第82話 切り札
セレスの放った氷の鎌が命中し、砕け、あたりに冷気を放ち、視界を若干悪くする。
「やったか!?」
ロッドはそう言いながらも、決して武器から手を放そうとはしなかった。
ロッドにはわかっているからだ。
今までさんざん苦戦したあの相手が、魔術一発で倒しきれるはずなどないだろうということが。
案の定、その直後、冷気の靄を切り裂いて、一条の雷光のような速度でロッドたち三人に向かって突っ込んできたのはまぎれもなく緑小鬼騎士である。
槍を突き込む速度もそうだが、全体的に隙も油断もなく、冷気であたりが見づらかったのは向こうも同じだろうに、まったく問題のない様子でロッドたちの位置を把握しているようだ。
狙いも正確であり、これはかなり危険な攻撃であった。
もし今のロッドたちでが以前のままであれば、この攻撃によって風向きは相手側へと移っただろう。
けれど、これくらいの反撃はユキトとの戦いで何度もシミュレーションしており、そのため今のロッドたちにとっては慌てるようなことでも対応不可能なことでもなくなっていた。
「水よ、冷え、形作り、そして弾け! “氷盾”!」
その瞬間、周囲の冷気がセレスの前に集約し、人ひとりを覆い尽くす大きさの氷の盾が出現する。
ロッドとフォーラはと言えば、いつの間にか、セレスの後方に隠れていたが、若干左側に寄っているような感じだ。
なぜか、と思ってよく観察してみると、セレスの作り出した氷の盾の向きが右側に傾斜している。
その狙いは明らかで、槍を突き込んできた緑小鬼騎士も視界がもう少し良ければ理解したことだろう。
しかし、光を乱反射する氷の盾の向きを視界の悪い中、一瞬で判別するのはさすがに難しかったらしい。
突きの向きを変えることなく、緑小鬼騎士はそのまま向かってきた。
そして、緑小鬼騎士の槍はセレスの正面から突き込まれたが、氷の盾にそのまま命中し、そして右側に滑ってずれていく。
しかし、いくら視界が悪いとはいっても、乱せるのは視覚だけであり、手の感触までは狂わすことはできない。
そのため、緑小鬼騎士盾に自らの槍が命中した直後、セレスが何を狙っているかに気づいた。
けれど、それでも一度、力の限り突いた槍を引き戻すのはそう簡単な作業ではない。
緑小鬼騎士の槍の実力は中々のものであるとは言っても、限界があった。
ただ、それでも緑小鬼騎士は自らの槍の方向がずらされていることに気づいた瞬間に槍を引き戻したのだが、そこに隙ができるのも当然のことだ。
そして、それを見逃すロッドたちではない。
「願わくば、我が祈りに応えんことを。我が手に小さき光を灯したもう……“光球”!」
フォーラはセレスの背後に隠れた時よりすでに詠唱を開始していて、緑小鬼騎士が槍を引き戻すより先に唱え終わっていた。
フォーラの手に光の玉が浮かび、そしてそれが緑小鬼騎士の眼前に向かって投げられる。
大きさとしては大したものではなくとも、薄暗い洞窟の中で、しかも眼前にそんなものが突然現れれば当然のこと、目がくらむ。
緑小鬼騎士でもそれは例外ではなく、視界が一瞬失われた。
そして同時に前に出てきたのがロッドである。
構えた剣を下段から切り上げたのだ。
それが狙ったのは緑小鬼騎士そのものではなく、彼の持つ武器である槍の穂先である。
見事なまでにすっぱりと切り落とし、そして上段に上がった剣をロッドはそのまま緑小鬼騎士の頭部目がけて振り下ろした。
これが決まれば、この戦いは終わる。
そういう一撃だった。
しかし、緑小鬼騎士もまだ、粘る。
頭をずらして、ロッドの剣を肩で受けたのだ。
そこには金属製の鎧の肩当部分があり、当然のことながらそこに剣が命中しても致命傷を与えることはできない。
人でも魔物でも死にたくないのは同じであり、そのために最後まで努力するものと、そうではないものにわかれるが、この緑小鬼騎士はどうやら前者のようだった。
槍の穂先が切り落とされたことにも感触から気づいたようであるが、穂先がないならないで、やりようはあると開き直ったらしい。
槍を持ちかえ、一本の棒として扱うことに決めたようで、そのままロッドの腹を突いて下がらせようとした。
しかし、ロッドはこれに反応した。
体を逸らせて、その突きを避けたのだ。
この瞬間、緑小鬼騎士の上体は思い切り前のめりになり、バランスを崩す。
セレスはそれを見て、これはチャンスだと思ったが、ここで魔術を放てばロッドにもあたるかもしれないと、一瞬そんな考えが過る。
けれど、ユキトの言葉がその瞬間、思い出された。
“しっかりと信じてリスクを踏むことも大事だ”
誰を信じるのか。
ロッドを信じるのだ。
今までもずっと信じてきた
ここで信じないということは、ありえない。
セレスがそう結論すると、今まで見えなかったものが見えてきた気がした。
体を逸らせて、ちょうど顔だけこちらを向いているような体制になっているロッド。
その瞳が、セレスに告げていた。
「今だ、やれ」
そんな風に。
迷いは消えた。
「氷よ、七つの槍となって、敵を突き刺せ! “氷七本槍”!!」
そう唱えた瞬間、セレスの周囲に七つの氷の槍が出現し、そして緑小鬼騎士に向かって矢のように飛んでいく。
それはどれもロッドの体すれすれのところを通り過ぎて行ったが、ロッドは恐れる様子はない。
セレスのことを心の底から信じているからだった。
そして、七つの氷の槍はそのすべてが緑小鬼騎士に命中する。
それもそのはず、その魔術は数もそうだが、速度も違った。
実のところ、これはセレスの切り札であった。
故郷にいたときに、薬師であり妖術師であり盗賊でもあった老婆に教えられた、今セレスの使えるもっとも強力な魔術である。
他にいろいろ知ってはいるのだが、魔力や技術の問題で使えないものも多い。
今のセレスにとっては、これが最も強力な魔術であるということだ。
だからこそ、使う魔力量も集中力も桁違いで、そう連発できるものではない。
命中しなければ一気に戦況が不利になる。
そういうものだったが、ロッドとフォーラが作った緑小鬼騎士の隙をうまいことつけたようだ。
どれ一つとして、避けられなかったようで、七本の槍の貫かれた緑小鬼騎士はそれでも魔物としての恐るべき生命力を発揮してよろよろと動いていたが、二、三歩進んだところで体からがくりと力が抜け、そして倒れたのだった。
「……勝った……勝ったぞ!」
ロッドがまず叫び、
「がんばった……もう動きたくない」
とフォーラがため息を吐く。
セレスは、
「……これだけで半分くらい魔力を使っちゃったわ……。しばらく休ませて……」
とその場にへなへなと崩れ落ちる。
階層主の部屋には冒険者が次から次へとやってくるのが普通なので、本来ならあまり長いすべきではないのだが、今は誰も並んでいないようだ。
安心して、その場で少し、休ませてもらうことにした。