緊急信号
ここはワーランの宝石箱邸の別館。男性陣もOKのリビング。今日はウィートグレイス領主レオパルド公とその家族に別館は提供されている。
「よくぞ決断してくれた、スチュアート卿よ」
ご機嫌なフェルディナンド先公が、孫婿に驚くほどの丁寧な所作で礼を言う。
「いえ、このところスカイキャッスルでも酒類の増産が進んでいましたから、こちらこそ貿易都市ワーランとの新たな取引開始はありがたいのです。それに『クレア・フリント』ブランドのトイレとシャワーの評判が貴族の間で非常に高まっております。こちらも既に予約は数十件以上に上り、グリレと汚物樽の回収交換業の立ち上げを計画しているくらいなのですよ」
スチュアート卿が先公の孫娘であり、自身の妻であるグリレを持ち上げる。
「グリレ、あまりガツガツするのではないぞ」
「いえいえ、やりたいようにやればいいのですよ。後悔しないようになさいね」
と、父であるレオパルド公が釘を刺し、母のルクスは娘を勇気づける。
続けて「スチュアート卿、今度俺にスカイキャッスルの酒造りを見学させてください」と、末弟のヒュンメルがスチュアート卿に願った。これに驚いたのはグリレ。
確かにウィートグレイスで行われている米中心の酒造りとは異なるスカイキャッスルの手法を見学しておくことは、彼の後のために良い経験になるのだろう。
が、まさか、いつもルクス母さまの影に隠れて泣きそうにグズグズしていた弟が、ここまで立派に意思を主張するようになったとは。
グリレは誰にも気付かれないように涙を拭った。
ところで、部屋の隅にはレーヴェと暴風竜がおとなしく座っている。この1人と1柱、特に竜の方はグリレが苦手で仕方がない。それは先日のこと。まさか人間の娘に1刻もの間、延々と説教されるという屈辱を味わわさせられるとは思っていなかったすーちゃん。二度とあんな目には遭いたくないので、今はレーヴェの胸におとなしくしがみついている。
こうして、ローレンベルク一家は自由の街道からのケータリングサービスによる食事と、スチュアート卿が持ち込んだお酒を一家水入らずで楽しんだ。
が、そこでレーヴェが身につけている小さな人形が突然叫びだした。
「お姉さま! 助けて!」
声と同時に邸を飛び出しレーヴェとすーちゃんは隣の本宅に向かう。そしてレーヴェはすぐに主室で食事を楽しんでいるエリスたちに報告をする。
「メベットから『助けて』と連絡が入った。私はすぐに出発するから後を頼む」
すぐにエリスが的確な指示を出す。
「レーヴェとクレアはすぐに暴風竜で出発! クレアはメベットのファインドマーカー信号を追跡してレーヴェに方向を示して! 混沌竜はファンシーサイズのまますーちゃんに同乗! フラウは大至急マリアさまのところに出向いて、マルスフィールド公経由でスカイキャッスルに何が起きたのかをチャーフィー卿に確認してきて! キャティは私と待機!」
エリスの指示に従い、巨大化した暴風竜にレーヴェとクレアは跨がり、夜の闇を北に向けて羽ばたいていった。 フラウは魔導馬に跨がり、商人ギルドへと向かう。エリスとキャティは別宅のリビングでフェルディナンド先公たちと合流し、彼らに状況説明を行った。
「メベットの身に何が起きたのだ!」
皆を代弁するかのように、主であるレオパルド公が叫んだ。
「今商人ギルドからマルスフィールド公経由でチャーフィー卿に事情を伺っています。まずは落ち着いてください」
エリスは皆をなだめながら、メベットに万一のことがあった場合にすぐ助けを求めるように、遠吠えの人形を1つ持たせていたこと。その理由は王都スカイキャッスル内で悪魔の存在が確認されていたからなどを順番に説明する。悪魔の存在に顔色を変えるローレンベルク家の面々。彼らにも悪魔の恐怖は身に染み付いている。
「しかし、高価な道具を、よくメベットに持たせる余裕があったの」
フェルディナンド先公の言葉に、ここでエリスはしれっと嘘をついた。
「クレアの両親であるウィズダムの魔術師ギルドサブマスターのアレスさんと、その妻イゼリナさんがその道具を開発したのです。なので、私たちには少し余裕を持って人形を持たせていただいたのです」
前半は事実、後半は虚偽。だが彼らは前半の事実だけで充分驚き、同時にクレアがトイレやシャワー、ゴーレムなどの開発に秀でていることに納得した。
そうしているうちにフラウが血相を変えて帰ってきた。魔導馬の背にはマリアが人形を持ってフラウの背に掴まっている。
「誘拐です! エリス! メベットが何者かに拐われました! チャーフィー卿も現在捜索を行っているそうです!」
「決まりね、フラウ、キャティ、私達も行くわよ!」
「少しお待ちください」
家を飛び出そうとするエリスをグリレが呼び止めた。そしてエリスに鍵を渡す。
「何やらきな臭いようですから、あまり人目に触れないほうがよろしいかと。隠れ家として私たちの住まいをお使いください」
「ありがとうございますグリレさま。申し訳ございませんがこの家の留守をお願い致します! それからフェルディナンドさま、こちらをお渡しします。こちらの人形で私と直接会話が可能です」
そう言い残すと、巨大化した鳳凰竜の背にエリス、キャティ、フラウは跨がり、レーヴェたちを追いかけるように北の空へと羽ばたいていった。
彼女たちを見送るローレンベルク家の一行とマリア。と、マリアの人形からマルスフィールド公の声が響いた。
「王が乱心した! とんでもない王令を公布してきたとチャーフィー卿から連絡が入った!」
その内容は「魔宴の解禁」と、「魔宴への生贄は、成人ならば本人、未成年ならば親の同意があれば合法的に提供される」というもの。
「王は狂ったのか……」
あまりにも酷い内容にフェルディナンドたちは言葉を失った。
「合意」と言えば聞こえは良い。が、王が「合意せよ」と王命を下したらどうだろうか。民は合意せざるを得ない。なぜなら王命に背くこと、それは死を意味するから。要するに、王に命じられた時点でその人物は死刑が確定するということ。それ以外にも様々な穴がこの王令には内包されている。
「エリス、聞こえるか?」
フェルディナンド先公は、竜上のエリスに王令について努めて冷静に説明を行った。
こちらはスカイキャッスル。勇者グレイと魔術師マリオネッタ、盗賊ギースは王都広場に建てられた王令の看板を前に唖然としていた。
「よりによって、なぜ悪魔の宴と言われる魔宴がスカイキャッスルで解禁されるのだ?」
それは当然の疑問。
「俺は盗賊ギルドに出向いて情報を仕入れてくる。お前ら、余り目立つような行動は取るなよ。この王令が事実ならば、王に『生贄に合意せよ』と命じられた時点で人生終了だからな」
ギースもすぐにこの王令のヤバさに気づいた。なのでまずは情報収集を行い、状況を分析する。
ギースの指示通り、グレイとマリオネッタは一旦アジトに戻り、ギースの報告を待つことにした。
「さすがは王、ご決断がお早い」と、寝所に仰向けになった王の右耳元で裸の女性が囁く。
「さすがは王、我らも従います」と、王の左耳元で裸の男性が囁く。
王は虚ろに天井を見つめ2人に懇願する。
「言うとおりにした。だからこれ以上わしを搾り取るのは勘弁してくれ……」
それを微笑みで返す2人。
「何をおっしゃいますか王、まだまだこれからですわ」
「何をおっしゃいますか王、いろいろ奉仕いたします」
ジョー・J・スカイキャッスル8世は虚ろな目を閉じた。そして左右から襲いかかる人の技とは思えぬ快感に意識を塗りつぶされていった。
レーヴェたちは一足先にスカイキャッスルに到着した。彼女たちは夜の闇に紛れ暴風竜と混沌竜をキュートサイズとファンシーサイズに戻し、メベットが捕らわれている場所を探索する。彼女たちは万一の場合に備え、自身からメベットへの発信は控え、メベットからの連絡を待っていた。するとクレアの人形からエリスの声が囁くように聞こえた。
「まもなく私たちもそちらに到着するわ。いいこと、焦って突入とか絶対にしないでよ」
その声にレーヴェが苛立ち気に応える。
「そうは言っても、殺されてしまっては元も子もないんだぞ!」
「大丈夫、あの子にはクレアの人形を持たせてあるから、万一の時も時間稼ぎはできるはず。クレア、私達が到着するまで、レーヴェに人形のことを教えてあげて」
「わかったよエリス。それじゃとにかく居場所を突き止めておくね」
クレアはエリスに返事をすると、小声でレーヴェに人形の説明をしつつ、ファインドマーカーの信号を慎重に追って行く。




