蟻地獄と女王蜂
さて翌日のこと。
朝食を済ませたエリスは単身『ご主人様の隠れ家』に向かっていった。
目的はマリリン姐さん。
訪問する理由は、招待券を持参して店を訪れたであろう勇者をおちょくってもらった時の代金を支払うためである。
「こんにちは、マリリン姐さんいるかな?」
「はい、ちょっとお待ちくださいね」
受付嬢が店の奥に一旦引っ込むと、すぐに二人の女性が店の奥から姿を現した。
一人は町娘が着るような生成りのチュニックとフレアスカートを身につけている。
但しチュニックの胸元は開かれ、豊かな谷間が露わとなり、チュニックの胸元を窮屈そうに押し出すかのように胸の先端から胸元までぴっちりと双丘を形づくっている。
さらにその先端はうっすらとピンク色が透けている。
そう、みんな大好きノーブラである。
フレアスカートは左サイドにバッサリとスリットが刻まれ、その足先から太ももまでがチラチラと姿を現している。
しかもときどき太股のさらに上の方がその姿をのぞかせるというチラリズム全開である。
まさに全身これエロスの固まり。
もう一人は、ブラックレザースーツの胸元のファスナーをへそ近くまで下ろし、同じく黒の細身のブラで申し訳程度に胸を覆っている。腰にはなぜか乗馬鞭がぶら下がっている。
「マリリン姐さん、相変わらずエロス満開ですね」
「私はど淫乱ですから。殿方が喜んでくだされば、それが私の歓びですわ」
エリスの挨拶に優しそうな笑顔でとんでもないことを口走るマリリン姐さん。
その源氏名は『癒しの双丘』
「マルゲリータ姐さん、最近は趣向を変えたの?」
「いや、客のリクエストに合わせただけさ。鞭の評判は上々さね」
エリスの質問に相変わらず研究熱心な返事を向けたマルゲリータ姐さん。
その源氏名は『嗜虐の秘書室長』
この二人は『ご主人様の隠れ家』のツートップである。
マリリンはオールばっちこい。
マルゲリータは真性のおさどさん。
そんな二人を関係者たちは尊敬の念を込めて源氏名ではなくこう呼んでいる。
『蟻地獄』と『女王蜂』
マリリン姐さんとマルゲリータ姐さんはあまりの大人気のため、二人は『とてもいいこと』のみの営業である。
しかも完全予約制の上に料金は最高水準なので、その敷居は高い。
実はこれ、わざとこうした設定を行っているのだ。
こうやって二人は自分たちに客が集中せず、他の娘たちにも仕事が行くように調整しているのである。
まさにメイドたちの頼れる姉御たちと言えよう。
「ところで、勇者はなにかほざいてました?」
「ええ、エリス。お聞かせしますわ」
それは勇者グレイがギースの名前でマリリンの胸に包まれ語った寝物語。
彼はスカイキャッスル近くの農村で生まれ、農夫として育った。
ところがある日、彼に神からの突然の啓示が舞い降りた。
「勇者として立ち、魔王を打倒せよ。まずは王のもとに向かえ」
同時に彼の全身に力が溢れかえる。
そう。グレイは生まれ変わったのである。
その溢れる力は握力だけで樹木を引き裂き、強靭な肉体は熊の爪さえも弾き返す。
グレイは啓示に従い、引きとめる家族や村人たちを残し、単身で王のもとに向かった。
その途中で、とある酒場で出会ったのがピーチである。
小金を持って街にやってきた田舎者から金をむしるのを生業としていたピーチは、若者にしゃなりしゃなりと近づき、その目線と仕草で若者を虜にしてしまう。
こうなると後は酔わせて意識を失わせてから身ぐるみを剥ぐだけ。
ところがグレイは酔った勢いでピーチに王の啓示について話してしまった。
単なる昏睡強盗よりもよっぽど金になりそうな話に、作戦変更とばかりにピーチはグレイを介抱し、グレイの宿に共に向かったのだ。
そうなればお決まりの通り、若さにまかせたグレイによって、二人はベッドになだれ込むようにあうあう一直線である。
それはグレイが生涯で初めて迎えた天国のひとときであった。
しかし天国タイムはは瞬時に砕かれてしまう。
なぜならば、ピーチの仲間であるダムズが罵声とともに突然部屋に踏み込んできたから。
つまりグレイはピーチとグレイが仕掛けた『美人局』に見事引っかかったのである。
こうしてピーチとダムズに弱みを握られたグレイは、二人を自称『魔術師』自称『戦士』として、なし崩し的に仲間として迎えざるを得なかったのである。
ここでグレイの立場はピーチとダムズの『金づる』として確定した。
勇者ならばそうしたふざけた関係を力づくで清算すればいいと誰もが思うであろう。
しかしピーチとダムズはグレイに対して見事にアメと鞭を使い分けたのだ。
ピーチはグレイの表情を窺いながら定期的に彼をあうあうに誘い、彼女に溺れさせたのである。
つまりグレイはピーチ無しでは我慢が出来ない身体に調教されてしまったのである。
さて、王との謁見後にスカイキャッスル商人ギルドからグレイのパーティに派遣されたのがクリフである。
彼は『アイテム鑑定』および『治療要員』としてパーティーの一員に推薦された。
しかしこれまたグレイの不運となる。
クリフは鑑定士としても治療要員としても半人前の上、それ以外では全くの役立たずだったのだ。
しかし小知恵だけは回るらしく、クリフはすぐにこのパーティの異常さと実質的なリーダーを見抜いた。
続けてクリフはピーチにおもねりダムズと意気投合することによって、パーティにおける自身の居場所を確保したのである。
これが『三馬鹿』結成の経緯である。
一方でスカイキャッスル盗賊ギルドから推薦されたのがギースである。
当然彼もすぐにパーティの異常さに気づいた。
ギースはクリフとは異なり、ギルドから信も厚く、自身も己の役割にプライドを持っていた。
だから当然のごとくギースはグレイにピーチとダムズを切り捨てるように進言したのだ。
しかしグレイは唇を噛みつつもそれを拒否。
理由は不明。
そして今に至る。
ギースを名乗るグレイはマリリンの胸の中でこう呻いた。
「魔王軍と遭遇しても、実質は勇者が一人で戦っているらしいんだ」
勇者の余りの不憫さにマリリンはすすり泣く彼の頭を双丘に抱え、無言で優しく髪を撫で続けたのだという。
「私ったら、ちょっと彼に同情してサービスを過剰にしてしまいましたの。そしたら翌日以降も予約をいれて下さいましたわ。こちらは代金をご本人からいただきましたからご心配なさらないでねエリス」
どこまでもマイペースのマリリン姐さんである。
どうやら勇者はマリリン姐さんにすっかりとハマったらしい。
すると、マルゲリータが話に加わってきた。
「私も最近、おかしなお得意さまがついてな」
おかしな客とは『魔王』を名乗る『農夫』である。
彼は1回目のプレイ終了後に100万リルを置いていった。
2回目以降は15万リルをきっちりと置いていく。
へえ、金周りはよさそうね。
興味深げな表情となるエリスにマルゲリータは言葉を続けていく。
「それがな、この男の声が例の魔王にそっくりなのさ」
魔王の声は大陸中の人々全員が肝に染み込ませられている。
「それでプレイ内容は?」
「おまぞさんだ。特に踏まれるのが大好きさ」
おまぞさんの魔王だと。
そんなの有りなのか?
そいつが魔王かどうかの判断は今の時点では難しい。
なのでエリスは可能性の一つとしてこの農夫をマークしていくことにする。
「わかったわ。また何かあったら教えてください。あと、勇者と農夫の予約が姐さんたちに入ったら教えて下さいね」
するとまずはマリリンが楽しそうな表情で反応した。
「今日の午後一番で予約が入っていますけれど」
続いてマルゲリータも軽く噴き出したながら反応した。
「奇遇だな、私のところも今日午後一番で予約だよ」
エリスは考える。
勇者のパーティがバラバラなことは分かった。
パーティの中でまともな存在なのが盗賊ギースだけだということも。
勇者はマリリン姐さんにハマっている。
彼の能力ならばマリリン姐さんの元に通うのは容易だろう。
彼がマリリン姐さんに漏らした内容が事実ならば、マリリン姐さんがいれば、ピーチはもう必要ないはずだ。
ということはグレイにしたらいつでもピーチたちを切り捨てることができる。
しかし一方で、ピーチとダムズが今のようなリル使い放題の生活を簡単に手放すだろうか?
一方で自称魔王の存在も気になる。
農夫姿で100万リルをピンと支払うというのは明らかに異常な行動である。
少なくとも何らかの強力な存在が農夫に化けていると考えるのが筋であろう。
「まずは農夫ね」
エリスは一旦屋敷に戻ると、準備を行ったうえでご主人様の隠れ家に一人引き返したのである。
さてここはご主人様の隠れ家。
まだ昼前だが、一人の見習い盗賊姿の男が待合室で佇んでいる。
するとそこに麦わら帽子をかぶった農夫姿の男が入ってきた。
二人は待合室の椅子に並んで座ることになる。
無言の時間。
空気が重い。主に照れくささで。
……。
先に沈黙を破ったのは農夫であった。
「兄さん、お相手は誰だい?おっと、こういうのは言い出しっぺが先に言うもんだな。俺はマルゲリータさんだ」
いきなりの農夫からのカミングアウトに見習い盗賊もついつられて答えてしまう。
「俺はマリリンさんだよ」
すると農夫が言葉を続けた。
「マリリンさんって、お高いんだろ?」
見習い盗賊も質問を返す。
「マルゲリータさんもそうだろ?」
ここで二人は始めて互いの顔を合わせたのである。
「ああ、お高い」
農夫に見習い盗賊も同調する。
「こちらもお高い」
「でも、ハマっちまったんだよな」
「俺もハマったんだ」
「趣味はいろいろだよな」
「だな」
いつのまにか二人はマリリンさんとマルゲリータさんがどれだけ素晴らしいかを互いに熱弁しあっていた。
そうしながらも互いの主張を認め合う。
それは己の性癖をも暴露する、すがすがしいほどの心の交流であった。
こうして二人の心には、互いに向けた何か友情のような感覚が芽生えていったのである。
楽しげに互いの性癖をネタに談笑中の二人に向かって、訝しげな表情で受付嬢が待合室に顔を覗かせた。
「ギースさん、ベルルデウスさん。お待たせいたしました」
続けて二人の女性が待合室に訪れた。
ギースの前に立つ女性はノーブラと白いショーツの上に男性用の白いシャツだけを羽織った素足という装い。
内側から圧迫されたシャツが双丘のシルエットを先端から根元までたわわな姿を綺麗に形づくっている。 先端にはかすかにピンク色が透けている。
ベルルデウスの前立つ女性は黒のブラと同色のショーツにガーターベルトと網タイツという装い。
足元には黒との対比がなまめかしい深紅のピンヒールが光り、その手には乗馬鞭が構えられている。
「お待たせしましたわ」
「待たせたね」
ギースとベルルデウスは既に前かがみになりながら、それぞれの女性に手を引かれ奥の浴場へと消えていった。
あうあう あうあう
あうっ あうっ
あうあう あうあう
あうっ あうっ
二人はほぼ同時に店を後にした。
「お疲れさん」
「ああ、そちらもな」
農夫と見習い盗賊は店の前で軽く挨拶を交わしながら満足げに別れたのである。
地味な衣装に身を包んだエリスは予定通り農夫を尾行していく。
農夫は町外れまで徒歩で進んでいった。
その動きに注目する者は誰もいない。なぜなら誰がどう見ても彼はただの農夫であるから。
街外れに到着すると、農夫は無造作に何かの呪文を唱えた。
すると農夫はゆっくりと浮き上がる。
「浮遊?」
目の前の展開をエリスは冷静に分析しようとする。
しかし次の瞬間エリスは自身の目を疑った。
なぜならば、浮き上がった農夫がその姿勢のまま矢の勢いで空に消えていったからである。
それは一瞬の出来事であり、注意深く観察していなけば、これも誰も気付かないであろう。
「魔王というのも、あながち嘘じゃないかもね」
冷静さを取り戻したエリスは、ほくそ笑みながら次の作戦を練っていく。
「マルゲリータ姐さんにも『誘導尋問』の依頼をしとかなきゃね」
エリスは踵を返すとご主人様の隠れ家に戻っていったのである。
さてこちらも帰途に着くグレイ。
彼は考える。
マリリンさんがいてくれれば、もうピーチなぞいらない。
マリリンさんは全てにおいてピーチを上回っている。
あんな高慢ちきな女に頭を下げて、おざなりにあうあうをされなくても、俺には優しく尽くして何でもしてくれるマリリンさんがいる。
グレイは思いついた。
そうだ、ギースに相談してみよう。と。
グレイはスカイキャッスルに戻ると、ギースの部屋へと向かい、彼に話しかけた。
「なあギース。俺、ピーチとダムズとのパーティ契約を解除しようと思うんだが、ギースはどう思う?」
グレイはてっきりギースが賛同してくれるとばかり思っていた。
しかし目の前の男はしかめっ面で首を左右に振っている。
「お前、こないだ契約更新した時に、特記事項を追加されたのに気づいてないのか?」
「なんだっけ」
「違約金条項だよ」
「なにそれ」
「お前、自分のパーティ契約も読んでいないのか。だから美人局なんかに引っかかるんだよ」
ギースはグレイの前で呆れたように頭を抱えてしまった。
その姿勢のまま忌々しげにこう吐き捨てたのである。
「契約書をかばんから出してよく読んでみろ」
グレイはギースの態度に不満を持ちながらも、言われた通りに契約書を改めて読み進めていく。
……。
グレイの背に冷汗が一筋流れた。
「魔王を倒す前にパーティを勇者の都合で解除した場合は、勇者はメンバーに対し違約金として一人50億リルを支払うものとする」
唖然としているグレイにギースは冷たく言い放った。
「お前に力があることはわかっている。しかしお前には人を見る目がない。多分新しいパーティを結成しようとしても結果は同じだ。ならば今のままで行くしかないだろう」
しかしグレイはあきらめきれない。
「なあギース。もう俺はピーチに頭を下げなくてもいいんだ」
グレイの呻きに「ほう」とギースは感心した。
少なくともグレイはポーチの調教からは脱したらしいということに。
だからギースはグレイの味方を続けることにする。
「ならばやり方はある。パーティー内で三人を干してやれ」
要するにパーティ内でピーチ、ダムズ、クリフを飼い殺しにしろということである。
「わかった。そうする」
グレイも良いアイデアだとばかりに納得した表情でうなずいた。
しかし事はギースとグレイの思うように進むはずがない。
一度手玉に取られたグレイが二度三度と手玉に取られないとは限らないのだ。
ギースはこの点を見誤った。なぜならば彼もまた真面目であったから。
しかしエリスはここまで見抜いていた。
馬鹿は再びころがされる。と。
実際にグレイはマリリンとエリスによって現在進行形で騙され中なのである。
こうして勇者のパーティーはエリスの思惑通り一層がたがたになっていくのである。




