小仕掛けの時間
『百合の庭園』の北側裏手。
ここには北の小川から百合の庭園まで接続された水路の一画に、大浴場とトイレへと豊富な湯を提供する『発熱装置』が設置されている。
発熱装置の中では大量の『発熱の石』が稼働しており、換気口の一部では沸騰した湯が空に向けて勢い良く蒸気をあげている。
それを無言で一心に見つめているエリス-エージ。
どうやら何かを思いつきやがったらしい。
「フラウ。パンケーキの材料ってまだ残っているかしら?」
エリスは発熱装置から戻ると、キッチンで片づけをしているフラウに尋ねた。
「粉や砂糖はミックスにしてこの宝箱にストックしてありますけれど」
とフラウは台所の隅に並べられた大小の宝箱の一つを指さした。
これらの宝箱は迷宮からパクってきたものである。
実はエリスたちは迷宮で宝箱の中身だけでなく、宝箱そのものもいくつか収納用にと持ってきてしまっている。
迷宮産の宝箱には『品質保存』の能力が備わっており、とても便利である。
初級迷宮では木製の小さな宝箱。ボス部屋や上級迷宮では鉄製の大きな宝箱が出るので、必要に応じてパクってくる。
こんな無駄なことができるのも『飽食のかばん』があればこそ。
普通はあほらしくてこんな重たいもんをパクってこようとは誰も思わない。
「ありがとうフラウ」
エリスはカップで宝箱のパンケーキミックスの粉を量ると、ボウルに移しミルクで混ぜていく。
次にクリーム状になったパンケーキミックスを陶器のカップに注ぎ分けると、それらを藤のかごに並べていく。
「何をしているのですか?エリス」
「実験」
普段はエリスとクレアの二人で実験をしていることが多いのだが、ただ今クレアはキャティとお出かけ中。
「フラウも見に来る?」
エリスの誘いに興味深そうな表情を見せながら、フラウはエリスの後をついていった。
再び発熱装置を訪れたエリスは、籐のかごにこれも籐で編んだふたをし、かごの取っ手を長い棒に引っかけた。
続けて棒を操り、かごを勢いよく水蒸気が噴き出している換気口まで持っていき、そこに置いた。
当然のことながら籐のかごは大量の蒸気に包まれる。
「何をしているのですか?エリス」
フラウからの先程と同じ質問にエリスも同じ返事をする。
「実験」
実はエリスもこの実験が成功するまでは偉そうなことを言いたくないので、わざとつれない返事をしたのである。
「そろそろかしら」
しばらく待っていたエリスは、再び棒を上手に操ると籐のかごを釣り上げ、手元に持ってきた。
次にふたをやけどをしないように取り除くと、中から甘い香りがふわりと漂ってきた。
籐のかごの中に並んだカップには、真っ白のふわふわな何かがふわりと膨らんでいる。
エリスはふわふわをひとつまみして口に入れる。
うん。
リスは満足げにうなずいた。
「成功ね。フラウもつまんでごらんなさいな」
誘われたフラウもエリスがつまんだところをひとつまみし口にいれてみる。
すると口の中にふわりとした感触が訪れしっとりと溶けていく。
「まあ、これはしっとりふわふわで美味しいですね」
「でしょ?」
エリス-エージがこしらえたのは、いわゆる『蒸しケーキ』である。
両面をバターで焼いたパンケーキのカリッふわっも美味しいが、蒸しケーキもふわふわしっとりとこれはこれで美味しいのである。
なにより油を使わないのでさっぱりとヘルシーなのである。
「こんな調理法があるのですね」
フラウはしきりに感心している。
なぜならば少なくともワーランには『蒸す』という調理方法はないから。
実験結果に満足したエリスと驚いたフラウは一旦台所に戻ると実験の続きを始めたのである。
◇
クレアはキャティを連れて工房ギルドの親方の所を訪れていた。
キャティは先日防具店で購入してきた革製の真っ白なロングブーツを持参している。
「親方、いいかな?」
「おう、よく来たな」
クレアが声をかけると、すぐにフリントが工房から顔を出した。
「早速だけれどこれでお願いしたいにゃ」
キャティが差し出したロングブーツを、フリントはその重さや造作を確認するかのようにしている。
「それをベースにするのじゃな。よし、こっちだ」
フリントがクレアとキャティを連れてきたのは工房ギルド内の鍛冶部門である。
「それじゃあキャティよ、そのきれいなのも少し見せてくれるかの」
「わかったにゃ」
フリントはキャティから『勇者を切り裂くもの』を受け取ると、先ほどのロングブーツと作業台に並べていく。
「それじゃあちょっと確認させてもらうっす」
若い鍛冶師はクレアとキャティの視線に少し照れながらも、右手にブレイブリッパー、左手にロングブーツをそれぞれ片方づつもち、重さを確認していく。
続けて鍛冶師はブレイブリッパーの構造、特に『爪の出し入れ機構』の部分を入念にチェックした。
「いけるか?」
フリントの問いに若い鍛冶師は少し困ったような表情になってしまう。
「この爪に重量を合わせるとなると、ブーツの方は攻撃と防御のどちらかをあきらめなきゃあならないっすね」
ベースとなるロングブーツも十分に軽いのだが、ここにそれなりの高度を持つ金属を纏わせるとなると、当然その分重量も増してくる。
クレアとキャティが工房ギルドを訪れた目的は『勇者を切り裂くもの』とバランスが取れるようなキャティの足武器をつくってもらうことである。
一組の『ガントレットクロウ』と『レガースクロウ』は両手足に装備されるので、絶妙のバランスが求められる
ところが『ブレイブリッパー』はキャティが持つ『ガントレットクロウ』よりもかなり軽い。
そのため、腕に『ブレイブリッパー』足に『これまでのレガースクロウ』を装備すると必然的に足元が重くなり、バランスを崩してしまうことになる。
これでは四肢全てを使用して踊るように攻撃を行う『猫戦闘』をうまく生かすことができない。
それを見越したフリントがキャティに『ブレイブリッパーと対になる足武器』の制作を約束してくれたのだ。
「ブレイブリッパーと同程度のサイズの爪をブーツに装備すると、ブーツ自体のバランスをとるために、かかと辺りに『バラスト』が必要になるっす。多分それで重量はいっぱいいっぱいになるっす。逆にブーツ自体の防御を上げようとすれば、とても爪を装備する重量の余裕はないっす」
どうしましょうかといった表情の鍛冶師だが、キャティの即答で問題は解決した。
「攻撃オンリーでいいにゃ。敵の攻撃が当たらなければどうということはないにゃ」
そう胸を張るキャティの顔を驚いたような様子でフリントと鍛冶師は見つめたが、キャティの後ろではクレアも「それもそうだよね」と納得した表情を見せている。
「そうかそうか、お嬢ちゃんは豪気じゃのう!」
フリントは大笑いして見せると、鍛冶師に『攻撃優先』の指示を出したのである。
一方の鍛冶師も話が決まれば次にどんどん進んでいく。
「ところでこの『爪の出し入れ機構』なんすが、パクっても構わないっすかね?」
「構わんじゃろ。クレアやキャティが発明したものでもないだろうしな」
するとここでクレアが嫌らしいことを思いついた。
「ねえ親方、『勇者を切り裂くもの』のまがい物、それもできるだけ粗悪なものを、大量生産することはできるかな?」
するとフリントもクレアの意図に気づき、にやりとした。
「粗悪品はなるべく遠くの街にばら撒くのが吉だな」
「えへへへ」
「見た目だけなら『真鍮』でも使えばすぐにでも模倣できるっすよ」
「本物には私の名前が書いてあるからすぐにわかるにゃ」
クレアとフリントはひととおり悪巧みを確認すると、本来の目的に話題を戻した。
「ロングブーツは三日で仕上げてやるから改めて取りに来い。悪いがそれまで『ブレイブリッパー』も借りるぞ」
「わかったにゃ」
キャティとクレアは鍛冶屋さんに手を振りながら工房横丁を満足げに後にした。
◇
レーヴェはエリスのお使いで商人ギルドを訪れている。
なぜならば商人ギルドだけはエリスが行くよりも、レーヴェが行ったほうがたくさんの情報を得ることができるから。
主にギルドマスターのマリアからではあるが。
「レーヴェさま。ようこそいらっしゃいました」
甘えるような声のマリアにレーヴェはそっけない反応を見せる。
「今日は仕事の話なのでレーヴェで結構です」
「そうですわね、けじめはちゃんとつけねばなりませんよね」
レーヴェのつれない返事にマリアは一旦は残念そうな表情となるも、それもそうねとばかりに顔を引き締めた。
「それではレーヴェ。本日の依頼です」
マリアからの依頼は二つ。
ひとつ目は『百合の庭園』と比較し、いまいち利用者の増えない男性浴場の経営アドバイスを『ワーランの宝石箱』にお願いしたいというもの。
二つ目はまもなくワーランで開催される『収穫祭』で、『ワーランの宝石箱』にも一肌脱いでほしいというもの。
「お嬢のことだから、男性浴場については視察させてもらえれば何か思いつくだろう」
レーヴェは続ける。
「ところで収穫祭に一肌脱ぐとは、具体的には?」
「ワーラン以外からやってくる観光客に楽しんでもらい、リピーターとすることです」
どうやら収穫祭にはワーランだけでなく周辺の諸都市からも観光客が訪れるらしい。
「例えば『販売』などでもいいのか?」
「事前に商人ギルドに申請してくだされば、場所は確保しますわ」
「わかった。お嬢に伝えておく」
レーヴェは頭の中でマリアから依頼を繰り返していく。
するとその真剣な表情にやられてしまったのか、マリアはとんでもないことを口走った。
「ところでレーヴェさま、今日は泊まっていかれませんこと?」
しかしレーヴェも慣れたものである
「申し訳ないが、私にそうした趣味はない。気持ちだけ頂いておく」
心の中で「マリアとはな」と付け加えながらレーヴェはさっさと席を立ち、名残惜しそうなマリアを半ば無視するかのように商人ギルドを後にしてしまったのである。
「ああん、レーヴェさまったら……」
どうやら熟女には放置プレイもカムカムらしい。めでたしめでたし。
◇
昼食にフラウお手製の『魚の油漬けとトマトの冷たいパスタ』を食べながら、エリスたちはレーヴェからの報告を聞いた。
「おっさん達の浴場は午後にでも見に行ってこようかしら」
「ならば私が同行しよう」
確かに商人ギルドがらみならば、ここはクレアではなくレーヴェを同行させるべきだとエリス-エージは判断する。
「ボクも行こうか?」
そう申し出てくれるクレアではあるが、クレアには別途お願いしたいこともある。
なのでエリスは話を切り替えた。
「二つ目の『収穫祭』については私にアイデアがあるの」
続けてエリスはフラウに「ほら、今朝のよ」と声をかけた。
「たしかにあれなら、簡単にたくさん作れますし、冷たくなっても美味しいですわ」
納得したようなフラウにぽかんとするその他三人。
「ちょっとしたお菓子よ。三人にも作り方を教えるわ」
昼食を済ませたところでエリスとフラウはテーブルに陶器のカップとパンケーキミックスの粉、それにミルクを用意した。
エリスが皆の前にカップをならべて行くと、フラウがそこに粉とミルクを計量しながら入れていく。
「こうやってだまにならないように優しく混ぜるのよ」
エリスとフラウがマドラーを使って器用にミックスを混ぜていくのを他の三人も真似をする。
粉がミルクと完全に混ざってとろりとすれば準備完了。
「次はこのかごにカップを並べてくれる?」
エリスが用意した朝のよりも大きなかごにそれぞれがカップを並べていく。
カップを並べ終わったところでそれをフラウが持ち、エリスは台所に立てかけてあった長い棒を肩に担いだ。
「次は移動よ」
エリスの先導で五人はぞろぞろと発熱装置のところに向かっていく。
発熱装置に到着したところで、エリスはフラウからかごを受け取ると、朝と同じように長い棒を器用に操りながらかごを蒸気の中に置いた。
「何をしているのだお嬢?」
「料理よレーヴェ。特にクレアは仕組みをよく見ていてね」
「わかったエリス」
「あんなところに置いたら蒸気で熱くなっちゃうにゃ」
「正解よキャティ」
こうして待つこと四半刻ほど。
「そろそろいいかしら」
エリスは棒でかごを発熱装置の湯気の中からこちらに戻した。
フラウがかごのふたを開けると三人も驚きの表情を見せる。
そこには真っ白なふわふわのものが五個並び、甘い香りを漂わせている。
「これは『蒸しケーキ』よ」
粗熱が取れるのをしばらく待ってからエリスは各々のカップをそれぞれの手に戻してやる。
「ほう、これは柔らかいな」
「しっとりふわふわでおいしいよ!」
「油を使ってないのがヘルシーだにゃ」
キャティはたまにまともなことを言うから困る。
「これなら十分に収穫祭で販売できますね」
笑顔のフラウにエリスが人差し指を立て、左右にふった。
「甘いわフラウ。これはこうすればもっと売れるわよ」
続けてエリスは四人にそっと耳打ちをした。
「それでは各自実験を行うこと。それから実験でこしらえたケーキはそれぞれが責任をもって食べること。クレアには『設備設計』をお願いするから工房への『作成依頼』も依頼を出しておいてね」
エリスがクレアに頼みたかったのはこのことである。
「次は風呂ね。レーヴェ、さっさと行ってきましょう」
フラウ、クレア、キャティはエリスとレーヴェを見送ると、早速とばかりに楽しそうに実験を開始したのである。
◇
エリスはレーヴェと連れ立ってマリアのところに挨拶に行き、その足で清掃中の男風呂へと向かった。
「なにこれ……」
風呂の様子にエリスはあきれたようなため息をついた。
まずは風呂の周辺からして印象が悪い。
入口付近には街娼らしき女性がたむろしており、一般男性には近づきがたい雰囲気を醸し出している。
女性どもを避けるように風呂の入り口をくぐると、不愛想なおっさんが受付に座っている。
「なんだお嬢ちゃんたちは。風呂に入りに来たのか?」
下品な笑いを浮かべながらエリスたちをからかうおっさんにレーヴェは冷たく告げた。
「商人ギルドマスターマリアからの直々の依頼で評議会準会員のエリスが視察に参った」
とたんに受付の男は真顔となり、エリスたちにへりくだり始める。
「あ、案内を……」
慌てる男にエリスは言い放った。
「いいわよ勝手に視察していくから。あなたはそこでふんぞり返っていなさい。いつまでそうしていられるかはわからないけれどね」
浴槽内には華やかさも何もない。
男性向け浴場は『百合の庭園』の『施設構造』と『売店』をパクっただけで、その理念などは全く顧みられていなかったのである。
ため息をつくエリス-エージ。
「わかってない、全くわかっていないわ。マリア!」
再びエリスたちは商人ギルドに戻ると容赦なくマリアに問題点を指摘していく。
エリスの余りの剣幕にさすがのマリアも押されてしまう。
「どうしたら良いのでしょうか?」
戸惑うマリアにエリスはにやりと笑いかけた。
「どうせならこうすればいいのよ」
エリスの耳打ちにマリアは顔をしかめていく。
「そんな……」
「毒も少量ならば薬となるのよ」
エリスの提案にマリアはしぶしぶではあるが納得するしかなかったのである。
「初日は私たちもお手伝いするわ。だから交換条件もお願いね」
エリスの要求にマリアは黙って頷くしかない。
こうして商人ギルドマスターは、八歳の少女の皮を被ったアラサーヒキニートの手のひらに乗ってしまったのである。