながらつぶやいた。
どうやら食文化もエージの世界とあまり変わらないらしい。
これでエリス-エージは一安心できる。
なぜなら、慣れない食事はやっぱりストレスになるから。
気分がよくなったエリスは何とはなしに二人に話しかけてみた。
「これからは自宅での食事当番も決めなきゃね」
そんなエリスの提案に、レーヴェは困ったような表情となり、フラウは逆に勝者の笑みを浮かべている。
「ううう……」
「エリスの食事は、毎回でも私が作りますわ」
両極端な二人の反応である。
う、まずったか。
ここで二人に優劣をつけるのはまずいと、エリスはレーヴェに助け舟を出した。
「私も手伝うから、みんなで作ることにしましょ」
「お嬢……」
エリスの提案にレーヴェはホッとしたようなとなった。
「エリスがおっしゃるのなら」
逆にフラウはちょっと残念そうな表情を見せている。
とりあえず二人が落ち着いたことにエリス-エージは安堵した。
ここで彼女は気づく。
「あれ?なんで俺、奴隷女二人の調整役で気をもんでいるんだ?」
が、自らにに言い聞かせるように言葉を自身に言い聞かせ、納得した。
「まあいい。仲がいいのが一番だからな」
アラサーヒキニートの野望、少し軌道修正である。