ガチホモと娘
それはエリスたちがスカイキャッスルに出かけていてワーランを留守にしていたときの出来事。
商人ギルド前の看板に掲示された求人票を一つ一つ確認している娘の姿がみえる。
年の頃はクレアやクレディアと同じくらいであろうか。灰色に伸びた髪は薄汚れ、身体はやせ細っており、身なりも正直きれいなものだとは言いがたい。
が、獣を思わせる他者を射抜くような視線には力を感じられる。
娘はひと通り求人票を読み終わると、力なくため息を吐いた。というのは、どの求人にも「保証人」が求められていたからである。
商人ギルドでは百合の庭園と自由の遊歩道における様々な求人が行われているが、最近は物騒なこともあり、採用の際には保証人を求めるようになっている。が、この娘にはそんな心当たりはなかった。なぜなら彼女は天涯孤独になってしまったから。
「はあ、おなか空いたなあ」
娘はマルスフィールドから徒歩でこの街までやってきた。父と母が死んだと聞かされた後、一旦は他の知り合いのところに身を寄せ、とある命令を強制されていたのだが、ある日突然知り合いともども命令から解放された。すると知り合いは彼女を置いてスカイキャッスルに旅立ってしまった。
残された娘はマルスフィールドで職を探すも、彼女の身分で簡単に見つかるはずもない。が、これまでの命令を引き続きこなすのは懲り懲りだった。なぜなら、その命令により父と母は命を失ったのだから。
なので娘は最近景気がいいと評判の貿易都市ワーランに向かうことにした。そこならば職にありつけるだろうと思って。
娘は少ない家財を処分し、ワーランに向かった。定期馬車でなく徒歩なのは、単に路銀が少なかったから。体力には自信があったし、自分の身を守るくらいの技術は持っている。そしてマルスフィールドを出発してから数日後に、やっとワーランに到着したのである。
しかし現実は甘くなかった。
娘は再びため息をつくと、その場に座り込んでしまう。と、そこにマッスルブラザースの一員であるガチホモの五郎八十が通りかかった。五郎は商人ギルドの看板前に座り込んでいる娘に気づく。以前は路地裏で頻繁に見られた、しかし今のワーランでは殆ど見かけない、薄汚れた身なりの娘が気になった五郎は、娘に声を掛けた。
「そこの娘、一体どうしたのであるか?」
一瞬ビクッとした娘は五郎の方に振り返り、すぐさま立ち上がると彼に向かってぺこりと頭を下げた。
「すいません、すぐにどきます」
それと同時に「ぐぅ」と盛大な音が娘の腹から響いた。その音を隠そうと娘は慌てて腹を押さえる。
「何だ娘、空腹なのであるか?」
返事の代わりに赤面して娘は俯いてしまう。
「娘、魚は食えるか?」
五郎の意外な言葉に娘は反射的に頷いてしまった。
「ならばついてこい。旨い魚を食わせてやる」
こうして娘は五郎に連れられ、ランチタイム営業の蘇民屋を訪れた。
蘇民屋。そこはガチホモのパラダイスなのであるが、24時間だらだらとホモホモしているわけではない。彼らが云うには「けじめあってこそのガチホモである。年がら年中腕を組んで歩いているようなゲイ共に、この機微はわからぬ」のだということ。まあ、ゲイ共も「体裁にとらわれて自分自身の心に素直になれぬガチホモなど笑止千万」とばかりにけなしているのだが。
一方、蘇民屋の魚料理は絶品であるとの評判が立ち、ホモは怖いが飯は食いたいという層も出てきた。なので蘇民屋はランチタイムのみ「魚処蘇民屋」として営業している。五郎は同店の経営及び、提供料理の創作に協力しているのであった。
「店主よ、2人である」
「お、いらっしゃい五郎さん、おや、今日は女連れかい、珍しいね」
2人が暖簾をくぐると、法被にねじり鉢巻の店長が威勢よく2人を迎えた。当然彼も生粋のガチホモである。五郎はカウンターに娘を連れて行き、隣に座らせる。
「今日のおすすめは何であるか?」
「セラミクス産の飯にエリスお嬢さま式の、衣をつけた海老と白身魚を揚げてタレを掛けた『熱々魚丼』と、フラウお嬢さま式の、赤身魚と青身魚の辛酢漬けをあしらった『さっぱり魚丼』だよ」
「うむ、娘よ、どちらにするか?」
五郎は娘にどちらを食べるか尋ねるも、娘は料理の想像がつかないのか、ぽかんとした顔をしている。
「娘よ、飯はたくさん食えるか?」
この問いかけには娘はウンウンと頷いた。
「では店長、熱々とさっぱりを二人前ずつ頼む」
2人はそのまま無言の時間をしばらく過ごした。娘はちらちらと五郎の方を見るが、五郎は娘のほうを見向きもしない。
まもなく2人の目の前に2杯ずつ丼が置かれる。
「へいお待ち、熱々の方は揚げたてだから、火傷に気をつけてくれよ」
娘は目の前の2つの器に目を丸くした。1つからは湯気とともに香ばしい香りが漂ってくる。ライスの上に乗っているのは、ほんのり黄色の何かに包まれた料理。もう一つの丼は、見た目も鮮やかな紅と、銀色に輝く切り身。それらはいわゆる天丼と鉄火丼。
「む、見事であるな。それではいただこう。店長、娘に匙を持ってきてくれ」
箸を不思議そうに眺める娘の姿に気づいた五郎は、店長にスプーンを頼むと娘に渡し、それで食べるように促した。
娘はまず、魚の切り身をスプーンで掬い、口に運ぶ。それは酸っぱくてちょっと辛くて、そしてその身はほんのりと甘かった。その食欲をそそる旨さに、娘は一心不乱に丼をかっこむ。するとすぐに丼は空になってしまった。
次は熱々の方。こちらも黄色い料理を落とさないように用心深く娘はスプーンで掬い、齧りついた。
それはサクサクでふわふわでプリプリだった。かけられているタレの甘しょっぱさがご飯に合う。娘は今度はゆっくりと味わって、よく噛み締めて食べ進めた。
2杯めの丼が空になる頃には、娘はすっかりお腹いっぱいになっていた。そこでやっと冷静になり、娘は口を開いた。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです。私の名前はマルコシアと言います。ご飯、ありがとうございました」
五郎は彼女が喋り出すのを待っていた。何らかの事情持ちであろうが、こちらから尋ねるのは無粋であるから。だから、このまま飯を食べた後に、娘がこの場を去るならそれでよし、何か言ってきたら話を聞いてやろうと考えていた。
「うむ。我は五郎八十と申す。商人ギルドに勤めておる」
「なに謙遜してんだい、五郎さんは幹部じゃないか」
横から店長が口を挟んだ。が、五郎は動じない。一方のマルコシアは、五郎が商人ギルドの幹部だと聞いて、失礼だと承知で五郎に尋ねる。
「あの、五郎さま。ワーランで、保証人がなくてもお勤め出来る仕事はございませんか?」
続けて娘は自分を信用してもらうために、五郎に全てを話した。その出自も含めて。
娘の出自には正直驚いた五郎ではあるが、それを彼に明らかにした娘のことは信用できる。何より料理人でもある彼にとって「ごちそうさま」と言える娘が信用出来ないはずがない。
エリスたちがいれば彼女たちに相談すればいいが、あいにく彼女たちは留守中。ならばどうするか。
「わかった。我についてこい」
五郎が向かったのは盗賊ギルド。まずはギルドマスターのバルティスに話を通すのが筋だから。
五郎の話を聞いたバルティスは面白そうに五郎に返事をする。
「ああ、いいだろ。何かあっても顧問殿が何とかするだろうさ。自由の遊歩道にはメベットとかーくんもいるしな」
「かたじけない」
次に五郎とマルコシアが向かったのはカジノ「リルラッシュ」。五郎はそこでマシェリを捕まえ、マルコシアに、彼女が五郎に話したことを全てマシェリに話すように指示をした。言われたとおりにマルコシアはマシェリに自身の身の上を説明する。マシェリも彼女の出自については驚いたが、それ以外のところではマシェリ自らが過ごした闇の時期を重ねあわせ、この正直な娘をあんな世界に落としてはいけないと考える。そしてイベント広場ですっかり子供たちのアイドルとなっているメベットと機械化竜をちらっとみると、五郎とマルコシアに笑顔を向けた。
「そういうことなら、私が保証人としてこの娘を引きとるわ。どこで働くのかは、この娘の適性を確認しながらこれから決めるけど、とりあえずお風呂と着替えね」
トントン拍子にお勤めが決まってしまったマルコシアは、五郎へのお礼もそこそこに、マシェリに引きずられていってしまった。
「うむ。ここは何でもありの自由の遊歩道。エリスお嬢さまも理解下さるだろう」
そう言い残して、五郎は商人ギルドへと帰っていった。
マルコシア、彼女はマルスフィールドのオペラハウスで見事な歌と踊りを披露した後、爪を奪おうとしてエリスたちに返り討ちにされたウルフパック夫妻の一人娘である。そう、彼女は獣人ではなく、魔族。召喚された悪魔と違い、土着の悪魔に分類される存在である。彼女はエリスたちが親の敵だとは知らない。彼女が身を寄せていたのは他の悪魔。彼女たちが解放された強制命令は「爪の捜索」。解放後、真っ当に働こうとした彼女は、その後のベルルナルによる再強制の対象とはならなかったのだった。
彼女の配属先は、トランスハッピーに決まった。




