家出娘
「にゃんにゃんにゃん」
キャティが御者を務める馬車は街道をのんびりと南下していく。
ちなみに御者といっても魔導馬がコマンド通りに馬車を引っ張っているので、特に難しいことはないのだが。
ここはワーラン・ウィートグレイス間の街道。
通称『野菜の街道』である。
ワーランの北に位置し平野部が中心のマルスフィールド一帯では小麦などの穀物が主に生産されている。
一方でワーランの南に位置し、平野に加え山岳や湿地などの様々な地形が存在するウィートグレイスとその周辺では、各種野菜や豆類それに果物など多岐にわたる農産物が生産されている。
中には『鮮度重視』の農作物もあるので、ベジタブルロードには街道沿いに『中継地点』がいくつか設けられており、これらはちょっとした『宿場』となっている
。
ワーラン-ウィートグレイス間の行程は、通常ならば馬車で五日間かかる。
但しこれは移動を日中のみ行うという前提である。
一方でワーランとウィートグレイスの商人ギルドが共同経営する『定期便』は、各中継地点で馬と御者が交代することによって夜間も休みなく走行し、二日間で都市間を走破してしまう。
また、各農村からの『特産直送便』もウィートグレイス側のコントロールにより届けられるので、ワーランには比較的新鮮な野菜が集まり、貿易都市としての機能を発揮する。
さらに剛の者は魔導馬で両都市間を一気に駆け抜ける。
エリスたちの馬車も、後方からやってくるウィートグレイスに向かう定期便に追い抜かれ、前方からやってくるワーラン向けの定期便とすれ違うなど、その旅程は退屈しないものであった。
エリスたちはその日の午後には最初の中継地点に到達した。
そこには馬車を止めるスペースや、馬に飼葉や水を与える場所などが完備されている。
「ちょっと早いけれど今日はここで休みましょう」
エリスの指示によりキャティは馬車を中継地点に移動させると、そこで馬車を停止させた。
魔導馬をエリスが一旦回収している間にレーヴェとキャティは馬車に据え付けた天幕を伸ばし、そこにクレアがテーブルセットを並べていく。
フラウはその間に夕食の準備を進めていく。
日も暮れかかる頃、天幕に『発光の石』で明かりを用意した五人は、フラウ特製の『ベイクドチキン』と『ベイクドポテト』を楽しみながら、とりとめのない話を楽しんだのである。
「ところでレーヴェの実家は、どんな特産物を扱っているのですか?」
フラウの問いにレーヴェは恥ずかしそうに答えた。
「以前は豆と茶だったが、今は豆だけだな」
レーヴェはぽつぽつと話を続けていく。
ウィートグレイスの貴族はメインの農産物である『米』と『豆』の他にそれぞれが『特産品』を抱えていた。
ちなみに米と豆は領主が一旦買いまとめ、ウィートグレイス商人ギルドを通じて貿易都市ワーランに一括で卸し、そこから各地に販売する農協方式を採用している。
以前はそれぞれの特産品も農協方式で取り扱われていたが、現領主のダークフィナンス家が『直売方式』に切り替えてしまった。
表向きの理由は『直販とした方が各貴族の利ザヤが大きい』からというものであった。
ところがふたを開けてみると、細々と生産していた各貴族たちの『特産品』は、圧倒的な販売力の差でダークフィナンス家に牛耳られてしまう羽目となったのである。
さて、レーヴェの実家である『ローレンベルク家』では、先祖代々『茶』の生産を行ってきた。
ローレンベルク家が管理する茶の品質は非常に高く、また、ウィートグレイスには他に競合する貴族もいなかったので、茶の取扱はローレンベルク家にとっては安定した収入となっていた。
ところが先代の当主である『フェルディナンド・ローレンベルク』は趣味が高じ『ウィートグレイスに常設の劇場を建設するという与太話』に乗ってしまい、『茶業』を担保に借金を重ねた末に、見事に事業に失敗してしまったのだ
その結果『借金のかた』に茶畑から茶の生産施設設備に至るまでの『茶業』全てを手放す羽目になったのである。
現在はこれらの事業もダークフィナンス家が引き継いでいる。
銘柄はそのまま『ローレンベルク茶』として残されているのだが。
この話にはフラウがちょっと驚いた。
「『ローレンベルク茶』は、その甘い香りが特徴的な銘品なのですよ。って、レーヴェの実家はローレンベルク家だったのですね!」
そんなフラウにレーヴェは力なく笑う。
フラウが褒め称えたとおり『ローレンベルク茶』のブランド力は相当なものである。
なのでダークフィナンス家も『ローレンベルク』の名が失われるのは商売上よろしくないとの判断で、同家を残したに過ぎないのだ。
ローレンベルク家の財産をフェルディナンドがほとんど手放してしまった(それらは最終的にダークフィナンス家のものとなったが)ところで、ダークフィナンス家の当主である『アコムス・ダークフィナンス』は、フェルディナンドを無理やり隠居させると、フェルディナンドの息子であり、レーヴェの父であるレオパルドを当主につけた。
これは『放蕩当主』から『堅実当主』への変更である。
ローレンベルク家を引き継いだレオパルドは、父を反面教師とするかのように、まずは倹約による御家の存続を最優先させたのである。
現在ローレンベルク家に残されているのは、一家がぎりぎり食べていけるだけの豆の畑とそれを耕す数人の小作人のみ。
これまでローレンベルク家にに仕えていた召使たちにも全員暇を出したそうだ。
フラウとレーヴェの会話を聞いていたクレアとキャティはちょっと驚いた。
もしかして、レーヴェって良家のお嬢さま?
「没落貴族の娘ほど情けないものはない」
レーヴェは自嘲気味にそう呟いた。
一方でエリスはレーヴェの話に首をかしげていた。
特産品を『直売』の名目で販路を持たない貴族からダークフィナンス家が体よくその権利を奪ったこと。
レーヴェの祖父が引っかかった投資話の末に権益が全てダークフィナンス家に移動したこと。
それって典型的な『乗っ取り屋』や『闇金』の手口じゃん。
これはウィートグレイスでは色々とありそうだな。とアラサーヒキニートは予感した。
エリスはテセウスとマリアから事前にいくつか嫌がらせの話を聞いてはいたのだが、それが現地でどうなっているのかまではわからない。
こればかりは現地に着いてから確認しなければならない。
エリス-エージは引きこもり時代に目の前の四角い箱から興味本位で得た『アングラ知識』をフル回転させたのである。
そこからの四日間は快適な旅だった。
ベジタブルロードを取り巻く風景は変化に富み、ある時は竹林、ある時は草原、ある時は水田と、様々な景色を楽しめた。
まもなく馬車はウィートグレイスに到着した。
それは『街』というより『町』といった、素朴でのどかな風景が続いていく。
「間もなくだ」
レーヴェはキャティと御者を代わると、実家へと馬車を誘導していく。
「ここだ」
レーヴェが馬車を止めた先には、歴史を感じさせる石造りの大きな館が見える。
館は敷地を柵で囲まれているが、その門は開いたままで、そこに門番はいない。
レーヴェは馬車を門内に引き入れると、そのまま玄関まで向かった。
さすがにレーヴェは気まずそうな表情をしているが、その背中をエリスが押してやる。
「さあさあ、覚悟を決めましょう」
レーヴェは玄関に据え付けられた『ノッカー』を懐かしげに手に取ると、扉を鳴らした。
コン。コン。
しばらくすると、ドアの向こうから、か細い声が響いてきた。
「どちらさまでいらしゃいますか」
「レーヴェだ。開けてくれ」
「姉さま?」
驚くような声とともに扉の裏からかんぬきが外される音が響き、扉が内向きに開かれた。
そこでは一人の少年が一行を出迎えている。
「レーヴェ姉さま!」
少年はレーヴェの弟である『ヒュンメル』である。
続けて屋敷の奥からも別の声が響いた。
「まあ、レーヴェが帰ってきたの!」
続けて姿を現れたのはレーヴェの母親『ルクス』である。
レーヴェは出迎えの母と弟へとすまなそうに頭を下げた。
「母さま。今回は迷惑をかけた」
「何を言っているのですか。あなたの気持をないがしろにしていた私たちのほうが謝らなければなりません。さあ、中におはいりなさい」
ここでやっとルクスはレーヴェの背後に並ぶ女性たちに気づいた。
「あら、そちらの皆さまは?」
「ワーランで共に生活している友人たちだ」
「それはそれは、ようこそいらっしゃいました。さあ、こちらにどうぞ」
ルクスに館に通されたエリスたちはそのまま応接室へと案内された。
「何もない部屋でお恥ずかしいですが」
ルクスは恐縮しながらもエリスたちにソファを勧めてくれる。
その部屋は貴族の館というにはあまりにも質素な部屋であった。
部屋には最低限の家具が置かれているだけで、貴族が好みそうな調度品や絵画などの装飾品の類は皆無である。
「父さまと爺さまは?」
レーヴェの問いに、ルクスは少しだけ顔をしかめる。
「アコムスさまのところよ。何でも取引で大きなトラブルがあったとかで」
「トラブルか……」
重苦しい空気が部屋を包む。
そんな空気の中でレーヴェは母に尋ねた。
「母さま。私の婚約破棄でレイクのところにいくら支払ったんだ?」
「そんなこと気にしなくていいのよ」
ルクスは何をいきなりと言った表情をした後に、レーヴェに優しく笑いかけてくれる。
しかしレーヴェは続けた。
「母さま聞いてくれ。私は今ワーランでそれなりに成功している。エリスたちのおかげでな」
そして改めてレーヴェはエリスたちを一人一人ルクスに紹介したのである。
彼女たちの所属にルクスは驚いた。特に幼いエリスが『ワーラン評議会の準会員』であるということに。
あっけにとられているルクスに対しレーヴェは真剣なまなざしを送る。
「ワーランでそれなりの稼ぎもそれなりの立場も得ることができたんだ。だから頼む。教えてくれ」
レーヴェの懇願するような目線に負けたルクスはぽつりとつぶやいた。
「1000万リルよ」
「そうか……」
金額を聞いたレーヴェは胸をなでおろす。
その程度ならば問題ないと。
そして思い出す。
今のローレンベルク家にとっては1000万リルすらとんでもない大金だということを。
「とりあえずこれを渡しておく」
レーヴェは愛用の『飽食のポーチ』に小声で『食事の時間』とコマンドを唱えると、中から2億リルの冒険者ギルド為替を取り出し、母親に渡した。
娘から突然渡された為替にルクスは面食らう。
さらには為替に記載された金額に卒倒寸前となり、ソファに倒れ込んだ。
「大丈夫か母さま!」
母を介抱しようと立ちあがったレーヴェに向かってルクスは思わず叫んでしまう。
「何ですかこれは!あなたはいったい何をやったのですか?」
「落ち着いてくれ母さま。これはまっとうに稼いだのだ」
立ちあがったレーヴェは母の向かいから隣に座り直すと、母の膝に手を置きながらゆっくりと順を追って説明をしていく。
冒険者となったこと。幼いエリスとの共同生活を始めたこと。迷宮の探索でそれなりに稼いだことなどを。
「今はワーランで『百合の庭園』という浴場もエリスたちと共同経営をさせてもらっている」
「リリーズガーデン?」
その響きにルクスは聞きおぼえがあった。
それは確か、ウィートグレイスではそれなりに裕福なご婦人方が『ワーランの新たな名所』として噂をしていたと記憶している。
続けてルクスはもう二つの噂話も思い出した。
一つ目の噂は、ワーランで『五色の乙女』が浴場経営などで活躍しているというものである。
「もしかして、あなた方は『ワーランの宝石箱』の皆さま?」
「世間ではそう呼ばれている」
レーヴェの淡々とした反応にルクスは逆にそれが真実だと悟る。
ということは……。
二つ目の噂は『リリーズガーデンのレストラン』に時折現れる『男装の麗人』について。
ルクスはまさかといった表情でレーヴェに尋ねた。
「もしかして『碧の麗人』って……」
すると恥ずかしそうにレーヴェは笑った。
「それは多分私のことだ」
今度こそルクス母さまは卒倒してしまう。
それも当然である。
家出をした娘が、ここ数カ月の間にとんでもない有名人になっていたのだから




