おしおきですの
擬態を唱え、『深淵』で闇を瞬間移動するエリスは何人も捉えることはできない。
彼女はあっさりとマルスフィールド公の城に潜入した。
「まずはマルスフィールド公を黙らせておきましょう」
闇から闇へ、影から影へ、エリスは移動する。
そこは公の執務室。
護衛も執事も女中も誰もエリスに気がつかない。
公の部屋を確認し、エリスは窓に回る。
窓の隙間から公の姿を確認。
「眠れ」
公は机に突っ伏した。
続けて公の影に移動するエリス。
「沈黙せよ」
「氷に包まれよ」
氷結の痛みで目を覚ます公。しかし、身体は突っ伏した状態で動かせないし、声も出ない。
「今日はマルスフィールド公を戒めに参りました」
エリスが公の耳元で囁く。
何を言われているのかわからない公。
「正室様と側室様の争いで、獣人街が迷惑を被っておること、早急にお調べくださいませ」
そして睡眠を重ねるエリス。
そのまま眠りにつくマルスフィールド公。
「明日は期待しておりますわ、マルスフィールド公」
エリスは公の耳にキスをし、手紙を置いて、部屋を後にした。
さて、2人はどうしてくれようかしら。
次は正室、ミレイの部屋。
ミレイはランプを灯し、髪を鏡の前で梳いている。その姿は比較的ラフな印象。
「今宵は側室の順番だったというわけね」
エリスは睡眠でミレイの意識を奪う。同時に氷結を唱え、鏡の前での姿勢を維持させる。
そして深淵。
エリスはミレイの背後に移動した。ランプは灯したまま。
沈黙を唱えた後、ミレイの目を覚まさせる。
ミレイの前には鏡。
鏡に写るのは自分。しかし、その後ろには鈍く輝くダガーと黒い影。
「こんばんは。魔王の使者です」
エリスが耳元で囁く。
そして、ダガーをミレイの頬に当てる。
いきなりダガーをミレイの頬に突き刺すエリス。
そしてすぐに引き抜き、全回復を唱える。
「わかっていただけました?」
涙を浮かべ、目だけで返事をするミレイ。
「それじゃ、喋れるようにしますね」
沈黙を解除するエリス。
「あなた方、何が目的なの?」
恐る恐る尋ねるミレイに、エリスは冷たい響きで答える。
「奥様の暗殺ですよ。 奥様と側室様、暗殺やりっこしてるでしょ?」
まさか自分の護衛が抜かれるとは思っていなかったミレイは心底驚く。
「見逃してはくださらない?」
「構いませんよ」
「条件は?」
「お金ですよマドモアゼル」
「いくら欲しいの?」
「いくら出せます?」
「100万リルなら……」
沈黙を唱え、再びミレイの頬を刺すエリス。
「桁が2つくらい足りませんよ」
真っ赤に染まる頬をそのままに、エリスがミレイの耳元で囁く。そして再びダガーを引きぬき、全回復。沈黙解除。
ミレイは失禁してしまった。それでも身体は動かない。
震える声でミレイはやっと言葉をつなぐ。
「ここにそんな大金はないわ……」
再び沈黙をエリスは唱え、次は右の乳房を刺した。そして全回復。
「なければこのまま死にます?」
「金庫はリビングよ、お願い、そこまで取りに行かせて!」
ミレイは懇願する。
「よろしいですけど、護衛の方々も皆お休み中ですからね。静かに案内くださいね」
エリスは沈黙を唱え、氷結を解除する。
いきなり立ち上がり、逃げ出そうとするミレイの尻にダガーを突き立てるエリス。
痛みに転がるミレイ。
「全身真っ赤になっちゃいますよ。奥さま」
ミレイは観念した。
彼女は廊下に出て驚く。
屋敷の中、全員が突っ伏している。
この娘が魔王の手先というのは間違いない。
そしてリビングへ。
ゆっくりと金庫を開けるミレイ。そして金庫が開いた時点で、エリスはミレイに睡眠を解放する。
崩れ落ちる血まみれのミレイ。
「さすが領主様、桁が違うわね」
そこにあるのは大量のリルと黄金、宝石、ギルド為替。
それらをすべてかばんにしまい、エリスは移動する。
ここはアンナの部屋。
ベッドを整え、いつでも殿方を迎えられる準備をしている。
そこでエリスが感じる違和感。部屋の中になにかいる。
その気配は、かつて迷宮でエリスたちが経験したことのある気配。
「へえ、このババア、大層な護衛を飼っているのね」
それは透明の暗殺者
エリスは武器をダガーから狂神のスティレットに持ち替える。
そして気配を探る。
アンナが部屋を行き来するお陰で、かなり気配の場所を絞ることができる。
「見つけた」
エリスは影移動でアンナの室内に移動し、カーテンに剣を突き立てる。
赤く染まる人型。
続けて睡眠を解放。アンナを眠らせる。
「透明の暗殺者を飼っているのなら、なぜこいつをミレイに向かわせなかったのかしら?」
当然の疑問。
エリスはアンナを氷結で固定し、沈黙を唱えた後、睡眠を解除する。
目を覚ますアンナ。
アンナの後ろでダガーを頬に突き立てるエリス。
「こんばんは」
ミレイの時と同様、叫ばないように頬を繰り返し刺して脅した後、アンナの沈黙を解く。
「ミレイの手の者?」
「そうだと言ったら?」
「見逃してくださらないかしら。私はミレイを本気で殺すつもりもないし、殺されるつもりもないから」
そして言い訳を始める。
アンナはミレイを殺すつもりはない。正室なんて面倒なことはお断り。
でも、ミレイが送ってくる暗殺者を返り討ちにするのは楽しい。
ところが、これまでミレイからの暗殺者を始末していたインビジブルアサシンが、今ここで殺されてしまった。
「よかったら、魔王軍も紹介するわよ」
とんでもないことを言い出すアンナ。
「証拠は?」
「これ」
引き出しから1枚の羊皮紙を取り出すアンナ。
そこには悪魔との契約が記されていた。
「私は今が楽しければいいの、死んだ後の魂なんて知ったこっちゃないわ」
ふーん。
エリスはこの女を気に入った。下衆い。非常に下衆い。
この下衆さでどこまで言い逃れをするのか楽しみになった。
「わかったわ、見逃す」
そして睡眠を唱え、アンナを寝かし、契約書を手に取る。
「明日が楽しみね」
エリスは、アンナの契約書を、マルスフィールド公が突っ伏している机に置く。
翌朝のマルスフィールド城は早朝から大混乱となった。
公はまず前夜の夢を思い出す。そして手紙に書かれた、ミレイとアンナの暗殺合戦の事実を確認するため、手の者を盗賊ギルドに走らせる。
更にはアンナが悪魔と契約した羊皮紙が、机に置かれていた。
慌てて部屋を飛び出す公。すると部下が息せき切って公のもとに駆けつける。
「公、奥様が大変です!」
ミレイは血まみれになって金庫の前に倒れていた。金庫の中は空。そしてミレイは血まみれにもかかわらず、傷ひとつない。
「あなた! 暴漢に襲われてしまいました!」
公の姿を見るや、公に抱きつくミレイ。
「アンナはどうした!」
ミレイに抱きつかれるがままに、公はアンナを呼ぶ。
呼ばれるがままに公のもとにやってくるアンナ。
「アンナ! これはどういうことだ!」
公の手にはアンナと悪魔の契約書。
するとアンナはその場で泣き崩れた。
「公をお守りするためには、仕方がなかったのです!」
そして泣きながら続ける。
ミレイが公の命を狙っていたこと。
そのことを告げても、誰も信用してくれないと思ったと。
ならば、自分を犠牲にしてでも、公をお守りしようと、悪魔との契約に至ったこと。
「我が魂は悪魔に焼かれても、私は公をお守りいたします!」
そして突っ伏すアンナ。
「嘘です! その女の言っていることは全て嘘です!」
ヒステリックに叫ぶミレイ。
「ならば、なぜミレイ様はそのようなお姿で、傷ひとつないのですか?」
ツッコミをいれるアンナ。
「これは……」
言葉に詰まるミレイ。
まさか、金庫の中身と交換で命をもらったとはこの雰囲気では言い出せない。
そこに公の使者と、何と盗賊ギルドマスター本人が現れた。
「盗賊ギルドにこの2人が互いに暗殺を依頼していたのは本当か?」
「はい、公。事実です」頭を垂れる盗賊ギルドマスター。
「何故受けた」苛つくマルスフィールド公。
「それが盗賊ギルドの本質であるがゆえに」
「ならば何故ギルドメンバーが暗殺に来ないのだ?」
痛いところを突かれたギルドマスター。
「それは……。我々も本音では奥様と側室様を殺したくはないゆえ……」
「それで獣人街の者を使ったということか!」
「御意」
「何人死んだ?」
「十数名ほど」
机を蹴り倒すマルスフィールド公。
「貴様らは獣人たちを弄んだということだな!」
言葉のないギルドマスター。すくみ上がるミレイとアンナ。
「ミレイとアンナを捕らえよ。罪状は殺人未遂だ!」
「ギルドマスターよ。盗賊ギルドを無事で続けたいなら、貴様は引退しろ!」
マルスフィールド公の指示に従い、キビキビと動く近衛兵達。
ミレイとアンナは捕らえられ、ギルドマスターは城を後にした。
「へえ」
エリスはマルスフィールド公を見直した。
ここは屋根裏。レーヴェの諜報のピアスで、ばっちり4人にも実況中継中。
「これなら心配ないかな」
エリスは4人と諜報で相談し、昨晩金庫からかっぱいだお宝を全て、マルスフィールド公の部屋に戻しておく。
その日の午後、素知らぬ顔でマルスフィールド公の城を訪れた5人。
いつものように落ち着いて5人に応対する公。
ただ、隣にミレイはいない。
意地悪くエリスが公に問う。
「奥さまはいかがなさいました?」
すると、公は事も無げに答えた。
「ああ、私に愛想を尽かして出て行った」
女心はわからんものよと豪快に笑い飛ばす公。
さすが城塞都市を束ねる者ということか。何事もなかったような表情でいる。
「ところで、クレア、魔導都市に行くのだったな」
公が突然クレアに話題を振った。
「はい」クレアの返事に公は続けた。
「お前の両親は今、王命でウィズダムにいる。これまで事情があってお前との連絡は絶たれていたが、勇者が現れた今なら、会うことも叶うだろう」
そして、これを持って行けと1通の手紙をクレアに渡す。
「お前の両親は大学校にいる。校長にそれを渡せば、お前を両親に会わせてくれるはずだ」
ぽかんとするクレア。
「申し訳ないが、今日は立て込んでいるのでここまでだ。また帰りに寄るがいい、ワーランの宝石箱よ」
そして、半ば追い出されるように城を後にした5人。
獣人街では、ミャティとラブラに暗殺中止命令が出されたとのこと。また、長に対しマルスフィールド公からの直接の詫びと、これまでに亡くなった者たちの家族への弔意金が届けられたらしい。
「それじゃ、ウィズダムに向かいましょうか」
「そうだな、後は公に任せよう」
「食材を途中で購入させてくださいね」
「魔導都市かあ」
「エリス、ありがとうにゃ」
5人は向かう。魔導都市ウィズダムへ