マリオネッタちゃん
何の成果も挙げられない勇者たちに対し、王家は未だ寛容ではあったが、周辺からの圧力は強くなるばかり。なのにグレイは更に怒りを買うようなことを行っていた。
「なあグレイ、正気か?」
「俺は正気だよ、ギース。もう俺はマリリンさんのところには行かない」
「それじゃあ俺が困るんだけど」
「何で?」
「俺はワーランのお茶が好きなの」
「じゃ、マリオネッタと一緒に時々連れて来てやるよ」
グレイの横には、赤毛にそばかすの可愛い女の子が1人。彼女はグレイの左腕にしっかりとしがみついている。
それはワーランでのイベントの夜の出来事。なぜかいい雰囲気になってしまったグレイとマリオネッタは、イベント終了後に再び営業を開始した街のカフェで食事をした。そこでグレイは、ワーラン中の人々が、グレイのことを勇者だと知っているとマリオネッタから打ち明けられた。驚きの声を上げるグレイ。
「マリリンさんも知っているのか?」
「はい。それでもマリリン姐さまは、お客さまが自らをギースと名乗るのならば、お店ではギースさまですよと仰っていました」
赤面するグレイ。それを心配そうに見つめるマリオネッタ。
「そうか、とんだ恥さらしだったな」
「いえ、そんなことはございません! 勇者さまはとても素敵です!」
その後は無言で食事を終える2人。そして2人は店を出た。
「それじゃここで、連れが宿で待っているから」
「はい、ありがとうございました」
「ところで君はどこに住んでいるんだ?」
「百合の庭園の先に再開発されたアパートメントに先日引っ越したんです」
……。
しばしの沈黙の後、彼女は意を決したように続けた。
「勇者さま、私の部屋まで送ってはいただけませんか?」
これを断る理由なぞないグレイ。彼は再び町の喧騒の中、彼女の右に立ち、南へと歩いた。途中で自然と2人は手をつなぎ、そして腕を組んで歩いた。マリオネッタは勇者の左腕にもたれかかる。彼女の胸の柔らかい感触と彼女の体温、そして彼女の柔らかな吐息が彼を刺激する。終始2人は無言だった。しかし、組まれた腕から彼女の想いが彼に伝わる。
そして彼女の部屋の前。
彼女は彼の方を向く。
彼は彼女の目線にとらわれる。と、彼女は不意に目を閉じた。
彼は自然に彼女の唇に自らの唇を重ねた。
唇と唇が触れるだけの、甘くて優しくて純粋なキス。
顔を離した彼女は彼を無言で部屋に招き入れる。
その晩、彼女の部屋で勇者は男になった。
翌朝グレイはマリオネッタが用意した朝食を食べ、もう一度男になり、彼女の部屋から出て行った。
「迎えに来るから」と言葉を残して。
それと入れ替わるようにマリオネッタの部屋を訪れたエリスたち。
朝方宿に戻ったグレイは、宿を手配していなかったことへのギースの叱責などには耳を貸さず、「今日からパーティーメンバーを1名増やす」と宣言した。そして宿を引き払い、ギースを引きずるようにして自由の遊歩道を進み、マリオネッタの家まで連れて来た。そしてマリオネッタを紹介する。
「この子を新たなメンバーとするからな。よろしくな、ギース」
グレイの言葉に、ぺこりと頭を下げるマリオネッタ。こうして冒頭の会話に続く。
マリオネッタは、ケンたちと同郷だった。彼女は村唯一の魔導師であった父と2人で暮らしていた。父はその知識と技能で、村人たちの怪我を癒し、病の治療を施すなどして生活していた。そうしたことからか、魔導師としては珍しく村人たちともなじんでおり、その娘も村人達から慕われていた。
幼いころから父にいろいろな物語を聞かされて育った娘は、王都に勇者が現れたとの噂に胸を踊らせた。そして憧れの想いを募らせた。
「もしも勇者さまに出会えたら、少しでもお力になりたいな」
そんな娘に父は笑いかけ、「勇者の力になりたいのなら、勇者のためになる魔法を覚えないとね」と、治癒魔法や間接魔法といわれる様々な補助魔法を少しずつ教えてくれた。それなりに幸せな日々。
それを破壊したのは、悪魔の襲来だった。
村は悪魔に破壊され、抵抗した父たちは殺された。若者たちはどこかに連行されていった。そしてマリオネッタは魔王の生贄とされた。
仮面をかぶった魔王は恐怖そのものだった。無言の魔王がマリオネッタの乙女を奪った時も、彼女は下腹部を襲う痛みよりも、魔王に対する恐れに責め立てられた。マリオネッタはひたすら震え、涙を流し、歯を食いしばり、両のこぶしを握りしめているしかなかった。
ある日、魔王から恐怖の一言を投げかけられた。「俺を踏んでみろ」と。
ああ、魔王はその後に私を嬲るつもりなのだろう。私から人としての尊厳がいよいよ奪われてしまうのだろう。そう思いつめたマリオネッタは、自ら命を絶つことを決意した。
「お許しください魔王さま」
そして、「さようなら、勇者さま」と、まだ見ぬ勇者さまへの別れを心の中で告げ、彼女は舌を噛んだ。
意識が戻ったとき、舌は元に戻っていた。そして以降、彼女は魔王に呼ばれることはなくなった。ただただ窓のない真っ白な部屋で過ごす日々。ところがある時、魔王がマリオネッタたちに魔法をかけた。
マリオネッタが気付いたとき、彼女はワーラン近くの街道に置き去りにされていた。魔王に関するすべての記憶を消されて。
街道に座り込んでいたマリオネッタを最初に見つけたのは、早朝の街道清掃にいそしんでいたハンナだった。茫然とした表情のマリオネッタをハンナが店に連れて帰ると、ケンが驚きの表情で叫んだ。
「マリオネッタちゃん! 生きていたのか?」
ケンの叫びに我に返ったマリオネッタは、悪魔たちに村を滅ぼされたところまでを思い出した。その場で泣き崩れてしまうマリオネッタ。
マリオネッタについてケンから相談を受けたエリスは、マリオネッタの記憶喪失が作為的なものだろうと気付いた。ただ、彼女がなぜここにいるのかがわからない。逃げてきたのか? 魔王の策略なのか? だからエリスはあえて魔王の近くでマリオネッタを泳がすことにした。
こうしてマリオネッタはマルゲリータ達に預けられ、ご主人様の隠れ家で働くこととなる。当然エリスはマルゲリータとマリリン、そしてマシェリに対しマリオネッタの身の上と、魔王との不審な接点について説明しておいた。
彼女はこれから平穏な人生を歩むこともできた。ケンと同郷の元ヒャッハーだった若者、つまり彼女を知る者は街に何人かおり、彼らは好意的に彼女に接した。が、マリオネッタの中には勇者が住んでいた。思い出せない、でもつらかったであろう消えた記憶を、彼女は勇者へのあこがれで埋め尽くそうとしていた。
そしてついに彼女の前に勇者が現れた。あこがれの勇者さま。ちょっとどんくさいところが愛らしい勇者さま。
マリリンは正直勇者に飽きていた。だから無言で気持ちよく勇者をマリオネッタに譲った。
こうしてマリオネッタは、想いを成就することになる。
ギースはグレイをマリオネッタから引き剥がし、小声で彼を問い詰めた。
「おい、身元もわからない娘を勝手に仲間にするつもりか? どこかの密偵か何かだったらどうするんだ」
「何を今更だよギース。俺たちには既に胡散臭いメンバーが3人もいるじゃないか。それに俺はマリオネッタがいてくれたら、もう他に何もいらない。頼むよギース」
すると、2人の会話におずおずとマリオネッタが割って入った。
「私、初級の魔法ならいくつか使えますが、お役に立てないでしょうか?」
「例えば?」ギースのそっけない問いにマリオネッタは懸命に答える。
「治癒系、鑑定系、補助系です」
ほう、とギースは感心した。特に治癒系がこれまでなかったパーティには正直ありがたい。
「ならば俺からの条件だ。マリオネッタさん、ここの部屋代は俺たちが払ってやるから、このままにしておけ。それならば定期的に掃除に帰ってこなければならないだろう。ワイトの迷宮が消えた今、俺たちだけでワーランを訪れるための、三馬鹿向けの理由が必要だからな。後、夜の部はほどほどにしておけよ」
ギースの言葉に頬を赤らめる2人。
「さてと、一旦スカイキャッスルに戻って、他の上位迷宮を虱潰しにするぞ、勇者さまよ」
「そうだな、ギース、ありがとう」
「よろしくお願いいたします、ギースさま」
こうして勇者のパーティは6人となった。
「いいのか? お嬢」
「ええ、ここは撒ける餌は撒いておきたいわ。勇者が彼女を連れて帰りそうな勢いだったからね。ここは彼女を優秀な魔法使いに仕立てて勇者と行動してもらいましょ」
エリスたちはマリオネッタが勇者と一晩を過ごしたことを確認の上、勇者と入れ替わりで彼女の部屋を訪れた。そして勇者と旅をしたいと彼女自身が願うように話を仕向けた。続けてエリスはマリオネッタに「大魔導の指輪」と、しれっとコピーしておいた「遠吠えの人形」の片方を渡した。この指輪で勇者さまのお役に立ちなさい、万一のことがあった時は、この人形に呼びかけなさいと。
何度も頭を下げてお礼を言うマリオネッタに、ちゃんと姐さんたちにもあいさつを済ませるのよと声を掛け、エリスたちは彼女の部屋を後にした。ちなみに遠吠えの人形にはクレアがファインドマーカーの魔法をバッチリかけてある。
これで勇者の動向はエリスたちに筒抜け。マリオネッタが魔王の手先だったとしてもその矛先は勇者に向かうので、エリスたちには関係ない。
「さて、これからが楽しみね」
エリスの言葉に、新しいおもちゃを見つけた子供のような笑みで、4人は頷いた。
自由の遊歩道も落ち着きを見せたある日、マリアからエリスたちに評議会の応接に出向くよう指示が入った。内容は「王都からの呼び出しについて」
評議会に5人が到着すると、そこには既に各ギルドマスターも集まっていた。マリアが説明を始める。
「先程マルスフィールド公からワーランの宝石箱の5名に対し、正式に登城命令が入りました」
命令の内容とは次の通り。まず5人は本日中に城塞都市マルスフィールドに到着し、公の城を訪れること。翌日公の護衛を兼ね、王都スカイキャッスルまで向かうこと。スカイキャッスルではチャーフィー卿が全ての段取りを済ませているはずなので、以降は卿の指示に従うこと。
「何でわいらが人間風情に命令されにゃならんのかい! ふざけとんのか?」
キャティの首元から氷雪竜が文句を垂れる。
するとマリアは意地悪そうな笑顔を浮かべた。
「別に守護竜様たちに恐れ多くも命令を行うつもりなどはございませんわ。そんな無礼なことを守護竜の皆さまに我々が申し上げるわけがございません。あくまでもこの命令はワーラン市民である『エリスたち5名』に対するものですわ。まあ、本日中にエリスたちは城塞都市に出向かなければ命令違反となり、相応の処分がエリスたちに言い渡されてしまうでしょうけどね。それはエリスたちが考えることです」
すると大地竜がエリスのおんぶ紐の中から顔を出し、珍しく怒りの声を上げた。
「おいマリア、そうした小細工も含めて無礼だと言っているのだ。貴様たちがエリスちんたちに何らかの危害を加えるというのあらば、こんな街なぞ一刻も掛けずに灰にしてやるぞ」
エリスもうそぶいてみせた。
「そうね、いっその事王都を襲っちゃいましょうか? 勇者さまの目を盗んで」
これに目線で同意する4人と5柱の竜たち。一方、苦虫を噛み潰したような表情になったのは4人のギルドマスターたち。盗賊ギルドマスターのバルティスがエリスにきつい声を放った。
「おい、顧問殿。お前はこの街を戦場にするつもりか?」
「冗談ですよおじさま。でも、竜の怒りを私たちがなだめることは叶いません。そこはご理解くださいまし」と、ちょっとしゅんとした表情で、しれっと嘘をつくエリス。とてもじゃないが強制的にミニサイズにした上で、眉間に剣を突きつけて脅かしたり、喉元の逆鱗を圧迫して痙攣させたり、こめかみを掴んでギシギシいわせたり、しっぽを掴んでサンドバッグのように小突いたり、脇で締め付けてぴーぴー泣かせたりなんてしていないことになっているのだ。
「城塞都市まではすーちゃんとふぇーりんで向かうとして、そこから王都までは馬車になりますか?」
フラウが素朴な疑問をマリアに投げかけた。それに対し、マリアが遠慮がちに彼女たちに伝える。
「怒らないでね。公はあわよくば自分も竜に乗せてほしいと考えているみたいなのよ」
「それだと定員オーバーだな。すーちゃんは2名、ふぇーりんは3名だからな。まあ、速度は遅くなるが、らーちんに乗ってもらい、それをすーちゃんで運ぶしかないか」
レーヴェの提案に対し、クレアが自慢気に胸を張った。
「えへへ。ぴーたんもちゃんと飛べるようになったんだよ。定員1名だけど」
「決まりね。さっさと公を連れて王都を冷やかしてきましょう」
「キャティ、盗賊ギルドへのあいさつを忘れるなよ。マルスフィールドとスカイキャッスルの両方だからな」
「フラウ、王都には北方の面白い食材が集まっているから、ついでになにか見繕ってきてくれ」
「王都の工房ギルドには腕の良い職人が多いからの、まあ、上下水道はワーランの方が上だがの。色々学んでこい。クレア」
「あなた方、頼むから王家を怒らせないでくださいね」
出向く気になったエリスたちにマスターたちが各々見送りの声を掛けた。こうしてエリスたちはアルメリアン大陸の支配者であるスカイキャッスル王家に謁見することとなった。




