トイレとお風呂は大事なの
それはある日の朝のこと。
「旅行に行きたいわ!」
フラウ特製のフレンチトーストを楽しんでいる朝食の席で、突然エリスが宣言を行った。
実はエリス-エージは『勇者さまご一行』に嫌がらせを実行したときに覚えた快感が忘れられない。
それは達成感にも通じるものであった。
あの快感をもっと味わいたい!
エリスはそうした衝動に囚われた。
勇者様の存在はつかんだ。
先制パンチも食らわせてやった。
ならば次は魔王だ。
魔王が姿を現さないのなら、こちらから討って出てやる。
すると他のメンバーからも好反応が返ってくる。
「そうだな、視野を広げるのは大事だ」
レーヴェは腕を組みながら頷いている。
「未知の魔道具が見つかるかもしれませんね」
フラウも新たな発見を期待している様子である。
「旅行は楽しそうだにゃ」
キャティは旅そのものに興味を見せている。
……。
ところが一人だけ会話に乗ってこない。
「クレアはどうなの?」
エリスは残り一名に考えを聞いてみるが、クレアは俯いたままである。
「クレアは旅行は嫌いか?」
レーヴェの質問にクレアは無言で首を左右に振る。
「体調でも悪いの?」
フラウはクレアの様子を心配するも、これもクレアは首を左右に振るだけ。
「馬車は苦手かにゃ?」
キャティは乗り物酔いの心配をしているのかと尋ねたが、これにもクレアは同じ反応を見せるだけ。
「ねえクレア、どうしたの?」
エリスが再びやさしく尋ねると、クレアは意を決したような表情で顔を上げた。
「ねえみんな。トイレとお風呂はどうするの?」
あ。
クレアの指摘に四人は硬直する。
するとクレアは恥ずかしそうにぽつぽつと話し始めた。
「ワイトの迷宮でね……。腐った巨人を目の当たりにした時にさ……。ボク、ちょっと漏らしちゃったんだ……」
エリスは思い出した。
そう言えばその後のお弁当のときにクレアは「ボクもうだめかも……」とべそをかいていたことを。
そっか。
あのときクレアは下着が冷たいのを我慢していたのね。
クレアは続ける。
「この屋敷に住んでいれば、『きれいなトイレ』と『きれいなお風呂』でみんなきれいでいられるけれど、旅行中はどうするの?ボクはもうトイレとお風呂無しにはいられないよ!」
そう叫ぶと、クレアは全てを吐き出したかのように突っ伏して泣き出してしまった。
クレアは彼女なりに勇気を振り絞って恥ずかしい話を皆にしたのであろう。
突っ伏したクレアの背を隣のレーヴェが撫でてあげる。
「私たちが考えなしだったな」
フラウも身を乗り出してクレアの髪に手を伸ばした。
「考えなしでしたね」
キャティも頷いている。
「トイレとお風呂は気持ちいいにゃん」
これは何とかしなきゃ……。
アラサーヒキニートは可愛いクレアのために前世の知識をフル回転させていく。
お、この手があるな。
エリスは突っ伏したままのクレアに優しく語りかけた。
「ならば『旅行用のトイレとお風呂』を私達の手で作ってしまいましょう。私たちにはそれができるはずよ」
エリスの励ましにクレアはやっと顔を上げたのである。
まずはトイレのアイデアから。
まずは縦長直方体の木製の個室を作り、中にトイレと大きな水瓶を設置する。
トイレの前にはしゃがんだ時に目の高さに来るように漏斗型の樽を吊るし、この樽とトイレに取り付けた取水口を管でつなげる。
水瓶の水をすくって漏斗に注ぎこめば、勢いがついた水は汚物と一緒に流れていく。
たくさんの薄い布を用意し、用を足す度に一枚づつ水瓶の水で絞ってから大事なところを拭いてあげればとっても衛生的である。
ちなみに使用済の布は惜しげもなく一緒に流してしまう。
流した汚物は個室の下に別途設置した汚物用の樽に溜めておき、都度処分する。
次はお風呂のアイデア。
さすがに馬車内にお風呂を設置するのは無理があるので、エリスは代わりにシャワーをこしらえることにした。
こちらはトイレよりも簡単な構造で制作することができる。
まずは発熱の石で溜めた水を適温に温め、それを頭上の小さい樽に使用する分だけ汲み入れてやる。
後は管の根元に取り付けた栓をひねればシャワー状のお湯が頭から注がれてくる仕組みである。
トイレ・シャワーともに縦横1メテル・高さ2メテルのスペースがあれば馬車内にも十分に設置できる。
「どうクレア?あなたなら簡単に設計できるでしょ」
エリスの微笑みにクレアは満面の笑顔で返した。
「うん!すぐに図面に起こしてみるよ!ありがとうエリス!」
そう言い残すと、クレアは現在『クレア設計事務所』となっている客間に駆け込み引きこもってしまった。
レーヴェが感心したように呟いた。
「確かにトイレと風呂は盲点だったな」
フラウも頷いている。
「気がついたクレアも、仕組みを思いついたエリスもさすがですわ」
キャティも嬉しそうだ。
「これで快適に旅行ができるようになるのかにゃ?」
クレアが設計事務所から出てくる間にエリスとフラウは昼食の買物、レーヴェとキャティは『百合の庭園』の巡回に出かけた。
「どうせクレアは図面を抱えて飛び出してくるのでしょうから、お昼は片手でつまめるものにしましょうか」
「そだね。ねえフラウ、お昼はあれにしましょう」
レーヴェとキャティがいつもの『碧白』で『緋色の洗濯物』を干し、フラウとエリスが小さな丸い『白玉パン』と『野菜スティック』を用意していると、予想通り間もなくクレアが客間から飛びだしてきた。
「みんな、これでどうかな?」
テーブルの上に開かれた紙にはトイレとシャワールームの詳細な図面がまとめられている。
元気を取り戻したクレアはポンデケージョを一個つまむと口に放り込みモグモグしてから自慢げに語りだした。
「この図面は一般の人も使えるような排水貯留型だけれど、エリスの能力があればもっと便利になるんだ!」
こうした設備の問題は給水と排水にある。
ここでクレアは『飽食のかばん』を大胆に使うアイデアを見出したのである。
「給水に使用する水は瓶に入れて『飽食のかばん』に入れておけばいくらでも運べるのはわかるよね」
クレアの確認に頷く四人。
「そしたら、ここに『飽食』を付けた革袋を取り付けたらどうなると思う?」
クレアが指差したのはトイレとシャワーの排水口。
あ、そうか。
『飽食』を開きっ放しにしておけばいいんだ。
そこにレーヴェが冷静な質問を入れる。
「『飽食のかばん』は『飽食のかばん』にしまうことはできないぞ」
レーヴェはトイレとシャワーを『飽食のかばん』にしまうことを考えていた。
なぜならば、これが実現すればトイレとシャワーを馬車なしで文字通り『携帯』できることになるからである。
『飽食のかばん』は『飽食のかばん』にしまうことはできない。
これは初期の実験でエリスたちにはわかっていた。
なのでクレアのアイデアのとおり『飽食のかばん』を装置に組み込んでしまうと、それらは『飽食のかばん』にしまうことができなくなってしまう。
しかしエリスはクレアの自身ありげな表情で気付いた。
「『飽食のかばん』に設備をしまう前に『飽食の革袋』の能力を消してしまえばいいのね!」
「正解だよ!さすがエリス!」
クレアが嬉しそうに頷く。
以前『飽食のかばん』にアイテムをしまった状態でわざと二度の複写を行い『飽食』の能力が消えてしまった場合に中のアイテムがどうなるのかの実験を行ったことがある。
結果は「アイテムは二度と戻らない」だった。
なのでこれまでは『飽食のかばん』を複写するときは念のため中身を全て取り出していた。
しかし今回クレアが発案したのは、その短所を逆手にとって汚物を消し去ってしまうアイデアである。
「素晴らしいわクレア!」
「それじゃ親方のところに図面を持ち込んでもいいかなエリス!」
クレアの要望にエリスは付け加えた。
「どうせなら『旅行用の馬車』も設計しちゃいましょう!」
その後半日でクレアは五人全員の希望を反映した馬車の設計図も仕立ててしまったのである。
翌日クレアはフリントのところにトイレとシャワー、それに馬車の図面を持ち込んだ。
するとトイレとシャワーの図面を食い入るようにして見つめたフリントが「これは売れるかもしれんからパースを書いて商人ギルドのマリアにも見せてこい」とアドバイスしてくれた。
次にパースをマリアに届けると、その設計思想をクレアから確認したマリアは試作品を商人ギルドに納入ようにクレアに発注してくれた。
こうしてトントン拍子に『携帯トイレ&シャワー』の話は進んでいく。
数日後には『百合の庭園』の一画に工房ギルドの手による『クレア-フリント』ブランドの『高級家庭用トイレ』『高級家庭用シャワー』『トイレ・シャワー付き馬車』のモデルルームがオープンした。
これが富裕層に大受け。
『家庭用トイレ&シャワー』の評判は『百合の庭園』と相まって諸都市へと轟くことになる。
こうしてクレアは基本設計料の他に特許使用料をも継続的に手にすることになる。
これでクレアもお金持ちの仲間入りである。
さらに何日か後には、工房ギルドに特注していた馬車がエリスたちの屋敷に届けられた。
馬車には高級トイレとシャワーを後方に据え付けてある。
一応排水処理タンクも積んではいるが、これは第三者へのカモフラージュ用。
馬車の中央部には三段ベッドを二列配置し、全員が余裕を持って眠れるようにした。
馬車の両横にはロールタイプの天幕を設置してある。
これらは引き延ばせば簡易テントのようになり、その下に折りたたみのダイニングテーブルを展開すれば、ちょっとした食事用のオープンスペースとなる。
ベッドとトイレの間には『発熱の石』をセットした簡易キッチンもフラウの要望で完備してある。
「うふふふふ。これで堂々と旅行に行けるわね」
エリスのつぶやきに今度こそ全員一致で四人は同意する。
するとここでクレアが素朴な疑問を提示した。
「ところで、どこに行くの?」
あ。
再び硬直する三人。
これまでエリスはクレアとともに設計に夢中になっていた。
フラウは新しく装備された簡易キッチンで用意できるレシピに夢中。
キャティはとりあえずどこでもいいので行き先など全く考えていない。
するとここで一人だけ硬直していないレーヴェが手を上げた。
「商人ギルドマスターのマリアさんから『城塞都市』に行かないかと誘われているんだが」
「城塞都市って?」
「『城塞都市マルスフィールド』。この辺一帯の穀倉地帯を一手に握る領主の街だ」
「何をしに?」
「オペラの観劇に誘われている」
あー。
レーヴェさまファンクラブの活動ね。
「レーヴェは行きたいの?」
そうエリスがレーヴェに問いかけるが、レーヴェの返事を待つ前に他の三人が言いたい放題となる。
「マルスフィールドは、珍しい食材が集まるんですよ!」
フラウは興奮している。
「マルスフィールドにはものすごく大きな機械仕掛けの時計台があるんだって!」
クレアも興奮している。
「獣族の街があるにゃ!」
珍しくキャティも具体的に興奮している。
黙れお前ら。
「それでレーヴェはどうなの?」
「オペラは観劇してみたいが、マリアさんと二人だけでというのはちょっとな……」
はい決定。
エリスはマリアに向けて手紙を書くとキャティに託した。
内容は次の通り。
「レーヴェとオペラを観劇したいのならば、私たち全員を連れていってください」
キャティから手紙を受け取ったマリアはざっと内容に目を通した。
「返事はまたでいいにゃ」
そう言い残し、キャティが魔導馬で帰っていく姿を見送りながら、マリアはほくそ笑む。
「まだまだ子供だわ」
続けてすぐにエリス宛に返事を書き、すぐに届けさせる。
「ぜひ皆様もご一緒にどうぞ」
続けてマリアはもう一通手紙をしたためた。
「護衛は無事釣れたわ」
手紙は工房ギルドマスターのフリント宛。
手紙に封をすると、マリアは一人ニヤリと笑みを浮かべたのである。