第87話 緑色
《中庸の迷宮》の探索は順調に進んだ。
はぐれ個体も前評判通り、それなりに出てきてはいたが、問題なく倒せることが探索初期に確認できたので、そのあとは特に慌てることなく戦えた。
特にリリアについて、俺たちのパーティは彼女に戦闘経験を多く積ませることを目的にしていたので、何度かはぐれとも戦ってもらったくらいだ。
危険なときにはしっかりとフォローしたが、それでも基本的には彼女に戦わせ、二刀細剣の技術を実戦で磨いてもらい、また魔物調教師としての修練も積ませた。
氷虎のプリムラと一緒に戦ってもらったり、リリアは指示のみを出して、プリムラの動きを把握、制御する訓練なども繰り返した。
もちろん、俺は魔物調教師ではないから、専門的な技術についてはほとんど無知というほかないが、その辺りについてはリリア自身がしっかりと学んでいるため問題にならない。
俺はただ、どういうところがリリアとプリムラの隙なのかを好き勝手に口に出せばいいだけだ。
だから、むしろ楽な作業だった。
そんなことを毎日、延々と《中庸の迷宮》で繰り返せば、どんなに経験不足の人間もそれなりに見られるような動きを身に着けられるものだ。
「リリア! 右」
俺がそう言うと、リリアは慌てて右手に握った短剣を掲げ、そちら側から迫ってきていた斬撃を弾いた。
今、リリアはまさに戦っているところだ。
彼女が相対しているのは、立ち上がったトカゲが武具を持っているような見た目の魔物、蜥蜴人のグループだ。
三匹いて、そのいずれもがリリアを狙ってその持っている武器を振るっている。
蜥蜴人も緑小鬼と似た生態を持っていて、人に敵対的なものと、そうでないものがいて、独自の文化を持っている。
今、リリアの前にいるのは敵対的なもので間違いない。
そもそも、迷宮に現れるような蜥蜴人はほぼ全てが人類に敵対的なそれである。
配慮する必要などない相手だった。
しかし、蜥蜴人は弱くない存在だ。
むしろ、本来、低ランク冒険者にとってはかなりの強敵で、一体でも相手をするのは厳しいと言われる。
なにせ、武具を持っているし、それなりの技術も身に付けているからだ。
緑小鬼騎士のように、個体差もあり、油断するとかなり厳しい相手である。
しかも、彼らは集団戦に長けていて、数が増えるに連れて、強敵となっていく。
それを、リリアは今、一人と一匹で三匹も相手をしているのであるから、中々のものである。
ついこの間まで、戦えないからと行き倒れかけていた冒険者には見えなかった。
「この調子であれば、問題なくすべて倒せそうですわね」
クララが安心したようにうなずいてそう言っている。
彼女は、俺がリリアに一人で蜥蜴人三匹を相手させようと言ったとき、反対した。
その理由は、危ないからだ、という。
その意見は意外と過保護で驚いたものだ。
もう少し薄情というか、他人の生き死ににそれほどこだわるタイプではなさそうだと感じていたのだが、身内に対しては保護欲のようなものが強いタイプらしい。
ロッドたちに《地底の迷宮》を案内されて、興味が湧いてきたため、あれからたまに《中庸の迷宮》ではなく、他の迷宮、たとえば《流水の迷宮》などにも行くことがあったのだが、その際、他の、知り合いでない冒険者パーティがやられそうになっているとき、クララは放置という選択を取るべきだとよく言った。
その理由は、自らの意思で迷宮に潜っている以上は、どんなことが起こっても自己の責任で全うすべきという至極当然のものだったのだが、その論理をリリアにも適用するなら、彼女が強い魔物に挑戦することも自己責任の範疇である。ことさらに庇う必要などないはずだ。
けれど、クララにはそれが出来ないらしい。
俺が、リリアが強くなるためには必要なことだ、と言っても、
「ですけど、少し早いんじゃありません?」とか「もう少し補助をしてもいいと思いますわ」などと言って渋っていた。
その違和感に気づいた俺が、どうしてそんなに過保護なのかと尋ねれば、
「だって、リリアちゃんはこんなに小さいのですもの。あんな凶悪な魔物と戦ってはすぐに怪我をしてしまいそうで心配で心配で」
と答えた。
曰く、緑小鬼騎士と戦っていた時も手を出したくてうずうずしていたくらいらしい。
呆れたものだ、と思わないでもなかったが、同時に俺たちに対してそれなりに情も感じてくれているのかもしれないと思い悪い気はしない台詞だった。
なにせ、クララは俺たちのパーティにプリムラを理由に加入したが、それはあくまでプリムラが彼女にとって神獣に値するからであり、俺とリリアに関してはそれほどの関心はなくても何もおかしくはないのだ。
雰囲気や性格からも、色々と割り切って、かつ狡猾に振る舞いそうな印象を受けるため、余計にすんなりと好感を抱くというわけにはいかなかった。
もちろん、外面的には仲良くしているが、今のところ、まだお互いにそれほど心は許せてはいないのだ。
まぁ、リリアはすっかりクララに心を許しているような気がしないでもないが、それは彼女が能天気だからである。
俺とクララの関係は、敵とは言わないが、完全に仲間とも言えない、なんというか……仕事仲間とか、目的を近くする者とか、そういう間柄に近いのだ。
とはいえ、長い付き合いになりそうな相手でもある。
ずっとそういう感じというわけには当然いかないだろう。
難しいところだ。
「……そろそろ、だな」
俺がクララのことから思考を戻し、リリアを改めて注視すると、戦闘はほとんど終わりかけている。
先ほど、一体の蜥蜴人の首を細剣の斬撃で吹き飛ばし、さらにもう一体についてはプリムラがその腹を食いちぎった。
この時点で、二体は戦闘不能となっており、残りはもう一体である。
そして、この最後の一体についても、すでにリリアとプリムラが地を蹴って向かっていた。
剣を振りかぶるリリアと、その口を大きく開いて飛び掛かるプリムラ。
その直後に何が起こるかなど、俺やクララでなくとも自明であろう。
事実、最後まで奮戦していた蜥蜴人は一人と一匹の一撃をまともに受け、倒れた。
その絶命するのを確認したリリアが、振り返って俺たちに手を振る。
俺もクララも、それに振り返す。
「……緑色の血だらけであの笑顔ってなんか怖いよな」
リリアは今、蜥蜴人の血で緑色に染まっているため、思わず俺がそう言うと、クララは、
「……可愛いじゃありませんか。さて、魔石を回収いたしましょう……」
そう言ってリリアの方へとそそくさと歩いていく。
見送っていると、リリアと接触したクララは即座にリリアに洗浄の魔術をかけ、きれいにしてあげていた。
「……やっぱり怖いと思っていたんじゃないか……?」
そして、俺はぶつぶつとそう言いながら、二人のもとへ向かった。