第79話 地底の迷宮
「ここが《地底の迷宮》かぁ……やっぱり《中庸の迷宮》とは雰囲気が違うねっ?」
リリアがプリムラを頭に乗せつつ、深い地底の底へと続く道を見つめながら笑いかけた。
ロッドはその言葉に頷く。
「そりゃあな。話でしか聞いたことねぇけど、《中庸の迷宮》はどでかい木なんだろ? それを下から上に登ってくってことらしいな……《地底の迷宮》は完全に逆だ。地上から地下へ地下へと潜ってく……」
基本的な迷宮のタイプとして多いのは、むしろ《地底の迷宮》のような地下へと潜っていくようなものだろう。
だからこそ、迷宮の攻略を冒険者たちは"潜る"と表現するようになったのだから。
しかし、もちろんのことだがそうではないものも少なくない数存在しているし、あくまで多いというだけの話である。
「まだ全然登ってないけどね。一階の階層主倒したあとすぐに帰って来ちゃったから……」
「一階で……!? 普通もっと奥まで行くものだと思うんだけど」
リリアの言葉にセレスが首を傾げてそう尋ねる。
実際、彼女の言葉は一般的には正しい。
ほとんどの迷宮は一階など探索されきっていて、その情報は少し調べれば分かるものばかりであり、そうである以上、初めて探索する迷宮であっても一階よりは奥へ行くものだからだ。
ただし、バトスにおいては中心的な四迷宮はともかく、《中庸の迷宮》は少し事情が異なる。
セレスの疑問に、俺が答えた。
「《中庸の迷宮》の情報はバトスの冒険者組合でもあんまり把握していないらしくてね。潜ったことのある冒険者も少ない。詳しい情報が集まらなくて、自力でこつこつやっていくしかないんだ。だから、慎重に行くことにしてる」
「……地図は?」
フォーラが尋ねてきた。
短い質問だが、その意味するところは、迷宮のだいたいの概要の描いてある地図は買えなかったのか、ということだ。
冒険者組合や情報屋などが販売しているもので、多くの迷宮の地図が売られているが、当然のことだがすでに攻略されている部分についてのものしかないし、誰かが攻略していたとしても地図など作っていないという場合も少なくない。
《中庸の迷宮》もそのパターンで、ある程度攻略したことのある者がいるにしても、地図など作られておらず、冒険者組合にしろ情報屋にしろ持っているものはいなかった。
多少の、たとえばどの階層にどういった魔物がいるか、という事実の羅列のような情報くらいしかなく、俺たちが手に入れられたのもその程度のものである。
地図などない。
そういうところも、《中庸の迷宮》の攻略が敬遠される理由の一つなのかもしれない。
そういう話をすると、フォーラは、
「……そんな大変なところにはじめから潜ろうとするなんて物好き」
とため息をついた。
そう言われても仕方がないかもしれない。
普通、冒険者というのは、はじめのうちはそんな危険は踏まずに、先人の歩いてきた道をなぞっていくものだ。
それは臆病者、というわけではなく、そうすることで確実な経験が積めるとはっきりしているからである。
地図を見ながら既知の迷宮を探索するだけでもある程度は稼げるし、命の危険も少なくなる。
ロッドたちは堅実に頑張っていると言えた。
しかし、それでも地図にすべての情報が書いてあるわけではない。
細かな情報が書いてある地図は高価で、それだけに駆け出しにおいそれと購入できるものではないからだ。
基本的な道筋が描いてあるようなものを購入し、自分の手で細かいところは埋めていくのが駆け出しのする"冒険"であった。
ここを勘違いして、誰も行ったことのない迷宮やら地域やらに行って"本物の冒険"をしようとする者も駆け出しには少なくない数いるのだが、そう言った者はだいたいがすぐに死ぬ。
冒険者組合にしろ、ベテランの冒険者にしろ駆け出しには"安全な冒険"を推奨している。
もちろん、そういった忠告を聞くかどうかは本人の自由だが、聞くのが賢い選択であるのは間違いない。
つまり、俺たちのやっていることは客観的に見れば愚か者とか馬鹿だとか言われて呆れられても仕方がないことなのだ。
「まぁ、言ってることは分かるけどね。だからこそ慎重に進んでいる訳だし、死にたがりってわけじゃないよ」
「……そうだろうな。お前らはそういう馬鹿じゃないはずだ。そもそも強いしな」
歩きながらしゃべっているのでその間も魔物が現れる。
しかし、大抵はリリアとクララが倒してしまうし、そこを抜けてきた魔物も俺がしとめている。
ロッドたちには危険はまるでない。
そんな様子を呆れながら見ているロッドたち。
「……別に俺たちは楽をしたいわけじゃないんだけどな……」
なにもしないで騎士に守られている王様のような道行きに若干申し訳なさを感じているらしい。
しかし、今回に限っては俺たちが無理して彼らについていきたいと言ったのである。
露払いくらいは引き受けさせて欲しいと言ったのでこういうことになっている。
それに、ただのお礼と言うだけではなく"地底の迷宮"に出現する魔物とも戦っておきたかったというのがある。
"中庸の迷宮"の魔物とどれくらい違いがあるか知りたかったからだ。
それはロッドたちも同感らしく、ロッドが尋ねてくる。
「……戦ってみてどうだ? "中庸の迷宮"の魔物とここの魔物、どっちが強い?」
「やっぱり"中庸の迷宮"の魔物かな。魔物の種類自体が同じだったとしても、"中庸の迷宮"の魔物の方が色々考えて戦っている感じがするよ。使ってくる技や魔法も"中庸の迷宮”の方が多彩だった」
それにそもそもの基礎能力が高かった印象がある。
やはり、"中庸の迷宮"は他の四迷宮とは少し異なるのだろう。
それを聞いたロッドたちは頷き、
「やっぱり俺たちは行かない方が良さそうだな……それに加えてはぐれ個体まで出現するんじゃあな……」
"はぐれ個体"とは本来出現すべき階層とは異なる階層に出現する魔物のことだ。
本来、迷宮に出現する魔物は強さや種類などが固定しているのが普通なのだが、そこから外れた強さや種類の魔物が出現した場合、それを"はぐれ個体"とか"はぐれ"とか言うのである。
他の迷宮でも"はぐれ"が出現することはない話ではないのだが、"中庸の迷宮"が特別扱いされているのはその頻度が余りにも多く、また出現する魔物の強さもかなり強力であることが多いからである。
他の迷宮では、出現しても七日に一度、とか、強さもせいぜい数階層深いところに出現する魔物である、とかその程度なのである。
「堅実なのが一番じゃないかな……まぁ、来る度に銀貨一枚とられるのは困っちゃうけどね」
俺が言及したのは、"地底の迷宮"に入る前に出くわしたレミジオの手下たちのことである。
どんな風に金品を巻き上げているのか気になってやってきたわけだが、案の定、というかわかりやすくやっていたのですぐにそれと分かった。
彼らは"地底の迷宮"の入り口に陣取って、中に入ろうとする者に一律銀貨一枚を要求していたのである。
入場料のような感じだろうか。
だから彼らに払わないと中に入れない、というわけだ。
いっそぶん殴って中に無理矢理入る、という方法も出来なくはなかったのだが、それはやめておいた。
俺たちだけならいいが、ロッドたちも一緒に入っているのだ。
のちのち彼らの活動に支障が出るような方法をとるのはあまりよろしくはない、という判断だった。
そうロッドたちに話すと、
「気にしなくても良かったんだけどな」
「そうそう、私たちは遠くから見てるから、その間にささっと潰してくれたらよかったのに」
「……そうすれば、銀貨一枚浮いて万々歳……」
ロッド、セレス、フォーラがそう言って笑った。
どうやらかなり強かになってきたらしい。
少し前だったら助太刀する、とか言っていたのだろうが、反省したと言っていたのは事実のようだ。
まぁ、基本的にはロッドさえ妥協すれば賢くいられるのは二人の女性がそういうタイプだから分かっていたことだが。
「ま、いずれあんな奴らは吹っ飛ばしてやるさ。そのときを楽しみにしておくといいよ」
俺がそう言うと、その場にいる全員が微笑む。
目の前に扉が見えてきた。
重厚な青銅で出来ている十層の扉だ。
結構進んだものである。
あの向こうにロッドたちの壁がいるわけだ。
俺とリリアとクララは道を開け、ロッドたちに譲る。
彼らは頷いて扉を開いたのだった。