第80話 緑小鬼騎士
扉の向こう側を目を細めて眺めてみれば、そこには金属製の鎧を纏い、自分の背丈よりも長い槍を携えた、独特の癖のありそうな緑小鬼が一匹、落ち着いた様子でこちらを見つめていた。
なるほど、あれが緑小鬼騎士という奴なのだろう。
見える距離にいながら向かってこないのは、扉から中に一歩踏み入れないと襲いかかってこない、という迷宮のルールがあるからだ。
ちなみに、俺自身は以前、大緑小鬼と戦っていたときに一度見ているはずなのだが、リリアとクララが対応していたためにほとんど観察していなかったので通常の緑小鬼と緑小鬼騎士とがどの程度異なるのかについてあまり比較して見ていなかったので、新鮮な機会になった。
印象としては、やはり強そうだというのがもっとも強いものだろうか。
通常の緑小鬼はもっと小物臭いというか、街のチンピラに近い弱々しい生き物が虚勢を張っているような表情と雰囲気を持っているものだが、目の前にいる緑小鬼騎士はむしろそう言ったものとはまるで正反対の印象を感じる。
どこか、武人のような気迫を放っていて、またこちらに向ける視線も静かで威圧的である。
武器を構える様子にもしっかりとした武術の基礎が感じられ、これを普通の緑小鬼だと思って戦ったら即座に敗北するだろうと確信できるような様子だ。
「……これは、少しばかり予想外だったかも知れないな。もっと弱いものかと思ってたんだけど……」
俺がそう呟くと、リリアとクララも同意した。
「私たちが"中庸の迷宮"で戦った緑小鬼騎士よりも強そうだよ……やっぱり槍使い種って他のに比べて格が違うのかも」
「の、ようですわね。ロッドたちには少し荷が重いのでは……? 三人かがりでぎりぎり、という印象を受けますが……大丈夫ですの?」
やはり、というべきか、あの"中庸の迷宮"で二人が戦った緑小鬼騎士よりも強いらしい。
槍使い種は他の緑小鬼騎士よりも強いということはリリアから聞いていたから驚くような話ではないが、しかしここまで違うとは思っていなかった。
これほどの存在であると分かっていればもう少し訓練を重ねてから来たのだが、もうここまで来てしまったのだ。
そう言うわけにも行かないだろう。
ロッドたちにしても、ここまで来て帰るつもりはないらしい。
「やっぱりお前たちが見てもそう思うんだな? 俺たちが感じたものは間違っていなかったってわけだ……でも、帰るわけにはいかねぇ。しっかり訓練をつけてもらったし、ユキトたちの方があいつより強かったんだ。冷静に対処すれば、勝てないことはないと思ってる……俺の話は、間違ってるか?」
心はほとんど決まっているだろうに、最後に確認を入れるあたり、ロッドも慎重になったということだろう。
ロッドの言葉を考える。
確かに、先日の訓練で俺が彼らに相対して見せた実力は、あの緑小鬼騎士よりも高いものだったかもしれない。
けれど、あれはあくまで訓練。
命のかかっていない戦いであり、たとえ彼らが負けても問題のない立ち会いに過ぎなかった。
実際、彼らは俺に何度も負けているし、そのことを考えるとここで挑むのはやめておくのが無難な選択のように思える。
冒険者には、こう言った場面においても文字通り、"冒険"しなければならない瞬間というのがいくつもあるものだ。
けれど、今日のこの場面は、彼らがそれをする必要なある瞬間であるとは言えないだろう。
だから、やめておけ、と言うべきだろう、と思った。
反面、別に彼らが負けそうになったら俺たちが割って入ればそれでいいだろうという思いもある。
せっかく知り合いになったのだ。
あえて見捨てる理由もない以上、それくらいはしてやっていいと思っている。
ただ、おそらくだが彼らはそれを期待していないだろう。
迷宮だろうと何だろうと、冒険者の行動の責任はその冒険者自身が持つものだ。
他人の力をあてにしてするような冒険を、冒険者は冒険とは決して呼ばない。
そんなことは彼らだって分かっているはずだから。
そんな、色々な考えが俺の胸を行き過ぎた。
けれど、最後にでる答えは、はじめから決まっていた。
俺はロッドに言う。
「……いや、間違ってないよ。いいんじゃないかな。実力を十分に出し切れば、ロッドたちが勝てる、そんな相手だ」
十層までの道筋で体力を消耗している、というような場合であれば厳しかっただろう。
しかし、今回は俺たちが彼らの露払いをした。
その分、彼らには体力がしっかりと残っている。
その状態でなら、十中八九勝つことが出来る。
あの緑小鬼騎士の強さはそれくらいだろうと俺は見たからだ。
俺は続ける。
「ただ、負けそうになったらすぐに逃げることだ。体力のあるうちにね。階層主は部屋の外に出れば追いかけてこない。以前挑んだときも、そうしたんだろう?」
そうでなければ彼らは死んでいる。
ロッドは頷いた。
「あぁ……俺が殿をして、フォーラに回復をかけてもらって、セレスが魔術で牽制しつつ、徐々に後退してな。危なくなったら、そうするさ」
ロッドの言葉に、セレスとフォーラも、
「出来ればさっさと倒したいところだけど……欲は出さないようにするわ。死んでは元も子もないもの」
「……当たり前。私たちはあくまで堅実に行く」
彼らの冒険のポリシーは堅実、らしい。
彼ららしいと言えばらしいのかもしれない。
この感じなら余計に大丈夫だろう。
「じゃあ、行ってくるといい。俺たちはここで見物しているからさ」
「あぁ……ま、見てろよ」
ロッドがそう言い、
「……瞬殺」
フォーラが物騒に笑って、
「あんまり前のめりになるのはやめてよね……」
セレスがため息をついて中に入っていったのだった。
◇◆◇◆◇
一歩、部屋の中に入った三人にぎらりとした視線を向けた緑小鬼騎士。
しかしそれだけで、特に動きを見せないところが、むしろその緑小鬼騎士の恐ろしさが現れているように感じられた。
「……どんな相手でも油断はしない、ってところかな」
俺がそう呟くと、クララが言う。
「戦士として最低限の心構えですが……実践できる者は少ないですわね。あの緑小鬼は魔物であるにも関わらずそれが出来ている、というわけですか……なるほど、他の緑小鬼騎士と比べて槍使い種が強い、というのが分かります。緑小鬼騎士のエリートのようなものなのでしょうか?」
クララの疑問にリリアが答える。
「大規模な緑小鬼の群だと、軍隊みたいな指揮系統を持っていることが多いんだけど、その中でも緑小鬼騎士の槍使い種は一隊を率いていることが多いんだって。他のやつもいないわけじゃないみたいだけど、傾向としてはやっぱり槍使い種が強いことが多いみたいだよ」
「なるほど……」
それよりも大きな集団は緑小鬼将軍や緑小鬼王が率いる、ということになることを考えれば、緑小鬼騎士はまさに人族の騎士に相当するような役割を果たしている、というわけだろう。
やはり、緑小鬼その基本的な文明の築き方は人とよく似ている。
「結局、強敵ってことになるけど……勝てるといいな。適度に応援しようか」
俺がそう言うと、リリアもクララも頷き、固唾をのんでロッドたちの戦いが始まるのを見守り始めたのだった。