第92話 侮りの代償
マランの細剣が目の前に来ても、俺は動かなかった。
動けなかったわけじゃない。
動かなかった。
なぜなら――。
――きぃん!
という音と共に、マランの細剣は俺に到達する前に弾かれた。
俺が弾いたわけではない。
弾いたのは……。
「……ほう? 中々やるじゃないか。君がこのパーティのリーダーなのかい?」
マランが感心しつつそう話しかけたのは、彼の細剣を手にはめた手甲でもって弾いたクララであった。
つまり、俺が動かなかった理由は彼女がマランの細剣を弾こうとしていることを察知していたから、というわけである。
「いいえ? わたくしはむしろ後で加入しましたの。リーダーこちらの彼の方ですわ」
クララはマランにそう言いながら、俺の肩を叩く。
マランは、
「なるほど、そんな報告は聞いていたが、まさか本当だとは思わなかったよ。大人一人に子供二人と来たら、大人の方がリーダーだと思うじゃないか。カモフラージュだと思っていたが……?」
「正真正銘、この子がリーダーですわ」
「……正気とは思えないな……僕の攻撃をギリギリとは言え受けられる君こそリーダーにふさわしいと思うのだが」
「それは過大評価と言うものです……まぁ、おしゃべりはこのくらいにいたしましょう。こちらから行かせていただきます、わッ!」
そう言って、クララは地面を踏み切る。
拳を握り、マランに向かって距離を詰めるも、マランは細剣を武器としており、クララは拳一つだ。
当然、リーチの差というのが出てくる。
マランもそれはよくわかっているようで、クララが懐に入ってくる前に、細剣を横薙ぎに奮って接近を避ける。
マランの横薙ぎはクララには当たらなかったが、もともと当てるつもりで振るったわけではないからだろう。
その表情には十分な余裕が感じっれ、クララには反対に汗が浮いている。
それを見て、マランは笑う。
「おやおや、もしかして今の一撃にかけていたのかな? だとすれば残念だったという他ないが……」
「まさか、そんなことはありませんわ……まだまだです」
言いながらクララは言葉の通り、マランに向かっていく。
しかし、単純に接近したのでは先ほどのように剣を横薙ぎにされ、また接近を避けられてしまうと思ったのか、マランのまっすぐに近づかずにジグザグにステップを踏んで、その居場所を捉えにくくする。
マランの左に向かったと思えば、そこから大きく右に飛び、また背後に向かって走り、その後、正面に戻り……そんな規則性のない挙動を繰り返し、マランを翻弄しているのだ。
マランもこれには対応を苦慮して、
「……どうやら、猪突猛進なだけの猪ではないようだね……こちらも、本気でやらせてもらおうか……ッ!」
と、少しの焦りの混じった声で、真剣に細剣を構えだした。
舐めてかかれる相手ではない、と意識を改めたらしい。
そんなマランの様子を見て、クララは笑う。
「本気、ですか。あなたがそれを出したところで大したものではないように思いますが……」
「その減らず口、今から叩きのめしてあげるよ!」
マランはそう言って、何かの呪文を唱えた。
ふわりとした空気がマランの体と剣を多い、威圧が増したところから、身体強化系のそれであることは明白である。
となると、先ほどまでは素の身体能力で戦っていたということになるだろう。
それであれだけ動けるというのは、Eランク冒険者としては中々のものであるということになるだろう。
だからこそ、バトスのレミジオ一家でもそれなりの地位にいるのかもしれなかった。
そんな彼を見たクララは、その強化のされ方から彼が何らかの身体強化魔術を使用したことを察知したのだろう。
「わたくしの方も、そろそろ真面目にやりましょうか。そろそろ慣れてきましたし、ね」
「……? それはどういう……」
首を傾げるマランに、クララは微笑みながら、その気配を変えることで答える。
彼女の体に気が満ちていく。
先ほどまで、自己の身体能力のみで戦っていたのはマランだけではないのだ。
クララもまた、同様である。
しかも、クララは、俺が教えた魔術と気の併用技術の練習をしながら戦っていた。
魔力と気は、基本的に打ち消し合う。
つまり、両者がちょうど拮抗し、打ち消し合ってゼロの状態になる様に両方を放出し続けることで、普段と同じ、魔力も気も全く使っていない状態を維持していたのだ。
そうすることによって、魔力と気の両者をコントロールする技術が身に付くわけだが、これには極めて高い集中力が必要であり、これをしながら他のことをするというのは酷く難しい。
にもかかわらず、それをしながらクララはマランと普通に戦っていたのだ。
この意味を、マランは理解することは無いだろう。
なにせ、魔力と気の併用、などというものをしようという発想が彼にはないだろうし、あっても方法も原理も分からないからだ。
そしてそんなことをおそらくはGランクであるところのクララが行っていて、自分と拮抗する実力を出し続けたという事実は認めがたいに違いない。
だから、マランはほとんど何も理解できない。
ただ、たった今、クララの実力が何段階も上昇した、そのことだけが肌に感じる緊張感から察知できた。
「……き、君は……君は一体……」
気の発動によってびりびりとした空気の振動が周囲に伝わる。
俺やリリアには慣れたもので、ただ、少し気が立っているのかな、というくらいの心地いい振動に過ぎないが、マランにとっては強者しか出せないはずの何かに思えたのだろう。
先ほどまでの威勢はどこへやら、ただ怯えながら後ずさりし始めた。
クララはそんなマランを笑いつつ、答える。
「ただのGランク冒険者ですわよ? それは、あたなが良く知っているのではなくて?」
別に嘘ではないだろう。
クララは確かにGランク冒険者であるのは本当の事なのだから。
ただ、登録したのが最近で、実際の実力とランクとがずれているというだけである。
しかしそんなことは知らないマランは、
「ふざけたことをッ! そんな……そんな、お前のようなGランクがいて、たまるか! これでは、これではまるで……」
「まるで?」
クララは一瞬でマランの正面まで距離を詰め、覗き込むようにそう尋ねた。
「ひっ!?」
マランはそれに気づき、びくりと驚いて、足元の石にひっかけて転ぶ。
クララにさらに覗きこまれるような体制になり、しかしその場にい続けることも恐ろしいのが、ずりずりと情けない格好で下がり始めた。
そんなマランの姿を見て、クララも呆れ始めたようで、
「全く……威勢よくするのなら、最後までそのように振る舞っていただきたいものですが……貴方にはその程度の虚勢すらないようで、がっかりですわ。では、さようなら」
そう言って腕を振りかぶり、マランに向かう。
マランは慌てて細剣を自分の顔の前に持ってきて、クララの一撃をガードしようとするも、
――がきぃん!
という音と共に剣は根元から折れてしまう。
そして、直後、一切の防御手段を失ったマランの顎に、クララの拳が入った。
マランはそれを一切反応できずに受けることとなり、そしてそのままずるり、と地面に倒れていく。
クララの勝利だった。
「……ねぇ、そいつ、生きてるよね?」
あまりにも容赦のない一撃に不安になって、俺がクララにそう尋ねると、
「私の拳をこんな小物の血で汚すのはもったいないですから。しっかりと生きておりますわ。このまま放置でもいいのでしょうか?」
と答えたので安心した。
それから俺は少し考えて、
「……まぁ、一応、魔物も出現しにくいと言われている、迷宮の入り口だからね。それほど危険はないだろうし、放っておけばそのうち目覚めるだろうさ」
そう答えたのだった。