魔王様ざまあ
今日はマルスフィールドからワーランへと帰還する日。
朝食は前日の夕食帰りに市場で買っておいた柔らかなパンで済ませ、エリス一行は早々に宿を引き払うと、マリアたちとの待ち合わせ場所まで魔導馬で馬車を引きながら向かっていった。
待ち合わせ場所には既にマリア、ニコル、筋肉兄弟が待機している。
帰りのキャラバンはマリア専用の豪奢な馬車に、荷車が三台の合計四台と行きの台数と変わらず。
どうやらトイレシャワー付きの馬車は既に売れたらしく、その代わりに通常の荷車が加わっている。
荷車の内二台は貨物を積んでおり油を引いた布でカバーされている。
どうやらこれらはマルスフィールド商人ギルドでマリアが買い付けた仕入商品らしい。
もう一台には行きと同じように馬用の飼葉が積み込まれている。
マリアがニコニコしながらフラウに語りかけた。
「帰りは皆さんとご一緒に食事をしたいものですわ」
どうやらマリアはマッスルブラザーズからフラウ謹製の食事について聞いたらしい。
マリアの食事担当だったニコルも、別に料理するのがが好きだというわけではないらしく、気を悪くしている様子は見られない。
そんな様子を確認した後にフラウも笑顔で答えた。
「皆さんが食べたいものをおっしゃってくだされば出発前に市場で材料を用意いたしますわ」
するとすかさず五郎明宏が手を挙げた。
「飯と漬物炒めの鳥スープ茶漬けを、ぜひとももう一度所望したいでござる」
五郎の依頼にふんどし姿になった四人も同意するように頷いている。
「フラウがカフェで食べていた魚の油漬けのパスタを食べたいにゃ」
これはキャティのお願いである。
どうやらキャティはマルスフィールド謹製『魚の油漬け』がお気に入りになった様子である。
この依頼にはエリス、レーヴェ、クレアの三人も頷いた。
こんな感じで帰りのメニューが決まると、市場で材料の買い物を済ませてから、全員で帰路についたのである。
帰りの三日間は行きと違って初日から和気あいあいの旅であった。
マリアはレーヴェを自分の馬車に連れ込んでしまうと言葉通りの『べったり』状態で終日を過ごした。
フラウはエリスたちの馬車を引く馬の手綱を取る五郎明宏の隣で、彼が旅の間に経験した様々な味付けや食材について話を聞かせてもらっている。
クレアは一郎多聞の隣で、既にマルスフィールドで販売を済ませた高級トイレと高級シャワーの各邸宅での設置状況や問題点などを確認している。
「なんと!『クレア-フリント』ブランドの『クレア』とはお嬢ちゃんのことでござったか!」
これには一郎の方が驚き、設置職人としてトイレやシャワーの見事さに感服していた彼は素直にクレアの才能に敬意を表したのである。
他のメンバーも各々が世間話に花を咲かせており、結局エリスたちが道中で魔導馬を出すことはなかった。
よくよく考えてみれば、なんといってもガチホモとガチレズ同士。
考えてみればこんな安全な旅仲間はいない。
しきりにレーヴェの太腿に手を伸ばすマリアだけが問題ではあったが、エリスに鍛えられたレーヴェはこともなげにマリアのアタックをかわしながらお相手を続けたのである。
一行は三日間何事も無く旅程を済ませワーランに到着した。
「それで皆様、楽しゅうございましたわ」
マリアの号令でキャラバンは解散となる。
「また共に飯でも食うでござる」
筋肉兄弟を代表して一郎多聞もエリスたちに挨拶をした。
「素敵な筋肉ダルマさんたち!またよろしくね!」
こちらはクレアが代表して挨拶を返したのである。
九日ぶりの我が家に到着したエリスたち。
「馬車の片付けは明日にして、今日はお風呂に入って早く寝ましょう」
一行は各々の部屋に手荷物を卸すと皆で久しぶりの大浴場へと向かった。
「ああ、やはり大きな風呂は気持ちいいな」
とレーヴェは全身を大きく伸ばして湯に浸かっている。
「旅の疲れが取れますわね」
とフラウは半身浴でじっくりと肌を紅に染めていく。
「ああ、力が抜けちゃうや」
とクレアは顔半分まで湯舟に沈め黒髪を湯船に広げながらぷくぷくと気泡を浮かべている。
「ふにゃあ」
とキャティは下半身を湯船、上半身を浴槽の冷たい所にくっつけて温度調整をしながら湯を楽しんでいる。
「うむ、天国である」
とエリスは筋肉兄弟をまねるかのように腕を組みフラウの隣で半身浴を楽しんでいる。
そんなエリスの姿に他の四人は笑いながらリラックスしていった。
その夜はさすがに疲れた五人娘。
エリスは久しぶりにブヒヒヒヒ無しナイトとした。
しかしながら翌朝をエリスを除く四人は、疲れが抜けきっていないと感じながらけだるく迎えたのである。
元気なのはエリスだけ。
どうやら四人ともブヒヒヒヒがないと目覚めが悪い身体になってしまったらしい。
フラウがいつもよりも遅めに朝食の準備を始め、レーヴェが皆の洗濯物をすすいでいる間に、エリス、クレア、キャティの三人で馬車の片付けを行っていると、突然青空が真っ暗になった。
「皆既日食かしら?」
などと、やたら冷静なエリス-エージ以外は、クレアやキャティも含め百合の庭園はちょっとしたパニックに陥ってしまった。
フラウにレーヴェ、それに各施設の従業員やお客さんたちも何事かと不安げな表情で外に出てきている。
すると突然、闇に染まる天空に『金色の存在』が大きく映しだされた。
そこに描かれた存在に人々すべてが囚われてしまった。
続いてそこから発せられた声は彼ら全員の頭に直接響いたのである。
「アルメリアン大陸のすべての人類に告ぐ。余は『魔王』と呼ばれる存在である。余は貴様らを支配するために神よりこの世界に派遣された。間もなく余は貴様らを支配するために動き出すであろう。愚かな民草どもよ。命が惜しければ余に跪くが良い。貴様らどもの選択は『奴隷』か『死』の二択である。これから好きな方を選んでおけ」
荘厳でさえある天空からの宣言に人々の心は凍り付いた。
『魔王降臨』
かつて現れたという絶対悪の存在。
おとぎばなしの中ですら恐れられていた『恐怖そのもの』が彼らの前に突如姿を現したのである。
しかしエリスたち五人だけは気付いた。
魔王さま、両手だけすっぴんなんですけど。
そう、全身を金に輝く鎧で包まれた魔王なのだが、何故か両腕の『肘から指先まで』だけは不健康そうな白い肌を露出させているのだ。
その違和感に最初に気づいたのはキャティである。
キャティはエリスをツンツンして合図を送ると、エリスに向かって自分の爪を指さした。
それを見てエリスは思わず吹き出してしまう。
他の三人も吹き出したエリスにつられてキャティの方を見たので、キャティは自分の爪と魔王を交互に指差してやる。
「ぷっ」
「そういうことか」
「これは恥ずかしいわね」
「こうしてみるとみっともないなあ」
「この爪は私のものだにゃ」
「それでは余の配下が貴様らの元を訪れるまで、せいぜい恐怖せよ」
金色に輝く魔王の姿が徐々にと消え去ると同時に空も暗闇から元の青色へと戻っていった。
◇
さてここは魔王の城。
「あー恥ずかしかった。絶対誰か気づいたぜ……」
魔王の文句に悪魔副官が答えた。
「『魔王の恐怖』に縛り付けられた人間どもにそんなところに気づく余裕のあるものなどおりませんよ」
しかし魔王はまだ不満げである。
「つーか、なんでここだけないの?俺ものすごーく恥ずかしかったんだけれど」
「仕方がありません。そこだけ見つからなかったのですから」
「なら見つかってからでよかったじゃん。全世界に見栄切るのは」
「世の中には期限というものがございます」
なんじゃそりゃ。
魔王は副官のお役所仕事にいったんため息をつくと今後について進めることにした。
「まあいい。とにかく『この部分』が見つかるまでは俺はこの城から出んからな」
魔王自らによる『引きこもり宣言』である。
ところが副官のお役所仕事も負けてはいない。
「そちらは全力で捜索いたします。ところで勇者どもが先に攻めてきたらどうします?」
見事なまでに他人任せである。
ところがそこは魔王。ちょっと胸を張った。
「俺がフルボッコにしてやんよ」
そう宣言しながら魔王が片手を軽く振ると同時に一筋の彗星が地面を襲った。
彗星が落下した大地は、おそらくはそこに住まう生けとし生けるもの全てとともに蒸発していったのである。
続けて魔王はまじめな表情となって副官に指示を出した。
「『勇者』が現れそうなところに魔王軍を派遣しておけ。あいつらだけが俺の障害だ」
◇
こちらは午前中の魔王降臨を受けて緊急招集されたワーラン評議会。
この会にはエリスも準会員として参加している。
但し準会員のエリスに発言権あるが議決権はない。
半ばパニックの状態で開始した会議も徐々に落ち着いていき、冷静な意見が評議員たちからぽつぽつと出だした。
貿易都市ワーランは、アルメリアン大陸の『内陸西側』に位置する。
東西南北に街道を有し、結果的にその先の諸都市がワーランを守るように展開しているので、ワーランが最初に魔王軍に襲撃される可能性は低いだろうというのが評議員たちの希望的観測である。
また、魔王降臨がアルメリアン大陸全土に同時になされたのであれば、王都スカイキャッスルから何らかの指示も届くであろう。
まずは魔王軍については様子見とする。
一方でワーラン民兵の編成確認と兵糧の確保を、前者は冒険者ギルド後者は商人ギルドが中心となって進めていくこととした。
基本方針は『生きのびること』
こうして一旦評議会は閉会した。
評議会閉会後にエリスの指示によりフラウは冒険者ギルドを通じて父である冒険者ギルドマスターのテセウス、盗賊ギルドマスターのバルティス、工房ギルドマスターのフリント、商人ギルドマスターのマリアに向けてエリスたちの屋敷を内密に訪問するよう依頼を出した。
「とりあえずメシだメシ」
バルティスのいつもの調子に合わせてフラウは料理を並べていく。
今日はキャティお気に入りの魚の油漬けをライスで包んで衣を漬けて揚げた『ライスコロッケ』がメインディッシュである。
そこに付け合わせとして肉の冷製と生野菜を添えていく。
フラウが食卓を用意していく横ではクレアがマルスフィールドで購入したお気に入りの『アイスクリーマー』のハンドルを回している。
「で、わざわざ俺たちを呼び出したというのは何か理由があるのだろう?」
テセウスの確認にエリスは頷いた。
「皆さん、魔王の姿に違和感を覚えませんでしたか?」
エリスの問いかけにマスター四人は互いに顔を見合わせる。
「そういえば、なぜか両腕だけ丸見えでしたわね」
「さすがですマリアさま」
マリアの一言とそれに頷くエリスに言われてみればと他の三人もその光景を思い出していく。
ここでエリスがキャティを指差した。
「あそこになければいけなかったもの。それは多分これです」
それはキャティが身につけている黄金の爪。
『鑑定名『勇者を切り裂くもの』です」
エリスの言葉にマリアはマルスフィールドでの事件を思い出した。
魔族はこの爪を狙っていたと。
一方で興奮を抑えきれない様子でフリントがキャティの前に進み出た。
「嬢ちゃん。それをちょっと見せてくれるかね」
キャティは屈託のない笑顔で頷くとブレイブリッパーを腕から外しフリントに差し出した。
「むう」
フリントは興奮状態を突き抜けたかのようなあきれたような表情で声を漏らした。
「おいお前ら。これは『ダークミスリル』じゃぞ!」
お前ら呼ばわりすら気づかずにフリントの発言に驚くマスター三人の一方できょとんとする娘五人。
そんな連中を前に逆に冷静さを取り戻したかのようにフリントは続ける。
「『ダークミスリル』別名『悪魔の金属』何人たりとも加工できない金属じゃ」
フリントが言うには、極まれに上級ダンジョンで最終ボスがダークミスリル製の品物を落とすことがあるという。
ワーランの工房ギルドにも、ダークミスリルのダガーが内密に一本だけ保管されているそうだ。
「なんでそんなもんがマルスフィールドで賞品になってんだ?」
バルティスの当然といえば当然な疑問ををテセウスが引き受ける。
「ダークミスリルの鑑定ができるやつなんぞフリント以外にはスカイキャッスルくらいにしかいないよ。それに『爪』は使用者を選ぶ極端な装備だからな。おそらくはその美しさからトロフィー代わりにでもされたのだろうさ」
そんな会話の間もフリントは引き続き爪を調べていく。
そうしているうちに内張りの布に大書きされている文字に気づいた彼はつい吹き出した。
そこに書かれているのは『キャティ』の名前であったから。
それまでフリントが見せていた真剣な表情がみるみると緩んでいく。
「そうかそうか、これはキャティお嬢ちゃんのものじゃな」
嬉しそうにうなずくキャティに満足げな笑みを浮かべた後、フリントは一転して真面目な顔に戻った。
「これを入手せぬ限り魔王は動かんじゃろ。魔王の装備は全て揃うことによって特殊能力を発揮するらしいからな」
ではこの爪をどうするか。
どこかにしまいこんでいても魔族に盗まれたら終わり。
するとエリスが小さな胸を反らしながらマスターたちに宣言した。
「それってキャティのものだから、私たちで守ります」
エリスの言葉にテセウスは思い出した。
「お前ら、魔王の魔符も持っているよな」
にへらと頷く五人。
エリスはショルダーバッグから『魔王の魔符』を取り出すとバルティス、フリント、マリアに見せた。
そう。この娘たちは勇者と魔王の『最後の一手』を押さえている。
「そうだな。勇者だろうが魔王だろうが、うざいやつらは皆ワーランの敵だ」
バルティスの言葉にテセウスが続く。
「庶民の力を見せつけてやるとするか」
「敵対するだけが答えではありませんよ、要は最後に王手をかけられればいいのです」
マリアの確認にフリントも頷いた。
「いっちょう腹を据えるとするかの」
マスターたちは最終方針を再度確認する。
こちらから討って出ることはしない。
正面から受け止めることもしない。
「勇者だろうが魔王だろうが敵対する者にはちまちまと嫌がらせ」
これが今後のワーランにおける方針となる。
するとクレアが重くなった空気を抜くように宣言した。
「アイスクリームができたよ!」
クレアお手製のアイスクリームを全員で楽しんでからこの場はお開きとなったのである。