竜戦乙女
フラウがエリスを抱き、その両側にレーヴェとキャティが守るように並ぶ。その後ろからは、クレアが続く。
トランスハッピー付近では、機械化竜の人形を抱えたメベットが、目を真っ赤にしていた。
機械化竜の大きさは、クリエイトゴーレムの術式を施す前、すなわちダークミスリルで型を取った時のサイズに戻っている。
人々はエリスが何らかの術式を行使するのを目の当たりにしていた。
この幼女が竜たちをその身に取り込み、巨大な女神さまを召喚したのを目の当たりにしていた。
彼女のおかげでこの街が、この世界が救われたことを目の当たりにしていた。
だから、皆は無言で道を創る。竜戦乙女たちが向かっていく道を。
竜戦乙女たちは、エリスを深淵の装束から、彼女愛用のネグリジェに着替えさせると、彼女のベッドに横たえ、毛布をそっと掛けた。
その日は、誰も何も言わなかった。誰も何も聞かなかった。
彼女たちはあの瞬間に彼女たちの竜から伝えられていた。これからエリスの身に起きることを。そして竜たちからの別れの言葉を。
だからその晩は、ただただエリスの横に4人で寄り添った。竜たちの言葉が真実とならなかったことに感謝しながら。
全てを洗い流してしまえとばかりに、あふれる涙を無言で流しながら。
翌朝。窓から日が差し込む。
「さて、こうしてばかりはいられないな。私は街の様子についてマリアさまのところに確認しに行ってくるとするよ。行くぞすーちゃん……。あ……」
レーヴェは気丈にも次に進もうとしたが、それはもう一つの彼女たちの悲しみを掘り起こしてしまう。そう、彼女たちの竜はエリスの中に消えたのだ。
レーヴェは何も言わなかったようなそぶりを見せ、エリスは任せたと言い残してから外に出ていった。
「私は朝食の準備をしますね」
フラウも立ちあがり、キッチンに向かっていく。
「そうだね、エリスの意識がいつ戻ってもいいように、心配事は片づけておかないとね。ボクは工房ギルドで街の被害状況を確認してくるよ」
クレアはそう呟くと、出かけるための身支度を始める。
「私はここに残るにゃ。私がエリスを診ているにゃ」
キャティは枕元に残る。エリスは規則正しく息をしているが、目を覚ます様子は見られない。昨晩クレアがエリスの「全回復の指輪」を使ってエリスに回復魔法をかけようとしたが、エリスに回復できるところはなかった。すなわち身体に異常はないということ。
「エリスの具合はどうなの?」
「クレアによれば、身体は問題ないそうです。後はいつ目覚めるのか、このまま目覚めないのか……」
マリアは真っ赤に腫らしたレーヴェの両眼を見つめながら、彼女たちがいかにつらい夜を昨晩過ごしたのかを想う。
「そう、街のことは心配しないで。人々の被害はほとんどないわ」
「なら一安心です。それでは一度邸に戻ります」
「ええ、皆さんにもよろしくね」
……。
「私は、誰に何をよろしくと伝えればいいのだろう……」
レーヴェの呻きにマリアは自らの失言に気づく。
彼女たちを大人として扱っていた自分たちの甘えに気づく。
目の前の娘はまだ16歳なのだと気づく。
マリアは立ち上がると、座ったまま無言ではらはらと涙を流すレーヴェを胸に抱いた。
「おおクレア、昨日はご苦労じゃった」
「ボクは何もしていないよ。全てはエリスのおかげさ」
「そんなことはない。わしらはお前が混沌竜と最後の砦として踏ん張っていたのを見ておる。お前はわしら工房ギルドの誇りじゃ」
……。
……。
「うわぁぁぁ……!」
皆が我慢しているから、皆が声を上げないから、クレアも我慢していた。が、ここにきてその気持ちがはじけてしまう。
クレアはフリントの胸元に飛び込むと、声をあげて泣いた。エリスが目覚めるのを祈りながら泣いた。それを工房ギルドのメンバーは無言で聞いていた。エリスの無事を祈りながら。
食事の準備を終え、フラウが邸の外を覗くと、そこにはケンたち商店街の面々が、心配そうな表情で邸の様子を窺っているのが見える。
フラウは冷たい水でしぼったタオルで両眼を押さえ、腫れを引かせると、両の頬を両の掌でペチペチとはたいて気合を入れ直し、笑顔で玄関に向かう。
「皆さん、エリスは無事ですよ。逆に皆さんがちゃんとお仕事をしてくれないと、エリスが目覚めたときに大変ですよ。皆さん、エリスのお説教が恐ろしいのは知っているでしょう?」
フラウは努めて笑顔で皆に語りかける。が、皆の沈痛な面持ちは変わらない。
しばらくの無言の後、ケンがぼそりとつぶやく。
「俺たち、エリスお嬢さまから説教される日を待っていますから……」
「あ……」
ここまでだった。笑顔なはずのフラウの両眼から涙があふれ出す。笑顔を張りつけたままの表情で涙が流れだす。
「フラウさま……」
アイフルがたまらずフラウの頭を胸に抱き抱える。
「あ……。ああ……」
街の人々は、フラウの涙が乾くまで、無言でその場に立ち尽くした。
「エリス、目を覚ましたら、また一緒に唄を歌うにゃ。パインバンブーの奥深さを教えてやるにゃ。今度は金網デスマッチを企画するにゃ……エリス……エリス……」
エリスの枕元でキャティがとめどなく言葉を紡ぐ。エリスの心に届いていると信じながら。エリスが答えを返してくれると信じながら。
「エリス……エリス……帰ってくるにゃ……みんな待ってるにゃ……」
すぐにぼんやりとなってしまうエリスの姿が再びはっきりするように、何度も何度も目を拭いながら、キャティは囁き続ける。
さらに数日が経過した。相変わらずエリスは静かな吐息を繰り返しながら眠り続けている。
街も少しずつ営業を再開し、他都市からの観光客も受け入れ始めた。宝石箱たちの涙も枯れはて、今はメベットを加えた5人ともが気丈に振る舞っている。
「さて、私は街を巡回してくる」
レーヴェは朝食を一足早く済ませ、席を立つ。そしていつもの巡回服に着替え、愛用の暴風竜皮革製ブーツを履く。
キャティの『勇者を引き裂くもの』は、天神騒動の後、その鑑定名が『ダークミスリルロールアームクロウ』という名称に代わってしまった。多分あの爪の異常な強さは、神術によるものだったのだろう。魔王の魔符に至っては、その存在すら消えてしまった。
一方、レーヴェの『隼のロングレザーブーツ』や、キャティの『猛攻のランジェリー』は、ユニークにもかかわらず、その能力を残したままだった。
レーヴェは、愛用のブーツを慈しむようにひとなですると、外に踏み出した。
突然間抜けな声が彼女の脳裏に響く。
「うひょー!」
続けて空から彼女の足元に「ぽてん」と何かが落ちた。
あっけにとられているレーヴェを無視するかのように、空から落ちてきた群青色のそれは、「やれやれ」とつぶやきながら、当たり前のようにレーヴェの胸にへばりついた。そして当然のように言い放つ。
「ただいま、レーヴェちゃん」
レーヴェはなるべく平静を装う。
「遅かったな、すーちゃん」
レーヴェの目線から、彼女の演技をあざ笑うかのように、一筋の涙がこぼれ落ちた。
フラウがキッチンで洗い物をしていると、突然横の発熱の石製コンロから、沸き起こるはずのない炎が立ち上った。フラウは慌てて水を汲み、コンロにかけようとすると、突然脳裏に声が響く。
「やめてー! 今水を浴びちゃうとやばいの!」
突然の声に、水をかけようとしたポーズのまま硬直してしまうフラウ。すると炎はすぐに消え、その代わりに、紅色の何かが姿を現した。
「ただいま、フラウりん」
紅色の小さな鳥は、パタパタと羽ばたくと、当たり前のようにフラウの肩に舞い降り、ここが私の指定席とばかりに、フラウの髪の中に姿を隠してしまう。
「お帰り、ふぇーりん」
フラウはいつもの感触が肩に戻ってきたことを確認しながら、何事もなかったように笑顔で洗い物を再開する。目の前の景色を滲ませながら。
「なんやここは、真っ暗やで!」
エリスの横からほとんど離れずに寄り添い続けているキャティの意識に、突然妙ちくりんな言葉が響く。
「おーい、わいはここやでえ!」
キャティは声が響く方向に用心深く進んでいった。そこは以前風呂場として使用していた、今はレーヴェ愛用の洗濯場。
声は水を貯め、埃が入らないようにふたをしている樽から響いている。
キャティは咳払いをしてから、ゆっくりとふたを開ける。
「こんなところで何を遊んでいるのかにゃ」
すると純白の襟巻のような何かが、水にぷかぷかと浮かびながら、バツの悪そうな声で答える。
「カッコよく登場しようと画策したらこのざまや」
「おかえり、あーにゃん」
「そこはキャティにゃん、わいがただいまを言うところや! おいしいところを持っていかれてもうた」
キャティは笑顔であーにゃんを桶から抱き上げると、その柔らかな毛で涙を拭い、その後振り回して水切りをしてから首に巻きつけた。
設計事務所にこもっているクレアの頭上が突然懐かしい重さに襲われる。
思わずクレアの相好が崩れた。なぜなら、次に聞こえるだろう言葉が予測できてしまったから。
「だーれだ」
期待通りの言葉が意識に響く。
「え、誰? ボクにそんな知り合いなんていたかな?」
こちらは予想外の回答にビビってしまう。
「え? あ? わからない? 本当にわからないの? え? それってちょっと問題じゃないかな?」
頭上の何かが明らかに動揺しているのが手に取るようにわかる。
クレアは両の手をそっと頭上に伸ばして、動揺している何かをつかんだ。
「え? え? え?」
クレアは真っ黒けの物体を目の前に掲げる。
「おかえり、ぴーたん」
続けて動揺している漆黒の竜にキスをした。
「ただいま、クレアたん」
レーヴェがすーちゃんのことを報告するために邸に戻ると、玄関先の土がもこもこと盛り上がり始めた。その様子にレーヴェは足を止め、何が起きるのかを確認する。と、そこからモグラのように、見覚えのある何かがレーヴェの前に姿を現した。
それと同時に、邸の中からメベットの叫び声が響く。
「エリスお姉さまが目を覚ましました!」
レーヴェはその理由を瞬時に理解した。続けて目の前の何かを両手で持ち上げる。
「すぐにお嬢のもとに連れていくからな」
「ああ、頼む」
それは、地面から姿を現した大地竜。




