第8話 報告
宿に戻ると、宿の主人は晩ご飯の仕込みをしているらしく表にはいなかったが、変わりにその妻である女将と、主人と女将の娘らしい少女がいた。
女将の方は朝に見たが、娘の方には初めて会った。
二人ともよく似た顔立ちをしているが、どちらかというと店の主人の方の血が濃いようだ。
女将は少しくすんだ金髪をしているのだが、少女は宿の主人と同じ柔らかそうな真っ直ぐの髪質の茶髪をしていて、それを肩の高さぐらいに切りそろえている。
女将の方の名前はタイナと、その娘の方はココネと言った。
「おや、お早いお帰りだね。用事はもう終わったのかい?」
そう女将――タイナが話しかけてきたので、俺は説明する。
「色々あって、予定が変わったんだよ……これから、街の外に魔物を狩りに行くことになってね。そのことを母に報告しに戻ってきたところさ」
俺としてはなんでもないことを話したつもりだったが、自分の容姿と年齢について、考えに入れるのを忘れていた。
俺の話を聞いてタイナは驚いたようで、目を丸くして止めにかかったからだ。
当たり前だ。
十歳を少し過ぎた程度の年齢でしかない子供に、まるでそこらに遊びに行くかのように魔物を狩りに行くと言われたら驚くだろう。
「ちょ、ちょっと! 本気かい? 魔物って言ったら、すごく恐ろしい生き物なんだよ? 分かっているのかい? しかもすごく強いんだ!」
その慌てようときたら、タイナの人の良さが分かろうと言うものだ。
俺など、結局のところ、ただの客でしかないのだから、我関せずの態度を貫いて、「そうかい」と言って流しても誰も責めないと言うのに。
「大丈夫だよ。剛剣のゴドーって知ってるかな?」
だから俺はそんなタイナを安心させようと、ついさっき知り合ったBランク冒険者の名前を挙げてみる。
Bランクなのだし、それなりに有名なのではないかと思ってのことだ。
宿の客の多くを冒険者が占めているし、その情報もそれなりに知っているのではないかとも思った。
すると案の定、タイナは間髪入れずに頷く。
「知っているに決まっているじゃないか! 迷宮都市の誇る"三剣"の一人だよ!」
"三剣"?
初めて聞くが、なんだそれは。
首を傾げていると、タイナの横で同じ様な表情で俺の話を聞いていた少女――女将の娘ココネが、説明してくれた。
「"三剣"って言うのはね、迷宮都市ハルヴァーンで最も強いと言われている三人の冒険者のことだよ。"剛剣""妖剣""巨剣"の三人のBランク冒険者の剣士達。強いだけじゃなくて、人柄も良いから人気があるんだよね」
その説明に、ゴドーの事を思い出す。
そして思う。
人柄が良い、というのは確かにその通りだ。
取っつきやすいというか……。
他の二人も似たような雰囲気を持っている人なのかもしれない。
いつか会ってみたいものだ。
しかしそれにしてもそんなに人気のあるようには見えなかったのだが。
「Bランク冒険者がこの都市で最も強いって事は、AやSランクはここにはいないのか?」
気になって、俺が聞くと女将が答えてくれた。
「Aなんてそれこそ滅多に見ないじゃないか。それこそ、一国に一人いるかいないか、なんて言うとてつもない人たちなんだし。普通の街なら、Cが関の山だね。それなのに、この街にはBランクが三人もいるんだから。過剰戦力もいいとこさ。Sまで行けば、もう化け物としか言いようがないよ」
なるほど。
そういう評価なのかとタイナの話を面白く聞いた。
城では冒険者組合に関する事情など殆ど学ばなかったから、こういう話は非常に為になる。
それがこの街に住んでいる一般的な人の意見なら尚更。
「そうなんだ……分かった。まぁ、それなら、俺が魔物を狩りに行くのを心配する必要はないよ」
「……どうしてだい?」
怪訝そうな顔で見つめる女将に、俺は言う。
「だって、それこそ"剛剣ゴドー"と一緒に行くんだからね。実はさっき、冒険者組合で知り合って、意気投合してさ。色々あって、一緒に魔物狩りに行くことになったんだ。ラルゴの店って鍛冶屋知ってるかい? あの鍛冶師のおやっさんも一緒にね」
そう説明すると、タイナは再度驚いて、
「"剛剣"はよく若い子が冒険者になるのを止めているから知り合いになるのは分かるけど……一緒に行くだって? あんたを止めなかったのかい? それに、ラルゴって、あのラルゴだろ? あの頑固者の。冗談じゃないのかい?」
話してみるとラルゴは大して頑固者ではないのだが、タイナの感覚で言うと頑固らしい。
あの態度は、もしかしたら俺やゴドーに対してだけなのかもしれないと思った。
「ゴドーには止められたけど、最後には納得してたよ。魔物狩りだって、俺が言い出した訳じゃなくて、ゴドーとラルゴが誘ってくれたんだから。ラルゴだってそんなに頑固じゃないと思うけど……さっきだって楽しそうに武具の話してたよ」
そう言うと、タイナは顎がは外れんばかりに驚いた顔をして、それからココネの「お母さん、すごい顔してるよ……」の言葉に我に返り、取り繕ってから言った。
「昨日の夜、突然夜にやってきたからには何か事情があって、ただ者じゃないんだろうとは思っていたけど……あんた、相当だね。何者なんだい、と聞きたいところだけど……ま、訳ありなのはこの迷宮都市じゃ珍しいことじゃなし。ただ、桁が違ったというだけの話だね。……まぁ、分かったよ。しかし、気をつけていきなよ? あんたのお母さんだって、きっと心配しているだろうからね?」
「母さんは……心配してるのかな? 俺が冒険者組合に登録するって言ったら二つ返事で行ってこいって言ってくれたんだけど」
「そりゃあ、そうは言ってもってやつさ。たとえあんたが仮に、それこそ剛剣と並ぶくらい、ものすごく強かったとしてもだ。親は心配するもんだ。だからね……気をつけていきな」
ゆっくりと重々しくそう言ったタイナの目には、真剣な光が宿っていた。
それに、気遣うような感情もこもっている。
本当にいい人なのだろう。
人の親ということで、自分と重ねるところもあるのかもしれない。
だから俺は頷く。
「あぁ、分かったよ。"剛剣"がいるからって油断したりしないで、自分の命を大事に行って来るさ。じゃ、そろそろ部屋に行くよ。ゴドーとラルゴとはあと……三十分後くらいに待ち合わせをしてるんだ。待たせるわけにはいかないからね」
「あぁ……引き留めて悪かったね」
そうして、俺は母さんのいる部屋へと戻った。
宿の木製のドアを開けると、母さんは備え付けの机の上で羊皮紙と格闘していた。
カリカリと文字を書く音だけが部屋の中に響いている。
集中しているようで、俺が入ってきても特に反応はしなかった。
気づいていない、ということはないだろう。
母さんはAランク冒険者だったらしいのだから、その腕はゴドーをすら凌ぐはずだ。
当然、危機感知能力が低くてはそんなものにはなれないだろう。
しばらくして、最後まで書き終わったのか、母さんは筆を置き、振り返って微笑んだ。
やはり、俺が来たことにはしっかり気づいていたらしい。
反応しなかったのは、書き物のキリが悪かったからなのだろう。
「お帰りなさい……ええと、それで、冒険者組合にはちゃんと登録できたの?」
「いや、それが色々あって……」
「色々?」
首を傾げる母に、今日あったことを説明する。
冒険者組合に行ったら冒険者の男に話しかけられたこと、その男がBランク冒険者の"剛剣のゴドー・フラン"だったこと、母さんからもらった羊皮紙をゴドーに見せたら、ゴドーが、俺が組合長に喧嘩を売られることを危惧したこと、そのための準備として先に武具をそろえておくことの必要性を説かれ、ゴドーに連れられて鍛冶屋に行ったこと、そこでラルゴという鍛冶師を紹介され、武具を購入したこと、そしてその武具の試験運用のために、三人でちょっとした冒険に出かけようかという話になったこと。
すべてを黙って聞き終えた母は、頷いて言った。
「組合長に喧嘩を売られる、ね。まぁありえない話じゃないわ。私も昔、似たような事があったわ」
「母さんも? でも俺みたいな年齢のときに行った、って訳じゃないんだろ?」
「そうだけど……女だしね。嘗められるのよ。それに、まぁ、親切って部分もないではなかったのよね。実際に戦場に出てから向いてないことを悟るより、死ぬ危険性のないところで向いてないことを分からせようってことだったらしいから。まぁ、ボコボコにしてやったけどね」
ふっふっふ、とそのときのことを思い出して笑っている母に戦慄が走る。
「ま、事情は分かったわ。それにしても名乗った名前は……ユキト=ミカヅキ? 一体どこから出てきたのかしら。東方の名前よね、それ。あなたの容姿は東方出身と言われても違和感がないものだけど……モラードの血が強く出たのね。デオラスの王族の血には東方の血が入っているらしいから」
それは初耳だった。
親父も俺と同じく黒目黒髪であり、前世で言う日本人に極めて酷似した容姿をしていたし、城下で見る国民の中にも似たような容姿の人間が少なくなかったから、デオラスの人間の中にはそのような者が生まれやすいのだと思っていたのだが、それはデオラスの人間の特徴、という訳ではなかったらしい。
「国民にも東方の血が入ってるの?」
「そうよ。数百年前の話なのだけど、東方から移民があったらしくてね。そのときに混ざった血が今のデオラスの国民の血に宿っているのよ。王族も例外じゃないってこと。黒目黒髪は東方の血の発現というわけね」
「へぇ……じゃあ、丁度良かったかな。この名前でさ」
「まぁ、全くおかしくはないから丁度良いと言えばいいのかしら。それで、どこからそんな名前が……?」
「思いつきだよ、思いつき。何かの本で読んだかしたのが記憶の片隅にでも引っかかってたんじゃないか? 追いつめられてふっと出たのがそれで驚いたのは俺も同じさ」
全部が全部嘘ではない。
どんな偽名を名乗ろうかと考えて出た名前がそれ、というので驚いたというのは事実だ。
ただ、本で読んだという訳ではなく、前世ではそれが真実の名前だったというだけだ。
母さんはその答えに一瞬首を傾げたが、
「……そういうこともあるのかしら……なくはないとは思うけど……ま、そんなに気にする事じゃないわね」
といって考えるのをやめてしまった。
こういうところがたまに出るので、本来この人の性格はものすごく適当なのだろうなとよく思う。
本来の性格を見ていた俺からすると、むしろ親父の方が繊細だったような記憶がある。
国民からの印象はむしろ逆で、母が繊細な妃、父が大らかな国王、と言うものだった。
事実は正反対なのに。
まぁ、そういう印象の方がしっくり来るのは分かるし、分かりやすいイメージというのは広まりやすいと言うことだろうか。
美しく嫋やかな王妃と、豪快でカリスマ性の宿る国王。
なるほど、分かりやすい。
それで問題になったこともないし、別に良かったのだろう。
俺はどう思われてたんだろう。
二人の鷹から生まれた、鳶といったところだろうか。
そんなことを考えていると、
「これからすぐに出かけるのよね?」
母さんが話を変えてそう言った。
俺は頷く。
「あぁ。もう少しで時間だ。待ち合わせしてるんだよ」
「そうなのね。手紙を出しに行ってもらおうと思っていたのだけど、それなら仕方ないわ。自分で行くことにする」
「体は大丈夫なのか?」
「身重だけどね、普通に歩くくらいなら問題ないし、腐っても冒険者だったのよ、私。そこらのチンピラ程度ならこの状態でも十秒かからずにのせるわね」
「十秒……」
恐ろしい実力だ。
城にいるときは俺は主に魔女アラドと訓練をしていた。
母には魔法をよく教えてもらったのだが、実際に戦ったことは少ない。
ただ少ないとは言え、その何回かで俺は負けているのだが、それでもその実力の一部しか出してなかったという事なのだろう。
「だから、安心して行ってくるといいわ。今日中に帰ってくるのかしら?」
「いや、それは分からないな。だからお金は半分ここに置いておくよ。宿の支払いとかにはそれで十分なはずだ。手紙代も、今書いた分くらいなら払えるだろうし」
「悪いわね。私、お金持ってこれなかったよね。このドレスだし……」
そう言って母は自分の着ているものを示した。
見るからに豪華なそのドレスは、よほど高位の貴族しか身につけることが許されない形をしている。
母はデオラスの女性の最高位だから着ることができるのだ。
けれど、迷宮都市ハルヴァーンにおいて、その服装はあまりにも場違いでもある。
「……服も買わないとならないよな。やっぱり七割置いていくよ。普段着を買っておいた方がいい」
「そう? ありがとう。幻惑魔法くらい、私も使えるからごまかせないこともないんだけどね。流石にこの格好でいつまでもいるのは疲れると思っていたところだから。じゃあ、行ってらっしゃい。たぶんだけど、一日じゃ終わらないと思うから、頑張ってきてね。焦ってはだめよ。少し臆病なくらいに慎重な方が、冒険者は長生きするから」
「それは先輩冒険者としての助言か?」
「いいえ。端的な事実よ。どう受け止めるかは、あなた次第、というやつね」
「息子に対して随分厳しい教えだな」
「あなたなら大丈夫だと信じているからね。……気をつけて」
「あぁ、分かった。行ってくるよ」
そうして、俺は宿を出てラルゴの店に向かったのだった。