鑑定の基礎知識
それは夜明け直後に屋敷内に響いた。
「描けたあ!」
客間から響いたクレアの叫び声に他の部屋ですやすやと就寝中だった三人は何事かと飛び起きた。
エリスは寝ぼけまなこで木窓越しに外の様子に目線をやるも、そこから日の光が差し込んでくる様子はない。
うわあ、まだ薄暗いよ。
と、ここでエリスーエージはあることに気づいた。
あれ?なんで俺ってベッドに寝てんだ?
確か昨晩はレーヴェの膝枕で……。
「おはよう、お嬢」
その声に振り向くと、微笑むレーヴェもベッドに横たわっている。
そうか。あのまま寝ちゃったのか。
「もしかして、ベッドに運んでくれたの?」
エリスがレーヴェに尋ねると、彼女も目覚めの伸びをしながらうなずいた。
「ああ」
ん?
なんでレーヴェって裸なの?
あれ?
何か全身がすーすーするけれど。
……。
なぜか俺も全裸だよ畜生。
「お嬢。寝間着が脱げていたぞ」
なんだよその朝っぱらから満足げな表情は。
ところでなんでお前も裸なんだよ?
「脱げていたんじゃなくて脱がしたんじゃないの?」
「細かいことは気にするな」
やられた……。
エリス-エージは昨夜の油断を反省するともに、朝っぱらから上機嫌なレーヴェを今晩は最優先で泣かすことに決めたのである。
エリスが寝間着を頭からかぶってレーヴェの部屋から飛び出すと、待ってましたとばかりにクレアがダイニングテーブルに広げている図面を指さしながらエリスを呼んだ。
「エリスおはよう!修正図面と、それに基づくパースが描けたよ!」
どうやらクレアは、エリスが誰の部屋から飛び出してきても一向にかまわないらしい。
「わかったわクレア。だからちょっと落ち着いて。フラウ、まずは朝のお茶をお願い!」
エリスはこちらも何事かと飛び起きてきたきたフラウにまずはお茶の準備を頼むと、ダイニングテーブルからリビングのローテーブルに移るようにクレアにも指示を出した。
これはせっかくの図面を食事で汚したくないからという配慮である。
するとレーヴェも何事もなかったかの様子で部屋着をまとい、自室から出てきた。
「おはようクレア。エリス」
レーヴェは朝から余裕しゃくしゃくである。
畜生。
目覚めのハーブティーを四人ですすりながら、クレアが並べた図面と、それを遠近デザインに書き起こしたパースをエリス達は真剣に見比べている。
それはエリスたちのアイデアや提案をすべて取り込んだうえで完璧なバランスをとったデザインである。
水路工事に関しては当初エリスが考えていた以上の設計思想が取り入れられている。
小川からの水路への分岐点では、極力異物混入を避けるように小川の中央から採水するようになっており、異物除けの仕切りも組み込まれている。
長く続く水路の放流地である湿地への排水は、あえて深い穴をいくつか経由させることにより浄化機能を強化している。
メインの湯沸かし場も図面上は上手に薪燃料に偽装してある。
浴槽は2つ用意されている。
エリスたちの屋敷側には大きな浴槽が用意され、その反対側には細長い浴槽が配置されている。
細長い浴槽は『かけ湯』として使用し、洗髪などはここのお湯を桶にとって行う、いわゆる『洗い場』となる。
洗い場で使われたお湯は香油や汚れなどを含むので、そのまま排水溝へと送り込まれる。
もう片方の大きな浴槽は『浸かり湯』である。
その湯船は浴槽内で浅い部分と深い部分の二段構造となっており、半身浴と全身浴の両方が一つ浴槽で楽しめるようになっている。
このつくりならば十人どころか二十人ほども快適に湯舟を楽しめるであろう。
浸かり湯からこぼれ伝わる温水はトイレ用の水路に流していく。
これで温水トイレもできあがりである。
さらにトイレには手洗い用に湯沸かし場より上から分岐された水路から常に細く真水が流れるようになっている。
トイレは家族用と浴場用に1室づつ配置されている。
トイレ自体は隣同士だが、片方は扉がエリスたちの屋敷側に、もう片方のトイレは店側に扉が設置されている。
これで家族用とお客さん用のトイレは壁一枚でそれぞれ仕切られた。
入口左手に据え付けられた受付カウンターは、カウンター上や内側の棚などにちょっとした商品も陳列できるように余裕を持った構造となっている。
しかも十分なスペースを持つバックヤードがカウンター裏の扉と屋敷側の扉との間に用意されており、商品の在庫管理が可能になっている。
更衣室は入口右側に設置されているが、カウンターから更衣室内を見渡すことができるのでセキュリティは万全である。
さらに更衣室には簡単な細工ではあるが木製の鍵による30台のロッカーが設置されている。
また、更衣室と浴室の間には火照った身体を落ち着かせる入浴後の休息スペースも確保されている。
肝心の建物は正面と家との間は石造りとし、他の二面は木造りとして、見た目の豪奢さと湿気の調節を両立させている。
「素晴らしいわクレア!」
皆を代表してのエリスの賞賛にクレアは照れ隠しに頭を掻きながらへへへと笑っている。
「この図面とパースで良ければ今日にでも親方のところに持ち込めるよ!」
ところがそこでレーヴェが素朴な疑問を口にする。
「ところで明かりはどうするんだ?」
あ。
言われてみればそうだ。
このままでは真っ暗だ。
浴場ならば湿気もそれなりであろうから通常のランプは使えないし、松明などは煙がこもってせっかくの香りを汚してしまう。
「ああ! そこまで考えていなかった!」
などと慌て出すクレアだが、そこにフラウが落ち着きながら助け舟を出してやる。
「『発光の石』をいくつか用意すれば問題無いですよ」
続けてフラウはエリスの方を向いてウインクをした。
「発光の石とは、発熱の石と同系統の魔道具です。これを一つでも入手することができれば、後は問題無いですよね」
「お手柄よフラウ」
エリスーエージは再び感心した。
明りの問題に気付いたレーヴェの冷静さと、それをすぐに解決して見せたフラウの知識と判断に。
ここは私もクレアの背中を押さなきゃね。
「クレア。明かりの問題は心配しなくていいわ。まずは親方にこの図面での見積をお願いしましょう」
四人はフラウが簡単に用意した朝食を手早く済ませると、クレアを中心にして工房に向っていったのである。
ところが工房でエリスたちは予想外の応対を受けてしまう。
まずは図面を広げ一瞥した親方が猛烈な勢いでクレアに向かった。
「クレアお前。何を考えてんだ!」
いきなりの親方の叱責がクレアに降りかかり、続けてクレアの脳天を親方のげんこつが容赦なく襲う。
なぜ?
親方のものすごい剣幕に押され、エリスたちは思わず戸惑ってしまう。
すると親方は落ち着きを取り戻すかのように深呼吸を何回か行うと改めてエリスたちのほうに向いた。
「お嬢さん方、この図面でいくらの見積もりになるか分かるかの?」
親方はクレアにつまらないことをさせてしまったような物言いで吐き捨てた。
「夢を描くのは確かに大事じゃ。しかし現実を踏まえない行動に意味はないぞ」
どうやら親方は最初に見せた図面を前提に見積の積算を済ませていたらしい。
しかし最初の図面はあくまでもエリスたち家族用の入浴スペースであり水路も簡素なものであった。
ならばこうだ。
エリスは顔面を真っ赤にしながらも努めて冷静を装っているであろう親方に笑顔でこう返した。
「親方。5千万リルじゃ足りない?」
「なんじゃと?」
今度は親方がきょとんとする。
「ちょっと待て、最初の図面ならば高々200万リル程度の工事じゃぞ!」
「予算は5千万リルなの」
親方はもう一度クレアから手渡された図面を見直し、あれこれと概算を暗算していく。
が、親方には基本的な疑問が残る。
「お嬢ちゃんたちにそんな支払いが可能なのか?」
するとそこからは信用力では抜群のフラウが説明をエリスから引き取り続けていった。
「前金2千5百万リルを冒険者ギルド保証の為替でまずは発行します。施工後に2千5百万リルを同じく冒険者為替のお支払いでいかがでしょう?」
冒険者ギルド為替とは、現金を持ち歩くリスクを減らすために冒険者がギルドに預託した金額以内でギルドが発行してくれる証書であり、その信用力は高い。
ギルドは冒険者為替を発行した場合には該当冒険者が預託した現金を凍結し本人すら出金できないようにしてしまう。
一方で冒険者ギルド為替には有効期間が記載されており、その期間内に当該ギルドにて換金しなければ無効になるという側面を持つ。
最終確認は為替に記載された冒険者本人サインと本人があらかじめ冒険者ギルドに登録したサインの照合にて行われる。
ここで親方に対し冒険者ギルド為替自体の提示があれば完璧ではあるが、今ここで親方にその発行を申し出ているのは発行責任者である冒険者ギルドマスター本人の娘である。
これ以上の保証はないといってもいいだろう。
「わかった、見積を積算しよう。フラウたちは明日また来てくれるかの。クレア、お前は儂と積算じゃ」
こうしてクレアを除く三人は冷や汗をかきながらも工房を後にした。
「今日はどうしようか」
何の気なしにエリスが口にする。
「そういえば、露店では小物ばかりだけど、武器や防具は短剣くらいしか見かけないね。それこそ針とかさ」
するとフラウが物知り顔で説明してくれる。
「鑑定には、それなりの費用がかかるからですよ」
フラウの説明は次の通り。
まず道具に何らかの能力が備わっているかどうかの判断をしなければならない。
これは『魔力感知』で行う
もし『魔力感知』に引っかかればその道具は何らかの『魔道具』であるということ。
ここで魔道具の能力を知る魔法が『アナリシス』である。
『魔力感知』は付与魔術系の魔術師や経験を積んだ商人が品物に対する鋭敏な感覚として身につける事ができる。
しかしながら精神力こそ消費しないものの魔力感知にはそれなりの精神集中とそれなりの時間が必要である。
はっきりいってエリス『魔道具感知』のように十把一絡げでホイホイ魔力感知できるのは異常なのだ。
一方の『アナリシス』は純然たる魔法である。
この魔法は当然のことながら学ばなければ身につかない。
基本必要精神力は5。
常人の精神力は平均10なので、魔道具鑑定は1日1回が限度である。
「実は、私も魔力感知とアナリシスは使えるのですよ」
と、少しだけフラウは胸を張った。
そういえば露店で『氷結の指輪』をゲットしたときにフラウは魔力に感づいたようだったし、アイーダの迷宮で睡眠の指輪を発見した時にフラウは明らかにその能力を把握していたことをエリスは思い出した。
「それくらいでなければ冒険者ギルドの受付は務まりませんよ」
フラウは笑顔で続ける。
「でも、私は1日1アイテムのアナリシスが限度です。だからこれまでどおり魔道具鑑定はエリスにお願いしますわ」
ちょっと横道にそれましたわと照れ隠しをしながらフラウは解説を続けてくれる。
こうしたとおり魔力感知はそれなりの時間がかかり、アナリシスになると魔法が必要となるので、冒険者ギルドでは未鑑定アイテムの鑑定には『魔力感知1万リル』『アナリシス5万リル』計6万リルを希望者に請求することになっている。
なので指輪や小道具などの基本取引額が6万リル未満の品物の場合は外れると大赤字となるので、冒険者たちもボス部屋のアイテムや上位迷宮での入手アイテム以外は鑑定せずに売っぱらうことが多い。
冒険者ギルドが基本取引額で買い取った品は冒険者ギルドは自前で魔力感知をするのだが、これも低レベル迷宮などの出土品やらの場合はそのまま露店商人に売っぱらうものもある。
これが露店でたまに大物の魔道具が混じっている理由のひとつ。
エリスが発見したような掘り出し物が露店へと流れるもう一つの理由は『没落貴族による在庫処分一掃セール』にある。
こちらは大量の品が一斉に吐き出され、しかも既に鑑定された貴重品も放出されるので未鑑定の品は放置されることが多い。
一方で武器や装備品は能力が備わってなくてもそれなりの価格で売れるため、冒険者はほぼ間違いなく鑑定を依頼する。
なぜなら外れても少しの黒字となり当たれば一攫千金であるから。
さらに当たりの武器や防具は本人たちが鑑定料6万リルを支払って引き取らない限り冒険者はそれらをすべて買い取り、冒険者ギルドから高級武器店、高級防具店へと転売される。
これが露店に武器防具がほとんどない理由。
「なら、高級武器店と高級防具店に行ってみましょう」
エリスの提案で三人は高級店へとウインドウショッピングに出かけることにした。
まずは高級武器店に到着。
エリスには店内中の武具のほとんどが薄明るく光っているように見える。
そんな彼女の目に見知った名称が飛び込んだ。
『飛燕のロングソード』
1千万リル
え?
エリスは両眼をこすってからもう一度ゼロの数を数えてみる。
一・十・百・千・万・十万・百万……。
ゼロの数はあっている。
『吸精のショートソード』
5千万リル
え? え?
フラウとレーヴェも、まさかここまでの価格がついているのかと驚いている。
するとそこに店員が揉み手をしながらやってきた。
「フラウお嬢様、なにかお探しですか?」
どうやらこの店員もフラウのことは知っているらしい。
仕入れ先の娘であるから、まあ当然といえば当然ではあるが。
これはいい機会だとエリスは少女ぶりっ子全開で素朴な疑問を口にしてみた。
「飛燕のダガーはおいくらくらいなの?」
すると店員は子供の言うことだからとわざわざ諭すような口調となった。
「飛燕の能力は、ダメージを倍にするというものなのですよ。なので一撃の効果が高ければ高い武器ほど高価になります。ダガーならば、そんなものがあればの話ですがせいぜい100万リル程度でしょう。一方でミノタウロスが持つモールなどでしたら2千万リルほどの価格になりますよ」
「吸精もそうなの?」
「ダメージ依存の武器はほぼ同じ傾向です」
「ダメージ依存じゃない武器ってあるの?」
可愛らしいエリスからの質問に店員は自慢気に答えを続けていく。
「クリティカル系と特殊攻撃系です。ともに手数勝負の能力ですよ」
「ありがとう」
一旦店を出てからエリスは改めてフラウに先ほどとは真逆の生っぽい質問をぶつけた。
「ミノタウロスが出てくる迷宮でモールをゲットして、それに飛燕をつければレア物の出来上がりなの?」
「ええ。飛燕のミノタウロスモールはこれまでに出現が確認されていますから。もちろん超レアですけれどね。それなら冒険者ギルドも一切疑いなく引き取ってくれますわ」
「それじゃ吸精は?」
するとフラウは一転困ったような表情となってしまう。
「吸精はそもそもこの辺の迷宮からは出現しませんから難しいです」
どうやら飾ってあった吸精のショートソードは他の街から仕入れられたらしい。
次に訪れたのは防具の店。
こちらにはあまり面白いものはなかった。
なぜならばそれらの持つ能力のほとんどがダメージ軽減か、特殊攻撃無効であったから。
相手から食らったダメージをモーニングスターでぶん殴ることにより取り返すフラウにダメージ軽減はあまり意味はない。
さらにそもそも相手からダメージを喰らわないレーヴェには両方ともあまり意味が無い。
ということで、防具はあせって効果をつける必要はないとエリスは判断した。
そろそろ帰りましょうかと防具の店を出た三人の前を、1体の馬が通過した。
???
何だろあれ。
「ねえフラウ。さっきの藁の馬みたいな化物は何かしら」
「あれは魔導馬ですわ。エサの代わりに使用者の精神力で走る魔道具の馬ですよ」
「あれって高いの?」
「100万リルくらいでしょうか。携帯には便利ですが精神力を消費してしまうのがやはりネックです。あの魔道具は『スレイプニル』という魔物の馬が時々残しますよ」
これはいいこと聞いた。
「あの馬ってさ。私たちの人数分あれば便利よね」
その問いかけにフラウとレーヴェは気づいた。
目の前に精神力無限大の少女がいることを。
「あれが人数分あれば行動範囲が広くなるな」
レーヴェはほくそ笑む。
「浴場完成までの仕事が決まりましたね」
フラウも目標ができたように微笑んでいる。
ということで、風呂が完成するまでは牛と馬を集中的に狩ることに決定したのである。
そして翌日。
いつものようにお肌の調子が良い二人とエリスはクレアを迎えに再び工房に向かった。
「親方、いますか?」
フラウの呼びかけに親方とクレアがともに疲れ切った表情で奥から顔を出した。
目の下に隈をこしらえているところを見ると、二人とも徹夜で積算を行っていたのであろう。
「おう、ちょうど積算が終わったところじゃ」
親方は三人に向かって切り出した。
「儂もプロじゃ。施工内容と費用をごまかすつもりはない」
親方の説明に三人はうなずく。
「この設計図通りで通常の施工にて行うならば工期45日で4千万リルじゃな」
それならばと声を出そうとしたエリスに向けてクレアが唇の前に人差し指を立て、続きを聞くように促した。
親方は続ける。
「水路用のタイルを優先発注。浴槽関連設備を工房にて別途作成。水路工事と建物建設と並行させれば施工期間を30日と短縮した上で費用は5千万リルじゃ」
「30日でお願いするわ」
エリスは即答した。
「今から冒険者ギルドで為替を用意して本日中にお届けします」
フラウも親方に頭を下げる。
「クレア。お前は明日から現場監督兼我らが屋敷の留守番だな」
レーヴェはクレアの両肩をたたきながら微笑みかけてやる。
これにて契約完了。
明日から施工だ!