マルコシアちゃん
エリスたちは徹底的に証拠隠滅を図ったつもりだったが、ワーランの竜戦乙女生贄未遂事件は、勇者の魔宴狩りとともに、瞬く間にスカイキャッスル中に噂として広まった。
あの日、たまたま会場近くを通りかかった通行人が、勇者の「俺は勇者グレイ、王の客人を救出に来た!」という宣言を聞いてしまったのだ。彼はその後会場から聞こえる悲鳴などで怖くなり、一旦帰宅した。が、逃げる途中で会場に空から閃光が煌めき落ち、次に爆炎が燃え暴れ、最後に星のまたたきを隠す球体が落下し、轟音を轟かすまでを聞いた。翌朝彼が会場で見た光景は、何もかもが真っ黒に焼け焦げ、押しつぶされた状況だった。当然人の姿など判別できるはずもない。
衛兵たちが現場検証を行っている最中、野次馬たちは色々と噂をし合う。ここで魔宴が開かれるのを知っていたものが、こっそりと、しかし自慢気にそれを隣の野次馬に耳打ちする。竜戦乙女の吊るし切りが開かれると知っていたが、たまたま所用で当日魔宴に参加できなかったものは、あたかも誰かに聞いたような口振りで、「生贄は金髪の竜戦乙女だったらしい」と吹聴する。すると現場にいた彼も我慢できなくなる。そして彼は喋った。「どうも勇者が竜戦乙女を救うために魔宴を潰したらしい」と。
「勇者が魔宴狩りを開始したのは予想外だったわね」
「ああ、あの愚鈍な者がここまで徹底的にやるとはな」
「王令に逆らったということで勇者を処分するわけには行かないのか?」
「口で言うのは簡単ですけどね、具体的な方法がありません」
ここは王の寝所。相変わらずピーチ、夜馬竜、ダムズ、クリフが悪巧みをしている。
「何とか勇者をスカイキャッスルから引き離すことはできないかしら」
「勇者と竜戦乙女を敵対させることができればいいのだがな」
「竜戦乙女どもは厄介だぞ」
「そうですね。前回の魔宴のときも、結果的には私たちがハメられていたわけですからね」
……。
しばらくの沈黙の後に、ピーチが口を開いた。
「ならば、ワーランを攻めてみましょうか」
すかさずダムズが横槍を入れる。
「おいおい、ワーランは不可侵だと魔王に言われているぜ。それにザブナートの件を忘れたわけではないだろう」
クリフも同意する。
「そうですよ。あの悪魔大虐殺が誰の手によって起きたかもわからないのに、今動くのは愚かですよ」
が、ピーチは笑みを浮かべる。
「バカね、私達が行く必要はないわ。ダムズ、クリフ、使者の手配をお願い」
さらにピーチは続けた。
「勇者も、倒すことはできなくても、丸裸にすることはできるわ」
続けてピーチは作戦内容を他の3人に説明した。その内容に薄笑いを浮かべる3人。
夜魔竜が追加の提案をする。
「ザクロマのところもかなり収穫できているだろうからな。あいつらも潜ませておくか」
「そうね、手数は多いほうがいいわ。お願いね、ドラゴンさん」
再びピーチたちは暗躍を始めた。
上空を3柱の竜が舞うのは既にワーランの風物詩。
市民たちも「おや、エリスお嬢様たちのお帰りだね」と、のんきな反応を示す。
暴風竜、鳳凰竜、混沌竜の姿を見つけたメベットは、周りの子供達を一旦機械化竜から距離を取らせると、機械化竜の背に跨がり、上空にお迎えに行った。
「おかえりなさい、お姉さまがた!」
「メベット、機械化竜との飛行も上手になったな」
メベットのお迎えに上空で速度を落とした暴風竜の背中からレーヴェが返事をする。
すると、エリスの背中で大地竜が鼻を鳴らした。
「一匹紛れ込んでいるぞ、エリス」
「わかったわ、大地竜。一旦家に戻ってから様子を見に行きましょう」
エリスたちはそのまま邸に戻る。そこではビゾンとグリレがスカイキャッスルの様子を聞きたくてたまらないという表情で留守番をしていた。
彼女たちはマリアを通じて定期的にビゾンの夫であるチャーフィー卿から連絡を受けていたのだが、その内容は彼女たちを不安にさせるものばかりであった。
「エリスお嬢さま、スカイキャッスルの様子はいかがでございましたか?」
エリスたちが邸に到着するやいなや、ビゾンとグリレは宝石箱を出迎え、街の様子を聞いた。
「ビゾンさま、グリレさま、ご安心くださいな。勇者が重い腰を上げましたよ」
皆を代表し、エリスは大規模な魔宴を潰したこと、今後勇者が合法非合法を問わず魔宴を潰していくこと、チャーフィー卿とグリレの夫であるスチュアート卿はマルスフィールド公とともに、王と一定の距離を取りつつ、魔宴でエリスたちに殺された愚かな貴族どもの尻拭い、具体的には若手の登用や市井から優秀なものを集めるなどに着手していることなどをゆっくりと進める。
と、ビゾンが憂うような表情を見せた。
「王と勇者が対立ということも考えられますね」
「ええ、十分ありえますわ」
フラウがビゾンの質問に頷きながら答える。そこにエリスの背中から大地竜が続けた。
「今の王はほぼ間違いなく悪魔の傀儡だ。多かれ少なかれ打倒されることになろう。それを行うのが勇者なのか魔王なのか、第三者なのかは知らぬがな。ビゾンもグリレもその時が来ることを覚悟しておけよ」
再びビゾンとグリレは複雑そうな表情になった。末席といえども、今の自分たちはスカイキャッスルの貴族。その日が来た時に、私たちはどちらに付くべきなのだろうかと。と、そこにレーヴェが2人の姉を安心させるように言葉を続ける。
「勇者はバカだが強い。本気になったら王など一振りで滅するだろうよ」
「本当に考えなしねこの子は……。私たちが心配しているのはその後のことなの」
ちょっと切れたグリレにレーヴェは訳わかんないという表情を見せる。
「そんなもの、今心配して答えが出せるものなのか? そもそも姉さま方は『誰々に付こう』などと、他人を頼るような性分だったか?」
レーヴェの言葉に2人は黙りこむ。その後、2人は同時に深呼吸を重ねた。
「そうね、レーヴェ。あなたの言うとおりだわ。まさかあなたにお説教される日が来るとはね」
グリレが情けないような笑顔で声を絞り出す。
「まあ気にするにゃ。ここにいれば安心にゃ」
「そうだよ、これから西の漁村もオープンするから、まだまだ退屈しないよ」
キャティとクレアの励ましを暖かく受け入れた2人は笑顔に戻る。
「そうですわね。これからですわね」
こうしてビゾンとグリレも覚悟を決めた。
「じゃ、行ってみるか」
「そうね、とりあえず私とらーちんだけでいいわね。みんな、片付けをお願いね」
ワーラン上空で大地竜は自由の遊歩道で悪魔一体の存在を確認していた。なので、まずはその存在を確認に向かう。戦力については大地竜の石の刃があるし、メベットが広場で子供たちと遊んでいるので、いざとなれば機械化竜で押さえこみ、その間にレーヴェたちを待てばいい。
「エリスお嬢さま、おかえりなさい」
「お、エリス、戻ったのか?」
道行く人々が気軽にエリスに声を掛けていく。それに手を振って答えながらエリスは自由の遊歩道に向かう。
「エリス、あの娘だ」
らーちんが念話で示した先を見て、エリスはつい「え?」と声を上げてしまった。らーちんが指し示した先では、トランスハッピーのボーイ用お仕着せを着た銀髪の娘が、一生懸命モップがけをしていたから。
「らーちん、マジ?」
「俺も驚いたが、マジだ。あの娘は悪魔に間違いない。ただ、召喚悪魔ではなく土着悪魔だ」
「土着悪魔?」
「ああ、この世界で『悪魔』に分類される存在だ。『魔族』とも言う」
エリスは娘に気付かれないように彼女を観察する。その銀髪と、野生を思わせる精悍な目はどこかで見たことがある……。
「とりあえず確認ね」
エリスは自由の遊歩道雇用責任者であるマシェリの元に向かった。
「あら、エリスお嬢さまおかえりなさい」
「マシェリ、早速なんだけど」
「お嬢さま、早速なんですけど」
……。
2人の言葉が重なった。
「あ、お先にどうぞ、お嬢さま」
マシェリが慌ててエリスに譲る。が、エリスはマシェリも同じことを自分に説明するのだろうなと理解した。
「マシェリ、多分あなたの話は、あの銀髪の娘のことでしょ」
「わかりましたか……。でもお嬢さま、あの娘は悪い娘ではありません」
「わかっているわよ。ただ、あなたたちがどこまであの娘のことを理解しているのかを、確認したかっただけ」
エリスの言葉にマシェリは彼女が娘の素性を掴んでいることを理解した。なので、エリスに万に一の疑念も持たれないよう、エリスの前で娘を呼んだ。
「マルコシア、お仕事中だけどこちらにいらっしゃい。マロンさんには私が説明しておくから」
「はい、マスターマシェリ!」
マシェリが娘に声をかけると、娘はキビキビと返事を返し、駆け足でこちらに向かってきた。その姿はさながら忠実な犬を思わせる。
マシェリはマルコシアをエリスの前に座らせると、マルコシアに彼女が五郎八十とマシェリに語った通りの話を、このお嬢さまにもするように命じた。
「五郎さんも絡んでいるの?」
「ええ、最初は五郎さんがこの娘を連れてきたんです」
エリスは更に興味をもった。五郎とマシェリのお眼鏡にかなったこの娘に対して。
「それでは、私の生まれからお話しいたします」
マルコシアは自分自身の身の上をエリスにも正直に語った。エリスはマルコシアが魔族だと自ら明らかにしたことに驚いたが、それ以上に自分たちがこの娘の敵であることを憂慮した。
そしてもう一つ。この娘が「爪の探索」という、多分ベルルナルが悪魔相手に発した強制力に囚われていたこと、そして一旦解放されたことまでは納得がいく。だが、その後ベルルナルは改めて「迷宮探索」という強制を発したはず。なのになぜこの娘はその強制力に囚われていないのかと?
「いくつか質問させてもらってもいいかしら、マルコシアさん」
「はい、お嬢さま」
マルコシアも、目の前の明らかに年下の娘から得体のしれない威圧感を覚えていた。ただ、マシェリも彼女のことをお嬢さまと呼ぶところを見ると、特別な存在なのだろうと判断する。だから素直に応じる。
「まず、ご両親の敵を討とうとは思わないの?」
「父母は爪を奪うことに失敗して殺されたと聞いていますが、誰に殺されたのかはわかりません。それに父母も、あの強制力がなければ人里に出てくるつもりはなかったのです。敵というのなら、私にとっては『爪の強制力』こそ敵なのです」
では次。
「今は何の強制力もないの?」
「はい、何も感じられません」
エリスは考える。ベルルナルが自分たちに敵対するような強制力を今後発揮するであろうかと。が、エリスは横に首を振った。勇者と並び立つあのバケモノどもがやらかすことなど、予想できるはずもない。
「おいエリス、この娘が強制力に囚われていないということは、スカイキャッスルの悪魔どもが自由に活動していることに通じていないか?」
「そうねらーちん、それも確認してみましょう」
エリスは再びマルコシアに向かい合った。
「あなたの仲間は今どうしているの?」
「一緒に生活していた召喚悪魔は、他の悪魔の誘いに乗ってスカイキャッスルに向かいました。私たち魔族は召喚悪魔と念話できないので、私は誘われませんでした」
「あなたは誘いがあったらスカイキャッスルに向かった?」
「いえ、私は真っ当に生活したいのです。父母や仲間と山奥の村で暮らしていたかったのです。でも村はもうありません」
「本心だな」
らーちんがエリスに念話を送ってきた。さらにらーちんは続ける。
「悪魔のような人間もおるのだ。人間のような悪魔がいてもおかしくはあるまい」
「そうねらーちん。ここでこの娘を無碍にしても何のメリットもないしね」
エリスはマシェリの方に振り返った。
「マシェリ、了解したわ。この娘は自由の遊歩道トランスハッピーの店員マルコシアちゃんだとね。立派なワーラン市民だとね」
それから改めてマルコシアの方を向く。
「改めて自己紹介するわ。私はエリス。背中にいるのはワーランの守護竜さま、何かあったら必ず相談してね」
「はい、エリスお嬢さま、ありがとうございます」
エリスの言葉に安心したのか、マルコシアは快活そうな笑顔をエリスに向けた。その笑顔にエリスは満足する。
こうしてワーラン初の魔族市民が誕生した。




